2017.06.03
特集:記憶と向き合う
河野禎之氏インタビュー「『認知症になりたくない』から『認知症になっても大丈夫』な社会へ」
認知症の人の増加が世界的な課題となっている。高齢化が進む日本では「2025年には5人に1人は認知症になる」とも言われている。そうした中、特に注目されているのが「認知症の人にやさしいまちづくり」というアプローチだ。認知症に対する偏見のない、本人や家族が生きやすい社会づくりに向けてどういった取り組みが必要なのか。筑波大学助教、河野禎之氏にお話を伺った。(聞き手・構成/大谷佳名)
◇「認知症らしさ」に縛られがち
――河野さんは認知症にやさしいまちづくりに関わっていらっしゃいますが、ご専門はどのような研究なのですか。
もともとは臨床心理士として、「もの忘れ外来」などで認知症のご本人の認知機能の検査を行ったり、ご家族のカウンセリングに当たったりしながら研究をしていました。その中で、認知症の症状やQOL(生活の質:Quality of Life)、周囲の環境についてアセスメント(評価)を行ってきました。
僕の臨床心理士としての研究では、認知症による脳の変化に伴ってどんなことができなくなり、どういうことができるのかを評価し、ケアや生活の支援に生かすということをメインで行ってきました。
博論では、「認知症の方がどういう状態や状況の時に転倒しやすくなるのか」をテーマに研究しました。そもそも認知症には大きく分けて二つの症状があります。一つは、記憶力や判断力などの機能が低下する認知機能障害。もう一つは、幻覚や妄想、不安、焦燥、抑うつなどの行動・精神面の症状です。
認知機能や身体機能、あるいは行動・精神面の症状をそれぞれ分析すると、どういった症状や状況によって転びやすいのかが見えてきます。たとえば、視空間認知(目で見た情報を処理する能力)に関わる脳の機能が低下していると、障害物に気づかずに転んでしまう場合がある。
そういった臨床場面での研究を続けるうちに、だんだんと地域やまちづくりを含む社会的な問題にも関心が広がっていきました。
――認知症の人たちが住む地域や、まちづくりについて考えるようになったきっかけはありますか。
臨床研究を行う中で、認知症専門の訪問診療をされている先生にご指導いただく機会がありました。その時に、「病院は二、三ヶ月待ちで一回の診療は30分程度。残りの時間は地域で生活している。その地域のことを知らないで診療の時だけアセスメントをすることに、どれほどの意味があるのか」というようなことを言われたんです。ハッとさせられました。
それからは、訪問診療に同行して認知症の方が住む地域を周るようになりました。そうするうちに、認知症の人たちはたとえ施設に入居していたとしても、その中で生活を完結させるのではなく、自分が住んでいる地域や社会とつながっていたいと思っているんだと、すごく良くわかりました。
――地域で生活されている認知症の方と接する中で、他にどのような気づきがありましたか。
訪問診療に同行しながら、「認知症というだけで、今までどのような差別的な扱いを受けたか」という聞き取り調査を行いました。その時に衝撃的だったのは、救急搬送された病院で「認知症の人は対応できない」と言われ、たらい回しにされたり、「同室の患者さんに影響があるかもしれない」という理由で入院を拒否されたという話でした。入院先で強制的に身体を拘束されたという話も聞きます。医療機関においても、いまだにこういった人権侵害にあたる問題が少なくないのです。
先日行われた国際アルツハイマ―病協会国際会議(ADI)でもこんなことが話題に上がりました。病院で診療が行われている時に、主治医は本人を見ないで家族に「最近の調子はどうですか」と聞くのです。そのうえ、できないことばかりに焦点が当てられ、本人や家族の認識はますます「認知症らしさ」に縛られてしまうことも少なくない。
こういった偏見や誤解をなくしていくためには、やはり認知症の方との直接的なやりとりだけではなく、社会側にアプローチする必要があると強く思うようになりました。
◇認知症は予防できる?
――高齢によるもの忘れと認知症との線引きは難しいのではないですか。
そうなんです。もちろん認知症もある日突然、発症するものではありません。人間の認知機能は生まれてからだんだんと発達していきますが、加齢に伴ってある時期から低下していきます。その低下のカーブが平均的な加齢と比べて著しく落ちていき、日常生活に支障をきたすようになると認知症の可能性があると考えられます。
よく言われているのは、たとえば「昨日は何を食べましたか」と聞かれて、何か食べたけどメニューは思い出せない、というのが加齢によるもの忘れ。一方で認知症の人は、食べたという体験自体を忘れる、という説です。しかし、これはやはり頻度の問題だと思います。認知症の人はたしかに体験自体を忘れることは多くなりますが、日によって忘れていることもあれば、忘れていないこともあるはずです。
ちなみに、認知症を引き起こす主な原因疾患は四つあり、代表的なのがアルツハイマー型認知症、レビー小体型認知症、血管性認知症、そして少数派ですが前頭側頭葉変性症と呼ばれる疾患もあります。原因疾患が違うということは、それぞれ脳の中で起こっていることが違うわけで、当然現れてくる症状も同じではありません。
一般的に言われていることとしては、アルツハイマー型認知症は典型的なもの忘れが目立ちます。レビー小体型認知症は、初期の段階ではもの忘れが目立たない、むしろ視覚的認知の症状、たとえば幻視が見えるなどの症状が特徴的です。「認知症」と一括りにしてしまうと、やはりアルツハイマー型認知症が有名なので、レビー小体型認知症の方の困りごとが理解されない、という問題もあります。
とにかく真に認知症かどうかは、極論としては脳を開いてみない限り分からないのです。最近では予防医学の分野で、認知症の前駆状態にあたる軽度認知障害(MCI)に対するアプローチが研究されていますが、そもそも認知症やMCIの確定診断自体が非常に難しいという現実があります。
――認知症を予防する方法などはあるのでしょうか。
「予防」や「治る」という言葉はセンシティブで、よく考えないといけない問題かなと思います。今、巷では「◯◯をすれば認知症を予防できる」などと盛んに言われていますが、そもそも何をもって「認知症になった」と捉えるのか、何をもって「治った」と言えるのかが非常に難しいのです。
一般的に風邪が治ったと言えるのは、風邪になる前の状態に戻ることを指しますが、認知症の場合は病前と全く同じ状態に戻るということは難しい。ただ、進行を遅らせたり、症状を改善することは可能です。現在処方される認知症の薬は、初期であるほど進行を抑制することが知られています。また、たとえば薬が合わなくて症状が悪化したり、周りから理解してもらえずに鬱になり、より進行が早まってしまう場合があります。それらは、環境的な要因であり、操作できることも多いのです。つまり、その人の認知症としての落ち方をミニマムな状態に抑えることはできる。
――精神的なダメージから認知症がより進行してしまうこともあるんですね。
はい。認知症の方からは「診断直後は絶望だった」という話をよく聞きます。もちろん本人も「認知症」という言葉自体にステレオタイプを持っている方がほとんどなので、「自分はこれから何も分からなくなってしまうんだ」という不安から、診断直後に苦しまれる方が特に多いと思います。あるいは周りから「認知症だからこの仕事は難しいよね」と言って任せてもらえない。いろいろな場面で「前と違う」と違和感を感じるたびに落ち込んでしまい、ますます症状が進行してしまう場合もあります。
――認知症は誰もがなる可能性がある病気ですよね。高齢化が進むにつれ、ますます身近になっていくだろうなと感じています。
最近、「認知症700万人時代がやってくる」と言われていますが、そう聞いた時に一番多いのが「自分はなりたくない」という感想だと思います。なりたくないから、認知症を予防する方法はないか。そう考えるのは悪いことと決めつけることはできませんが、僕はそこから一歩、理解を進めていかなければいけないと思っています。
なりたくないということは、根本的には排除するということにつながっていきます。なりたくないから、線引きをして向こう側に追いやってしまう。そうではなくて、「なっても大丈夫」と思えるように社会を変えていく。周りに「認知症になりたくない」と思っている人ばかりいる社会よりは、「認知症になっても大丈夫。一緒に暮らしていこう」と言ってくれる人たちがいる社会で生きていきたいですよね。
認知症の人が生きやすい社会にするには、医療や介護が充実しているだけでは不十分で、その人を取り巻く環境や地域を改善していかなければならない。こうした考え方は、「Dementia Friendly Community」(認知症フレンドリー・コミュニティ。Dementiaは認知症のこと)と呼ばれ、認知症にやさしいまちづくりのための、世界共通の理念として掲げられているものです。……つづきはα-Synodos vol.221で!
荻上チキ責任編集“α-Synodos”vol.221
1.河野禎之氏インタビュー「『認知症になりたくない』から『認知症になっても大丈夫』な社会へ」
2.細川裕史「ナチスによる大衆扇動と『救い主』の記憶」
3.松田英子「夢はどうやって作られるのか――記憶と睡眠障害のメカニズム」
4.﨑川修「『身振り』としての沈黙――グリーフケアの哲学」
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シノドス編集部
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