介護保険のパラドクス──成功なのに失敗?

介護保険の不思議───成功なのに失敗? 成功だから失敗?

 

介護保険は2000年の発足からわずか16年で、全国に普及、利用者は3倍超に急増し、「介護」(という名の日本的な高齢者ケア)を世界に知らしめた。今や介護保険は高齢社会日本にとって欠かせない重要な社会的インフラストラクチャーとなっている。世界からも注目され、とくに東アジアでは韓国や台湾が日本の介護保険を参考にしながら対応しようとしている(注1)。介護保険は高齢化という先進国共通の大きな問題へのクリーン・ヒットだったのだ。

 

ところが、このままでは介護保険財政は破綻するとして見直しを求める意見がたえない。昨年出された「介護保険制度の見直しに関する意見」(社会保障審議会介護保険部会)を見ても、介護費用が増大し、これから団塊の世代が後期高齢者になることなどを理由とし、見直しは避けられないとしている。

 

しかし介護保険は「高齢社会における介護の社会化」が目標だった。つまり、利用の拡大は成功のはずなのだ。ところが、どうしたことだろう。事業者は介護保険改正のたびに介護報酬の切り下げに振り回され、事務処理は煩雑になるばかりで制度は複雑怪奇となり、今や人間が理解できる範囲をこえたと言われるほどだ。思いっきりアクセルを踏んだあと急にブレーキをかけているようなもので、制度に期待をかけて走ってきた事業者、とりわけNPOなど非営利法人の人たちほど、激しくつんのめっている。あの理念と市民参加の期待は何だったのか、との思いが強いからだ。

 

そもそも介護事業は高齢社会の数少ない有望な成長産業だったはずなのに、そのような見方は早々とどこかに消えてしまった。当初はもてはやされていた介護職も、いつのまにか不人気業種になってしまった。介護報酬の総額が幾重にも管理されているため、介護現場では、介護職の給与水準を抑えるくらいしか「経営」しようがなかったせいだろうか。特別養護老人ホームなどでは措置時代とくらべて介護職の給与水準は下がったという。その結果、制度改正のたびに介護職の離職率の高さが注目をあつめ、マスコミからは「3K」労働の典型のように言われてしまった。今では、どこの事業所でも介護人材の確保に四苦八苦している。このように「制度を持続させる」ための対策が、かえって制度を不安定にしている。

 

介護保険は、なぜ「成功したのに失敗」ということになるのか。このような逆説(パラドクス)が起こってしまう理由は何か。ここを考えてみたい。

 

 

なぜこのままでは存続できないのか─高齢化による必然?

 

介護保険は、このままでは持続できないという。2016年12月に社会保障審議会介護保険部会から出された「介護保険制度の見直しに関する意見」を見ても、介護費用の総額も当初の約3倍の約10兆円になり、しかもこれから団塊の世代が後期高齢者になるなど、悲観的な人口構造になる見通しなので、見直しは避けられないとしている。説明は、次のようなものだ(注2)。

 

第1に人口構造の急速な高齢化と今後の介護ニーズの爆発的増大予測(団塊の世代の後期高齢化や団塊ジュニアの高齢化が迫っている)、第2にサービス利用者の増大と介護保険財政の逼迫(利用者も介護保険費用も当初の約3倍、500万人で総額10兆円となり、保険料も上がり続けて現在は平均5千円を超えている)、第3に介護人材の不足(介護職は当初の55万人が現在約177万人と3倍増になっているが、離職・転職率も高く、今後の需要増への対応が困難と予測される)だという。

 

制度がこのままでは維持できないという議論になる理由は、少子・高齢化と人口減少が避けがたいと前提しているためだ。関心をもって調べたりする人ほど、この「高齢社会悲観論」にやすやすと取り憑かれてしまう。高齢社会は社会保障負担がたいへんだという「固定観念」はかんたんにはぬぐいされない。しかし、ちょっと待ってほしい。人口の趨勢からみた説明は、一見、もっともらしいし分かりやすい。しかし単純化しすぎているのだ。まず第1に、現在の人口動態を、単純に未来に投影するのは誤りだ。人口はきわめて多くの要因が複雑にからまって推移していくものだからだ(注3)。

 

また第2に、少子化や高齢化が早かったヨーロッパで「人口減少」や「地方消滅」が声高に言われているだろうか。日本の県くらいの人口規模しかない北欧の国々など、日本より社会も経済も元気ではないか。事実の受け止め方はひとつではない、多様なのだ。

 

つまり、一見したところ事実そのものに見える人口動態のデータこそ、知らないうちに私たちを「上から目線」にして悲観的に考えさせてしまうのだ。地方が消滅していく、日本も人口減少していく、さぁ大変だ、というふうに信じ込ませてしまうのである。このパラドクスの原因のひとつは、生身の人間として見る場合と抽象的な人口として見る場合とで、視点の分離と思考の分裂が起こるからだろう。以下、具体的にいくつかを見ていこう。

 

 

社会と保険のダブルバインド

 

社会制度は様々な条件や目的が複合して出来上がっているものだ。介護保険制度にも「介護の社会化」によって核家族化・小家族化した家族の介護負担を社会連帯によって支え合うという「表」の目的だけでなく、高齢者医療費や社会的入院費用を、医療保険から切り離し、介護という新しい分野へと移して財政費用の総量管理を行っていくという「別」の目的もあったことは事実だろう。介護保険制度の二重の意味(ダブルミーニング)である。当初から「社会」を維持するための制度という側面と、「財政」を維持するための工夫という側面があり、制度発足当初は前者が強調され、制度が根づいて利用が進むと後者が前景へとせりだしてきたと考えられる。

 

しかしこの転換が急だと、様々な問題を引き起こすことになる。まず表の意味を信じて参入してきたボランティア団体や介護系NPOの現状をみると、制度改正のたびに、めざしてきたことと、していることとの乖離と矛盾に直面している。やっていることの無意味感、無力感、そして社会の中で正しいことが行われていないという無規範感覚、つまり社会学でいう「アノミー」の徴候が現れているのではないか。

 

社会福祉法人や社会福祉協議会も介護保険のもつ二重基準(ダブルスタンダード)に翻弄されてきたと言えるだろう。社会福祉法人は、措置の時代には公の支配に服して独自の「経営」は許されなかった。介護保険の時代になると一転して事業者として「経営」しろと迫られた。そして現在の社会福祉法人改革の中では再び「社会貢献」しろと言われている。

 

「経営するな」から「経営しろ」へ、ふたたび「経営」ではなく「社会貢献」しろというのでは混乱するのが当然だ。しかも介護保険では、営利法人と非営利法人とが混在している。それが進むと、経営しろ、社会貢献しろ、ボランティアもしろ、あれもこれもしろ、ということになる。混乱して、いったいどうしたら良いのだと叫びだしたい気持ちになるのではないか。ダブルバインド(二重拘束)状態である。

 

制度というのはそんなものなのだと「達観」すべきなのだろうか。いや、それこそ問題だ。制度を守るための工夫が、逆に、制度への信頼を失わせ、担い手の活力をそぎ、結果的に制度の存立そのものを危うくしていく、そういうパラドクスになっていくからだ。【次ページにつづく】

 

 

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