老いのかたち、福祉のかたち――フィンランドの「自立」した高齢者たち

真夜中の警報

 

2013年12月。国土の3分の1が北極圏に含まれるフィンランドでは、冬至の時期になると日中でもほとんど太陽の姿を見ない。今が深夜であることを示唆するのは、車の往来の少なさと、消えたネオンサインだけである。ナイトパトロールの担当者であるラーケルは、タウンハウス(長屋状の住居)が立ち並ぶエリアで車を停めた。私たちが車を降りると、玄関前で煙草を吸っている女性がラーケルに話しかけた。

 

「ハンナなら、もう家に戻ったわよ。郵便ポストをのぞいていたけど。彼女、間違ったポストから郵便を持って行ってしまうから困るのよね」

 

ラーケルは持参の鍵を使い、喫煙中の女性の隣の家に入った。室内は暗く静まり返っている。寝室のある二階に上がり、問題のお婆さんが寝室で眠っていることを確認した。

 

認知症のために時間の感覚を失ったハンナにとって、昼と夜の区別をつけることは難しい。夏季は真夜中でも明るく、冬季は昼間でも暗いことが、ハンナの混乱が増す原因となっているのだ。それで、正午ごろに届くはずの郵便を受け取るため、真夜中に何度も屋外へ出てしまう。そのたびに玄関に取りつけられた警報が作動し、ナイトパトロールの携帯電話に通報が入る。郵便を取るだけで家に戻れば害はないのだが、本人が電話に応答しない場合は、安否確認のために訪れる必要がある。

 

ナイトパトロールのオフィスに戻ってから、ラーケルはハンナの身上調書を探した。玄関のアラームが鳴ったとしても、その時点でパトロールスタッフが遠方にいればすぐに駆けつけることはできない。近隣に暮らす親族がおり、スタッフの代わりに確認に行くことを了承している場合、調書に明記してあるからだ。

 

だが、ハンナには助けてくれる身寄りはいなかった。

 

国家による社会福祉制度が整備されたフィンランドでは、多くの高齢者がハンナのように行政のサービスを利用しながら独居生活を続けている。それは素晴らしいことのように思えるのだが、実現するためには何が必要なのだろうか。社会福祉に十分な予算と人的資源を投入すれば、家族介護を前提としない在宅介護システムが構築できるのだろうか。

 

 

緊急通報システム

 

サービス付き住宅群

サービス付き住宅群

 

 

筆者が15年にわたって人類学的フィールドワークを行ってきたフィンランドの「群島町」(仮称)[*1]では、独居高齢者のための緊急通報システムが発達している。多くの高齢者が「安心電話」(turvapuhelin / trygghetstelefon:fin / swe)という腕時計タイプのアラームを装着しており、転倒などの際にはボタンを押して助けを呼ぶことができる。また、テラスハウスやアパートのような集合住宅では、玄関扉にアラームが取りつけることができ、扉が開くと自動的に行政の担当者へ通報が入るようになっている。

 

[*1] 群島町の人口は約15000人。高齢化率は18%である。なお、本稿に登場する人名や地名はすべて仮名を用いている。

 

夜間の通報先となるナイトパトロールは、サービス付き住宅群[*2]のケアステーションに待機している。いつも身に着けている腕時計型のアラームボタンを押すことでスピーカーフォンが起動し、担当者と会話することができる。怪我などを負っている場合は、電話の受付担当と訪問看護婦の二人が高齢者の自宅に急行する。

 

[*2] サービス付き住宅(palvelutalo / servicehus:fin / swe)は日本における「サービス付き高齢者向け住宅」にあたり、ケアの専門家が敷地内に常駐し、バリアフリー化されたテラスハウスが連なるエリアである。

 

安心電話のスピーカーフォン。転倒などによって電話口まで行けない場合でも、担当者と話すことができる。

安心電話のスピーカーフォン。転倒などによって電話口まで行けない場合でも、担当者と話すことができる。

 

腕時計型のアラームボタン

腕時計型のアラームボタン

 

 

ハンナの家を訪れた晩は、群島町一帯で玄関扉のアラームが10回、安心電話のボタンが13回押された。ただし、安心電話を押すのは転倒した人だけではない。トイレを使いたいので簡易便器までの移動を手伝ってほしい、寝返りを打たせてほしい(両足が切断されているので、自力で寝返りが打てない)、といった理由でボタンを押す人もいるからだ。

 

これは、冬季としてはおおむね平均的な出動回数であるという。多いとみるべきなのか、それとも少ないとみるべきなのかは、見方によって変わってくるだろう。ただ、人びとは徘徊や転倒の危険を抱え、歩行困難や寝たきりといった身体状況にありながら、なおも独居生活を続けている。ナイトパトロールは、そうした人びとにとっての命綱となっているのだ。

 

 

社会福祉制度成立の背景

 

フィンランドの高齢者福祉と老いに関する人類学的な現地調査を行っていることを説明すると、必ずといってよいほど返ってくるのは「北欧って福祉が進んでいるんでしょう?」というコメントだ。あるいは、税金の高さや隣国スウェーデンにおける移民政策の失敗などを挙げて、北欧型福祉国家が完璧なシステムではないことを指摘する人もいる。

 

だが、理想としての北欧型福祉国家にあこがれることも、それが実は虚像であるという暴露に溜飲を下げることも、同じ前提に基づいている。すなわち、日本も北欧型福祉国家のシステムや技術を輸入するべきであるのか、それとも見習う価値はないと切って捨てるべきであるのか、という二者択一の議論である。

 

明治維新以来、日本は海外の進んだ技術を効率よく取り入れることで、西欧諸国に追いつき、追い越そうとしてきた。この“進んでいる/遅れている”という発想の背後には、社会福祉制度は単線的に発展するものであり、一本の物差しで測ることが可能だという仮定がある。そうした共通の尺度で測られることで、はじめて技術や制度は、その土地の文脈から切り離され日本に輸入されることが可能となるからだ。

 

 

町営の長期療養施設(個室)

町営の長期療養施設(個室)

 

 

実際には、フィンランドの社会福祉制度は、風土や歴史、組織の基本的な形態、人びとの価値観等と複雑に結びついている。社会福祉がそれぞれの土地の独自性に根差して成立するものであるとすれば、“良い/悪い”、“遅れている/進んでいる”という判断を下せるのだろうか?

 

北欧諸国において、国家が国民の福祉に対して大きな役割を果たす社会民主主義型の福祉制度が成立したのは、それを可能とする土壌を備えていたからだという議論がある。例えばセーレンセンとストロースは、北欧型福祉国家の建設を「農民の自治権保証」という歴史の連続線上に位置づけている[Sørensen & Stråth 1997][*3]。身分差が激しい大陸ヨーロッパと比べ、北欧諸国は福祉国家の成立以前から自作農の独立性が高かった。もともとの社会的階層差が大きくなかったからこそ、貧富の差を生み出すことを防ぐ社会民主主義的システムが導入されたのだというのである。

 

[*3] ただし、こうした「農民の北欧」というイメージがロマン主義の産物であることは否めない。さらに、福音ルーテル派プロテスタント教会の果たした役割も大きい。北欧型福祉国家を支える歴史・社会構造については、[髙橋 2013]の第三章・第五章で議論している。

 

また、フィンランドの多くの地域では共住の単位としての世帯規模が小さく、中世から子供は16 歳になると家を出て他の農家や町で働くという習慣があった。こうした居住規則や親族集団へと拡大しない世帯形態が、国家や教会の介入を促したとも言われている[Ka 2005]。

 

このように、家族介護が例外的状況となるような世帯構造や、格差の少ない社会構造を元に、現在のフィンランドの社会福祉制度は成り立っている。1970年に子供による両親の扶養義務が存在しないことが明文化されており[Sipilä et al. 1997: 33]、地方自治体が高齢者の健康と福祉に対する責任を担っている。

 

とはいえ、近年では老人ホームのような介護施設は財政的にも人道的にも望ましくないとされ、脱施設化が推し進められる一方で、ホームヘルプや訪問看護を主力とする在宅介護サービスが拡大しつつある。福祉国家の財政的困難を背景に、地域福祉の構造改革が進んでいるが[髙橋 2015]、それでもなお残り続けるものがある。それは、人々の考えるウェルビーイングとはどのような生き方か、という観点である。【次ページに続く】

 

 

 

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