2014.08.29
町に、舞台芸術祭という「フラグ」を立てる――KYOTO EXPERIMENTの取り組み
各地で芸術祭の開催が相次いでいる。地域や規模、扱うアートのジャンルなどはさまざまだが、必ず考えなければならないのは「フェスティバルと街(地域)との関係をいかに築いていくか」ということ。今年で5回目の開催となる「KYOTO EXPERIMENT(京都国際舞台芸術祭)」のプログラムディレクター橋本裕介さんと、実行委員長の森山直人さんに、京都の街とフェスティバルの関係について話をうかがった。(聞き手・構成/長瀬千雅)
劇場の枠を飛び越える
—— 私は普段、東京で仕事をしているのですが、最近、「京都の演劇祭が面白いよ」と言う人に複数出会いまして。
橋本 そうなんですか。
—— 今年こそ行こうと思っているのですが、その前にKYOTO EXPERIMENTの魅力を聞いてしまおう、ということで本日はやってまいりました。
森山 遠いところをありがとうございます。
—— さっそく今日(8月13日)の夕方、プレイベントがありますね。劇団地点の三浦基さんが演出する「はだかの王様」。子どものための音楽劇ということで、非常に楽しみなのですが、これもKYOTO EXPERIMENTで初演された作品なんですね。
橋本 2012年ですね。京都を拠点としている地点は、第1回から参加してくれています。今年は、フェスティバル/トーキョー12で発表して話題になった、イェリネクの『光のない。』を関西で初めて上演します。
—— 京都まで行くならやっぱりいくつかまとめて観たいなと思って、いつ、何を観に行くかプランを練ろうと、サイトで公式プログラムを見たのですが、TheaterなのかDanceなのか、よくわからない作品が……
橋本 たしかに、中にはカテゴライズし難い作品もありますね(笑)。
—— 西京極スタジアムが会場になる公演もありますね。contact Gonzo『xapaxnannan(ザパックス・ナンナン):私たちの未来のスポーツ』。
橋本 Sportsっていうカテゴリーを作らないといけないかもしれません(笑)。
森山 でも、ワールドカップやオリンピックの例を挙げるまでもなく、スポーツとは究極のドキュメンタリー演劇だとも言えるわけです。本当の意味で、筋書きのない。昔、寺山修司が「悲劇一幕 巨人対ヤクルト」っていう変な芝居を書いていて、要するに、試合の実況をすべて台本化するんですが。
—— へえ!
森山 なんと芝居は、野球に比べてつまんないのかという(笑)。そういうようなことも考えられてしまうぐらい、スポーツにはすごく演劇性があるんです。
—— contact Gonzoが広いスタジアムでどういうパフォーマンスをするのか俄然興味がわいてきました。そういったジャンルの境界を壊すようなものをやろうとしてるんですね。アーティストには、こういう作品をやりませんかみたいに持ちかけるんですか?
橋本 彼らに限らずこちらからこんな作品を作ってほしいなどというようなことはあまり言いません。初めてフェスティバルに参加するアーティストに関しては特に。
スタジアムでやりたいと言ったのは彼らです。contact Gonzoを結成した一人の塚原悠也さんは、中学高校でサッカーをやっていたそうです。大学で美学を学び、劇場スタッフを経てパフォーマンスを始め、今は世界のダンスフェスティバルに招聘されるなど活躍しているグループです。
森山 台風がこないでほしいですね。
—— 屋外公演だとそういう苦労もありますね。
橋本 はい。でも、サッカーの試合は雨でもやりますからね。
—— contact Gonzoは雨天決行、荒天の場合は中止になるんですね。運営上の苦労はたくさんありそうです。
橋本 私がお声がけするアーティストは、劇場の枠を飛び越えて、チャレンジングなことを提案される方々が多いので、われわれがそれにどれだけ応えられるかというところが、普段から試されているなとは思います。劇場のルールにのっとって、その中だけで公演をやっていれば、たぶんもっと楽なのかもしれませんが、そうやって常に試されることは大変なことというよりむしろ、私たち自身が、演劇やダンスについての考え方を新しくするチャンスなんです。
—— 新しいものを持ち込んできてくれる人たちなんですね。
京都ならではの現代演劇の土壌
—— 正直に言うと、京都に現代演劇のイメージってあまりなかったんです。そもそも京都で舞台芸術フェスティバルをやろうというのは、どういういきさつだったんですか?
橋本 KYOTO EXPERIMENTが始まったのは2010年ですが、そこで急に現れたわけではなくて、本当のきっかけは2000年だと思っています。ちょうど、京都芸術センターという場所ができた年です。
私自身、学生劇団から演劇の活動をスタートさせていたのですが、その当時京都のアーティストたちは、自分たちで場所を借りたり、大学にもぐりこんでリハーサルをしたりするような状況だったんですね。そこに、京都芸術センターという、単なるレンタルスペースではなく、きちんとアーティストの活動を評価して、作品制作をバックアップする施設ができた。若手も支援を受けられる先駆的な取り組みが始まったということで、私自身も、真っ先にそこに飛びついて、芸術センターでリハーサルしたりするようになりました。
森山 前史としては、京都では90年代に、鈴江俊郎さんや、松田正隆さん、土田英生さんら、インディペンデントに活動していた劇作家やアーティストたちが、そういう場所をどう作っていくかということを議論して、トップダウンではなくボトムアップ式に意見をまとめていったんです。それが現在のNPO法人京都舞台芸術協会につながっていきます。
橋本 京都芸術センター構想が立ち上がったときにも、松田さんたちが中心になって、意見をとりまとめて、きちんとした提案書として出したんですね。京都市がそれを参考にして、京都芸術センターができあがったというところがあります。
—— 京都芸術センターって、旧明倫小学校ですよね。以前、あそこで美術展を見たことがあります。
橋本 そうですか。演劇だけじゃなくて、ダンスも音楽も、美術も取り扱っていますからね。
—— 廃校になった校舎でアートを見るのって、今は増えていますけど、当時はなんとなく新鮮でした。
橋本 演劇を見るのもいいですよ。京都芸術センターは、元小学校のスペースをスタジオとしてアーティストに貸している施設ですが、演劇は必ず人が集まって作業しなければいけない、いちばん場所を必要とするジャンルだと思うので、演劇の人が芸術センター構想に積極的だったということはあったかもしれません。
—— センターができたことによって、人が、とくに若手が集まるようになった、人の流れができてきた、というようなことだったんでしょうか。
橋本 そうです。それが一つあると思います。
それからもう一つ、そのころは、新しい情報や、新しい考え方、そういうものが京都に入ってくるタイミングでもあったんです。それは何かというと、森山さんがいらっしゃる京都造形芸術大学に舞台芸術学科―当時は映像・舞台芸術学科と言っていましたが―、同時期にそこができたことが大きいかなと思います。
森山 京都芸術センターの開館と同じ2000年ですね。大学が映像・舞台芸術学科を立ち上げるにあたって、劇作家・演出家の太田省吾さんを招聘したんです。太田さんがいらしたことによって、インディペンデントに活動していた劇作家やアーティスト、それからダムタイプのようなマルチメディア・パフォーマンス・グループといった、それまで京都にあった人脈と、東京の新しい人脈が合流するような、新しい流れみたいなものが出始めたという印象があります。
「じゃあ東京でやってよ」に奮起
橋本 私は、京都芸術センターができた少しあとに、舞台の制作、プロデュースの仕事を始めました。森山さんがおっしゃったような変化を私も感じたのですが、それをもっとプロジェクトとして顕在化させることができないだろうかと考えて、京都芸術センターに「演劇計画」という企画を提案したんです。「演劇計画」ではいろんなことをやりましたが、簡単に言ってしまえば、作品づくりにより深く関わりながら、若手を発掘・育成しようということですね。そのときに、森山さんに本格的に関わっていただきました。
森山 そうですね。2004年の「演劇計画」からですね。
—— (「演劇計画」の冊子を見せていただく)もうここにKYOTO EXPERIMENTの原型がありますね。京都には京都の演劇の蓄積がかなり分厚くあるんですね。
森山 ただ、私は長く東京にいたからわかりますけど、東京にいればなんでも見ることができると錯覚してしまうんですよね。その体質はなかなか変えられない。
橋本 フェスティバルをやろうと思ったのも、それが大きかったですね。「演劇計画」を続けながら、年に1本か2本の作品をプロデュースしていたのですが、時間もお金もかけて作っているのに、やっぱり、京都、大阪以外の人になかなか観にきてもらえない。活動を継続していくためには、批評家などの舞台芸術の専門家にも観てもらって、評価を受けたいんだけど、そういう人たちの多くは東京にいて、なかなか京都まで来ることができない。観にきてくださいと言ったら、じゃあ東京でやってよ、と言われたこともあります。
このままじゃダメだなと思って、いろんな人と話してリサーチしたら、たとえばある週末に2本3本まとめて見られるなら京都まで旅してもいいかなと、みなさんおっしゃるんですね。だとしたら、フェスティバルの形式がいいんじゃないかと思ったことが一つです。
—— なるほど。フェスティバルやろう!ってなって、まずだれを巻き込んだんですか?
橋本 最初は京都芸術センターの事務局長に相談しました。
—— 「演劇計画」を一緒にやっていた人ですね。
橋本 そうです。事務局長は京都市役所からの出向の人なんです。京都市もそれほど大きい組織ではないので、ある程度内情もわかり、ジャッジも下せる人と気軽に話せる環境にあったのは幸いでした。「フェスティバルをやりたいと思っているんだけど、どうしたらいいと思いますか」という相談を持ちかけたら、この企画を発展させていくことは賛成だと。「しかし、京都市の予算には限りがあるから、芸術センターだけでは橋本くんが思っている規模のものはできない」と言われました。それで、事務局長から「いろんなところとパートナーを組んでやるのがいいんじゃないか」というアイデアをいただきました。実際に、事務局長はいろんなところを一緒に回ってくださって、造形大への挨拶のときも「京都市としてもきちんと取り組んでいく事業なので」と話をしてくれたんです。
—— 第1回の参加アーティストはどのように決めたんですか。
橋本 「演劇計画」などの事業で関わってきた人たちに集まってもらったところが大きいですね。松田さんや三浦さんはもちろん京都を代表するアーティストとして。チェルフィッチュも京都で何度か公演したことがあったし、Port Bの高山明さんも2009年の「演劇計画」から関わってもらったりもしていたので。
—— それまでに築いてきたネットワークが財産になっていたんですね。
橋本 そうです。
森山 ちょうど前年にあたる2009年に、フェスティバル/トーキョーが立ち上がったんですね。だから、京都としては幸いなことに、F/Tと連携するなど、大きくシェアするようなことができました。
内側に向けたフラグにもなっている
—— 観客にとっても、KYOTO EXPERIMENTという旗が立っていると、視認性が上がるといいますか。京都で演劇祭やってるんだということが届きやすくなりますよね。
森山 そうですね。また、内側に向けても一つのフラグになっている面もあります。フェスティバルの運営って、やっぱり難しいんです。KYOTO EXPERIMENTは、京都市や、いくつかの財団、造形大という教育機関、これらが対等な立場で実行委員会を組織するかたちになっています。これがじつは大事なところで、この実行委員会があることで、京都全体の芸術的な環境について、お互いにアイデアを出しながら、一緒になって話し合っていく場としても機能していると思う。
同時に、京都には何十年前からあるようなインディペンデントな場所も、しっかりある。パブリックで担う部分が整備されつつ、共存共栄できているのではないでしょうか。
—— 京都、関西以外からのお客さんはどれくらいですか?
橋本 おととしぐらいから、東京や神奈川からのお客さんが1割強を占めるほどになりました。
お客さんについて言うと、初年度で印象的だったのが、普段劇場ではなく、美術館やギャラリーに行くような人たちがたくさんきてくれたことです。キュレーターの方にレビューを書いてもらったこともありました。
森山 今年のメインビジュアルは公式プログラム参加アーティストである金氏徹平さんの作品を元にしたデザインなんですけど、舞台芸術を全然見ないような人でも、デザインがかっこいいから知っているという人もいますね。
—— それまでは、美術と舞台芸術って意外につながってなかったんですね。
森山 そうかもしれません。
橋本 だから、あまりジャンルを明確に分けられないようなものを、積極的に取り上げていこうとは思いました。音楽のパフォーマンスなのか、ダンスなのか、映像インスタレーションなんじゃないのか、とか。
「開場時間」をなくします
—— 運営面でもユニークな取り組みをしていて、今年から、開場時間をなくすと表明されています。これは、どういうことか少し説明していただけますか?
橋本 演劇やダンスの公演チラシに、たとえば開演時間が7時で、6時30分開場って書いてある。でも、この30分前って、だれがどうやって決めているのかということが、ずっと気になってたんです。
—— たしかに。慣習なんですかね?
橋本 そう、慣習なんです。でも実際、30分前に行っても座っている人はまばらなんです。それだったら、ロビーで待っててもらって、扉は閉じておいて、ぎりぎりまで作品の調整や準備をしたほうが、よりいい舞台になるんじゃないかなと思って。何のためにその30分があるのかよくわからなくなってきたんです。
実際、たとえば500人のお客さんに入場してもらうのに必要な時間は、30分もいらなくて、5分ちょっとで全員着席できるはずなんです。
—— うーん、着いたらすぐ始まっちゃうみたいな感じですか?
橋本 いや、劇場ロビーがありますから、もちろん早めにきてロビーで本を読んだり、一緒にきた人とおしゃべりしたり、そういうこともいいし、バーやカフェがある劇場だったらそこで何か飲みながら過ごしてもいいと思います。で、そろそろ開演時間だなと思ったら、ドアの前に人が集まって、時間になったらドアを開けて、さっと入って、みんな席に着いたなというところで、上演が始まる。
—— 映画館ってそんな感じですね。
橋本 そうです。
—— じゃあ、開場時間をなくすというか、開場時間と開演時間を同時にする。
橋本 ほぼ同時にするということです。最初は少し混乱があるかもしれませんが、私たちは満員電車にきちんと整列して乗車できる国民性なわけですから(笑)、大丈夫だと思っています。運営側は、お客さんからクレームを受けることを恐れるがあまり、30分前に開場するとか、ちゃんと整列させるとか、過剰なサービスになっているような気がするんです。
—— 助けが必要な人がいれば、その人にはスタッフがだれかケアに行けばいいわけですしね。
橋本 そうです。実際、開場時間を明確にアナウンスする文化って日本だけなんです。
どちらかというと、観客に考えさせるというか、観る態度として能動性を要する作品を紹介しているので、劇場という環境自体もそういうふうに調整して、お客さんに自然に能動的な姿勢になってもらえれば、ということです。
芸術祭と町との関係
—— そういうことも含めて、EXPERIMENT(実験)なんですね。
橋本 そうですね。作品の内容が先鋭的かどうかというだけの話ではないなと。もちろんそういった新しい作品を紹介したいという気持ちはありますけど、それより重要なのは、京都という街で演劇やダンスを紹介する、その仕方、どうやったら街に舞台芸術を根付かせていけるのかという取り組み自体が実験だと思っているので。運営の仕組みとかもどんどん更新しながら試していきたいと思っています。
何かを変えるとか、枠を飛び越えるときは、多かれ少なかれ、必ず、周囲の社会との衝突なり軋轢なりが生じる。そのときに、まずまわりの人たちと話をすることが非常に重要だと思っているんです。社会ときちんと向かい合ってはじめて、自分たちがやっていることの意味を考えたり発言したりできるようになる。
今年から、それぞれの劇場のそばのレストランなどと提携して、オリジナルメニューを出してもらうとか、チケットを持っていったら割引になるとか、そういうプランも考えています。地域の人にも、普段と違うお客さんがきていますよってことをお知らせできたらいいかなと思っています。
—— お客さんにとっても楽しみが増えますね。
森山 大きな流れで言うと、舞台芸術に限らず、東京以外の場所でやるアートフェスティバルが増えましたよね。大都市じゃない場所でフェスティバルをやること自体はすでに長い歴史があることですが、それが町おこしや観光のような要素と合流している部分がある。アートに関心がある人にとっては、作品やフェスティバルを観るために移動することに対して、心理的なハードルが下がっていることはたしかだと思います。瀬戸内やあいち、今年で言えば札幌もありますし。
—— 東北もありますし。
森山 大分とかね。
—— ここまでフェスティバルが増えるとお客さんも分散しちゃうのではないかと思ったりもするのですが。
森山 その懸念はあるとは思いますが、今のところは相乗効果があるんじゃないでしょうか。
橋本 私としては、ほかの地方都市にももっと舞台芸術祭があればいいなと思っています。それぞれの都市が、さらにまた、海外も含めた別の都市とネットワークを作っているような状況。京都には京都のネットワークがあり、福岡だったら福岡のネットワークがある、というようになるとそれぞれのフェスティバルに独自色が出てくる。そうすれば、たとえば私のようなディレクターが福岡に観に行って、今まで知らなかった地域や国の新しいものを発見する、ということも多くなると思います。一つのところに集約するんじゃなくて、それぞれ異なるネットワークがはりめぐらされているほうがおもしろい状況ができるんじゃないかなという気はしています。
結節点としてのフェスティバルに
—— それには、KYOTO EXPERIMENT立ち上げのときに橋本さんが果たしたような役割をする人が重要かもしれませんね。橋本さんは、京都のプログラムを今後どういう方向に発展させていきたいというような、ビジョンはありますか?
橋本 難しいですね。というのは、KYOTO EXPERIMENTは今年で5回目を迎えます。私が、あんなことしたい、こんなことしたいと言い続けるよりは、あんなことやこんなことしたいのにと欲求不満をつのらせている若手に、いずれは譲れたらいいなということを考えているんです。……いいんですかね、こんなこと言っちゃって。
森山 あくまでもディレクターとしての個人的な思いだから、いいんじゃないかな。
橋本 プログラムを組む際には、いわゆる、われわれが芸術だと見なしていないようなジャンルも、プログラムの中に取り込んでいきたいと思っているんですよ。たとえば、建築であったり、プロダクトであったり、ファッションといったデザインなども。芸術文化だけじゃなくて生活の文化に関わるようなもの。しかし、そこには、私たちが生きていく上で重要なものの考え方が潜んでいる。そういうものを取り入れたい。これはいったい何のフェスティバルなんだろう、というようなことにしてみたい。
—— すごくおもしろそうです。……どうなるかイメージがつきませんけど。
橋本 どうなるかわかりません(笑)。
森山 演劇も何かを伝えるためのツールであると考えれば、デザインが並列されていても全然おかしくないのかもしれません。ある意味では、演劇はもっとも簡単で単純なメディアですから。18世紀の「曾根崎心中」なんて、実際に起こった事件を取材した動く瓦版のようなものだったわけです。それが、テレビがあり、ネットがあり、という時代になれば、役割は変化して当たり前です。一方で、新興の領域を見ると、ソーシャルデザインやコミュニケーションデザインは、非常に演劇的な要素をベースにしているところがある。ワークショップみたいなことをやるとかね。演劇の側にも、ソーシャルデザインに近い手法をとる作品も現れている。だからこそ、逆に今、非常に面白い状況だなと思います。
橋本 そうですね。過去に演劇が果たしていた役割が他のメディアに取って代わられたのだとしても、また別の意味を演劇が見いだして、進化すればいいんじゃないかっていう気がしています。
森山 たぶんこれから、ヨーロッパだけじゃなく、アジアとのネットワークもどんどん増えてくると思うし、変わり目なんじゃないでしょうか。
橋本 フェスティバルの形式を選んだもう一つの理由はそこにあります。京都でつくった作品が海外のいろんなフェスティバルに行って上演されると、また新しいネットワークができていく。そこで私自身も刺激を受けた経験がありました。京都がネットワークの拠点の街の一つになるといいなと考えています。
—— フェスティバルがあると、呼びやすかったり、呼ばれやすかったりするということですね。観客としても、京都を訪れる理由が一つ増えますね。
橋本 そうですね。劇場をはしごしながら京都を歩くと、いわゆる観光マップに書かれているルートとはちょっと違う、京都の街を発見できるんじゃないかなと思います。そういうことも含めての「京都の実験」を、楽しんでもらえればと思います。
イベント情報:
KYOTO EXPERIMENT
期間:2014年9月27日(土)〜10月19日(日)
会場:京都芸術センター、京都芸術劇場春秋座(京都造形芸術大学内)、元・立誠小学校、京都府立府民ホール“アルティ”、西京極スタジアム(西京極総合運動公園陸上競技場兼球技場)、Gallery PARC ほか
内容:11組のアーティストによる公式プログラム/フリンジ「使えるプログラム」、フリンジ「オープンエントリー作品」 ※そのほか関連イベントを開催予定
公式プログラム参加アーティスト:ティナ・サッター/ハーフ・ストラドル、高嶺格、村川拓也、ルイス・ガレー、She She Pop、木ノ下歌舞伎、contact Gonzo、悪魔のしるし、フランソワ・シェニョー&セシリア・ベンゴレア、地点、金氏徹平
主催:京都国際舞台芸術祭実行委員会(京都市、京都芸術センター、公益財団法人京都市芸術文化協会、京都造形芸術大学 舞台芸術研究センター、公益財団法人京都市音楽芸術文化振興財団 )
プロフィール
橋本裕介
ロームシアター京都/KYOTO EXPERIMENT プログラムディレクター。1997年より演劇活動を開始、京都芸術センター事業「演劇計画」など、現代演劇、コンテンポラリーダンスの企画・制作を手がける。2010年よりKYOTO EXPERIMENT 京都国際舞台芸術祭(www.kyoto-ex.jp)を企画、プログラムディレクターを務める。2013年2月より舞台芸術制作者オープンネットワーク(ON-PAM)理事長。2014年1月よりロームシアター京都開設準備室。
森山直人
1968年生まれ。演劇批評家。京都造形芸術大学舞台芸術学科教授、同大学舞台芸術研究センター主任研究員、機関誌『舞台芸術』編集委員。京都芸術センター主催事業「演劇計画」企画ブレーン(2004~09年)を経て、2011年より、KYOTO EXPERIMENT(京都国際舞台芸術祭)実行委員、2013年より実行委員長を務める。著書に、『舞台芸術への招待』(共著、放送大学教育振興会、2011年)。主な論文に、「沈黙劇とその対部――あるフィクションの起源をめぐって」(『舞台芸術』13号)、「〈ドキュメンタリー〉が切り開く〈舞台〉」(『舞台芸術』9号)等多数。