2012.04.18

「生保」といえば「生命保険」。「生命保険」といえば、万が一の備えですね。しかし、ここでお話ししたい「生保」が「生活保護」だとしたら、どうでしょう?ご自身にとって、万が一の備えとお考えですか?

「生保」=「生活保護」は、憲法25条に規定された生存権を実現する制度です。日本の国民生活にとって、万が一の備えであることを目的としています。しかし、この理念を単なるお題目に止めようとする力が、私たちの社会には働いているかのようで、実際、生活保護が批判的に報道されることもしばしばです。

それはなぜなのか。私は、「生保」=「生活保護」という制度が、社会の矛盾を目の当たりにさせる存在ゆえと考えます。生活保護は大切な制度ですが、人びとができれば見たくないものを抱えており、自分とは関係のないものとして、突き放される存在であると思われるのです。生活保護を自分の問題とはとらえない第三者の立場、報道では、批判しやすい対象になるのではないかと考えます。

この見解を説明するにあたって、まずは、生活保護制度のポイントをお話しします。というのも、意外と基本的なことが知られていないのでは、と考えるからです。かくいう私も、社会福祉という学科で学ぶまで、ほとんど知識はありませんでした。実は、生活保護さらには社会福祉、社会保障をめぐる議論の混乱は、義務教育で触れられない、基礎的知識が共有されていない、そんなところもあるのではと思います。

生活保護の基本

生活保護法そのものはわりとシンプルで、大切なことは法第1条から第10条までに書かれています。以下、誤解されがちなポイントを押さえながら、生活保護の基本を5つ述べていきます。

1.給付は最低生活費で、日常生活費だけでなく住宅費、医療や介護の現物も含む

最初に述べたように、生活保護は憲法25条に基づき、健康で文化的な生活水準を維持する最低限度の生活を保障するものです。「生活」の保障が目的ですが、実際に法に明記されている内容は「生活費」の給付です。最低生活費は、日常生活費だけでなく、住宅、教育、出産、生業、葬祭の費用に加え、医療と介護の現物給付もあり、生活保護は生活のあらゆる面に対応します。ご自分の最低生活費を計算したい場合は、「NPO法人 舫(もやい)」の http://www.moyai.net/modules/m1/index.php?id=17 などをご覧ください。

2. 保護の給付は足りない分だけ

最低生活費は包括的で、困窮状態の救済に必要なものを足し合わせて計算します。したがって、困っているポイントが多い人、家族人数が多いほど、最低生活費は多額になります。たとえば、東京都で30代独り暮らしの方は、日常生活費が83,700円、住宅費は最高で69,800円で、153,500円(2012年4月時点)ですが、家族の人数が増えれば日常生活費が加算され、さらに医療費など必要な他の費用が足された合計が給付額、という計算になります。

ただし、実際に支払われるのは、「利用し得る資産、能力その他あらゆるもの」(法第4条)を活用して足りない分だけです。就労収入はもちろん、年金など社会保障給付なども収入認定されます。先の例でいえば、153,500円がまるまる生活保護より支払われる人は少ないのです。

3. 最低生活費は1か月使い切り

さらに、「利用し得る資産、能力その他あらゆるもの」を活用するというのは、保護を開始するときに、基本的に貯金なしの状態を意味します。銀行の通帳は0円、タンス預金も0円でなければいけません。この状態で保護を開始し、1か月を単位に計算した最低生活費が給付されます。最低生活費は、基本的に1か月で使い切りです。許されているのは、保護開始時に手持ち金として、最低生活費(医療費や介護費は除く)の半額のみです。

これは「家計上の繰越金程度のもの」といわれますが、他には何もなくて、お財布に入っているお金として許される限界が最低生活費の半額なのです。急なまとまった出費にはもちろん対応できませんので、必要になるたびにケースワーカーに相談することになっています。家計のやり繰りなど工夫が許されない仕組みとみることもできるでしょうか。

4.保護は自ら申請しなければならない

生活保護を受けるには、申請して、保護を受ける意思を示さなければなりません。口頭でその意思を伝えるのも有効とされていますが、実際には申請書の提出が求められます。ある程度、自分の困窮状態、必要な保護の内容を知っている必要があるし、少なくとも、どこに行けば申請できるのかを知っていることが、制度の前提にあります。

5. 保護世帯の7割以上が高齢・傷病・障害、保護費の半分は医療費

つい最近も、生活保護受給者が209万人と、過去最高に達したとの報道があった(2012年4月5日)ように、保護受給者・世帯は増加傾向です。働く能力をもつであろう世帯を含む「その他世帯」の増加がしばしば報道されますが、2012年8月の速報値で、その他世帯は17.0%、母子世帯が7.6%で、75.4%は高齢者世帯か傷病者・障害者世帯です。2009年度では、稼働世帯は12.9%、非稼働世帯が87.1%、そして稼働世帯の一番大きな割合をしめるのが母子世帯で45.0%です(国立社会保障・人口問題研究所HPの「生活保護」に関する公的統計データ一覧より)。

つまり、保護受給者・世帯の大半は、高齢や傷病・障害があって働けず、子どもを抱えて働くのが容易でないはずの母子世帯は働いている世帯と働いていない世帯が半々くらいという現状があります。生活保護費として支出する費用のうち最大は、医療費で48.3%であることは(第1回社会保障審議会生活保護基準部会2011年4月19日資料4)、この実態を反映しています。

以上、生活保護法の基本として5点述べましたが、これで生活保護の説明が尽きたとは到底いえません。実は、生活保護制度はたいへん複雑です。制度を運用するケースワーカーは、「生活保護手帳」という2011年度版で774頁にわたる、とても「手帳」とはいえないほど分厚いものを片手に仕事をします。「生活保護手帳」は、厚生労働省から出された通知をまとめた実施要領です。全国一律に、さまざまな状況に対応した保護の実施を可能にするため、このような分厚いマニュアルが用意されています。

法そのものは、1950年に改正されて以来、根本的な改正をみていません。60年以上同じ法律が使われています。この60年間に、日本社会、人びとの生活が変化したことは疑いありませんが、それを反映する役割を一手に担うのが「生活保護手帳」、言い換えれば、行政の裁量だということです。

「専門家」として考える生活保護の問題

私が指摘することができる生活保護の問題は、それを身に染みて感じている受給者や、日々支援に奮闘する方を差し置いて、「専門家」という立場で語れる類のものです。この立場で問題を指摘できるのは、あくまで制度の基本を前提に、生存権を実現する志向を当然とした、次の2点です。

まず、「保護の給付は足りない分だけ」、「保護世帯の7割以上が高齢・傷病・障害、保護費の半分は医療費」に照らし、生活保護以外の社会保障制度の不十分さがあります。生活保護は、他制度のカバーされない状況に対応します。生活保護費として支出されるうち半分が医療扶助費であることから、全国民が実質的にカバーされる医療制度が整えば、保護費は半分減ることになります。実は、保護受給が開始されると、国民健康保険に加入していた人はいったん脱退しなければなりません。生活保護には、他制度を優先する原則がありますが、国保は「例外」とされているからです。

また、高齢者に対する年金制度、母子世帯に対する所得保障制度が充実すれば、保護を受ける必要がない人はさらに増えます。そもそも生活保護が活躍する範囲が狭まるわけですから、生活保護が問題化するボリュームも減ると考えます。もちろん他制度が十分整備されたとしても、生活保護が不要になるわけではありません。完璧な制度など実現不可能ですから、幾重にも生活保障の制度をつくるべきです。そしてより本質的な生活保護の意義は、これが憲法の保障する最低生活を具現化することにあります。

しかし、問題は最低生活の内実です。拙著(「生活保護は最低生活をどう構想したか――保護基準と実施要領の歴史分析」ミネルヴァ書房,2011)で詳細に検討しましたが、生活保護が抱える問題の根源は、最低生活概念の貧弱さと不明さにあると考えます。最低生活概念の貧弱さとは、明確に裏づけがある最低生活の意味が、〈日々の生活で寝起きをする栄養の充足〉ただそれだけでしかない、ことによります。

たとえば、先日報道された(2012年4月1日時事通信)自民党の「生活保護プロジェクトチーム」(座長・世耕弘成参院議員)がまとめた生活保護改革案では、「給付水準を10%引き下げ」る提案が盛り込まれています。このような「政治的決断」によって、仮にどんどん保護費が減額されることになっても、最低限保障されそうなのが、ただ起きて寝るのにかかるエネルギーの充足だということです。しかし、これ以上の活動、たとえば就労、家事、子育て、余暇が、生活保護によって保障されるかどうか明確ではありません。

もちろん現在の制度では、これらのさまざまな活動を保障するための基準、給付がありますが、その在りようは複雑です。複雑化した制度を運営する権限を行政が持ちますが、その結果、法を逸脱する運用を行うという、いわば「自己否定」のような状況が生じています。具体的には、1990年代以降の「ホームレス」対応に明らかな、保護すべき生活困窮者を放置するというたいへん深刻な事態です。生活保護には住宅費の給付もありますから、もちろん「ホームレス」という住宅喪失の貧困状態にも対応可能です。しかし事実上、2000年前後になるまでは、居住地がないとか積極的に就労活動をしていないという理由で、生活保護の対象とされてきませんでした。

「不正受給」

以上のような「専門家」が展開する、生存権を実現する志向を当然とした議論を本気にはとれない、という方もいるでしょうが、理論的にその立場を通すことはできません。繰り返しになりますが、どの人の生存も否定しないという理念が確立しています。このことを強調したうえで、最近またしばしば報道される「不正受給」、これこそが問題だ、という批判について考えてみたいと思います。

「不正受給」と報道される中身は、さまざまな話が混在しています。まず、働けるのに保護を受けている、という「不正受給」が指摘される場合がありますが、これは報道だけでは即座に「不正」とは分からない場合がみられます。生活保護は、もちろん働ける人には働いてもらうことを当然とします。ただし、働いてもなお最低生活費に足りない場合は保護を受ける権利があり、働いている人・働ける人が保護を受けることは「不正」ではありません。

また、不要な保護を受けている=「不正受給」という話があります。不要な保護を受けるには、申請者・受給者が不実の申し出などする場合と、保護の要否判定、運用が不当な場合が考えられます。前者は、生活保護法78条などに照らし「不正受給」です。後者も、適当な給付がなされず不正ですが、「不正受給」ではなく「不正支給」というべきでしょう。さらに後者について、現にある基準、実施要領に照らして不当だというだけでなく、そもそもの基準や実施要領が不当である、あるいはこれらが想定していない事例もひっくるめて「不正受給」と語られることがあります。そうなると、生活保護費は無駄に使われている、もっと緊張感を持って取り締まるべきだ、となるでしょう。

しかし、ちょっと考えて、働けないこと、不要なこと、をどう判断するのか、実はとても難しいのです。判断の難しさを減らすために、先に指摘した問題点の二つ目、他の制度を充実させることで、生活保護の守備範囲を狭めることが大事です。とはいえ、このようにさまざまな話が混乱しながら、「不正受給」、生活保護の無駄が語られるのはなぜか。そこには、「働かざる者食うべからず」という人びとが共有する感覚があるからではないでしょうか。

「働かざる者食うべからず」

今の社会は、働いて稼いで食っていくことを当たり前とします。ところが、生活保護では働けそうなのに働かない人、不要なはずの保護費を受けている人がいる、としたらどうでしょう。この場合、本当に働けるのに働かないか、本当に不要な保護を受けているか、は問題でありません。働けそうにみえるのに働かない人、少しでも楽をして、得をしようとしているように見える人への反感が読み取れます。その背後には、働いている人たちの、おそらく生活保護を受けていない、生活保護は無関係と考える人の労働、生活の苦しさがあるのではないでしょうか。

必死で働く人びとは、生活保護は働かなくてもよい怠惰な人をつくるから不要と批判し、生活保護を受ける人たちを自分たちとは異なる存在として突き放すのだと思われます。この感覚は、給付を受けている人が「善人」であることへの希望、生活に困っているのに生活保護を申請しない人への称賛などと表裏一体です。

だとしたら、根本的に見直すべきは、必死で働かなければ生きていけない、生活保護を受けていない人たちの生活ではないでしょうか。私は、この2・3年最低限度の生活とはどういうものか、具体的にどんなものが必要か、をテーマに共同研究してきました。この共同研究のポイントは、生活の専門家は「市民」という前提で、生活に必要なものを市民にディスカッションして決めてもらう形式をとっていることです。

この研究を通して切実に感じるのは、個々の生活が崩れつつある、ということです。自分自身の暮らしにくさ、根拠となるはずの普通の生活が壊れていくなかで、「最低」を守ろうとする生活保護は根底から揺らいでいるように思われます。

最後に宣伝になりますが、共同研究の成果の一部を「くらしのもよう――ゼロから暮らしを考えよう―― http://kurasinomoyou.com 」で公表する予定です。生活って何だろう、暮らしってどういうものだろう、ということからともに考えてみませんか。

プロフィール

岩永理恵社会福祉学

2007年東京都立大学大学院社会科学研究科修了。博士(社会福祉学)。現在、日本女子大学に在職。貧困問題や最低生活研究に関心をもち、社会福祉、社会政策について研究。主著に『生活保護は最低生活をどう構想したか』(2011、ミネルヴァ書房)、『最低所得保障』(共著・駒村康平編著、岩波書店、2010年)。社会事業史学会第30回社会事業史文献賞、社会政策学会第18回(2011年)学会賞奨励賞及び日本社会福祉学会第9回(2012年度)奨励賞(単著部門)

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