ヘイト・スピーチ規制論について――言論の自由と反人種主義との相克

近年、日本でもヘイト・スピーチという言葉がしばしば聞かれるようになり、ヘイト・スピーチを規制するか否かについての議論がなされている。

 

ヘイト・スピーチという言葉は、1980年代のアメリカで使われるようになったものである(*1)が、その捉え方自体が多様であるため、定義は論者によって異なる(そのためか、議論が錯綜していることもある)。本稿では、さしあたり、「人種、民族、宗教、性別等にもとづく憎悪及び差別を正当化もしくは助長する表現」と定義する(*2)。

 

(*1)それ以前では、1920~1930年代は人種嫌悪(race hate)、1940年代は集団的名誉毀損(group libel)などと呼ばれていた。

(*2)本稿では、人種差別的ヘイト・スピーチについてのみ検討する。

 

現在のところ、日本ではヘイト・スピーチを規制する法は存在しない。名誉毀損罪(刑法230条)や侮辱罪(刑法231条)が適用できる事例もあるが、表現の対象が、人種、民族などの不特定多数の者である場合、名誉毀損罪や侮辱罪は適用できない(*3)。

 

(*3)「在日特権を許さない市民の会(「在特会」)が、京都朝鮮第一初級学校に押しかけ、拡声器を用いて「北朝鮮のスパイ養成機関、朝鮮学校を日本から叩き出せ」、「ろくでなしの朝鮮学校を日本から叩き出せ。なめとったらあかんぞ。叩き出せ」、「日本から出て行け。何が子供じゃ、こんなもん、お前、スパイの子供やないか」「約束というものは人間同士がするものなんですよ。人間と朝鮮人では約束は成立しません」などと公然と同学校を侮辱し、サッカーゴールを倒すなどした事例では、威力業務妨害罪、侮辱罪等が適用された。最判平成24年2月23日判例集未登載。

 

また、あらゆる形態の人種差別の撤廃に関する国際条約(人種差別撤廃条約)4条が人種にもとづく差別の煽動を禁止し、処罰することを義務づけているが、日本は、条約加入に際し、4条について、言論の自由などに抵触しない限度で履行する旨の留保を付している(ただし、ヘイト・スピーチ規制に積極的な国を含む多くの国も、本条につき留保あるいは解釈宣言を付して対応している)。

 

なお、2002年には、人権擁護法案が、第154回国会に提出され、三会期連続で審議されたが成立せず、翌年廃案となった。同法案は、特定の個人に対する差別的な表現や、不特定の集団に対する差別を助長する表現などを規制する条項が含まれていた(3条1項2号、同条2項)。その後も、2005年に、人権侵害救済法案が第162回国会に提出されるなど、差別的表現の規制が検討されたが、いまだ成立には至っていない。

 

ヘイト・スピーチの害悪としては、主として、(1)犠牲者に身体的、精神的害悪を与える、(2)思想の自由市場の機能を歪めさせる、(3)平等保護の要請に反する、(4)人間の尊厳を侵害するなどが主張される。また、ヘイト・スピーチは、犠牲者だけではなく、社会全体に対しても害悪を与え、それにより、人種主義(レイシズム)の永続化に寄与するともいわれる。

 

しかし、ヘイト・スピーチを規制することは、表現の自由という極めて重要な権利を規制することとなる。

 

主権者である国民が代表(議員)を選ぶ際に、賢明な判断を下すためには、公の問題についてのあらゆる情報を持っていなければならず、それらの情報は、公の問題について自由に議論することができなければ存在しえないため、表現の自由は、民主国家においてとりわけ重要な権利であるとされる(A. Meiklejohn)。

 

このように、ヘイト・スピーチを規制するか否かという問題は、人種主義の害悪の抑圧と自由の保障という、二つの重要な価値のバランスをどのようにとるのかという問題である。言い換えれば、人種主義者にどれだけ自由を認めるのかという問題であり、この問題は、リベラルな民主国家にとって深刻なジレンマとなっている。

 

本稿では、ヘイト・スピーチ規制論をめぐる諸外国の動向を概観し、日本がこの問題にどのように対処すべきかにつき議論するための素材を提供しようとするものである、なお、ヘイト・スピーチをめぐる憲法上の議論、とくに表現の自由との関連については、小谷教授の論稿(http://synodos.jp/society/4013)を参照されたい。

 

 

二つの方向性――ヨーロッパとアメリカ

 

ヘイト・スピーチに対する法的規制について、しばしば、「規制に消極的なアメリカ合衆国」と「規制に積極的なヨーロッパ諸国(ドイツ、フランス、イギリス等)」が対比される。

 

「政府は、その思想自体が攻撃的あるいは不快であるからという理由だけで思想を禁止するべきではない」(Texas v. Johnson, 491 U.S. 397, 414 (1989)) という原則を固持しているとされるアメリカに対し、ヨーロッパ諸国では、平等、人間の尊厳、個人の名誉などの他の憲法的価値も民主的価値をゆうするために、それらの権利を攻撃的な言論から保護することは、言論の規制の民主的正当化事由となるとされる。

 

ヨーロッパ諸国をみてみると、公共秩序法(イギリス)や人種差別法(フランス)、あるいは刑法(ドイツ、スイスなど)に、ヘイト・スピーチを規制する条項をおいている。また、ロシアでは、憲法29条2項で「社会的地位、人種、民族または宗教に対する憎悪および敵意を刺激する宣伝又は煽動は、これを禁止する。社会的地位、人種、民族、宗教または言語の優越についての宣伝は、これを禁止する」として、ヘイト・スピーチを禁止している。

 

現在では、ヨーロッパの多くの国で人種主義的な言論を規制する法が制定され、ヨーロッパ人権裁判所も、人種あるいは宗教に関する煽動的な言論については、この傾向を支持している。EUもこの傾向を強化し、2008年には、加盟国に対し、人種等にもとづく憎悪あるいは暴力を煽動するような言論を違法化するよう求めた。

 

アメリカでは、ヘイト・スピーチを規制する連邦法はない。州法により、特定の者に対する脅迫等にあたるヘイト・スピーチを規制することは合憲とされる。しかしながら、不特定の者に向けられたヘイト・スピーチの規制は、表現内容規制にあたるとして、その合憲性は厳格に審査され、1992年のR.A.V.判決(R.A.V. v. City of St. Paul, Minnesota, 505 U.S. 377(1992))では、ヘイト・スピーチの一類型である十字架を燃やす行為(*4)を規制する条例が、内容にもとづいて特定の言論を差別的に扱っているとして違憲とされた。

 

(*4)十字架を燃やす行為(cross burning)は、もともとは、クー・クラックス・クラン(KKK)の儀式に使われてきた行為であり、白人プロテスタント優越主義というイデオロギー的メッセージを伝達するものである。また、十字架を燃やす行為は、アフリカ系アメリカ人など対する脅迫の手段としても使われ、特定の者に対してなされた場合、その対象者が暴力の標的であるとのメッセージを伝達するものであるともいわれる。

 

また、1965年に採択された人種差別撤廃条約についても、イギリス、ドイツ、ロシア(当時はソ連)は1969年、カナダは1970年、フランスは1971年、イタリアは1976年と、比較的早期に批准したのに対し、アメリカが批准したのは1994年であった。

 

このように、ヘイト・スピーチに対するヨーロッパ諸国とアメリカの対応は対照的ともいえる(*5)。しかしながら、ヨーロッパ諸国とアメリカが対照的な対応をするようになったのは、必然的なものではない。以下で述べるように、アメリカでも、ヨーロッパと同様の方向に進む可能性があったと指摘されている。それでは、アメリカとヨーロッパとは袂を分かったのはなぜか。この点、Eric Bleichは歴史的文脈の相違を指摘する(*6)。

 

(*5)例えば、イギリスでは、炎に包まれた世界貿易センタービルの写真などに「イスラム教徒はイギリスから出ていけ」、「イギリス人を守れ」などの言葉を重ね合わせたポスターを自宅の窓に貼った行為が、公共秩序法第5条違反とされたが、アメリカではこのような行為の規制は違憲となるであろう。Norwood v. DPP [2003] EQHC 1564 (Admin).

 

(*6)以下の記述は、主としてERIC BLEICH, THE FREEDOM TO BE RACIST?:HOW THE UNITED STATES AND EUROPE STRUGGLE TO PRESERVE FREEDOM AND COMBAT RACISM (Oxford University Press 2011)に依拠している。

 

 

 

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