ヘイト・スピーチと「自由」の意味

法規制とその外部

 

ヘイト・スピーチをめぐる議論は、現在のところ多くの場合で法規制に関する問題に集中している。すなわち、現在の日本の法制度の下でヘイト・スピーチを規制することが妥当か否か、または、もし現在の法制度で不十分なのであれば新たな法規制のあり方に踏み込むべきかどうか、という問題である。これらの問題に関する見解は多様で、言論の自由と天秤にかけた場合に積極的な規制に踏み切るべきではないという立場から、国際人権基準に準拠して厳格な規制をおこなうべきだという立場まで広がりを持っている。とはいえ、その間の距離は見た目ほど遠いというわけではない。

 

ヘイト・スピーチは、民族や性別などの属性を理由に、少数派集団に対して差別的、侮蔑的表現を用いる行為とされる。したがって、単なる批判であればヘイト・スピーチの範疇には入ってこない。反対に、ヘイト・スピーチと見なされるケースでは、ある集団に暴力をふるって人々の生命に危険を及ぼすことを示唆するなど、法律を引き合いに出すまでもなく一般的な市民感覚として許容できない行為が多く含まれる。その意味では、確かに法律解釈や立法論の問題はあるにしても、それはあくまでも技術的な問題であって、何らかの形でヘイト・スピーチに対抗する必要がある、というところまでは多くの人が賛同するであろう。

 

ヘイト・スピーチに対して、表現の自由との衝突を理由に法規制に消極的な立場を取るにしても、それはヘイト・スピーチの承認とは異なる。厳格な法規制までは主張しないが、ヘイト・スピーチを勧めているわけではない、というのがその場合のスタンスの取り方である。ヘイト・スピーチに対しては、「思想の自由市場論」の立場から規制に消極的な態度が取られることがあるが、それもさまざまな思想や言論が競合し合う中でヘイト・スピーチが淘汰され駆逐されることを期待しているからであって、ヘイト・スピーチが奨励されているわけではない。

 

だが、このような法規制をめぐる問題が何らかの形で解決されたとしても、残存する問題はあるように思われる。安田浩一が在特会を描いた『ネットと愛国』(講談社)の中で、ヘイト・スピーチの問題に直面した人物の次のような述懐が記録されている。

 

 

在特会って、わかりやすいですよね。腹も立つし、悲しくもなるんやけど、あまりにわかりやすいだけに恐怖を感じることはないんです。僕が怖いのは、その在特会をネットとかで賞賛している、僕の目に映らない人たちなんです。いっぱい、おるんやろうなあと思うと、正直、つらくてしかたないんですよ(363頁)

 

 

著者の安田自身もまた、この述懐を受けて次のように記述する。

 

 

たとえ在特会がどんなにグロテスクに見えたとしても、「社会の一部」であることは間違いない。彼らは世間一般の、ある一定の人々の本音を代弁し、増幅させ、さらなる憎悪を煽っているのだ(364頁)

 

 

ここで示されているのは、法律上の問題ではない。どの程度の広がりを持つかはわからないにしても、一定数の(ヘイト・スピーチを浴びせられる当事者からすれば自らのアイデンティティをひどく傷付けられるほどに相当多数と感じられる)一般の人々が、法律とは関係なく、ヘイト・スピーチが広がる状況について、少なくとも消極的には認容しているのではないか、という問題である。先ほどの法律上の議論では、規制積極派も消極派もヘイト・スピーチに賛同しないという点では一致していた。しかし、もしかしたら世論の中には、こうした法律論とはまったく別の次元でヘイト・スピーチを支えるような風潮があるのではないか。

 

はっきりとした表現形態をとらない風潮を数値化することは難しい。実際にはヘイト・スピーチの激烈さに惑わされているだけで、そのような風潮は大した広がりを持っていないのかもしれない。だが、ヘイト・スピーチを伴うデモがかなりの人数を動員していることも確かで、隠れた憎悪の広がりを恐れるには十分である。その上、日本の社会にはヘイト・スピーチへの強い抵抗力が育たないような土壌があるのではないか、と思われる節もある。

 

以下では、政治理論の分野から、自由論と多文化主義論という二つの領域の知見をもとにして、この問題を考察してみたい。というのも、やや遠回りではあるのだが、この分野での日本の議論の特性がヘイト・スピーチ論争の構造を深く規定している可能性を否定できないからである。

 

 

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