2010.10.18
ベルリンの壁崩壊から20年 ―― 地域住民の明暗
ドイツ統一の苦悩は続く
10月3日は冷戦時代に約40年間分断されていた東西ドイツの統一記念日であり、20周年の節目となる今年は、首都ベルリンはもとより、ドイツ各地でさまざまな記念行事が行われ、統一を改めて祝した。フランクフルトの祝典には、冷戦終結を決定的にしたソ連(当時)最後の大統領であったゴルバチョフも参列したという。
しかし、ドイツの統一は現地住民にとっては必ずしもバラ色ではなかったようだ。
旧東独地域では、統一後に冷戦時代の秘密警察などの文書が公開され、じつは自分の近しい友人・知人、ひいては家族などが自分のことを密告していたことを知り、ショックを受ける人が続出するなど、生活の変化だけでなく、精神的にも大きな衝撃を受けた人びとが多かったそうである。
とはいえ、旧東独地域では、統一後に交通、道路、学校、病院などを含むさまざまなインフラ整備が進み、居住環境が良くなり、最近では人びとの生活やメンタル面でも安定が生まれてきたという。
しかし、東西の経済格差はまだ大きく、旧東独の国営企業やさまざまなシステムの解体が旧西独主導で進められ、経済や社会、生活の激変を強いられたこと、加えて政治や経済のエリートのほとんどが旧西独地域の出身者で占められていることなどでも旧東独サイドの住民の不満は募っており、統一記念日前日の2日には資本主義に反対する抗議行動なども発生していた。
そして、旧東独サイドでは旧西独サイドと比べ、失業率も高く(約11%で旧西独地域の約2倍)、収入も低い(旧西独地域の約8割)ことから、厳しい生活を強いられる傾向があり、今でも旧東独サイドから豊かな旧西独サイドへの人口流出はつづいている。
他方、旧西独サイドの住民も統一には複雑な感情をもたざるをえないようである。
旧東独地域の復興、発展のために、旧西独から莫大な資金が投じられてきた。その額はこれまでで約1兆6千億ユーロ(約180兆円)といわれるが、政府は最短でも2019年まで支援をつづけると主張している。しかし、旧西独住民はすでに支援に疲れ切ってしまっており、旧東独地域支援の財源となる「連帯税」を継続するか否かについて、最近の世論調査によれば、8割近くが反対を表明したという。
統一直後は、「統一」の喜びが支援する気持ちを支えてきたが、その負担の大きさや東西統一による治安の不安定化(旧東独出身の犯罪者が多いとされる)など、喜べない側面のほうが強く感じられてきているようである。
このように、ドイツ統一の苦悩は今でもつづいている。
他地域でも
冷戦後の変化に苦悩を感じているのは、ドイツだけではない。旧社会主義国の多くで、社会主義時代の近しい人びとの裏切りで人間不信になったり、経済移行の荒波で苦しんだりしたようであるが、欧州連合(EU)に加盟した諸国においては、今ではその痛みも一過性のものとして考えられる傾向が強いという。
しかし、政治や経済の移行がうまく進んでいない国、とりわけ旧ソ連や旧ユーゴスラヴィアでは共産党時代を懐かしむ声も多く聞かれる。たが、その傾向は、いわゆる「勝ち組」や共産党時代を知らない若者については当てはまらない。
「勝ち組」とは、市場経済化の恩恵を受け、巨額の富を蓄えたごく一部の層である。とくに、旧ソ連のロシア、カザフスタン、アゼルバイジャンなどの資源保有国は、資源や2000年代の油価の高騰などにより目覚ましい経済発展を遂げた。アゼルバイジャンでは経済成長率が数年連続で世界一を記録し、ロシアも大国の威信を取り戻すなど、その経済成長の規模はきわめて大きい。
しかし、そのことで国民が皆、豊かになったと考えるのは大きな間違いである。国家レベルでは経済的に成功しているようにみえても、その巨額の富は国民の1%未満に牛耳られているという。ロシアではそのようにソ連解体後に経済的に成功した人々を「新ロシア人」、「新興財閥」などと呼ぶこともある。
逆に一般市民は、以前より厳しい生活を強いられることのほうが多いといわれる。なぜなら、国家の経済規模が拡大することで、インフレーションが顕著に進行する一方、国民の収入はさほど変わらず、失業も高いままであり、生活はむしろ以前より厳しくなっている場合が多いのである。
共産党時代へのノスタルジー
他方で、一般住民の共産党時代へのノスタルジーはかなり頻繁に耳にする。
たとえば、冷戦終結の立役者とされるゴルバチョフ氏。日本を含む、世界で「ゴルビー」と呼ばれ、大変な人気を博し、ノーベル平和賞も受賞した。しかし、旧ソ連ではその評判は最悪である。旧ソ連の人びとの多くは、ソ連という「超大国」に大きな誇りを抱いていた。そのため、その誇りである大国を分裂させたゴルバチョフは「墓掘り人」と蔑まれる場合が多い。
ソ連末期にソ連各地で発生した民族紛争に対しても間違った対応をしたとみなされる場合が多く、たとえばアルメニア人と紛争を抱えるアゼルバイジャン人は、ゴルバチョフ夫妻がアルメニア人を支援したとして、同夫妻を激しく批判しており、1999年にライサ夫人が亡くなった際にはアゼルバイジャン人の多くがお酒やダンスを伴ってその死を祝ったと聞いているほどだ。
また、多くのソ連時代を知る人びとが「ソ連時代はよかった」という。かつては、もちろん物が不足し、つねに行列を強いられたり、さまざまな統制はあったとはいえ、生活に必要なものは政府がすべて保証してくれていた。
住居は万人に与えられ、集中暖房やお湯の供給も保障されていた。教育、医療、福祉は無料で供与され、必需品には多くの補助金もつけられていた。長い休暇を享受し、安価な保養施設なども充実していたし、別荘をもつ者も多く、別荘で野菜や果物を栽培する者も多かった。
そのため、ソ連時代は、つつましいながらも、充実した生活が保障されていたと多くの人びとが懐かしんでいる。他方、現在ではすべてのものに多額のお金がかかるようになり、さらに、低収入の官僚や警察、医師などが賄賂を要求するなど、悪循環で一般市民の経済状況が悪くなっている。
ソ連時代には99.9%と言われた識字率も年々下がり(なお、中央アジアなどは逆にソ連誕生前の識字率はきわめて低かったことから、高識字率の達成はソ連の偉業のひとつといわれている)、90%に届かない国が増えてきた。
貧しさ故に医者にかかれない人や、生活の苦しさ故、アルコールに逃げ道を求める人も多く、死亡率も上がってきている。日々の生活そのものに困窮を覚える人もきわめて多い。
共産党時代へのノスタルジーは旧ユーゴスラヴィアでも強く、資源や産業に恵まれず、小国になってしまったマケドニア、モンテネグロや、紛争の解決がいまだになされておらず平和構築途上にあるセルビアやボスニア・ヘルツェゴヴィナなどでも頻繁に聞いた。かつては民族が融和で平和的であっただけでなく、国の規模が大きかったので、経済的にも豊かであったことへのノスタルジーはかなり強いようだ。
とくに、「民族を抑圧していたソ連は解体して良かったが、母語や文化など民族の自由が保障されていたユーゴスラヴィアは解体するべきではなかった」という声をよく聞いた。また、連邦が解体したことにより、経済的に貧窮するようになっただけでなく、小国も軍隊をもたねばならなくなったことで徴兵負担が増したことへの苦情も頻繁に聞いた。
さらに、旧ユーゴスラヴィアでは、解体が欧米によって意図的に行われたという意識をもっている人も多い。とくに、2006年に、旧ユーゴスラヴィアの継承国となっていたセルビア・モンテネグロという共同国家から、国民投票によって51%の僅差でセルビアからの独立を決定したモンテネグロでは、欧米に無理やり独立させられたという考えをもっている人も少なくないという。
たとえば、「モンテネグロ人の多くは、セルビアとともに歩んだほうが豊かであると感じ、セルビアとの共同国家の維持を志向していたが、反セルビア意識が強く、セルビアをより弱小国にしたい欧米が海外に住む投票権のあるアルバニア人を多数連れて来て、51%という僅差の独立賛成を導いてしまったのだ。さらに欧米諸国はセルビアからコソヴォも独立させて、セルビアを極力刈り取ろうとしている」と述べる人もいた。
これらは筆者が実際に現地で聞いた話であるが、もちろん、全員がそういう意識を共有しているわけではないし、西側への見方については被害妄想的なものが背景あることは否めまい。しかし、旧ユーゴスラヴィアでも連邦解体を歓迎しない人びとが少なくないことは、明らかにいえるだろう。
歴史に「if」はない
このように、冷戦終結がもたらした旧東側地域(ドイツの場合は西側も含む)への衝撃は、わたしたち日本人が想像する以上に厳しいものであった。共産党時代を懐かしむ声は決して少なくない。
しかし、それでは旧東側陣営が維持されていたら、今、彼らが幸せだったのか、ということを議論するのは無意味だ。歴史に「if」は禁物であり、冷戦終結後の世界における、彼らのよりよい生活と平和と安定を確保するためには何をするべきなのかを考え、行動していくことが重要である。「冷戦終結万歳」ではなく、その後のよりよい世界構築について、今一度考えるべきときだろう。
推薦図書
本書は、元ベルリン市長、そして統一ドイツ初代大統領のヴァイツゼッカーが、ドイツ統一のプロセス、現状、そして未来展望についてのべたものであり、先月末に出版されたばかりだ。まさにドイツ統一20周年を迎える今こそ、ドイツ統一の意義や問題、そして今後、ドイツや国際社会はどのようにふるまうべきなのかということを再検討すべきときであり、本書の意義は極めて高い。
共産党時代から現代にいたるまでの生きた現代史から学べることはとても興味深く、また実際に現場でドイツ統一を進めてきたヴァイツゼッカーのメッセージにはとても重みがある。旧共産圏の過去を振り返り、そして今後の発展をうながすためにもぜひ読んでいただきたい一冊である。
プロフィール
廣瀬陽子
1972年東京生まれ。慶應義塾大学総合政策学部教授。専門は国際政治、 コーカサスを中心とした旧ソ連地域研究。主な著作に『旧ソ連地域と紛争――石油・民族・テロをめぐる地政学』(慶應義塾大学出版会)、『コーカサス――国際関係の十字路』(集英社新書、2009年アジア太平洋賞 特別賞受賞)、『未承認国家と覇権なき世界』(NHKブックス)、『ロシアと中国 反米の戦略』(ちくま新書)など多数。