2018.10.18
『ヴァンサンへの手紙』――フランスと日本、ろう文化の現在地
2018年10月13日よりアップリンク渋谷で公開がはじまった映画『ヴァンサンへの手紙』。130年間にわたる手話の禁止が解かれてまもなく8年。フランスのろう者たちの姿を撮影した本作はモントリオール国際映画祭ほか世界各国の映画祭で上映され、ろう者たちの強い共感と圧倒的な支持を得た。
ろう文化の現在地について、レティシア・カートン監督と国立障害者リハビリテーションセンター学院手話通訳学科教官、NHK手話ニュース845キャスターの木村晴美氏に語ってもらった。(聞き手 / 牧原依里、文 / 大久保渉)
《作品紹介》
友人のヴァンサンが突然に命を絶った。彼の不在を埋めるかのように、レティシア監督はろうコミュニティでカメラを回しはじめる。美しく豊かな手話と、優しく力強いろう文化。それは彼が教えてくれた、もう一つの世界。共に手話を生き、喜びや痛みをわかちあう中で、レティシア監督はろう者たちの内面に、ヴァンサンが抱えていたのと同じ、複雑な感情が閉じ込められているのを見出す。
「ろう者の存在を知らせたい」というヴァンサンの遺志を継ぎ、レティシア監督が完成させた本作は、ろう者の立場に徹底して寄り添いながら、時に優しく、時に鋭く、静かに、鮮やかに、この世界のありようを映し出す。
かけがえのない友のための映画
――木村さんは市田泰弘さんと共に1995年に「ろう文化宣言」(※1)を発表し、「手話は言語」であり「ろう者にはろう文化がある」ことを日本社会に知らしめました。そうした経歴をお持ちの木村さんから見て、本作はいかがでしたか?
木村 ろう者の内面をとてもよく映していると思いました。自分の過去と重ね合わせましたよね。どのエピソードも共感しながら拝見しました。そしてこの映画を聴者である監督が撮影・編集してつくった。その眼差しが非常に斬新だと思いました。
レティシア 実は、私は映画の撮影中は、聴者がろう者の共同体を観察するというよりは、そうした違いを忘れて、ただ親しい友人と一緒にいる感覚でカメラを回していました。もともと映画の製作のために知らない世界に入っていったわけではなくて、ヴァンサンと友人になって、ろう者たちと親しんでいくうちに、「彼らのことを社会に知らせたい」と。そう思ってこの映画をつくることにしたんです。映画を完成させるまでの10年間、ろう者たちと親しい関係はずっと続いていました。
木村 レティシア監督はフランス手話を流暢に使い、ろう者の生活や習慣を全部受け止める姿勢があります。だから、ろう者の皆さんが監督をあれほど歓迎していたんだと思います。
レティシア ろう者を記録したドキュメンタリー映画に『音のない世界で』(1995年/フランス)という作品があります。私はあの作品が好きですが、あちらは聴者目線でろう者の共同体を撮影しています。うまくいかないことや失敗した様子など、ろう者を被害者として捉えているところがあります。
だけど私の映画は、ろう者の喜びや葛藤を彼らと共に感じながら、ろう者の共同体を内側から撮影しています。本作を見たろう者たちから「自分たちが伝えたいことがこの映画には映っている」という嬉しい感想を頂けるのは、そうした違いがあるからかもしれません。
根強く残る「口話>手話」
――本作をどんな人たちに見てもらいたいか、木村さんはどう思いますか?
木村 ろう教育に携わる専門の先生たちには是非見てもらいたいですよね。今は昔と違って、手話が使えるろう学校が増えています。ただ、いざその手話教育の中身を見てみると、「声を付けながら手話をしなさい」「日本語を獲得するために声も出しなさい」という、結局は口話(音声日本語)を重視する指導が未だに根強く残っています。それでも対外的には「うちの学校では手話を教えています」と言う教師たちが多くいます。まだまだ手話教育が浸透していない現状が日本にはあります。
また、ろう者の教員の採用は以前よりだいぶ増えましたが、たとえば幼稚部に手話で子どもたちとやりとりができる先生が配属されたとします。そうすると聴者の校長先生が「その状況はよくない」と言って、その先生を中学部に異動させます。それで幼稚部には口話をする聞こえない先生を配属します。そうしたトラブルがこの間埼玉のろう学校でありましたよね。
――手話を言語とするろう者のアイデンティティの戦いは、今も社会の中でずっと続いています。大学でろう教育の免許状をとる際に学生がこの映画を必ず見るというカリキュラムが組まれたらいいのですが。ちなみに、フランスでこの映画が教材として扱われたことはありましたか?
レティシア 少しだけ。ただそれはあくまでろう教育に関心の強い先生個人によるイニシアチブで、国として授業に取り入れられるという動きは残念ながらありませんでした。私の方でも国民議会で上映会を催す試みをしてみたんですけど、対象となる全議員のうち来てくれたのは僅か三人だけでした。彼らは非常に忙しいですから、端的に言えば、移民や環境汚染の問題に比べてろう者の問題については興味を持たなかったんだと思います。ろう者がデモ行進を行ってもマスコミは誰一人記者会見に来ませんでしたから。こうなることはだいたい分かっていました。
木村 日本と比べて、フランスは社会福祉が進んでいるイメージがあったので、それは少し意外でした。日本の場合は、社会福祉自体はそれほど進んでいませんが、ろう者に関してはそれなりの支援が行われています。
レティシア フランスはハンディキャップを持った人に対する給付金制度のようなものはありますが、たとえばろう児のためのバイリンガル校設立のための資金的援助などはまだ成されていません。日々の暮らしのための助けはあっても、ろう者が学校に通って、そのあと学業を続けたり、仕事に就いたり、社会の中で暮らす、人間として成熟するための助けというものは足りていない現状があります。そこは大きな問題だと思います。
ろう者の使う手話と聴者の使う手話
木村 私が「ろう文化宣言」を出した当時からまだ解決できていないと思う問題は、聴者が手話を学ぶ時に、「声付きの手話」を使うことが当たり前になっている点です。手話を指導する聴者の一部は、ろう者はキレイな音声日本語が話せないから声を止めて手話で話してもいい。だけど聴者は声が出せるんだから、手話をやる時も声と手話とを同時にやりなさいと指導しています。
手話言語法が制定されて、日本全国に手話が広がる中で、議員さんたちが「私は手話ができます」みたいなことを言うわけですけど、彼らがやる手話も声付きの手話です。手話に関心を持ってもらえることはとても嬉しいのですが、ただやっていることは聴者のための声付きの手話の普及です。それをネイティブのろう者の手話と同じだと思い込んでいる人もいます。
ろう者には「日本手話」(※2)があります。世界の手話の状況を見ると、海外の手話通訳者は皆それぞれが各国の、ネイティブのろう者の手話を使いこなしています。だけど日本はまだまだなんです。ほとんどの人がネイティブの手話ではなくて、音声日本語の文法をもとにした「日本語対応手話」を使っています。ろう者の手話への無理解が依然として起きています。
レティシア フランスでは、手話を使う人は皆ネイティブの手話で話します。もちろん手話通訳者も同じです。なので、今仰ったような音声言語と共に使う手話、「〇〇語対応手話」という言葉自体がフランス語にはありません。もしそうした手話を使う人がいたとしても、それは「手話が下手な人」、そうとしか捉えられません。
そもそも日本で手話を教えているのは誰なんですか? フランスで手話を教える人はろう者です。なので、ネイティブの手話しかありません。
木村 日本では、ろう者も教えますが、その場には聴者もいて、ペアになって教えることが多いですね。ろう者は声を出さないで手話をして、その横で聴者が声を出しながら手話をします。ですから、教わる方としては混乱しますよね。いわゆるダブルスタンダードだと思うんです。そうなると、聴者の受講生は自然とろう者の手話ではなくて、聴者の声付きの手話に馴染んでしまうんです。
レティシア フランスでは手話の授業をする際に、「絶対に声を出してはいけない」と生徒に言います。手話だけで話します。聴者の生徒とろう者の先生が一緒に組んで勉強するのが手話を覚える方法として一番いいとずっと言われています。
ですから、今の木村さんのお話を聞いて、いかにフランスの手話の状況が恵まれたものだったのかということに気が付きました。フランスでは99%の学校で、ろう者が先生として手話を教えています。映画の中でもステファヌが聴者のクラスを指導していたと思います。あれがフランスの一般的な手話の授業です。
木村 日本では非常に珍しい光景ですね。私が教えている手話通訳学科ではフランスと同じような授業を行っていますが、一般的な地域の講習会ではろう者と聴者が教える授業が主流です。なので、手話通訳者がろう者の手話を正しく読み取れない、間違って読んでしまうという事態も多く起こっています。
レティシア 国が認めた国家資格みたいなものはないんですか?
木村 国家資格はないですが、「手話通訳士」という厚生労働大臣認定の資格はあります。1989年から資格制度がスタートして、今では3600人くらいの手話通訳士がいます。ただ、その中でろう者の手話が使える人は10%にも満たないと思います。官邸の記者会見、ニュースに付く手話通訳もほとんどが日本語対応手話ですし。困ったものです。
レティシア テレビのニュースもですか?
――そうですね。ろう者の中には手話通訳士の手話よりも、むしろ日本語字幕を見た方が内容をよく理解できるという人もいます。
木村 日本語が割とできる若いろう者であれば、なんとかその手話に耐えられるかもしれません。ですが、そもそも日本語の読み書きが苦手な年配のろう者には内容が全く伝わりません。かつて手話ニュースは聴者の手話通訳者ばかりの時期がありました。今はろう者のキャスターに変わってきています。
ろう者の教師
――フランスで手話を教えるろう者の教師の数は多いんですか?
レティシア ろう学校で子どもたちに手話を教えるろう者の先生の数は非常に少ないです。バイリンガルの学校自体が少ないので、なりたいという人は多いのですが、そこまでポストがありません。
ステファヌの場合は、今は主に聴者の生徒に手話を教えていますが、以前はろう児に手話を教える仕事を探していました。その時に唯一見つけた仕事は、インテグレーション教育の学校の中でろう児に週二時間手話を教えるというものでした。その子はそれ以外の時間、たった一人で聞こえる子ども達に囲まれて過ごさなければならないという状況だったそうです。
映画の中でも、バイリンガル学校に移ったテオの母親のミッシェルさんが、二年間に渡って以前の息子の学校にバイリンガルクラスの新設を働きかけたけれども拒否されたという話が語られました。ろう児のための支援の場というものが、今のフランスでは本当に足りていないと思います。
人工内耳とインテグレーション教育
レティシア フランスでも状況はほぼ同じです。パリやトゥールーズのバイリンガル学校を除く地域では、高い割合で人工内耳をつける子どもが増えています。日本の場合は人工内耳をつけた子どもたちはろう学校に入るんですか?
木村 ろう学校に入る子もいれば、一般の学校に入る子もいますね。人工内耳は100%聞こえるようになるわけではなくて、術後のケアが重要になるので、私はろう児はろう学校に在籍して、まず手話で周りとのコミュニケーション方法や教育を学んだ方がいいと思っています。
レティシア フランスでは、人工内耳の手術を受けた子どもたちはインテグレーション教育により、一般の学校に通う子が多くなっています。フランスにはバイリンガル校が二つしかなくて、またろう学校も減ってきているので、ろう児が手話で教育を受けられる場は減ってきています。
ろう者を取り巻く社会の変化
――かつてろう者を描いた『音のない世界で』から25年の時が経ち、ろう者を取り巻く社会の変化について、何か感じたことはありますか?
レティシア 変化はもちろん沢山あったと思います。そうでなければ私たちはもうずっと落ち込んで、絶望していたはずです。
まず技術的な革新があり、コミュニケーションが飛躍的にとりやすくなりました。インターネットやショートメール、ウェブカムで話すこともできます。ろう者にとって発言しやすい環境が生まれたことは本当に喜ばしいことだと思います。
また、まだそこまで大きな変化ではないのかもしれませんが、やはり手話は以前よりも目に見える形で社会の中に存在してきていると思います。一般の保育園で聴者の赤ちゃんに手話を教えるという動きが活発になっている話も聞きます。
木村 聴者の意識の中で、以前と比べて、ろう者への差別意識は薄まったと思いますか?
レティシア そう思います。そこまで前からではありませんが、確実に、少しずつ変化していると思います。
日本で木村さんが「ろう文化宣言」を発表されて、センセーショナルを巻き起こしたように、私の映画の中で描かれたろう者たちの活動も、フランス社会に何かしらの変化を与えていると思います。
ただそうは言っても、今はテレビなどで手話が映る機会が増えていますし、手話教育が広く普及していると思っている人もいるみたいですが、実際はまだまだそうではない。ひどい状況が沢山あります。私は本作でそうしたことにもカメラを向けています。日本で『ヴァンサンへの手紙』がどう受け止められるのか。その感想を楽しみにしています。
――木村さんは「ろう文化宣言」を発表されてから今日まで、どんな変化を感じていますか?
木村 先ほども申しましたが、日本語対応手話の問題は未だに根強く残っています。それから、皆さんはレゴランドをご存知ですか? 名古屋に出来たテーマパークなんですけど、あそこにろう者が入場しようとしたら「危ない」という理由で係員から拒否されたそうなんです。そういうことがまだあるので、聴者によるろう者への無理解はまだ沢山あるのではないかと思います。
レティシア 何が「危ない」んでしょうか?
木村 ろう者には分かりませんよね。
レティシア フランスでも、ろう者の団体旅行のお客さんが聴者の付添人がいないからという理由で飛行機の搭乗を拒否された出来事がありました。あの時は国内でだいぶ議論になりました。
木村 日本でも旅行のツアーに申し込む時は、ろう者だけではなくて「聴者を同伴で」と言われる場合があります。
――ろう者への無理解はまだ多くありますよね……。
木村 ただそうした中で、今回『ヴァンサンへの手紙』をフランスから買い付けた牧原さんのように、ろう者のアイデンティティをしっかりと持って、自ら行動する、発信するろう者が現れてきたということは、非常に喜ばしい変化だと思います。
「ろう文化宣言」を発表した当時は痛烈な批判も受けましたが、今こうして若いろう者たちの活動にささやかな影響を与えることができたのであれば、それはよかったなと思います。本作を機に、ろう教育を変える。レティシア監督と、牧原さんと、私と。我々の共通の目標として、今後も頑張っていけたら嬉しいですね。
(※1)「ろう文化宣言」……現代思想 23(3), p354-362, 1995-03青土社
(※2)「日本手話」……日本語とは異なる言語体系を備える。手や眉、唇の動きや表情も用いる。一方、「日本語対応手話」は音声日本語を基盤としたコミュニケーション手段である。
『ヴァンサンへの手紙』
公式HP:http://www.uplink.co.jp/vincent/
モントリオール国際映画祭2015正式出品
ルサス映画祭2015正式出品
第一回東京ろう映画祭上映(『新・音のない世界で』のタイトルにて上映)
2015│フランス│112分│DCP│フランス語・フランス手話
監督・撮影:レティシア・カートン
音楽:カミーユ
共同配給:アップリンク、聾の鳥プロダクション
10月13日よりアップリンク渋谷ほか全国順次公開中
twitter:@letters_vincent / Facebook:https://www.facebook.com/vincent.with.deaf.eyes/
プロフィール
木村晴美
国立障害者リハビリテーションセンター学院手話通訳学科教官、NHK手話ニュース845キャスター。
NHK「みんなの手話」の初代ろう講師(1991~1994)。米国研修先でMJ Bienvenu、Ella Mae Lentz, Leslie C.Greerらと出会い、彼女らの信念や生き方に大きな感銘を受けて帰国(1992)。日本語対応手話でなく日本手話を聴者に指導、普及することに熱意を注ぎ、日本手話を指導できるろう講師の育成に務める。「ろう文化宣言」を市田泰弘と発表(1995)。現在は、ろう通訳者、フィーダーの育成に力を入れている。日本社会事業大学を経て、一橋大学大学院言語社会研究科博士課程単位取得退学(2014)。学校法人明晴学園理事。
レティシア・カートン
1974年生まれ、フランス・ヴィシー出身。フォー・ラ・モンターニュにて活動し、現代アート作品を発表するが、学士入学したリヨンの美術学校でドキュメンタリー映画製作と出会う。卒業制作“D’un chagrin j’ai fait un repos(直訳:あまりの悲しみに休息を取った)”や長編ドキュメンタリー“Edmond, un portait de Baudoin(直訳:エドモン、ボードワンの肖像)”などが海外各国の映画祭で上映され、グランプリなど様々な賞を受賞。