2014.10.01
外国人労働者受け入れ拡大の政策論点と課題――国際貢献・条件整備・範囲拡大
外国人労働者問題は、どこの国においても非常に政治的な議論になっている。欧州では、一方で極右勢力の躍進もあり、外国人排除の動きもある。他方で、移民も含めた人権保護支援勢力も根強い。経済の活性化のためにも外国人受け入れを拡大しようとする意見もあれば、多様な問題を引き起こしているとして受け入れを制限するべきとの意見もある。
受け入れに積極的な国から慎重な国まで、各国で基本姿勢が異なるのも事実である。ただし、多くの先進諸国では外国人はすでに多数になり、外国人を排除したら成り立たなくなってしまう産業や職種もあり、簡単に改革できるものではない。日本とはレベルが違うが示唆することが大きい欧州の事例を紹介しよう。
労働者の自由移動と欧州
EUでは創設以来、域内における労働者の自由移動が奨励されてきた。必要とされれば国境を渡って労働者が自由に移動することが、欧州全体の経済活性化につながると理解された。EU28加盟国の間では人の自由移動が認められ、いずれかの加盟国市民であれば、他の加盟国において当該国市民と同じように扱われる。介護や看護に限らず、あらゆる職種、自営業者も自由に移動して就労、営業活動もできる。
もちろん、通常の雇用と同様に、外国からオファーがあって採用されなければ移住には至らない。職業紹介ネットワークは欧州レベルで展開しており、資格認定も欧州基準で統一的に整備されてきた。製造業に限らず、医療、建設、農業、福祉等いたる領域においても外国人労働者は多数入っている。もはや、国内で就職することと他の加盟国で就職することはほとんど違いがない。
以上はEU加盟国域内の話であるが、EU加盟国以外の国々からの移民に関しては主として加盟各国の自治下に入る。最近の傾向としては、EU域外からの移民も拡大している国が多い様に思われる。政府自らが世界中に出て行って、外国政府と労働者の供給を協定している場合もある。
介護労働者の国際移動
欧州も高齢社会であり、介護労働者は数少ない成長職種となっている。欧州といっても施設介護が一般的な国もあれば、公的介護施設は少なく家族や個人契約の介護労働者が多い国もある。また、税方式の介護サービスを展開する国から、介護保険で対応している国もある。南欧や東欧では、施設入所型の介護施設は比較的未整備であり、家庭内介護も多い。無報酬の家族による介護から、ボランティア、個人契約の介護労働者の雇用が普及している。その際、比較的低賃金の外国人を雇用する場合が増えている。
例えば、イタリアでは、公的介護施設が比較的不備で、家庭内の在宅介護が根強い。核家族化の進行もあり家族介護者の限界から、個人の家で雇う介護労働者が増えている。家庭内の介護労働者総数のうち外国人の家庭内介護労働者の比率は1991年に16.5%であったが、2003年には83.3%で490,678人に達した。とくに、要介護度の高い高齢者や障害者は、ほとんど外国人の家庭内介護労働者を雇うと言われている。今となっては、イタリア政府や自治体が開発途上国に出向いて、介護労働の職業訓練サービスを提供し、そこで養成された人材をイタリアに送り込んでいる。もはや、家庭内の介護労働者はほぼ外国人となりつつある。
世界同時不況にあり、これを克服するためにさらなる自由化の促進が先進諸国の間で主張されている。とくに、サービス貿易の自由化は新たに強調されてきた領域でもある。日本におけるインドネシアやフィリピンからの看護師や介護士の受け入れも、EPAという自由貿易を促進する協定に基づいて始められたものである。貿易立国である日本は、貿易の自由化には参画していかざるをえない。他方、IT関連技術者をはじめ専門技術者の奪い合いが展開されている。国際競争を有利に進めるためにも世界中の優秀な専門技術者を受け入れることはどこの国も行っている。欧州でも、専門職者の移動はより自由に展開されてきた。さらに、一般の労働者においても、とくに国内で不足する労働力については受け入れが認められやすくなっていた。
外国人人口の総人口に対する比率を見ると、2011年現在で日本は僅かに1.7%であった。ドイツの8.6%、イギリスの7.6%、フランスの6.0%、アメリカの6.8%と比べてもかなり低水準である。韓国でも2.0%である。外国人を受け入れることが国際的な要請であれば、国際比較する限り、日本はもう少し受け入れ拡大しても良いものと思われる。
日本における政策論点
外国人労働者問題は多様な側面を伴うものである。重要と思われる論点をここで示したい。
最初に強調したいのは、短いスパンでの経済戦略として議論することは危険が大きいということである。かつて、経済成長期に外国人受け入れが進められ、不況期になると外国人排除した政策が繰り返されてきた。モノやカネと違って、ヒトは権利を持つ。当然、意思も持つ。どのような国であろうと、ヒトを完全に管理することはできない。一度外国人を受け入れてしまえば、もう二度ともとには戻れなくなる可能性が高い。
高度経済成長期に外国人を大量に受け入れた欧州が、経済不況に陥って様々な帰国奨励策を展開したが、多くは帰国しなかった現実がある。新たな受け入れを止めるだけでは不十分であった。長期滞在外国人はより重たい権利を持ち、帰国を強制することは困難となり、家族呼び寄せを拒否することも人道上不可能となる。
第2に、長期的な労働市場への影響である。世界には無尽蔵の労働力がある。入口を一度緩和すると、途中で線引きすることが難しくなる。安い大量の労働力へのニーズは先進諸国側にも無限に存在する。安い労働力を求める国内のニーズが一挙に爆発する危険性がある。イタリアの事例のように、ある時ふと気が付けば、その職種はほとんど外国人によって行われる仕事になっていたと言う事例も少なくない。
また、外国人だと賃金が安くてすむということも、状況はすぐに変わっていく。一部で育児や家事サポーターとして外国人の受け入れが提案されているが、いつまでも安い賃金で運営できるものではない。膨大な貧富の格差が当然となっている開発途上国と比べれば、富の分配が比較的平等な日本とは、状況が違う。国籍による差別は認められない。最低賃金は外国人にも適用される。外国人の賃金も最初は安くても、時間とともに日本人と同じになっていくであろう。外国人の労働供給は無限にあり、賃上げをしなくても労働力が確保されてしまうと、賃上げされないで相対的に低賃金職種にとり残される可能性がある。そうなると、国民がやりたがらない職種は外国人の独占的な職種に近づいていく。
第3に、少子化対策として外国人の受け入れを主張する人もいる。年金の担い手として外国人に期待する意見もある。現在の日本の外国人比率は僅かに1.7%で、先進国では最も低い水準である。少子化の人口対策として効果を持たせるのは、桁違いの受け入れが必要になることは明らかである。また、外国人も年をとる。年とった外国人の年金を支えるためにさらに多くの外国人を受け入れなければならないことになる。多くの外国人は帰国しないで居続ける。人口構成の均衡化のために外国人を入れ続けるなら、無制限の外国人依存社会になってしまう可能性がある。
第4に、社会的コストに言及したい。外国人は労働者としてやってくるが、社会に入れば一人の市民であり、その文化や生活スタイルを受容しなければならない。宗教一つとっても、教会やモスク等が街角に増えて建設されても当該国民は受容できるだろうか。外国人が異国で生活するには多様な労力とコストもかかる。社会統合のために語学教育をはじめ多用なサービスを設ける必要がある。例えば、外国人の多い地域の学校で、外国語対応できるスタッフを雇用している。外国人のためのソーシャルワーカーも必要となる。医療費を払えない外国人の入院費用を自治体が肩代わりすることもある。外国人の受け入れに伴い多大な社会的コストが必要である。この社会的コストは企業でなく、国民が負担することになる。企業の便益だけ考えても不十分である。
国際貢献
最後に、今後の課題として、国際貢献、受け入れのための条件整備、そして受け入れ職種の範囲拡大の3つを指摘しておきたい。
日本の目先の国益ばかりを考えるべきではない。先進国として、パートナーである諸外国の利益にも日本は貢献しなければならない。理想主義でも、綺麗ごとでもない。国際関係を論じる時に、重要なのは相手国への貢献と自国の国益の両者である。日本の利益であっても、相手国の不利益であれば、実現は困難であり、実現しても後になっていろいろな問題に遭遇することになる。相手国の国益にも貢献する行動が、長期的には日本の国益にもつながってくる。
開発途上国から労働者を受け入れることは、相手国経済にも貢献する。フィリピンの事例に限らず、外国人は母国に賃金の一部を送金し、母国の家族が生活の糧となし、出身国の経済にも貢献する。賃金だけでなく、家族給付や年金等の先進国における社会保障給付も外国人の出身国に還流していくことになる。物価水準の大きな差がある場合、これらの移転所得が莫大な富に相当する場合も多い。貧困国においては、貧困の削減にも寄与する。
先進国で多くを学び、その外国人が出身国における開発の啓蒙者になる。開発途上国の開発支援にも繋がっていく。それがまた安定的な国際関係を形成し、長期的には日本の国益にもなる。教育や保健、福祉等は、開発途上国では軽視されなかなか進展しない領域であるが、先進国で生活した経験を持つ外国人はその重要性を体で理解している。彼らが最良の理解者であり、啓蒙者ともなりうる。これも国際貢献とみなせる。
受け入れのための条件整備
日本社会は外国人に対してまだ差別的な対応を残している。社会保障で言えば、生活保護に国籍条項があり外国人に適用されない(にくい)ことは人道上の問題である。年金の受給要件としての被保険者期間が日本は25年(2015年から10年)と言う異常な長さにより、多くの外国人労働者は年金拠出を強制されても、年金が受給できない状況で帰国することになる。一時払いの清算を申告しても、払った保険料のごく一部しか戻してもらえない。請求が帰国後2年間という措置も、権利保持の原則という国際的基準に反する。40歳以上の外国人であれば、介護保険の保険料も徴収されるが、日本の介護保険のサービスは恐らく一度も提供されないことになる。この種の措置は日本人と平等待遇であるとも考えられるが、一般的には間接的な差別とみなされる。
外国人の受け入れに際して、国際社会では「内外人平等待遇」は基本原則となっている。社会保障だけでなく、あらゆる生活の場面において、国民と外国人の差別をしてはならないのは当然のことである。しかし、日本ではまだ随所に直接的・間接的差別が存在している。日本人の意識の中でも、外国人は低賃金で良いという意識が残っている。外国人の受け入れを拡大しても、このような差別的な扱いが展開されるようであれば、日本の国際的評価は下がるばかりで日本の国益にもならない。受け入れ拡大を実行する前に、受け入れの条件整備を急ぐべきである。
欧州各国では、外国人の統合化政策を展開している。語学教育から各種サービスを組織化して、外国人が当該国社会に馴染みいろいろな問題を解決するようお金と労力を割いて努力している。これから外国人を拡大していくつもりであれば、日本も当然ながら統合化政策を準備していかなければならない。すでに愛知県など外国人の多い一部の自治体ではこの種の活動に着手しているが、全国的な展開が必要である。
受け入れ職種の範囲拡大
現在行われている日本の議論でまず違和感を覚えるのは、看護師や介護士に受け入れ対象が集中していることである。他方で、高度な専門技術者等は何も反対されずに以前から受け入れが認められている。欧州ではほとんどすべての職種に関して労働者の自由移動が進められてきた。とはいえ、長年、単純労働者は原則受け入れを認めないとしてきた日本も、この原則は次第に緩和されつつある。
だが、その上で、さらなる違和感がある。特定職種に外国人が入っていない。何故、同じ医療分野で看護師は受け入れるのに、医師はダメなのか、具体的な理由があるのだろうか。欧州では、医師も多数移動している。日本では、抵抗の大きな分野では外国人を一切受け入れず、抵抗力の比較的弱い特定職種のみに外国人が入っている。この姿は健全ではないように感じる。これでは4Kの仕事のように、特定の仕事は外国人がするものとなっていってしまう恐れがある。多少の差はあっても、受け入れるのであれば、広く外国人を受け入れるべきであろう。その方が、経済成長戦略としても効果大であるし、自由貿易の推進の意味も大きい。
欧州でも、以前、外国人の看護師や介護士には抵抗を感じる市民が一時期多かったようであるが、この先入観が払しょくされるのに長い時間は必要なかったと伝えられている。外国人が入りやすい業種、入りにくい業種もあるだろうが、外国人では不可能という職種はほとんどないと思われる。
例えば、欧州でも東欧諸国出身者の農業移民が顕著であるが、開発途上国出身者を日本の農林漁業に受け入れることも検討に値すると考える。研修では一部試みられてきたが、まだ少数事例である。日本も広く、長く外国人の受け入れを検討すべき時期にきていることは確かであろう。
参考文献
岡伸一「EUにおける介護・看護専門職の養成と就業」、『季刊社会保障研究』(国立社会保障人口問題研究所)186号、2009年、249-257頁
岡伸一『グローバル化時代の社会保障』創成社、2012年
サムネイル「Sapporo City General Hospital.」MIKI Yoshihito
プロフィール
岡伸一
1957年埼玉県生まれ。 立教大学経済学部卒業、早稲田大学大学院博士後期課程単位取得退学(商学博士)、ルーヴァンカトリック大学Ph.D(法学博士)。大分大学経済学部、東洋英和女学院大学人間科学部を経て、2002年より明治学院大学社会学部社会福祉学科教授。専門は社会保障論。主な著書:『欧州統合と社会保障』ミネルヴァ書房(1999年)、『社会保障ハンドブック』学文社(2003年)、『失業保障制度の国際比較』学文社(2004年)、『国際社会保障論』学文社(2005年)、『損得で考える20歳からの年金』旬報社(2011年)、『グローバル化時代の社会保障』創成社、2012年、他多数。