貧困の基準はどこにある?――「貧困女子高生」報道から考える

今回感じたのですが、貧困が身近だからこそ、「これは貧困と言えない」と過剰な反応になってしまったのではないか、ということです。

 

先ほどお話したように、OECDの基準でいくと、「子どもの貧困」は6人に1人です。ということは、日本社会のなかで貧困ライン以下の生活は珍しくないというか、ある種、残念ながらよくある生活水準になってきている、ということでもあります。

 

もちろん、個々人が報道をみてどう思ったか、どう感じたかは一人一人の自由でもあります。ですが、国会議員がそこにコミットして自身のTwitterで発信したのには驚きました。

 

 

――「こんなことも貧困にしていては、なんでもかんでも貧困になってしまう」という議論についてはどう思われますか?

 

「貧困」という定義をどうするか、によって、たしかに、「なんでもかんでも貧困になってしまう」という考え方はありうると思います。

 

しかし、先述した「相対的貧困」のように先進諸国で一般的に使われている指標をほかの国と同様に活用すれば、国際比較も容易になりますし、貧困対策の議論が進みやすいでしょう。

 

「貧困は○○だと思う」という、個々人の価値観で「貧困」が語られること自体が、政策としての貧困対策の一番の障壁になります。

 

 

――GDPのようなものだと考えればいいのですね。たしかに、個々人で「私の考えた経済基準」を設定したところで、経済政策の議論は進まないでしょう。貧困も同じように「私の考えた貧困基準」にしてしまうと、全然議論ができないと。そりゃそうだ。

 

経済に置き換えてみると、違和感があるでしょう。こういった話がでてくること自体が「貧困」についての理解が社会のなかで進んでいないことのあらわれかなとも思います。また、「相対的貧困」以外の貧困の指標がまだまだ多くはなく、貧困の実態を明らかにするための調査等も、まだまだ政府レベルで本格的におこなわれていないことも、大きな課題です。

 

 

――「貧困の家庭が目先の散財をしてしまうのは珍しいことではない」という話題もでましたが、これは本当なのでしょうか?

 

「貧困家庭」といっても、一概に「○○だ」ということは適切ではないでしょう。金銭の使い方が上手ではない貧困家庭もあれば、節約しながらやりくりをしている貧困家庭も存在します。

 

また、仮に、「貧困の家庭が、「目先の散財」をしてしまうのは珍しいことではない」としても、鳥が先か卵が先かのような議論と同じで、お金の使い方が上手ではないから貧困になるのか、貧困だとお金の使い方が上手にならないのか、もよくわかりません。

 

ですので、ぼく個人の考えとしては、「貧困家庭」でも各家庭によって千差万別であり、一概には言えないだろう、ということです。

 

しかし、一点だけ追加すると、金銭の使い方や管理について、得意でない場合に利用できる支援が少ない、という問題はあります。認知症や依存症など、医療的な必要性から支援を利用している人は多く存在しますし、たとえば、生活保護制度などを利用している場合は、担当者が何らかの支援をおこなう場合はあります。

 

ですが、公的な支援を利用できる所得や資産の状況ではなかったり、医療的な必要性が認められない場合は、なかなか活用できるサポートがないこともあります。そういった、個人のがんばりだけでは難しい場合の、周囲のサポート、公的なサポートがまだまだ不十分であることを認識する必要があると思います。

 

 

イメージで語らず質の高い議論を

 

――実際の貧困と世間とのギャップは感じていますか?

 

「貧困」の議論はあまりにもイメージで語られすぎていると思います。

 

私たちNPO・NGOも、時に「やむを得ない事情で困窮した人」を発信しがちです。それは、いわゆる「自己責任論」への対抗からくるものではあるのですが、実際の「貧困」の実相は多様で、複雑で、画一的なものではないことも事実です。

 

なかには自己責任的に見える言動をしたり、経歴を持っている人もいます。しかし、そこの部分だけを切り取って評価をしたり、その人の人生を判断することは、大きな間違いと言えるでしょう。

 

 

――貧困をメディアで取り上げる際の注意点があれば教えてください。

 

「貧困」は「結果」でなく「状態」です。そして、その「状態」は、当たり前ですが、変化します。収入が増減することもあれば、人間関係も変わります。「貧困」である人は、ずっと「貧困」であるかというと、そういう人もいますが、そうでない人もいる。

 

一人一人の事象から見ていくことはとても大切な一方で、全体の動きや傾向、起きている事実を見ていくことも重要です。「貧困」をめぐる報道や議論の際には、極端に思えるような取り上げられ方や展開が多いことが気になります。

 

そして、すでに6人に1人という、先進諸国でも最も悪いレベルで相対的貧困率が高い日本で、そういったレッテル張りや人によって異なる「貧困」の定義で議論を進めていくことは、百害あって一利なしだと思います。

 

私たちの社会が「貧困」の解決を目指して進んでいくためには、間違いなく、質の高い丁寧な議論が必要です。そして、それは、「1000円のランチ」がどうの、などという話でもなければ、ソースが定かではない内容を安易に引っ張ってさもそれが正義のように振りかざすことでもないでしょう。

 

冷静に、データやエビデンスに基づき、日本の「貧困」について、どのような対策を取るべきなのか、どのような再分配をおこないながら成長を実現するのかを、丁寧に議論することが求められています。

 

このことは、私たち支援の現場に携わる者も、肝に銘じながら、情報発信や政策提言をおこなわなければならないと、実感させます。

 

日本の貧困対策は少しずつ進んでいます。相対的貧困率が公表されるようになり、「子どもの貧困対策基本法」も成立しました。しかし、私たちの社会はまだ、「貧困」を理解し、分析し、議論する段階にはたどり着いていないのではないか、とも思います。

 

質の高い議論を積み重ねて、日本の「貧困」の解決に資するために何ができるのかを、あらためて考えていきたいです。

 

知のネットワーク – S Y N O D O S –

 

 

すぐそばにある「貧困」

著者/訳者:大西 連

出版社:ポプラ社( 2015-09-08 )

定価:

Amazon価格:¥ 1,620

単行本 ( 269 ページ )

ISBN-10 : 4591146561

ISBN-13 : 9784591146569


 

 

【ご支援ください!】新しい政治を生み出すために、シノドス国際社会動向研究所をつくりたい!

 

lounge

 

α-synodos03-2

1 2

vol.216 特集:移動

・東京大学大学院超域文化学教授・内野儀氏インタビュー「国境を越える舞台芸術――移動するアーティストと変化する舞台表現」

・松岡洋子「『エイジング・イン・プレイス』と『日本版CCRC構想』」

・上村明「牧畜における移動――不確実性を生きる」

・中田哲也「『フード・マイレージ』から私たちの食を考える」

・齋藤直子(絵)×岸政彦(文)「Yeah! めっちゃ平日」