2010.07.30
年金の半減か、消費税の増税か。その両方だ。
税金を引き上げるといって、選挙に勝てるはずがない。去る7月11日の参院選で民主党を敗北に導いた原因は、やはり菅首相の消費税増税発言であったようだ。
消費税という躓きの石
「自民党が10%という案を出されている。参考にさせていただきたい」(6月17日)。「消費税を上げないで済むならそうしたいが、2,3年でギリシャのようになる。ギリシャが最初にしたのは、年金カットだ。そういう事態は避けたい」(6月24日)、等々。菅首相は今回の選挙で、消費税増税の論議を積極的に誘導した。
ところが選挙の結果はみごとに惨敗。朝日新聞社の取材によると、民主党の都道府県連幹部たちの過半数は、敗北の原因を「首相の消費税10%発言」であった、とみなしているという(『朝日新聞』7月20日)。
消費税をめぐる見解は、民主党内でも割れていた。小沢一郎前幹事長は、選挙期間中から、菅首相の発言を公然と批判した。民主党は昨年の衆院選で、消費税を上げないと約束したのだから、ピンチヒッターとして政権を委任された菅首相は、その約束を守るべきだというわけである。
この小沢の主張にも一理あるだろう。二大政党制にとって桎梏となるのは、マニフェストの貫徹だ。なによりも民主党がひとつの政党として、一貫していることが大切となる。
菅首相としては、野党の自民党が消費税の増税を唱えているのだから、民主党が増税論議を提起しても、選挙で負けないだろうと踏んだにちがいない。驚くべきは、自民党の選挙戦略だ。増税を掲げても、得票を伸ばせるというその発想は、周到なシナリオをもっていたように思われる。
選挙戦術に関するかぎり、自民党や、小沢一郎の知恵の方が、まさっていた。そもそも、選挙前の6月下旬の調査では、消費税を最大の争点と考えた人は、19%に過ぎなかった(『朝日新聞』6月28日)。この時点での菅内閣の支持率は48%であったから、かりにもし消費税を争点化しなければ、民主党は参院選に勝てたかもしれない。ところが民主党は、自民党の挑発を受けて、否応なく消費税を焦点化させられてしまった。
長期政権化か、それとも経済危機か
では消費税の増税はいかにして可能なのか。おそらく次のふたつの状況のいずれかが生まれたときであろう。
ひとつは、民主党が4年以上の安定政権を維持できそうな場合。政権が安定すれば、内閣は大きな改革に着手できよう。もうひとつのケースは、日本経済が深刻な危機に晒されて、円や株や国債などが大暴落する場合。経済危機が訪れれば、ギリシャ政府がそうしたように、日本政府は財政の健全化を迫られよう。消費税増税を促すこれらふたつのシナリオのうち、どちらが現実的かといえば、「日本経済の危機」ではないだろうか。
ただし世界の経済情勢からすると、日本経済はしばらく持ちこたえそうである。最近の異常な円高は、日本経済への信任を示している。海外では景気回復への先行き不安から、投資家たちによって日本の円や国債が買われている。どうも世界経済の先行きが不透明になると、投資家たちは安定した資産を求めて、日本の円と国債を買う傾向にあるようだ。有事のドルではなくて、有事の円という傾向が定着している。
日本経済は危機に陥ったほうがいい?
超低金利の円をベースにして資金を調達し、それを利回りの高い海外の株や債権で運用する。こうした投資家たちの行動傾向がつづくかぎり、日本政府は莫大な財政赤字を抱えても、経済のパフォーマンスを悪化させることはないだろう。すると皮肉なことに、日本政府は少しでも円安を導くために、財政赤字を増大させなければならない、ということになってしまう。
1970年代のアメリカも類似の状況にあった。強いドルに支えられて、アメリカは莫大な財政赤字をためこむことができた。それが深刻な危機に陥るのは、80年代の後半になってからのことだ。幸いにしてアメリカは、IT産業革命によって財政危機を乗り越えたが、同じく財政危機に陥ったスウェーデンは、同時期に、年金支給額を実質半減させるという荒治療を断行している。
では日本政府は、いかにして財政危機を乗り越えるのか。消費税の増税か。それとも年金の半減か。急がなければ、その両方を断行しなければならない日が来るだろう。逆説的だが、日本経済ははやく危機に陥った方が、傷口が小さくてすむといわねばならない。
推薦図書
日本経済は危機に陥ったほうがいい。それを機会にもっとよい社会を構築することができるからだ。この発想はしかし、マルクス的な資本主義批判によく似ている。マルクス主義によれば、大恐慌が来れば、人びとは資本主義の体制にうんざりして、社会主義の社会を建設する気になる。同様に、経済の危機が来れば、人びとは政府の財政赤字にこりごりして、もっと健全な政府を構築する気になる、と考えられるだろう。
経済危機を待望する、というこの発想に、合理的な根拠がないわけではない。ダニエル・カーネマンのピーク・エンド仮説によれば、人びとの苦痛度の経験は、ピーク時の苦痛度と、過程のエンド(最後)の段階の苦痛度に依存するという。全体として苦痛の量が多くても、最後の段階の苦痛度が小さければ、あまり苦痛の印象は残らない。反対に、全体として苦痛の量が少なくても、最後に苦痛のピークが来れば、人は結果として、それを大きな苦痛であると感じてしまう。つまり苦痛の印象は、苦痛のピークとエンドに依存する、というわけである。
このピーク・エンド仮説を応用すれば、消費税の増税と年金制度の改革は、最初に大胆な断行を行って、その後に小さな改革(若干の増税と年金減額)を繰り返すことが望ましい。最初の苦痛が大きくても、最後の苦痛が少なければ、それが最善の対処法となるからである。
本書は、カーネマンの仮説を含めて、経済と感情の関係について、最近のさまざまな研究を分かりやすく紹介した入門書。経済は、感情で動く。もちろん政治も、感情で動く。ならば人びとの感情をうまく操ることが、諸政策に課せられた課題ではないだろうか。
プロフィール
橋本努
1967年生まれ。横浜国立大学経済学部卒、東京大学総合文化研究科博士課程修了(学術博士)。現在、北海道大学経済学研究科教授。この間、ニューヨーク大学客員研究員。専攻は経済思想、社会哲学。著作に『自由の論法』(創文社)、『社会科学の人間学』(勁草書房)、『帝国の条件』(弘文堂)、『自由に生きるとはどういうことか』(ちくま新書)、『経済倫理=あなたは、なに主義?』(講談社メチエ)、『自由の社会学』(NTT出版)、『ロスト近代』(弘文堂)、『学問の技法』(ちくま新書)、編著に『現代の経済思想』(勁草書房)、『日本マックス・ウェーバー論争』、『オーストリア学派の経済学』(日本評論社)、共著に『ナショナリズムとグローバリズム』(新曜社)、など。