2010.07.19
科学政策と参議院選挙
第22回参議院議員通常選挙が終わり、一週間がたちました。民主党の過半数割れという事態が生じていますが、本稿ではその政治的な意味の是非には触れません。「事業仕分け」という一大イベント後、はじめての大規模な国政選挙ということで、その行方には注目していました。
「一番じゃなきゃダメですか?」
もっとも注視した人のひとり、仕分けの立役者ともいえる蓮舫行政刷新担当相は、東京選挙区でダントツの強さをみせての当選をはたしました。毀誉褒貶を受けながらも、結果的に、その功績は好意的に受け取られたといえるでしょう。
彼女を一躍有名にし、本人の著書のタイトルにまでなった「一番じゃなきゃダメですか?」。
この言葉の矛先が向けられたのは、科学研究予算に対してでした。個人的には、彼女がこの言葉に込めて問うた、「国の予算を使ってでも、一番を取らなければならない理由を明確にするべきだ」という点に関しては、国費を使う研究者が心に留めておくべき、重要な指摘だったと思っています。
そんな仕分けでの出来事をよそに、先日の惑星探査機「はやぶさ」の一件もあり、科学研究についてはずいぶんと世論の追い風をうけているように思えます。当の蓮舫氏自身が「はやぶさ」を称え、科学予算の重要さをコメントしたことも報道されています。
日本の「お家芸」ともいえる「無理」
たしかに「はやぶさ」の帰還は快挙でしたし、運用担当者の機知や努力は賞賛に値すると思います。それでも、「はやぶさ」自体は故障に故障を重ね、当初の予定していた運用から考えれば、その達成状況はいまひとつだったといえるでしょう。
4発のロケットのうち3発は故障し、小惑星イトカワの粉塵を回収するために射出された弾丸の状況も、リアルタイムでモニターすることができませんでした。ミッションの途中ではこうした事実が報道されたものの、いざカプセルの帰還という段になると、マスメディアでは失敗すらも美談に組み込まれてしまいました。
そもそも、打ち上げ当初から、このロケットの設計自体には無理があったといいます。かつて宇宙機構の的川泰宣名誉教授が朝日新聞の取材に答え、「ロケットの能力の都合上、はやぶさの重量は500キロが限界だった。確実性をとって二重の系統を用意すると、他の観測機器を下ろさないといけない。結果的に設計に無理があったかもしれない」と語っていました。
こうした「無理」は日本の「お家芸」ともいえるもので、冗長性を無視してあれもこれもと要求、仕様を追加し、結果として元も子もなくなってしまいます。マニアックな例えですが、的川さんのコメントは、ロンドン海軍軍縮条約下で、小型艦船に過大な性能要求を課した結果発生した、旧帝国海軍の「友鶴事件」を思い起こさせました。
失敗を検証することから進歩がはじまる
研究とは失敗するものであり、失敗を検証することから進歩がはじまります。
マスメディアや科学コミュニケーションがしなければいけないことは、はやぶさの帰還を賞賛すると同時に、失敗がもつ意味をきちんと説明することです。あえて誤解を招きかねない言葉にすれば、「はやぶさ」は帰還すれども失敗だった、と語る方がよかったのではないかとすら思います。
科学は失敗をするものであること、そして失敗することが、決してたんなる予算の損失ではないことを市民に告げる機会であったはず。マスメディアとも共同し、それを理解してもらう言語や方法を模索していかなければ、いつまでたっても「一番じゃなきゃダメですか?」に応える方法はみつからないのです。
科学政策の選択と集中を
今回の選挙にあたり、毎日新聞社が科学技術政策についても項目を設けて、各政党へとアンケートを実施していました。
みんなの党を除く8党から回答があったそうで、各党とも科学技術や大学予算の増額にはおおむね前向きな姿勢を示す内容に落ち着き、正面きって科学予算へ批判的な視点を向けている政党はありませんでした。
事業仕分けの後でさえ、総花的に似通った内容になってしまうということは、日本の政党の科学政策に対する問題意識はこの程度のものだったということもできるでしょう。たしかに、現在の国民生活を考えれば、科学技術政策よりも優先されるべき課題はたくさんあります。声高に科学政策を訴えたところで票にならないのももちろんですし、美談を褒めたほうが市民の共感は呼ぶでしょう。
それでもこれまでの選挙と比べれば、マニフェストやアジェンダにそれなりの記述が織り込まれていたのですから、科学に携わる立場からみれば格段の進歩といえます。だがこんな内容で実際に予算化ができるのか、きわめて疑問です。研究者当事者としては辛い話ですが、日本の財政が研究に対して無制限に資金を投入できる状況ではない以上、政策立案の側からは、ある程度の選択と集中を行う主張があってしかるべきです。
国民を巻き込んだ科学振興政策を
6月19日、科学技術政策担当大臣名で発表された『「国民との科学・技術対話」の推進について』のなかで、年間3000万円以上、国から研究資金を獲得した研究者に対し、一般向けの講演会や、小中学校での出前授業などを義務化する方針が示されました。
これまで、公的な研究費獲得者に対する評価軸は、論文や特許などの研究に関わる内容が大部分を占めていた。今後はこれに、一般人向け講演会や小中学校出前授業などの活動実績が加わることとなります。
もはや行政も、ただお金を配分するだけでは科学振興は困難であり、国民を巻き込みつつ政策を策定していかなければならないことを認識しはじめているのです。
「良心の府」参議院に期待すること
ここ何年間かにわたって、参議院の「ありかた」についても様々な意見があるといいますが、国民は参院について、政党化によるたんなる合従連衡を望んでいないのではないでしょうか。
書生論との謗りは承知のうえで、ぜひかつての「良識の府」という異称に立ち返り、任期も長く解散もないといった利点を生かし、科学や文化・芸術などの政策を審議・策定する場として、議論や関心の掘り起こしをしていただきたいと思います。
また、科学コミュニティも、その論議に耐えうる情報の発信のありかたを模索していかなければならないでしょう。
政策提言する新しい科学研究者像
これまで、日本においては、科学研究に携わりながら政治に接点をもつ研究者には、快い視線は注がれませんでした。
しかし、各政党が多少なりとも科学政策へと言及するようになった現状から、研究者という立場から政治へと提言する人が増えるべきですし、逆に、科学研究に批判的な立場からの政策提言をする人も増えてしかるべきです。
筆者としては、萌芽的研究や基礎的な研究に対する研究費こそ、国が主導する予算で行うべきであると考えますが、それについても賛否両論はあるでしょう。そうした対立軸が明確になることで、はじめて政策論議を行うことができます。「愛の反対は無関心」、という言葉がありますが、そもそも関心をもってもらえなければ、争点にもならないのですから
推薦図書
本文で「科学政策」を国政選挙の争点を触れましたが、一足飛びにそれを達成することは難しいでしょう。本書はその前段階として、市民参加によるいわゆる「テクノロジー・アセスメント」をどのようにして促進するか、を考察し、市民参加イベントとして日本で初めてコンセンサス会議を主催した立場から、その実践を記したユニークな本です。市民参加をどのように達成し、いかに社会に定義していくかを探るヒントとなる一冊だと思います。
プロフィール
八代嘉美
1976 年生まれ。京都大学iPS細胞研究所上廣倫理研究部門特定准教授。東京女子医科大学医科学研究所、慶應義塾大学医学部を経て現職。東京大学大学院医学系研究科博士課程修了、博士(医学)。専門は幹細胞生物学、科学技術社会論。再生医療研究の経験とSFなどの文学研究を題材に、「文化としての生命科学」の確立をを試みている。著書に『iPS細胞 世紀の技術が医療を変える』、『再生医療のしくみ』(共著)等。