2014.07.23
「障害」から「症」へ――精神疾患の診断名の変更
日本精神神経学会は5月28日に精神疾患の新しい診断名のガイドラインの発表を行った[*1]。
これは、昨年5月に出版されたアメリカ精神医学会の精神疾患[*2]の診断基準DSM(精神障害の診断と統計マニュアル)の第5版「DSM-5」の邦訳が出版されることを見据えてのことだったと考えられる。DSM-5の邦訳はおよそ1か月後の6月30日に出版されている。本文でも新しい診断名が使用されている。
「パニック障害」は「パニック症」に、「注意欠如・多動性障害」は「注意欠如・多動症」に言い換えが可能なようにガイドラインは提案をしている。一部報道では「障害」表記が「症」に変更されたと書かれているが、これは不正確である。
第1に、今回の発表は学会のガイドラインという形の提案であって、行政や法律による拘束力はないということだ。従って、報道されているように拘束力の強いものではない。
第2に、パニック障害や社交不安障害のように既に普及しているものに関しては、症表記とともに、障害表記も併記される形が取られている。従って、診断名変更をガイドラインは提案しているものの、ほとんどの精神疾患では障害と症表記の「併記」がされている。多くの診断名で障害表記は抹消されたわけではなく、今後も使われていくと思われる。
[*1] https://www.jspn.or.jp/activity/opinion/dsm-5/index.html
[*2] 本稿ではDSMの日本語タイトルの翻訳に倣いMental Disorderを精神疾患と翻訳する。本来は精神障害と訳出するべきだが、邦訳のタイトルは障害という言葉が与える語感を考慮し、精神疾患と意訳されている。
新しい診断名
症表記の変更・追加がされたのは、主に不安感を症状とする領域と日本でいう発達障害[*3]の領域である。
[*3] 発達障害は日本独自の概念であり、英語には対応する概念がない。発達障害は文脈によって2通りの使い方がある。第1は、アスペルガー症候群や自閉症を含む概念である広汎性発達障害を発達障害と省略する使い方である。第2は、「発達障害者支援法」における発達障害で「『発達障害』とは、自閉症、アスペルガー症候群その他の広汎性発達障害、学習障害、注意欠陥多動性障害その他これに類する脳機能の障害」と定義づけられている。いずれにしても、発達障害はDSM-IVでは「通常、幼児期、小児期、または青年期に初めて診断される障害」という大カテゴリーに入っている。DSM-5では「神経発達障害群」という大カテゴリー名に変更され、日本の発達障害に近いネーミングとなった。しかし、神経発達障害にはコミュニケーション障害、チック障害群、運動障害群なども入るため、指し示す範囲が日本で一般的に使われる発達障害概念よりも広い。神経発達障害群は症表記をすると神経発達症群となる。
「障害」という言葉の印象が悪く、特に患者・クライアント側から変更の要望があったと聞く。日本精神神経学会のガイドラインの中にも「(1)患者中心の医療が行われる中で,病名・用語はよりわかりやすいもの、患者の理解と納得が得られやすいものであること、(2)差別意識や不快感を生まない名称であること」など基本方針が列挙され、「障害」という2文字が与えるインパクトは確かに大きいと指摘されている。
「障害」の「障」という字は訓読みで「差し障る」という使われ方がされる。また「害」は「害する」と使う。「差し障り」「害する」という漢字で構成された熟語は確かにひどい印象を与える。
精神疾患の診断名や病名といったものは、価値判断が入らないものが本来は望ましい。科学にとって価値判断を控えることはそもそもの義務だからだ。
障害表記は、科学が率先して精神疾患のマイナスイメージを広めることにつながっていたとも捉えられても致し方ない。そういった点で、症表記によってある程度中立性が担保することができるならば、今回の変更の提案はよい影響があるのだと思う。
そもそも有名な精神疾患には「症」がついたものが多い。例えば、統合失調症、自閉症、拒食症、過食症[*4]などだ。精神疾患を症表記することは日本語として馴染みやすい土壌があると考えられる。
[*4] 拒食症と過食症は診断名ではなく通名である。
不可逆性の誤解
日本精神神経学会のガイドラインでは障害表記では「“不可逆的な状態にある”との誤解を生じる」という指摘が書かれている。
「不可逆的な状態にある」というのは精神疾患を障害表記にすると、二度と元には治らないという印象を与える可能性があるとことだ。
確かにこの指摘は的を射ている。たとえばパニック障害や社交不安障害で休暇や休職を余儀なくされる場合を想定すると、症と障害の表記では会社側に与えるインパクトは異なってくるだろう。障害表記だと「もう治らないのではないか」という印象を与える危険性は高い。
精神疾患の診断名一つでその人の周囲の見方が変化するならば、症表記にも意義が見いだせる。精神疾患にあまり知識を持ち合わせていない人にとって印象が違うだろうし、休職など慎重に進めないといけないケースでは、積極的に症表記を使った方がいいのかもしれない。
周囲への印象だけではない。最も多くの診断名が症表記へと変更された「いわゆる発達障害」に関してもこの誤解は当てはまる。発達障害は、小児期から大人になっても症状は改善しない、と理解している人が少なからずいるのではないだろうか。しかし、そんなことはない。
例えば、注意欠如・多動症(ADHD)は小児の有病率は5%程度、成人の有病率は3%となる。有病率が減少する主な原因は「加齢」である。大人になることによって、症状が診断閾値下になる者が多くいる。また、大人になってから診断されたとしても、その臨床像は小児の頃とはずいぶんと違ったものになっている場合が多い。すべての者が診断されないほど症状が軽症化するわけではないが、ADHDは決して不可逆なものではないのだ。
他にも、限局的学習症(学習障害)の中で文字が認識できないといったディスレクシアの場合も、加齢によって解決することがしばしば存在する。小学校の最初の頃は鏡文字を書いていたが、高学年の頃には直るというケースだ。これも稀なことではない。
自閉スペクトラム症でも、3歳の時点で診断基準に合致したからといって、必ず思春期以降に深刻なコミュニケーションの問題を抱える訳ではない。薬物治療や心理療法が可能なうつ病や不安症(不安障害)などはいわずもがなである。
精神疾患は不可逆的ではない。精神疾患だからといって二度と治らないといったことはないのである。こういった理解が障害表記によって起こされるのであれば、症表記になることになることにも意味があるだろう。
今回の診断名の変更を提案したガイドラインをきっかけにして、世の中の人々の精神疾患の捉え方が少しでも変わることを期待したい。
DSMの診断名の位置づけ
障害と症表記の変更にあたって、診断基準であるDSMやその背景について4点、追加説明をしておきたい。
今回のガイドラインの発表は、診断基準であるDSMが改訂されたことによると述べたが、DSM-IVからDSM-5へ改訂で診断名が変更されたものが多くある。例えば「自閉症スペクトラム障害」である。DSM-5では新たな名称となった「自閉症スペクトラム障害」 (Autism Spectrum Disorder)だが、DSM-IVでは広汎性発達障害(Pervasive Developmental Disorders)という診断名であった。
これを受け、日本精神神経学会の今回のガイドラインでは、自閉スペクトラム症/自閉症スペクトラム障害と提案されている。
このように、日本精神神経学会が名称の変更をしたのではなく、DSMの編集をしているアメリカ精神医学会が名称の変更したケースが今回のガイドラインには数多く入っている。つまり、日本精神神経学会が独自に名称を変更しただけではないということだ。
次に、日本で重要な診断基準はDSMだけでなく、もう一つ、世界保険機構(WHO)のICD(疾病及び関連保健問題の国際統計分類)というものがあるという点だ。
研究ではDSMの方が使われる頻度は高いが、健康保険における診断名はICDを使用する。日本では国民健康保険など本人の1~3割負担が原則になっており、そこで使用されるのがICDの診断名である。
精神科を受診する際には、ICDの診断基準に従って診断名がつけられ、健康保険の使用が可能となる。受診する側にとってダイレクトに影響があるのは、DSMよりICDの診断名である。精神障害者年金の申請をする際にもICDに振られたコード番号とICDの診断名の記載を行う。
現在使用されているICDは第10版であるが、2017年に11版が導入される予定である。ICD-11はいま、現在診断名のベータ・ドラフトを公開している段階である[*5]。ICD-11はDSM-5と連動した改訂だと目されおり、日本精神神経学会の今回のガイドラインの提案がICD-11の診断名の日本語翻訳へ大きな影響を与える可能性がある。ただ、ICD-11は2017年まで発表されず、現時点では何も決まっているわけではない。
[*5] http://id.who.int/icd/entity/334423054
第3に、DSM-5も改訂される予定があるということを指摘しておく必要がある。DSM-5の前バージョンDSM-IVは19年間改訂を行わなかった。しかし、DSM-5は短期間でマイナー・アップデートをすることを公言している。パーソナリティ障害の整理や、精神病リスク状態の評価などが検討されることになり、DSMの改訂のたびに翻訳の検討も必要とされる。
第4にDSM-IVの時代にも診断名の翻訳が変更された先例があるという点だ。診断基準は19年間にわたって改訂しなかったが、診断名の翻訳はいくつか変更されている。例えば、精神分裂病が統合失調症に、社会恐怖が社交不安障害、行為障害が素行障害へと変更されている。
診断名というものは、当事者やその家族や、それを取り巻く社会の動きによって流動的なものである。今回の日本精神神経学会のガイドラインは、各学会の専門家の議論の結果であるので、尊重するべきである。しかし、そこに異論を挟んだり、別の提案をしてはいけないということではない。今後も当事者やその家族、関係者は診断名に対して思うところを意見し、診断名について継続的に議論していくことが必要だと思われる。
障害表記の意義
精神疾患の翻訳として障害が使い続けられてきたのはなぜか、ということを最後に説明しておこう。なぜ「障害」という誤解を与えかねない表現を執拗に使い続けるのかということだ。
障害表記が与えるマイナスイメージを根拠に批判をするというのは簡単である。しかし、批判だけではなく、障害表記がどのような動機で使用するのかということを理解して、初めて議論をすることができる。批判に終わらず、相手を理解し、議論をすることによって、より深い理解が可能になる。
日本語では障害という翻訳語があてられる英単語がいくつかある。代表的なものはdisabilityである。abilityとは「~ができる」として有名な熟語be able to で登場したableの親類のような言葉である。able は「~ができる」、abilityは能力のことをいう。ゲームなどでもアビリティという用語が使われているのでご存じの方も多いだろう。Abilityに打ち消しのdisがついているため、disabilityは「~をする能力がない」という意味の名詞形になり、日本語では「障害」に該当する言葉になる[*6]。
[*6] ここでは障害学の議論は目的ではないのでimpairmentについては省略する。
一方、精神疾患での「障害」はdisabilityではなくdisorderである。日本語だと同じ障害なのだが、英語では明確に異なる単語である。
disorderのorderとは命令・秩序など翻訳される単語である。精神疾患の文脈では違和感なく社会的に普通とされている状態のことを指す。例えば、夕ご飯に弁当1パックを食べるのは普通であるが、弁当10パックを一度に食べ、その後嘔吐を行うのは過度な摂食と異常な排出行為だとみなすことができる。これはorderが乱された状態であるのでdisorderであり、「摂食障害」だとみなす。disorderを「障害」以外の日本語にあえて訳すとするならば「不全」というのが近いのではないかと思われる。
障害(disorder)というのは病気(illness)という概念とも異なる。障害(disorder)という用語は、不全状態を表現する言葉だが、病気だという判断は含まない。障害(disorder)を意識的に使うことによって、病気か病気でないかという判断をペンディングしたまま、対応することが可能になるのである。
従って、徹底的に障害(disorder)を使う立場は、病気か否かの判断をしない。そのため、「病名」といわず「診断名」という用語を使う。病気か否かという価値判断も排除するのである。このような立場は、治療対象を精神医学という学問によって判定しないという立場の宣誓でもある。
そうした立場をとる場合、何が治療の目安になるのか。それは、本人が困っているか否かである。生活している中で、当該の精神疾患によって、職場や学校で問題が生じたり、苦痛が生じているかである。DSM-IVやDSM-5の診断基準には社会機能レベルの低下の項目が必ずと言っていいほど含まれている。DSM-IVやDSM-5は下記のように精神疾患として成立する条件を定めている。
その障害は、臨床的に意味のある苦痛、または社会的、職業的、または他の重要な領域における機能の障害を引き起こしている.(DSM-5)
客観的な「病気」という概念ではなく、本人が生活する上で困難があるか否かで介入の必要性の有無を決定するという精神がこの項目に圧縮されて表現されている。
精神疾患には環境要因が非常に強く関係している。生活をする環境が違えば、本人の困難度が少なくなったり、困った状状況が改善して苦痛が減じたりすることもある。
緊急性のある精神疾患を除いて、症状だけで介入を決定されることはなく、本人の苦痛や生活レベルの低下によって介入の必要性が判断されるとDSM-IVやDSM-5では考えるのである。
これは、病気とは個人のものではなく、個人とその社会的関係の中において見いだされるものであるという考え方の現れである。つまり、病気の原因を個人に還元させる立場と対立するのである。
障害という翻訳語の不適切さはある。しかしdisorderという表現を徹底的に使い続ける背景には、本人が病気だと本質論的に決めることに反対する立場を保持し、苦痛や生活上の困難によって介入の必要性を決定するというユーザー側に立つという倫理があることを見逃してはいけないのではないかと思う。
サムネイル「File:Dsm-5-released-big-changes-dsm5.jpg」Yoshikia2001
http://commons.wikimedia.org/wiki/File:Dsm-5-released-big-changes-dsm5.jpg
プロフィール
井出草平
1980 年大阪生まれ。社会学。日本学術振興会特別研究員。大阪大学非常勤講師。大阪大学人間科学研究科課程単位取得退学。博士(人間科学)。大阪府子ども若者自立支援事業専門委員。著書に『ひきこもりの 社会学』(世界思想社)、共著に 『日本の難題をかたづけよう 経済、政治、教育、社会保障、エネルギー』(光文社)。2010年度より大阪府のひきこもり支援事業に関わる。