2014.12.12
安倍外交の特徴とは何か?――その成果と展望
今週末に行われる衆議院総選挙の運動期間中、アベノミクスや消費税増税など、政府の経済財政政策が議論の俎上に載せられてきた。だが安倍政権の過去2年間を点検するならば、安倍政権の外交成果にも注目する必要がある。第二次安倍政権の外交政策の主な特徴はどんなもので、これまでどのような成果をあげてきたのか? もし安倍氏が12月14日の総選挙で勝利を収めた場合、日本の外交は来年どのような展開を示すのだろうか?
主な優先事項
全体的に見て、第二次安倍政権における外交のもっとも重要な特徴は、国際社会における日本の存在感と影響力の拡大を追求したことである。2012年の12月に安倍氏が権力の座に返り咲くまでは、国際社会では「日本の時代は終わってしまった」と認識されつつあると心配する声が、一部では上がっていた。安倍政権の前の民主党政権の外交政策は弱腰で効果が薄いと専門家から批判を受けていたため、国際的な重要課題の議論で日本は存在感を発揮できなくなる恐れがあった。この危機を察知して、外交面での日本の変わらぬ実力と重要性を世界に再確認させ、国家の誇りを取り戻すことに安倍総理は優先的に取り組んできた。
「国際社会における日本の存在感を取り戻す」という当面の目標は、実は日本の右翼政治家の多くが長年抱いていた、「平和憲法」の厳しい制約からの脱却という野望と一致するものだった。具体的に言うと、憲法第九条の「国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する」、および「陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない」という制約からの脱却である。安倍総理率いる自民党の政治家の多くは、この法的制限が時代錯誤で、国家として当然の権利を日本から奪うものだと考えている。したがって安倍政権は、世論の過半数が憲法改正に反対していることに留意しながらも、これらの制約を緩和する方法を模索してきた。
大筋において安倍総理は、これまでよりも自信に満ちた自主的な外交政策を確立しようとしてきた。だがこの方針はアメリカ政府と距離を置くということではない。むしろ安倍政権はワシントンとの関係をこれまで同様、最重要課題だと捉えている。実際、日本が外交の能力と自立性を高めることは日米同盟の強化につながると安倍政権は考えている。なぜなら、これは日本が世界平和の重要な貢献国として存在感を増し、ひいてはアメリカ合衆国にとっても貴重な同盟国となることを意味するからだ。
最後に、多角的な外交目標という観点から考えると、安倍政権は中国に対してバランスのとれた外交戦略を取ってきている。一方では、東アジア内での中国政府の横暴(だと日本政府が考える行為)を日本は強く批判してきた。とりわけ領土問題では譲歩せず、他の隣国との連携を強化する姿勢を鮮明にしている。だが、このような封じ込め戦略を実行する一方で、だが、このような封じ込め戦略を実行する一方で、日本は現実的な協力関係を維持しようとも努めてきた。このため、2013年3月に習近平が主席に就任して以来、安倍総理は彼との会談を一貫して模索してきた。
成果
上記の優先事項から判断して、ここまでの安倍政権の外交政策はどの程度成功だと言えるのだろうか? まず、国際的な存在感を高める点について、過去2年が輝かしい成功だったことは明白である。海外から日本への注目が高まった理由の一つはアベノミクスだ。この過激な経済実験に魅了された海外の識者は少なくない。アベノミクスによる円安で、日本が海外旅行の目的地としての魅力をさらに増しているのも事実だ。しかしアベノミクスの影響以外で、日本の国際的な存在感が目立って高まっているのは間違いなく安倍政権の外交成果である。
注目すべきは、歴代の総理大臣に比べ、安倍総理が外交面で抜きん出て積極的だという点だ。2012年に権力の座に返り咲いて以来、安倍総理が外遊した国は50カ国にも及び、この外遊を通じて日本のグローバルイメージは効果的に広められてきた。この活発な外交活動の出発点は、2013年2月にワシントンで行われたスピーチだった。そこで安倍総理は「日本は戻ってきた」と断言し、「日本は今も、これからも、二流国家ではない」と強調したのだ。
2014年1月のダボス経済フォーラムや、5月の「シャングリラ」アジア安全保障会議での安倍総理のスピーチも、すべて印象深いものであった。そして東京が2020年のオリンピック開催都市として選ばれたのも、安倍総理のおかげだと言う者もいるだろう。国際ブランドとして日本を売り込もうという方針を支えたのは、重要なスピーチは英語ですることも厭わない安倍総理の積極的な姿勢だった。
日本の国際的地位を「正常化する」ための第2の目標に関しても、安倍政権は重大な一歩を踏み出した。「積極的平和主義」の名の下で、政府は戦後日本の外交政策の基本方針を変更することに成功したのである。もちろん、その最たるものは日本国憲法第九条に対する方針だ。
憲法改正には十分な支持が得られなかったため、代わりに安倍総理は集団的自衛権の行使が認められるよう、憲法解釈を変更することを提案した。実質的にこれは日本の合法的な軍事力の使用が許可される状況が拡大されたことを意味している。これまでは日本が直接脅威にさらされた場合のみに軍事力の使用が限定されていたのが、この新しい解釈では日本の同盟国が攻撃された場合も含まれることになったからだ。とりわけこの新解釈が民主的とは言えないやり方で決定されたために、この変更には議論が噴出したが、同盟国には歓迎された。
憲法解釈の変更にとどまらず、「積極的平和主義」アジェンダの一環として、2013年12月には新たに国家安全保障会議(日本版NSC)が設置された。アメリカの国家安全保障会議(NSC)をモデルにしたこの新たな機関の設置は、安全保障に関わる政策決定と省庁間の協力を効率化することを目的としている。この機関のトップに座る内閣官房国家安全保障局長(現在は谷内正太郎が務めている)は、これからの日本外交における新たなキーパーソンとなるだろう。
最後に、自主規制してきた武器輸出を実質解禁することで、安倍政権は軍事産業の強化を目指した。武器輸出解禁の流れは、民主党政権下ですでに固まっていた。しかし武器輸出を厳しく制限する武器輸出三原則(1967年成立)が、より制限の緩い防衛装備移転三原則に正式に切り替わったのは2014年4月のことである。この変更によって、同盟国との武器開発協力が容易になるだけでなく、日本の軍事産業が大きく成長することも予測される。
このように、安倍政権は日本の国際イメージを向上させ、安全保障に関わる方針を大幅に変更してきた。だが有力国との個別の関係を見ると、安倍総理の新方針がもたらした成果は成功一色とは言い切れない。
日米同盟を筆頭に、日本と各国との関係は大体において満足すべき状態である。日本にとってもっとも重要なのは、東シナ海の緊張の高まりにおいて、アメリカが一貫して日本支持の姿勢を崩していない点だ。具体的に言うと、2013年11月の中国による一方的な防空識別圏(ADIZ)設置宣言に対して、アメリカ合衆国は、中国当局への通告なしにB-52戦闘機を防空識別圏へ派遣するという対応を示した。さらに2014年4月に東京を訪問した際、オバマ大統領は日米安保条約が尖閣諸島にも適用されることを再確認した。これに応えて安倍総理は、イスラム諸国やウクライナ危機への対応を含むアメリカの外交政策に対して、従来通り日本は引き続き支援していくことを明言した。2013年12月に、従来よりも情報漏洩に厳しい姿勢を示した特定秘密保護法が成立したのも、ある意味アメリカの要求に応えるためと言えるだろう。
日米関係の結びつきは強固なままだが、だからと言ってなんの問題もないわけではない。第一に、環太平洋戦略的経済連携協定(TPP)はこれまでのところ期待はずれに終わっている。2013年に日本が交渉への参加を決断した際には、この自由貿易協定によって、他の交渉10カ国との国交はもちろん、より強固な日米関係がもたらされることが期待されていた。ところが蓋を開けてみれば、日本が農産物市場の自由化を拒否したことが最大の要因となって交渉は停滞に陥り、日米関係に摩擦が生じた。
さらに、1996年に移設が決まったのにも関わらず、普天間基地がまだ使用されているのも日米の火種である。辺野古の新施設の建設は開始されたものの、地元住民の激しい反対に加え、2014年11月には基地反対派の翁長雄志氏が沖縄県知事に当選したことで、事態は複雑さを増している。
しかし第二次安倍政権において日米関係が最も冷え込んだのは、間違いなく安倍総理による2013年12月の靖国神社参拝である。これを不必要かつ有害な挑発行為と捉えたアメリカは、安倍総理を批判して公式に「失望」を表明するという、異例の行動に出た。ニューヨークタイムズ紙を筆頭に、アメリカのメディアはさらに辛辣で、靖国参拝は「危険なナショナリズム」だと批判を浴びせた。
第二安倍政権において、日米間でお互いに対する不満が高まる機会は何度かあった。だが、それは壊滅的な日中関係に比べれば大した問題ではない。2012年9月に民主党が尖閣諸島を国有化したため、自民党が政権を取り戻した時点ですでに日中関係は緊迫気味であった。しかしながら、尖閣諸島付近で日本の海上保安庁と中国公船が衝突した2013年に、状況はさらに悪化した。
すでに見た2013年11月の防空識別圏(ADIZ)設置宣言、および同年1月に中国海軍艦艇が海上自衛隊のヘリコプターとフリゲート艦に向けて火器管制レーダーを向けたのは、まさに一触即発の事態だった。だがこのように緊張が高まるなかでも、安倍総理は習近平と会談する意志を示し続けていた。しかし日中首脳会談実現の淡い見込みは、靖国神社参拝によって冷水を浴びせられ、凍結状態に追い込まれてしまった。
総合的に見て、第二次安倍政権の日中関係は最悪だった。だが最近になって、わずかながら希望の光が見えてきた。2014年11月の上海APECサミットに合わせて安倍氏と習氏が初めて会談したのだ。重要な会話はなく、握手も極めてよそよそしかったが、それでも重大な前進である。
この会談は、サミット前の4点合意での慎重な交渉によって実現した。この4点合意は、中国側の注文に屈することなく会談を実現させたという意味で、日本外交にとって大きな成果と言えるだろう。会談実現の条件として中国側が日本に要求していた条件は、日中間に領土問題が存在することを認め、靖国神社にふたたび参拝しないことを約束する、という内容だった。それに対して実際の合意は、東シナ海に関して「見解の相違がある」ことを認め「歴史に正面から向き合うこと」に言及してはいたが、中国側の元々の要求は姿を消していたのだ。
安倍政権の外交成果を評価する最後の材料は、日ロ関係である。権力の座に返り咲いてすぐに、安倍総理は北の隣国との関係改善に全力を尽くし始めた。この背景には、エネルギー資源貿易増大の見通しと積年の領土問題解決への思いという、両国特有の問題が存在していた。だが日本がロシアに積極的にアプローチした背景にはもうひとつの意図がある。それは大国化する中国への牽制として、アジア太平洋諸国との結びつきを強化しようという安倍政権の多角的外交戦略だ。安倍政権はすでにASEAN加盟国やオーストラリアと結びつきを深めており、中国とロシアとの接近を防ぐために日ロ関係の再構築を目指しているのである。
安倍総理は2012年12月から2014年2月までの間に、プーチン大統領と5回会談を果たしている。この5回には、じつに10年ぶりに日本の首相がロシアを訪れることとなった2013年4月のモスクワ訪問や、欧米諸国のほとんどのリーダーがボイコットしたソチオリンピックの開会式も含まれている。
安倍総理の努力は、報われつつあるように見えた。平和条約交渉は再開され、エネルギー資源貿易をめぐる議論も活発に行われ、日本がもっとも近しい同盟国としか行わない、両国の外務大臣と防衛大臣を合わせた「2+2」式の会談を実施することまで合意に達していたからだ。だが、両国の関係改善は、ウクライナ危機によって突然足止めをくってしまった。
2014年3月のクリミアのロシア編入に対して欧米諸国は制裁を課し、日本も否応なく足並みをそろえなければならなくなった。だが日本の制裁は、他のG7諸国に比べてかなり軽く、ロシアを取り巻く国際感情が鎮まり次第、日露交渉の親密な流れを再開したがっているというメッセージを、日本政府はロシアにアピールしたと解釈できる。
実際8ヶ月の休止期間を経た後、プーチン大統領と安倍総理が10月と11月にミラノと上海で会談したことで、この解釈の信ぴょう性はさらに高まった。したがってウクライナ情勢が万が一にも改善すれば(もっとも現時点においてウクライナ情勢は一向に鎮まる気配を見せていないが)、日本とロシアの交流は再開するだろう。
結論およびこれからの展望
結論として安倍政権の外交成果と将来の展望について、なにが言えるだろうか? 全体的に見て、第二次安倍政権の外交政策はこれまで、そこそこの成功を収めてきたと言えそうだ。総理の活発な外交活動と、在任期間の長さとによって、国際社会において長年停滞していた自らの存在感を、日本は大きく向上させた。
さらに安倍総理は「積極的平和主義」のアジェンダを利用して、国際安全保障の担い手として日本を「正常化する」という念願に向けて、大きく前進した。個別の二国間関係に関して言えば外交成果はまちまちだが、それでも最重要である日米同盟の結びつきは依然として強く、さらに解散総選挙直前の段階では、中国との関係においてもいくつか改善点が見られた。
安倍総理の外交政策の唯一の失敗は、2013年12月の靖国神社参拝だろう。これによって、総理は中国や韓国との関係に悪影響を与えたのみならず、ヨーロッパやアメリカを含む国際社会における日本のイメージも傷つけてしまった。さらに安倍総理や閣僚の靖国神社参拝によって、安全保障に関する日本の役割を「正常化する」ために積み上げてきた努力も台無しにしてしまう。集団的自衛を実現するための合理的な方策と考えられるべき当然の決断が、かつての日本の軍国主義を復活させるための野望だと曲解されてしまうからだ。つまるところ、靖国神社参拝は安倍政権自らが招いた足枷であり、それによってその他の外交成果が損なわれてしまっているのである。
最後に、大方の予想通り12月14日に自民党が勝利をおさめた場合、安倍総理の外交政策は今後どうなるのだろうか? 恐らくこれまでと同じ政策が続けられるだろう。安倍総理はまた足繁く外遊を繰り返すと同時に、日本の「平和主義」を書き換えようとするだろう。アメリカ合衆国とは、TPPと沖縄の在日米軍基地の問題に関してさらに緊張が高まることが予想されるが、どちらも乗り越えられないほど深刻な問題となることはないだろう。むしろ、「東アジア地域の安全保障状況」および「日本の集団的自衛に対する新たな取り組み」の2点についての変更を考慮する新しい防衛指針によって、これまでも親密だった関係がより一層強化されるのではないか。
中国に関しては、安倍政権は東アジア各国とバランスの取れた連合を形成しつつ、可能な範囲で中国との現実的な提携を模索していく可能性が高い。楽観主義者は、11月のAPECでの安倍総理と習近平の会談が、日中両国の新しいポジティヴな関係構築へのスタートだと考えるだろう。しかし残念ながらそうなる見込みは低い。2015年は第二次大戦終結70年であり、歴史問題がふたたび頭をもたげるだろう。とりわけ中国は、日本の敗戦を大々的に記念するイベントを複数回開催する予定で、そこには韓国やロシアと共同開催する式典も含まれる。このような難しい時期だからこそ、日本は歴史問題に特別な注意を払わなければならない。そして、なによりも、安倍総理は靖国神社に近づかない方が賢明だろう。
原文はこちら 「The Abe Administration and Diplomacy」
サムネイル「Prime Minister of Japan Shinzo Abe at University College London, 1 May 2014.」Russavia
http://commons.wikimedia.org/wiki/File:Prime_Minister_of_Japan_(13895799989).jpg
プロフィール
ジェームズ・D・J・ブラウン
スコットランド、エディンバラ出身。東京に居住してから3年以上になる。現在テンプル大学日本キャンパス、政治学科の准教授。ヨーク大学で学士号を取得した後、エディンバラ大学とアベルディン大学で修士号を取得。グラスゴー大学でロシア語専攻の大学院プログラムを修了後、アベルディン大学より国際交流専攻の博士号を取得。専門は日露関係、日本の外交政策と国際エネルギー政策である。これまでにInternational Politics, Politics, Asia Policy, Post-Soviet Affairs等のジャーナルに研究を発表してきた。現在は、今日の日露関係についての著作を執筆中である。