2011.11.25
南相馬市の内部被曝はどうなっているか?
わたしは東日本大震災以降、福島県・浜通りの医療支援をしている。これまで現地で、被災地の健康診断や放射線の相談会、医師派遣といった活動をしてきた。 現地の状況は時々刻々と変化しているが、現在、問題となっているのは、放射線対策と、被災地で長期的に勤務してくれる医師の確保だ。
ホールボディーカウンター(WBC)による内部被曝調査
10月28日、南相馬市は、小児を対象としたホールボディーカウンター(WBC)による内部被曝調査の結果を公表した。この検査は、南相馬市立総合病院で行われたもので、8月1日から10月11日までに2884人の小児(6才~15才)が受診した。
特筆すべきは、9月以降に検査を受けた小児 527人のうち、268人(51%)にセシウム137の内部被曝が認められたことだ。マスメディアが大きく取り上げたため、ご記憶の方も多いだろう。8月以前にセシウムが検出されたのは、2357人中、わずか6人だった。桁違いに検出者が多い。
このような差が生じたのは、南相馬市立総合病院がWBCの機種を変更したためだ。新しく導入されたWBCはキャンベラ社製のもの。この器機を用いた場合、セシウム137の検出感度は約200ベクレルで、8月まで使っていた国産WBCの7倍の感度となる。キャンベラ社とは、フランス原子力庁のもとに設立されたアレバ社のグループ会社。国産WBCでは物足りないと感じた地元の産科医である高橋亨平医師らが中心となって導入した。
今回の発表で注目すべきは、セシウム137の検出量が、1.6~31.3 ベクレル/kg(中央値7.2 ベクレル/kg)と低いことだ。京都大学の今中哲二氏は、朝日新聞の取材に答え、「人体には1キロあたり50-60ベクレルのカリウム40という放射能が自然にある。その変動の範囲の10や20なら、神経質になっても仕方ないだろう」とコメントしている。政府・福島県の放射線対策に否定的であった今中氏の発言だけに、説得力がある。
ただ、ここで問題になるのは、4人の子どもで、20 ベクレル/kg以上のセシウム137が検出されたことだ。最高は30-35 ベクレル/kgに達する。今中氏も「30ベクレルあったら、少し気になるので、減らした方がいい」と慎重な見解を付け加えている。
チェルノブイリと比較して
内部被曝調査を担当した坪倉正治医師(東大医科研、南相馬市立総合病院非常勤医師)は、「(南相馬市とは)別の地域ですが、セシウムが検出された子どもの中には、野山の野草や山菜を食べつづけていた子がいます。また、服装が汚れていたので、試しにガイガーカウンターで測定したところ 、1000ベクレル程度のガンマ線が検出された子どもいました。服を脱いでもらったところ半分になりました」という。いずれも、親が放射線に関する知識が十分でなく、適切な放射能対策を施していなかったのだろう。その保護者に対して、放射能対策について十分に説明したらしい。除染や避難などが話題に上がりやすいが、現実に生活を営んでいる市民に対しては、このような個別の対応によって、少しでも子どもの被曝を減らすことも重要だ。
じつは、原発事故でWBCを稼働させるのは、今回がはじめてだ。よく、福島とチェルノブイリが比較されるが、チェルノブイリでWBCが導入されたのは1991年。原発事故から5年も経てば、急性被曝の推計などやりようがないため、おもに食事からの慢性被曝を評価するのが目的だった。
「当時、ソ連は体制崩壊が進み、チェルノブイリ周囲は食糧難だった。このため、汚染食品の流通を規制することができず、内部被曝が広まった」そうだ(ウクライナ在住、放射線専門家)。一方で、日本では原発事故後、食の流通に対して多くの関係者や市民が注意を高めている。そのため 福島県において、原発周辺の放射能汚染はチェルノブイリの厳戒制限区域(55.5万Bq/m2)と遜色ないが 、内部被曝は遙かに軽い。
余談だが、ウクライナの専門家は「現時点でセシウムが発癌を起こすことを示す証拠はないが、ソ連政府がすべての情報を開示しなかった可能性は十分にある」と指摘する。また、幼少時の被曝が、高齢化してからの発癌に影響するか否かは、十分に検証できているとは言い難い。被曝に対するわたしたちの知識は、まだまだ不十分だ。
今回の南相馬の内部被曝調査は貴重だ。南相馬市で行われている内部被曝調査は、検査を受けた市民にとってはもちろんのこと、医学的に貴重な資料でもある 。わたしはこのようなデータを発表した南相馬市立総合病院のスタッフの皆さんに、最大限の敬意を払いたい。
「病院は孤立した船だった」
南相馬市立総合病院は、250床を抱える相双地区最大の急性期病院だ。原発事故後も中心的な役割を担うことが期待された。この病院は原発30キロ圏内に位置したため、想像を絶する苦難を経験する。多くの市民が屋内退避を指示され、現地に留まったのに、救急車、ドクターヘリ、DMAT(災害派遣医療チーム)、さらに食料・ガソリン薬などの補給が入ってこなくなかったからだ。
一方、病院で働く派遣職員は全員、病院スタッフは三分の二が病院を立ち去った。医師は震災前の12人から、4人まで減ったという。自衛隊が食料などを補給したのは、3月16日だ。南相馬市立総合病院の及川友好副院長は「病院は孤立した船だった」と述べる。及川副院長は、自分の子どもたちを福島市に避難させ、病院に戻った。その際に形見を渡した。相当な覚悟だったのだろう。
南相馬市立総合病院は、今でもスタッフ不足に悩んでいる。この規模の病院なら、通常50名程度の常勤医が必要だが、現在、同院にいる常勤医は7名だ。このような中、政府が全面的に支援する放医研・福島県立医大よりも早く、地域住民の内部被曝を調査し、迅速に社会に公開した。医師・技師・看護師、事務職員の苦労は並大抵ではなかったはずだ。地域の医師会長である高橋亨平医師、彼らを支援しつづけた桜井勝延市長の存在も大きかった。
余談だが、南相馬市の市役所の一部は、彼らの足を引っ張っている。その中心は霞ヶ関からの出向官僚だ。「市立病院と市長が暴走している」「市民病院のお陰で福島県と県立医大が迷惑している」と言って憚らない。彼は、何事も福島県・福島医大と協力して進めなければならないと信じているようだ。
住民の健康、現場のスタッフのサポートよりも、福島県庁との関係が重要だという官僚に、わたしは呆れ果てた。南相馬市は緊急事態がつづいている。市民の健康を守るには医療体制を整備しなければならない。その際、県や役所の面子などどうでもいい。
「検査結果だけ送られてきても、どうしていいかわからない」
南相馬市立総合病院の次の課題は、WBC検査でセシウム137が陽性となった小児のフォローアップだ。すでに、セシウムの取り込み量がある程度多かった小児6名のうち3名について、3ヶ月程度の間隔をおいた後の再検査を完了しており、全員でセシウム量は1000-2000 Bq/Bodyから半減した という。この事実は、小児の被曝が、食事などによる慢性被曝よりも、原発事故直後の急性被爆の影響である可能性を示唆する。しっかりフォローすれば、被曝の影響を最小限に食いとめることができる。
さらに、住民への説明・心理ケアも重要だ。南相馬市立総合病院は、当初、検査を受けた住民や父兄に対して個別に結果を説明してきた。このころ、市民の多くは結果を聞いて安心したという。政府が「安心です」と繰り返したり、有識者がチェルノブイリのデータをつまみ食いして説明したりするよりも、自分自身の検査結果を知る方が遙かに納得するらしい。
しかしながら、南相馬市立総合病院では人手が足りず、最近は書面での結果通知に変更した。それ以降、各地から不満・不安の声が聞こえてくる 。もっとも多いのが、「検査結果だけ送られてきても、どうしていいかわからない」だ。みな、具体的な対策を求めている。それには個別対応が必要だ。病院スタッフたちは何とかしたいと思っているが、とても手が回らない。絶対的にスタッフが不足している。
どうすれば解決できるか、皆目検討がつかない。ただ、南相馬での勤務・活動は被災者のためだけでなく、医療にとってもきわめて貴重な経験となるはずだ。「我こそは」と思う方々、ぜひ、南相馬市に来ていただきたい。わたしまで連絡いただければ、いつでも現地関係者におつなぎしたい。
プロフィール
上昌広
医師・医学博士。医療ガバナンス論。東京大学医科学研究所先端医療社会コミュニケーションシステム社会連携研究部門特任教授。93年東大医学部卒。97年同大学院修了。虎の門病院、国立がんセンターにて造血器悪性腫瘍の臨床研究に従事。05年より東大医科研探索医療ヒューマンネットワークシステム(現 先端医療社会コミュニケーションシステム)を主宰し医療ガバナンスを研究。帝京大学医療情報システム研究センター客員教授、周産期医療の崩壊をくい止める会事務局長、現場からの医療改革推進協議会事務局長を務める。