2010.11.11

為替と解散総選挙 ―― 政治家はなぜ円高に無関心なのか? 

斉藤淳 政治学

政治 #円高#為替

ノーベル経済学賞と解散総選挙

今年のノーベル経済学賞は、ダイアモンド、モーテンセン、ピサリデスの三人に贈られました。労働市場の分析において、サーチ・モデルという分析枠組みを導入したことが評価されたのです。このサーチ・モデルを用いることで、なぜ十分な数の求人がある場合でも、多くの人が失業するのか、その仕組みの解明が進みました。これは、それまでの単純な需要と供給のモデルでは、十分に分からなかったことだったのです。

わたしは政治学を研究していますが、日頃から経済学の議論からも多くを学んでいます。政治学は、経済学だけでなく、社会学、心理学、人類学など隣接諸分野の研究成果をどん欲に吸収して発展してきました。サーチ・モデルは、経済学では労働市場だけでなく、結婚や資産市場の説明などに広範に用いられていますが、これを政治学に応用することも十分に可能です。そのひとつの例が、衆議院解散時期の選択問題です。

労働経済学での標準的なサーチモデルでは、就職活動の状況を想定します。仕事を探していると、いろいろな賃金水準の求人広告が断続的に降ってきて、新しい賃金が働いても良いと思う賃金水準(=留保賃金)以上だったら就職するけれども、これを下回る場合は就職活動をつづけるという設定です。あるいは、現在ある賃金をもらって仕事をしている人が、新しい給与水準がいくらだったら転職するか、それ以外であれば現在の仕事にとどまるか、という状況を考えても同じことです。

もちろん、就職活動はいつまでもつづけていられるわけではありません。たとえば失業中の就職活動なら、失業給付が無限につづくわけではありません。この場合、失業給付が切れる切羽詰まった状況で就職して得られるであろう平均的な賃金を予想し、これから逆算して、いま手にしている求人広告が魅力的かどうか考えるわけです。

この分析枠組みは、総理大臣が解散の時期を決める状況と似ています。まず、失業給付に期限があるのと同様、衆議院の任期にも最大4年間までという期限があります。つまり、任期満了時点で、平均的に獲得できるであろう議席に対して、いま選挙を開いたらどれだけ多くの議席が確保できるか、これが総理大臣の解散をめぐる決断の鍵となります。ここから、数学的に問題を解いた結果を説明すると、つぎのことが言えます。

(1)任期満了まで時間があるときには、よほど有利な条件がそろわないかぎり解散しない。

なぜなら、いま権力を握ることそれ自体に、さまざまな価値があります。賭けにでて権力を失うよりは、いま手にしている権力を最大限の期間において発揮することが、権力を手にしている者にとっては有利な選択となります。

(2)任期満了が近づくにつれて、それほど有利な状況でなくとも、解散に踏み切る。

しかしながら、任期満了が迫ると、最悪の条件の中で選挙を行わなければならない危険性も高まります。そうすると、次の任期も権力を握りたいと思う総理大臣であれば、少しでも有利な状況があれば早めに解散したくなります。

つまり総理大臣は、この二つの相反する力学のバランスをとって、最適なタイミングを探るわけです。

それでは、選挙に有利な状況とは一体どのような条件を指すのでしょうか。内閣支持率や政党支持率が高ければ、いま選挙を行っても数多くの議席を得ることができるでしょう。議席率が高い状況では、選挙をすることで議席を減らしてしまう可能性が高いだけでなく、現状を維持しながら議会を運営することが望ましいため、なかなか解散に踏み切らないことが予想されます。

またこれまでの研究では、景気循環の波乗りをするように選挙のタイミングを選ぶのではないかという仮説が提示されてきました。この仮説を世界で最初に提示したのは猪口孝先生(新潟県立大学学長)で、1979年のことです。これは、政権の実績を誇るように、経済が順調なときにこそ、選挙を行うだろうという議論です。それでは、こうした仮説は現実に支持されるでしょうか。日本の選挙データをみていきましょう。

日本の解散総選挙と景気循環

選挙と経済政策の関係は、政治学者にも経済学者にも大いに誤解されている面が多々あります。データを眺めると、素朴な直感が、えてして間違えていることが数多くあります。まず経済データを眺める前に、戦後の自民党衆議院議席データを眺めてみましょう(図1)。

図1 衆議院選挙での自民党議席率の変化
図1 衆議院選挙での自民党議席率の変化

ここから分かるように、自民党は結党当初、過半数を大幅に上回る議席をもっており、つぎの選挙でいくらか議席を失っても、余裕で政権に留まることができました。高度成長を通じ、急速に都市化が進んでいきますが、もともとの議席率に余裕があった上に、定数格差によって農村部議席の占める割合が過剰に大きかったため、自民党は政権に留まりつづけることができました。

しかし、長期的低落傾向は反転できませんでした。そして、議席が過半数を割ろうとしていた丁度その頃、変動為替相場制(1973年)に移行します。この時期を境に、自民党は、守りの選挙を余儀なくされていました。

つぎに、戦後日本の経済成長率を四半期毎にみていきましょう。いつ選挙が起こったか明確に分かるように、選挙のタイミングも示してあります。

図2 経済成長率と衆議院選挙のタイミング
図2 経済成長率と衆議院選挙のタイミング

高度成長期、自民党は景気の頂点で解散総選挙を打っていました(図2)。当時は1ドル360円の固定相場制をとっていました。しかし変動相場制に移行してから、様子は一変します。景気のてっぺんではなく、谷底で選挙が起こるようになったのです。成長志向だった自民党の経済政策は一変し、守りの姿勢を強化していきました。

この傾向は、1994年に選挙制度改革がなされ、96年以降、新しい選挙制度が導入されてから、若干ではありますが変化していきます。選挙はどちらかといえば景気の底を回避するようになり、むしろ頂点に近いところで起こります。しかしながら、経済成長率自体が鈍化していきます。

つぎに、前回選挙からの経過年数と「解散風」の関係をみていきましょう。まず最初に、解散に踏み切った時点での内閣支持率(『朝日新聞』による)と比べてみましょう。

図3 前回選挙からの経過年数と支持率
図3 前回選挙からの経過年数と支持率

ここから分かるように(図3)、任期満了間近になればなるほど、低い内閣支持率で選挙に臨まざるを得なくなります。一方で、前回選挙から日が浅い場合には、それなりに条件が揃わないかぎり、解散することはありません。内閣支持率がよほど高くないかぎり、選挙は起こらなかったということです。この傾向は、固定相場制の時代も変動相場制の時代も大きな違いはないようです。

図4 前回選挙からの経過年数と経済成長率
図4 前回選挙からの経過年数と経済成長率

つぎに、四半期毎の経済成長率と前回選挙からの経過年数をみてみると、固定為替相場制の時期には、任期満了に近づくほど、経済成長率が低い傾向がうかがわれます(図4)。固定相場制をとる場合、好況で輸入が増えると外貨準備が底をつき、これが制約になって不況に突入しました。そして、自民党は不況が来る前に衆議院を解散し、選挙を行っていました。

ところが、変動為替相場制になると、こうした関係は失われ、任期満了に近い選挙も、前回選挙から日が浅い場合にも、経済成長率には大きな差はありません。つまり、好況でも不況でもあまり気にせずに選挙に打って出ていたことが分かります。

それよりも重要なこととして、変動為替相場制に移行してから、成長率が鈍化したことに気づかざるを得ません。為替レートの影響が考えられます。それでは、為替レートの変動と選挙のタイミングにはどのような関係があったのでしょうか。

図5 為替レートと選挙のタイミング
図5 為替レートと選挙のタイミング

図5は時系列で日々の円相場と解散のタイミングをプロットしたものです。はっきりいえることは、長期的な円高傾向がつづいていることと、80年代以降の選挙で、円安傾向のときに解散したことはほとんど無かったということです。つまり、円高は、選挙を行う上でそれほど不都合ではなかったということが分かります。

もちろん、円高になると輸出産業が打撃を受け、景気は悪化します。それなのになぜ、自民党はそのような時期を選んで選挙に打って出たのでしょうか。

円高不況は与党にとってはチャンス、金融政策は票にならない

不況になり、財政出動への要求が高まったところで解散し、選挙に突入。守りの時代に入った自民党は、この繰り返しで選挙戦を切り抜けるようになったのではないでしょうか。

考えてみれば、円高で打撃を受ける製造業は労働組合の組織率が高く、自民党の票田ではありませんでした。たとえば消費者家電メーカーや弱電産業の労働組合を中心とする電機連合は、長らく社会党の支持母体でしたし、自動車総連は民社党を支持していました。そして、労働界および政界再編によって、これら労働組合は民主党の支持母体になります。

つまり、円高によって相手政党の支持母体が勢いをそがれ、財政出動によって公共事業予算を確保することで、自らの支持基盤を強化する、そうした状況で好んで選挙を行っていた可能性が示唆されます。しかも、円高は国際環境など外的要因の変化で起こったといえばよく、自らの失政のためと責められるリスクが少ないといえます。

わたし自身、短期間ながら衆議院選挙の候補者として活動をしていたことがありますが(2002年~2004年)、為替は票にならないと実感しました。企業を訪問し、挨拶の機会をいただくたびに金融緩和によって円安誘導し、製造業を元気にすべきだと訴えていましたが、聴衆の反応はいまひとつでした。経営者も労働組合関係者も、こと為替レートについてはあきらめムードが漂っていました。ところが、ミニ集会でも年金や公共事業の話になると聴衆の反応はがらりと変わりました。

要するに、マクロ経済政策、とくに金融政策は票につながらないのです。日本経済全体の景気が回復しても「公共財」のようなもので、選挙で応援してくれた人に余分に利益がもたらされるわけではありません。景気をよくするために努力した政治家の評判が、他の政治家に比べて飛び抜けて高まるわけでもありません。金融政策が分かりにくいということもありますが、何よりも選挙で「ただ乗り排除」の力学が働くため、誰も為替や金融のことを口にしなくなってしまうのでしょう。

円高不況から抜け出すために

以上のように、円高で不況に突入したなかで財政出動を行い、これで支持をつなぎ止めるという悪循環が存在していた可能性を指摘しました。選挙を勝つためには不況の方が好ましいということであれば、健全な経済政策を取るインセンティブが存在しないことになります。政権交代に意味があるとすれば、よい経済政策をとった政権が持続し、そうでない政権は短命に終わる、そのような正常な説明責任を、日本の政治システムの中にインストールすることに他なりません。

民主党が政権を握ったことで、日本経済が政策不況の悪循環から抜け出すことができるか、まだ分かりません。民主党の支持基盤を考えれば、当然ながら円安によって製造業を守ることが、つぎの選挙で勝つ上での至上命題です。しかしながら、これまでの実績ではどんどん円高に進んでいます。このままでは多くの企業が海外移転を余儀なくされ、若年者を中心に失業問題が顕在化するでしょう。

このような窮状ではありますが、日本経済を立て直すのに必要な政策手段は、さまざまな経済学者がすでに指摘しています。たとえば、読みやすいものでは高橋洋一『この金融政策が日本経済を救う』(光文社、2008年)や、浜田宏一・若田部昌澄・勝間和代『伝説の教授に学べ! 本当の経済学がわかる本』(東洋経済、2010年)があります。必要な選択肢が分かっているのに、なぜそれが実行に移されないか。この疑問を解くためには、政策決定のあり方、制度的な構造を解明する必要があるのです。

さて、民意を問うことを可能にするために解散するという憲法上の規定は、皮肉なことに、政権にとって都合のよいときに選挙を行わせることを許しています。有権者が政権にお灸を据えたいときほど、また野党が解散総選挙を望めば望むほど、与党にとっては解散したくない状況になります。当然ながら、解散権を握るのは与党ですから、いま解散して政権を失うよりも、任期満了直前まで権力の座にありつづけたいと思うのです。

肯定的に評価するなら、解散制度があるおかげで、政権運営は安定化します。一方で、能力のない政権がいつまでも権力の座に居座る可能性をも許しています。わたしたちは、こうした制度的インセンティブを現実的に直視する必要があるのです。

プロフィール

斉藤淳政治学

J Prep 斉藤塾代表。1969年山形県酒田市生まれ。山形県立酒田東高等学校卒業。上智大学外国語学部英語学科卒業(1993年)。エール大学大学院 政治学専攻博士課程修了、Ph D(2006年)。ウェズリアン大学客員助教授(2006-07年)、フランクリン・マーシャル大学助教授(2007-08年)を経てエール大助教授 (2008-12年)、高麗大学客員助教授(2009-11年)を歴任。これまで「日本政治」「国際政治学入門」「東アジアの国際関係」などの授業を英語 で担当した他、衆議院議員(2002-03年、山形4区)をつとめる。研究者としての専門分野は日本政治、比較政治経済学。主著『自民党長期政権の政治経済学』により第54回日経経済図書文化賞 (2011年)、第2回政策分析ネットワーク賞本賞(2012年)をそれぞれ受賞。近著に『世界の非ネイティブエリートがやっている英語勉強法』など。

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