2016.04.22
無理して“前向き”にならなくていい
ユーモアと明るさで(?)難病と闘う、超ポジティブ闘病エッセイ『ふんばれ、がんばれ、ギランバレー!』の著者・たむらあやこさん。医師から「一生ほとんど寝たきり宣告」をされるも、ピリオドの向こう側に挑戦し続ける彼女にとって「前向き」とは何なのか、お話を伺った。(聞き手・構成/大谷佳名)
【作品紹介】
ギラン・バレーに負けるもんか――。
ある日突然、国が指定する難病、ギラン・バレー症候群を発症し、出口の見えない闘病生活を余儀なくされた新米看護師・たむら。難病により身体の自由を奪われたものの、ユーモアは失わなかった超ポジティブ新米看護師が贈る、前向き闘病エッセイ!!
「ああ病気になってよかった」
――ギランバレー症候群とはどんな症状なのですか?
風邪などのあと、自分の抗体が自分の神経を攻撃する事で起こる自己免疫疾患です。手足に力が入らない(運動神経麻痺)等の症状がありますが、壊される神経の種類や障害の度合いにより、症状や経過には個人差があります。
私は急性期だけ運動神経麻痺がありましたが、それはすぐに回復しました。主な症状は深部感覚麻痺(手足などの感覚がない)と自律神経障害(失神、吐き気、腹痛、排便・排尿困難、等)です。
(「【第4話】 痛イイ話」より)
――どのようなことがきっかけで、この漫画を描きはじめたのですか。
友人が「珍しい病気だし、漫画を描いたら励まされる人がいっぱいいるだろうから描きなよ」と言ってくれた事がきっかけでした。少しでも誰かの役に立てるなら、と思いまして……。
――病気になった後の、ご家族やご友人との関わりの中で、関係性の変化や初めて気づかれたことなどはありましたか。
家族も友人も接し方は変わりませんが、信頼とお互いを大事に思う気持ちは深まったと思います。
友人は、2年も寝たきりになると本当に大切な人しか残らないので、たとえ私が大事にされなくても私はずっと大事にしたいと思います。
――第3話「やっと父になる」は、ギャンブル依存症だったお父様に変化が起こるお話でしたね。お父様の「改心」をどうお感じになりましたか。
(「【第3話】 やっと父になる」より)
病気になる前はとにかく逃げ回って家にいない父でしたので、私の事であんなに泣いたことにまず驚きました。口先だけではなく、本当にしっかり働いて家にお金を入れるというのも初めてでしたので、「ああ病気になってよかった」と思ったのと同時に、よほど自分の状態は深刻なんだな、と思いました。
治る・治らないにこだわらない
――ご両親に関しては、障害者手帳を申請するかどうか、という場面で(第10話「涙の申請(リクエスト)」)親だからこその葛藤があったようですね。たむらさん自身はどうお感じになっていましたか。
(「【第10話】涙の申請(リクエスト)」より)
障害者手帳をもらうことについては、私はあまり葛藤なく、それで生活が楽になるなら早くもらった方が良いと思っていました。
ただ、親の方は「五体満足で生まれて、みんなの手を借りて育てた娘が障害者になる」ということを受け入れられなかったようです。それに「自分たちのせいで病気になってしまった……」と考えていたようなので、私に対する申し訳なさから、なかなか申請に踏み切れなかったみたいです。
私の方こそ、五体満足で生まれた体を壊してしまい、申し訳ない気持ちでした。見ているしかない親の方が辛いだろうな……と思いました。
――たむらさんにとって「病気を受け入れる」とはどういうことでしたか?
私にとって「病気を受け入れる」というのは、「こんな病気になる事もあるよな」と納得すること。そして、もう治らないと言われても出来るだけ今よりは良くなりたいと諦めず、でも病気自体は拒否しない(「絶対治る!」と盲信しない)事かな、と思います。
肩の力を抜いて、治る・治らないにこだわらず、うまく付き合って行けるのが理想だと思います。
やりたい事をやった結果が、「前向き」という形になる
――『ふんばれ、がんばれ、ギランバレー!』は、病気の辛さや治療・リハビリの様子がリアルに描かれていますが、常に明るさとユーモアがありますよね。そんなたむらさんの、「“前向き”は無自覚なものなので無理して前向きにならなくてもいい」(『最終話・病が教えてくれたこと』より)という言葉はとても印象的です。
この漫画は、辛いものを辛く描いてしまうと見てもらえないだろうから、アハハと笑って役に立つものを目指しました。私にとってユーモアや笑いは、生活の一部なので、自然とそうなってしまうような気がします。
私は今でも自分が前向きだと自覚しておらず、「前向きになろう」とがんばろうともあまり思っていません。
絵など、どうしてもやりたい事を勝手にやっていた結果、前向きという風になったのだと思います。前向き、後ろ向きなどあまり考えず、目の前の事に(出来れば)少しでも楽しみを見つけて取り組んでいれば、それが“前向き”という形になるのでは、と思います。
「絵は生きがいであり運命であり、自分である」
――第11話「たむら会議」の、医師から「これ以上、症状は良くならない」と告げられてからの脳内会議の場面が印象的でした。「絵を描くことを諦めない」と決意されたとき、どのようなお気持ちでしたか。
(「【第11話】 たむら会議」より)
脳内会議は本当に1日であのような流れとなりました。今まで、小学校の頃から担任の先生に美大を薦められたりもしましたが、家庭の事情で何度も諦めてきました。ですから、時間が有り余るだけあるならこれからは好きなだけ絵が描ける、と嬉しくなりました。
絵の対象は、動物や昆虫、恐竜まで、生き物が多いです。絵は生きがいであり運命であり、自分であるとおもいます。
――第15話「T君との思い出」は、脳障害のあるT君のために絵を描くというお話でしたね。自分のためでなく誰かのために描くということに、どのような思いを持っておられますか?
(「【第15話】 T君との思い出」より)
それまでは自分が描きたい、という欲求を満たすためだけに描いていましたが、自分の好きでやっている事が誰かの役に立った、と実感出来る機会に恵まれて、「本当に生きてて意味があった」「こういう事のために絵が好きだったのかな」と思いました。
これからも、人に喜んでもらえる機会がありましたら、答えられる限りの絵が描きたいですし、おもしろい漫画も描きたいです。
プロフィール
たむらあやこ
2002年に看護師として働いていた中、難病ギラン・バレー症候群を発症。2年ほど寝たきりとなり、医師から一生ほとんど寝たきり宣告をされるも、ピリオドの向こう側に挑戦し続け、手足の感覚が無くとも何とか漫画が描けるようになる。