2015.09.28
世界の辺境とハードボイルド室町時代
現代ソマリランドと室町日本、かぶりすぎ! ノンフィクション作家・高野秀行と、歴史家・清水克行が「世界の辺境」と「昔の日本」を比較した異色対談『世界の辺境とハードボイルド室町時代』。その一部を紹介する。
血であがなうか、金であがなうか
高野 清水さんの本に出会ったのは、僕の『謎の独立国家ソマリランド』を読んだ、翻訳家で映画評論家の柳下毅一郎さんが、「ソマリの氏族による庇護と報復のシステムは、『喧嘩両成敗の誕生』で描かれている室町時代の日本社会とまったく同じ」というようなことをツイッターでつぶやかれているのを知ったからなんです。読んでみて本当にそうだと思いました。
『喧嘩両成敗の誕生』のまとめの章に、「当時の人々は、身分を問わず強烈な自尊心をもっており、損害を受けたさいには復讐に訴えるのを正当と考え、しかも自分の属する集団のうけた被害をみずからの痛みとして共有する意識をもちあわせていた」とありますよね。
これって、まるっきりソマリ人の説明じゃないかって思えるんですよね。それから、室町人の苛烈な心性の上に現れた法は、事件の理非(どちらが正しいか)を問うことではなく、社会の衡平や秩序を回復させることを目的とした、という説明もありますよね。これもソマリ社会の掟にすごく似てるんですよ。
ただ、僕のブログにも書いたんですが、不思議なのは、お金で解決するという賠償の発想が中世の日本にはなかったということです。ソマリ人も事件の理非とは関係なく復讐を行いますけど、トラブルはお金で解決するという道も用意されています。復讐するより賠償金をもらった方がいいと考えたら、そっちを選べるんです。
清水 「ラクダ何頭で」という話が出てくるんですよね(笑)。
高野 そうなんです。多くの場合、賠償金は当事者が属する集団(氏族)の責任によって支払われていて、ソマリランドやプントランド(注)では、男性一人が殺されたらラクダ百頭、女性一人ならラクダ五十頭で賠償すべしというふうに定められています。現代ではラクダ一頭は二百数十ドルぐらいに換算されているみたいです。そういう賠償の発想は、日本の中世にはなかったんですか。
(注)旧ソマリア北東部に樹立された政府とその支配地域。ソマリランドとは違い、独立を宣言しておらず、新たに樹立されたソマリア政府でも重要なポジションを占めている。周辺海域に出没する海賊の拠点はプントランドに多いとされ、政府の関与も疑われている。ソマリランドとの間に領土問題を抱えている。
清水 ないんです。高野さんのブログを読ませていただいて、鋭い指摘だなあと思ったんですが、賠償の発想がなかったということは、実は日本法制史上の大問題なんですよ。
一般的に人間の社会は、自力救済が横行する社会から、復讐が公に認められる社会に移行し、さらに復讐が制御される社会、復讐が禁止される社会というふうに進んでいくと、人類学的にも法律学的にも説明されます。そして、復讐が制御されていく過程で、必ず賠償の発想が生まれてきます。血で血をあがなっているときりがないから、血をお金に換えるという考え方がワンクッションとして入り、それによって復讐はネガティブな行為に位置づけられるようになるんです。ところが日本の歴史にはそれがなかったんです。
高野 ずっと賠償の発想がなかったんですか。
清水 室町時代、戦国時代と続いた中世が終わって、江戸時代に入っても、賠償の発想はほとんどなかったんですよ。そのことは日本の特殊性を表しているんじゃないかと言われています。
じゃあ、なぜなかったのか。僕も考えているところなんですけど、肉親の命といったものはお金には換えられないという強固な意識が日本人にはあるみたいなんですよね。
たとえば自分の親が亡くなったとき、葬儀屋さんに相応のお金を渡して葬儀をしてもらって、自分はハワイ旅行に行くなんてことをしたら、「あいつはけしからん」と世間的には非難されますよね。仇討ちに関してはそれに近い感覚があって、やっぱり肉親が自分でやらなければならないんです。仇討ちは弔いの一種だという考え方があって、お金で片をつけてチャラにするなんていうのは親不孝だというような、それぐらいの意識があったんじゃないかと思うんですよね。
実際、平安時代の『今昔物語集』には、親の仇を討った人がその後で親の葬式をやり直しているような話が出てくるんです(巻第二十五―第四話)。本人が仇を討った後で喪服で現れたので、集まった人はみんな「立派だ」と言って涙を流して感激したという。非業の死を遂げた人の魂は、仇を討たない限り、さまよい続ける。仇討ちまでやって葬式は完結するというような意識があったんじゃないでしょうか。だとすると、人の命をお金に換えることには抵抗がある、やっぱり血は血であがなわなければならない、という考え方はずっと続いていくのかなあと思いますよ。
高野 そのあたりは、現代の日本人にも残っている根本的な部分ですよね。清水さんの本では、「痛み分け思考」という言葉を使ってましたよね。あれは日本人にとってすごく大きなものじゃないかと思って。要するに日本人は、自分が痛めつけられたら、相手も同じように痛めつけないと気が済まない。やっぱりお金では相手を痛めつけたことにはならないというふうに考えるんじゃないかと思うんですよね。
清水 たぶん日本人にとって、人の命は計量不可能なものなんですよね。それを金銭に置き換えるという発想自体が無意味だという考え方があるんですかね。
ソマリの方では、賠償の発想はどこから出てきているんですか。人の命を計量可能なものと見なして、ラクダの頭数や金額に換算するというのは、そういう意味では非常に合理的ですよね。
高野 もともとはイスラムの思想なんですよ。イスラム圏には基本的にある考え方なんです。ただ、ソマリ社会以外でさすがにそこまで厳密にやっている所はないらしくて。たとえばリビアとかサウジアラビアとかイエメンとか、中東の、まだ氏族社会が続いているような所では、似たようなことをやっているみたいではありますよね。ただ、やっぱりソマリほどガチガチにやっている所はたぶんないだろうと。
清水 ソマリの方は紛争が多いから、そういう処理の仕方がルールとしていつまでも生きているということはあるんでしょうか。
高野 それはあると思いますね。
清水 トラブルや紛争にイスラム指導者が割って入ってくることはないんですか。
高野 あります。今回の僕の本では氏族の話にページを費やしてしまったし、そこまで取材できなかったということもあって、あまりイスラムには触れていないんですが、イスラム指導者の役割はやっぱり大きくて、和平の仲介に、コミュニティのリーダーだけでなく、イスラム指導者がニュートラルな立場の人間として呼ばれることはよくあるようです。
清水 わかる気がします。その点も日本の中世とよく似ていますね。日本の場合は、お坊さんが割って入ります。お坊さんは人命を優先するという倫理観をもっているし、俗世間から離れている人なので、どこにも利害関係がない。だから、紛争当事者をなだめるには最適任者なんです。
外国人がイスラム過激派に狙われる本当の理由
高野 『喧嘩両成敗の誕生』には、「頼まれた以上は断れない」という話も出てきますよね。
清水 中世の日本では、武家の屋形にも公家の屋形にも「治外法権」があって、殺人事件を起こした人が逃げ込んできた場合でも、屋形の主人は理由を問わず許容していたという話ですね。
高野 あれを読んで思い出したのは、アフガニスタンの旧タリバン政権のことなんです。タリバンのパシュトゥーン人(注)も、庇護を求めて逃げてきた人は誰であっても守るのが男の義務であると考えていて、アルカイダのウサマ・ビン・ラディンをかくまった一番大きな理由もそれだと言われているんです。思想的に意気投合したからではなく、逃げ込んできた客人だから守るんです。
(注)アフガニスタン南部・中部、パキスタン北西部に住む民族。アフガニスタンでは多数派民族で、人口の四五%を占めると言われる。
ソマリ社会でも似たようなことはあって、自分が招いたわけではない客人であっても、徹底して守ります。
清水 追う側とかくまう側で「引き渡せ」「嫌だ」の押し問答になって、かえってトラブルが大きくなったりしませんか。
高野 もちろんそれもあるんですよ。だから、必ずしもいいことかどうかはわからないんですけど、客人を守るという意識はびっくりするぐらい強いものなんです。
以前、暮れから正月にかけて、早稲田大学に通うソマリ人留学生を家に泊めたことがありました。彼は寮に住んでいたんですけど、年末年始にかけては寮が閉まってしまうんで、ホームステイさせてくれないかと頼まれて、「いいよ」って引き受けたんです。
それで、彼は十二日間、わが家に滞在したんですが、結構てんやわんやがあったんですよね。まず日本文化にまったく興味を示さないし、日本食もぜんぜん食べようとしない。外にも出かけないで、ずっと家にこもって、パソコンでフェイスブックを見たりチャットをやったりしている。おまけに、うちの家電製品のコードをコンセントから抜いて、勝手に自分のパソコンを充電するし、それっきりコードを元に戻さない。それで、だんだん僕もかみさんもイライラしてきちゃって。
清水 客人というよりは、迷惑な居候が一人いる感じだなあ(笑)。
高野 そうなんです。それでだんだんお互いに険悪な雰囲気になってきて、特にかみさんが怒っていたんで、僕は彼に「ちょっと謝れ」と言って、「少しは家のことを手伝いなさい」って説教したんです。そうしたら彼がしぶしぶ謝ったんで、その後、ファミレスに連れていって二人だけで話していると、涙を流して言うんですよ。「今日は屈辱的だった。ゲストがあんなふうに扱われるなんて、僕らの文化ではありえない」って。
清水 「悪い態度をとってすみません」という反省の涙じゃないんですか(笑)。
高野 違うんです。「ゲストが家に来たら、その家のルールを曲げてでもゲストに合わせるものだ。ましてゲストに頭を下げさせるとは、本当に屈辱的だ」って言って泣くんです(笑)。
清水 それは強烈な文化ですね。
高野 強烈ですよ。
清水 彼から宿泊の対価は支払われないんですよね。高野さんに対して何らかの金品が提供されるわけではない。
高野 ないんですよ。そういう例は枚挙にいとまがないですね。僕は二〇一二年の秋に南部ソマリアを取材したんですが、そのとき首都モガディショの隣の州、日本で言うと千葉県みたいな所まで州知事に同行したんです。僕だけだったら危なくて行けないけど、知事は三十人ぐらいの兵士を、まあ部隊ですよね、連れていたし、これだったら日中は大丈夫だろうということで。
だけど、結局、その州知事に半分だまされるような形で、どんどん遠くまで行くことになっちゃって、最初は松戸くらいに行くつもりだったのが、柏になって、成田になって、そのうち茨城との県境ぐらいまで行って、日帰りできなくなったんですよね。それで、近くに駐屯していたアフリカ連合(注1)の平和維持部隊、主にウガンダとかブルンジから来て、ソマリア政府軍に代わってイスラム過激派のアル・シャバーブ(注2)と戦っている部隊なんですが、その基地に滞在させてもらったんです。帰るに帰れなくなっちゃって。
(注1)アフリカ五十四カ国・地域が加盟する国際機構。二〇〇二年、アフリカ統一機構が発展改組されて発足した。エチオピアの首都アディスアベバに本部を置く。
(注2)アルカイダと強いつながりがあるとされるイスラム過激派組織。南部ソマリアの半分以上の地域を支配していると言われる。潤沢な資金と武器を備え、自爆テロも辞さない。二〇〇八年、ソマリランドの首都ハルゲイサでもテロを起こし、二十一人が死亡、約五十人が負傷した。
で、そのときは、現地のジャーナリストの若者たちも一緒だったんですが、彼らが州知事やアフリカ連合の司令官に対して、ものすごく横柄な態度をとるんですよ。向こうのジャーナリストって、命の危険を顧みないでどこまでも行っちゃうという、若者があこがれる職業なんですけど、みんな二十代の若造のくせに、「茶が飲みてえ」とか、「水ねえのか、水」とか、「コーラ!」とか言ってね、持ってこさせるんです。州知事は五十歳ぐらいの政治家だし、アフリカ連合に至っては、外国からわざわざ助けに来てくれている人たちなのに、「飯はまだなのか」とか、そういうことを平気で言う。
なんでこんなに横柄なんだろうと思って、「そんなこと言っていいの?」って聞くと、「だって、俺たちはゲストで彼らはホストだから。逆の立場だったら、俺たちもホストをするんだから」って言うんですよ。やっぱり、ここでもゲストとホストの関係が出てくるんだと思って。
清水 金銭で返さないまでも、将来的に、たとえば自分が出世した後で、「あのときはお世話になりました」みたいな形で何かを返すといったことはないんですか。
高野 ある場合とない場合があると思うんですよ。たとえば友人を助けるような場合は、いつか自分が困ったときは相手がきっと助けてくれるだろうと考えるんだと思います。でも、あのときのケースでは、その後どうなるかわからないじゃないですか。州知事とは二度と会わないかもしれないし、そこまで計算していないと思うんです。
清水 高野さんの家に泊まりに来たソマリ人学生も、それっきりの関係になるかもしれないけど、それでもゲストはゲストで、ホストはホストなんですね。
高野 そうなんです。それで基地に三日間ぐらい滞在した後、アフリカ連合の部隊に護衛してもらって帰ることになったんですが、その途中でアル・シャバーブの待ち伏せ攻撃に遭遇して、めちゃめちゃ撃たれたんですよ。戦闘になっちゃって。今は携帯電話もあるし、基地のある村にはアル・シャバーブ側に通じている村人もたくさんいるから、僕らの動きは筒抜けだったんですよね。
清水 すごい、はあ……。
高野 僕もすごくびっくりしたんだけど、それはまあいいんです。戦闘が終わった後、誰が狙われたのかという話になって、僕らの方には政治家もいたし、ジャーナリストもいたわけですけど、みんなに聞いたら、「一番の標的はタカノ、お前だろう」って言うんですよね。「何しろ外国人だから」って。だけど、それはアル・シャバーブが外国人嫌いだからではないんです。
イスラム過激派はよく外国人を狙いますよね。それは彼らが外国人を嫌悪しているからだと、一般的な報道では解釈されているし、僕もずっとそうだと思っていたんです。西洋文明への反発から外国人を襲うんだと。
清水 攘夷ですね。
高野 そういう排外思想のためだと思っていたんですけど、違うんだと。外国人は政府側の客で、客がやられたら政府にとっては最大の屈辱になるから狙うんだと。政治家もターゲットにはなりうるけど、客に比べたらそれほどではない。
清水 なるほど。高野さんが殺されてしまったら、政府は保護義務を履行できなかったことになり、メンツがつぶされる。だから、身を挺してゲストを守らなければならないってことだ。論理が通っていますね。
高野 通ってるんですよ。
清水 日本の中世ではそこまでの話はないですね。
■本記事は『世界の辺境とハードボイルド室町時代』からの転載です。
プロフィール
高野秀行
ノンフィクション作家。1966年東京都生まれ。早稲田大学探検部当時執筆した『幻獣ムベンベを追え』でデビュー。タイ国立チェンマイ大学日本語教師を経て、ノンフィクション作家に。『ワセダ三畳青春記』(集英社文庫)で第一回酒飲み書店員大賞受賞。『謎の独立国家ソマリランドそして海賊国家』(本の雑誌社)で講談社ノンフィクション賞、梅棹忠夫・山と探検文学賞を受賞。著書は他に『移民の宴』『イスラム飲酒紀行』(以上講談社文庫)、『ミャンマーの柳生一族』(集英社文庫)、『未来国家ブータン』『恋するソマリア』(以上集英社)など多数。モットーは「誰も行かないところへ行き、誰もやらないことをやり、それをおもしろおかしく書く」。
清水克行
明治大学商学部教授。専門は日本中世史。1971年東京都生まれ。大学の授業は毎年大講義室に400人超の受講生が殺到する人気。NHK「タイムスクープハンター」など歴史番組の時代考証も担当。著書に『喧嘩両成敗の誕生』(講談社選書メチエ)、『日本神判史』(中公新書)、『大飢饉、室町社会を襲う!』『足利尊氏と関東』(吉川弘文館)、『耳鼻削ぎの日本史』(洋泉社 歴史新書y)などがある。モットーは宝処在近(大事なものは身近なもののなかにある!)。