2012.08.30

荻上 復興アリーナ・ローンチシンポジウム、第一部では、「被災者中心型の支援のかたちとは」と題して、関西大学社会安全学部准教授・永松伸吾さんと、NPO法人フローレンスの代表理事・駒崎弘樹さんと一緒に、「これからの支援のあり方」について考えていきたいと思います。

僕は物書きをしておりますが、震災以降、「こう復興すべき」といった大きな論評だけはすまいと思い、鳥の目というよりは虫の目、つまり被災地取材で見聞きしたものをベースに、人と人との話をつなげようと思いながら仕事を続けてきました。特に今は、成功した支援の事例と、失敗した支援の事例をケーススタディとして集めています。それが、「次の災害」に役立つのではないかと思っているからです。

僕らは、もっと有効な支援の方法をシェアしていけるのではないかと考えています。多くのNPOや団体が、今でもあちこちで有意義な活動を行なっています。その活動内容について、もっと情報発信もして欲しいと思う。ただ一点、その発信にはどうしてもバイアスがかかりがちであるとも感じています。

というのも、当事者や支援者は、成功した事例を語りたがります。成果を誇り、寄付を募ることは重要ですから。しかし、失敗した事例が後世に伝えられないと、今後、同じ失敗が繰り返されてしまう可能性があります。だからこそ、支援の「失敗学」をシェアすることもまた、これからの減災研究の課題になるのではないかと思います。

今日は、研究者の永松さんと、NPO代表の駒崎さん、お二人が東日本大震災以降、どのような活動をされてきたのか、そして今後の減災のあり方についてどのようにお考えなのか、じっくり伺っていきたく思います。

防災研究を始めたきっかけ

荻上 永松さんはそもそも、どういった経緯で防災の研究を始められたのでしょうか。

永松 私の本来の専門分野は経済学や公共政策です。実は防災という学問体系はなく、いろいろな分野の方々が集まって、防災や復興について研究しているコミュニティがあるんです。私もそのコミュニティに属しています。

私の年代はポスト阪神・淡路大震災世代と呼ばれています。もともと防災とは違った分野の研究を志して大阪大学大学院に進学しました。大学が被災地に近く、またちょうどその頃、神戸が震災からの経済復興で大変困難な時期に重なっていたこともあり、経済復興の研究を続けていくうちに、いつの間にか防災が研究対象になっていたんです。

荻上 防災の研究は、工学や建築学、社会学、経済学など様々な分野の知恵を横断的に活用する面があります。実際に、これまでの震災で得た教訓や防災研究の蓄積は活用されてきたのでしょうか。

永松 おそらく皆さんが思っている以上に、この国はそういった経験を活かすのが得意です。

例えば、今の都市計画の仕組みには、関東大震災での大火災の経験が活かされています。現在でも防災は、都市計画や建築の方々が一番熱心です。また阪神淡路大震災のときには、阪神高速道路が倒壊したことや多数の住宅が倒壊したこともあって、土木工学や建築といった分野で、防災の研究が盛んになりました。東日本大震災以降は社会科学分野での研究がより盛んになるのではないかと予想しています。

これまでの教訓は活かせたか

荻上 阪神淡路大震災は「ボランティア元年」と言われています。今回の東日本大震災では、「阪神淡路の教訓」というフレーズも多く聞かれました。そのなかで、「初期段階は、ボランティアに行かないほうがいい」という言説がよく聞かれました。実際僕も、「これは本当に正しいのだろうか」と思いつつ、同じような発言をラジオでしたことがあります。

これは果たして良かったのだろうか。あるいは、「阪神淡路の教訓」は、どれほど機能していたのだろうか。永松さんはどのように評価していらっしゃいますか。

永松 阪神淡路大震災での教訓は、ちゃんと活かせていたと思います。

阪神淡路大震災では、数百万人規模のボランティアが被災地に入りました。しかし、みんながばらばらに集まったために、全体の力として活かしきれなかったところがあります。やはり素人が気持ちだけでボランティアに行ってもなかなかうまくいかないんですね。この経験から、「ボランティアコーディネート」という概念が生まれ、各市町村の社会福祉教育会を窓口として、ボランティアセンターが設立されるようにもなりました。

ただし「行ってはいけない」という言葉が、一人歩きしすぎてしまったところもあると思います。それは大いに反省すべきでしょう。

NPO法人フローレンスの活動紹介

荻上 続きまして、NPO法人フローレンス代表理事の駒崎さんの紹介をかねまして、何点かご質問させていただきます。NPO法人フローレンスは、震災前まではどのような活動をされてきたのでしょうか。

駒崎 フローレンスは平時、例えば、発熱した子供が保育園に預かってもらえなかったときに代わりお預かりする病児保育、また保育園不足による待機児童問題を解消すべく、マイクロ保育園という新しいかたちの保育園を至るところに作ってきました。そして子育てと仕事をどのように両立させていくか、ソリューションを提供するといったこともしています。

荻上 主に保育に関する活動を行っていらっしゃるフローレンスですが、現在は震災復興に関する活動もされています。どういった経緯で活動を始められたのでしょうか。

駒崎 妻が福島県出身なのですが、彼女の実家も被災しました。ですから震災後は、我がこととして、「この先どうなるんだろう」という不安を感じていました。そうした気持ちを抱えていたので、なにかできないかと考え、事業として震災復興にトライしました。

荻上 具体的にどういった活動をされてきたのでしょうか。

駒崎 妻の友人が子育て世代でして、「怖くて子供が外で遊べない。外に出かけていいのかもわからない」といった話を耳にしていました。子どもにとって遊ぶことは生きることや学ぶこととほぼ一緒です。友達と遊ぶことでコミュニケーションの基礎を築いたり、「ごっこ遊び」で創造性が培われたり、遊ぶことでこころを育んでいくんです。

ですから、被災地で子供たちが安心して遊べない状況を聞いたときに本当に胸が痛みました。そこで、安心して子供たちが遊べるように、たまたま東京で運営していた屋内公園のノウハウを活かして、福島の郡山市にインドアパークを作りました。

他にも、福島から東京に避難してきた親御さんたち、特に母子が、右も左もわからない状況で仕事を探すのは大変です。どうしてもお子さんがいると動きにくくなってしまいます。そこで、一時保育を提供するといったサポートもしてきました。

また「希望のゼミ」といって、被災した中高生、特に貧困世帯の子供たちに対する学習支援も行っています。もともと貧困世帯の子供たちが、どうしても教育投資が少ないために、いい教育を受けることができず貧困になってしまう貧困の再生産に注目していました。そこでベネッセコーポレーションの力を借りて、850世帯の子供たちに進研ゼミを無償で提供しています。

義捐金と支援金の違いとは?

荻上 駒崎さんは今までのNPO活動を活かして、震災復興をされていらっしゃるんですね。

東日本大震災では、様々なボランティア団体やNPO団体が活動していました。そのなかには、「あれはすごい」と話題になるような成功例もあれば、失敗例もあると思います。そうした事例を残すことが重要ですが、そもそも「良い支援」を支えるための方法である、義捐金と支援金の違いがなかなか浸透しきれていなかったという話も、寄付文化をまだまだ育てる余地があるという話もあります。そういった点についてどうお考えでしょうか。

駒崎 いま荻上さんがおっしゃった義捐金と支援金というテーマに関しては、NPO業界は敗北したと認識しています。

義捐金とは、被災者の方々に配るお金のこと、つまりお見舞金です。一方、支援金は、NPO団体や支援団体が活動するためのお金です。この違いが、日本ではまったく浸透していませんでした。NHKも、義捐金の募集はしていましたが支援金の募集はしていなかった。それもあって、義捐金はとにかくたくさん集まりましたが、支援金は思ったより集まりませんでした。もし義捐金と支援金の違いが浸透していたら、初動はもう少しよくなったはずだと、忸怩たる思いがあります。

荻上 NPOが震災直後に現地に駆け付けるとき、最初の活動費はどうしても持ち出しになります。その後も「良い支援」を続けていくためには、お金をかき集めるしかない。しかし、支援すればするほど貧乏になってしまうという状況では、ベストなソリューションを出し続けられなかったりもします。有限な支援金の奪い合い状況を少しでもマシにするため、支援活動をエンパワーメントしていく仕組みや、社会的な理解を深めていく方法が、今後必要になると思います。

流出する復興需要

荻上 研究者である永松さんとNPO代表の駒崎さんでは、活動のスタンスが違っていると思います。永松さんは、鳥瞰図的に、様々なケースをみて概念化や論文化することで、政策提言に結び付けていく。一方、駒崎さんは政策提言も行いながらではありますが、虫瞰図的、現場目線を重視しながら、なにがソリューションになるのか一生懸命探し、自ら実現していらっしゃいます。

永松さんは震災以降、キャッシュ・フォー・ワークという概念を積極的に提唱していらっしゃいました。この概念についてご説明いただくとともに、その後の展開について、どのように評価しているのかをお聞かせください。

永松 私は今キャッシュ・フォー・ワーク・ジャパンという一般社団法人の代表理事をしています。

先ほども少しお話させていただきましたが、阪神淡路大震災の復興過程では、日本が平成金融危機に陥っていたことも相まって、神戸の経済復興は困難を極めていました。

みんなが意外に思ったことは、復興需要によって地域は潤うとだろうという期待が、ほとんど実現されなかったことです。それは建設業など復興需要による仕事が、東京や大阪などの他地域に持って行かれたためでした。被災地の失業率は、他地域にくらべて高く、仕事がない人が多かった。

荻上 復興需要も、大部分が他の地域に出て行ってしまったわけですよね。

永松 そうですね。9割くらいが、外に流れてしまいました。付加価値ベースでは7.7兆円くらいの復興需要がありましたが、地元に落ちたのは0.9兆円ほどです。

経済復興と早期復興の関係

荻上 ただ、他地域から腕まくりして来た企業も、単に金を奪いに来たのではなく、善意でやっているところもあるわけですよね。

永松 そうなんです。そこが難しいところです。地元にお金おとすために、地元ですべてやるというのは必ずしも良くないんです。地元だけでは十分な供給能力がなく、道路や建物といったインフラがなかなか整備されないといったことにもなりかねない。そうした環境下での経済復興は不可能でしょう。地元主体でやることと、急いでやることは、ある程度がトレードオフの関係にあるんですね。

ただ私は、すべてがトレードオフなのだろうかという疑いを持っていました。なぜかというと、地元で人が余っている、仕事がなくて困っている人がいるならば、その人たちを使うことは決してマイナスにならないはずだと思ったんです。結局、他の地域に仕事をお願いするほうが、地元で人を探して仕事を提供するよりも手間が省ける。その調整がうまくいってないのではないかと感じていました。

2004年の中越地震のさいに、小千谷市で、弁当プロジェクトというしくみがありました。地震によって仕事がなくなってしまった飲食店の店主らが、小千谷市から受託を受けて、被災者に向けてお弁当を提供する活動がありました。店主らは従業員を解雇せずに済み、また被災者には出来立てのお弁当が提供できるという、win-winの仕組みです。この活動を知ったときに、これだ!と思いました。

ちょうどその頃、海外ではキャッシュ・フォー・ワークが流行っていました。キャッシュ・フォー・ワークとは、復興活動のさいに、被災者を雇用して働いてもらうことで、お金を払うということです。

荻上 読んで字のごとく、仕事にお金を、ということですよね。

永松 そうです。もともとは、フード・フォー・ワークと言って難民支援の手法でした。これはお金ではなく、仕事をした人に食糧を与えていました。これがキャッシュに変わって、途上国で行われるようになった。こういうやり方もありだなあと思いました。ただし日本と途上国では、仕事の種類が違います。途上国のように肉体労働で働ける人は日本にあまりいないでしょう。ですから多少のひねりが必要だとも思っていました。

今回、被災地に行ってみると、生産基盤がほぼ壊滅していました。最初は、小千谷市の弁当プロジェクトのようなものができればいいと想定していましたが、この状況では、元の仕事が戻るまでに相当長い時間がかかると思いました。ならば、それまでのあいだ、キャッシュ・フォー・ワークを日本に持ってこなくてはいけないと考え、自分のブログで情報を発信したところ、大きな反響があり、そうした活動の推進を政府などに訴えてきました。

絆をつなぐ復興グッズ

荻上 津波の被害や福島の原発問題で、いまだに戻れない人たちは仮設所で生活を送っています。今回、様々なNPOが、被災地に仕事を提供するプロジェクトを行っていましたが、それらが実際にキャッシュ・フォー・ワークにあてはまるかどうかはともかく、そうした雇用創出プログラムは、どういうケースがあったのか、それに対する永松さんの評価もお聞かせください。

永松 雇用創出にはいろいろなケースがありますが、ひとつに復興グッズの販売があります。私はこれを絆ビジネスと呼んでいますが、例えば漁網を使ってミサンガを編み、ネットを通じて販売する活動があります。これは、いま一億円くらい被災者の方々の収入になっています。インターネットなどの技術が向上することで、被災者の方々が作ったものを、すぐに全国の人に届けることが出来るようになったのが特徴的ですね。

荻上 阪神淡路大震災のときにも「まけないぞう」といって、ぞうきんとミシンを仮設に送り、象のかたちに作ってもらって販売するといったプロジェクトがありました。今回も、このアイデアは再活用されていましたね。

永松 復興グッズについて被災された方々にも勘違いしてほしくないことは、語弊があるといけないのですが、あえて言えば、売れる理由はグッズそれ自体に商品価値があるからではありません。もちろんデザインも洗練されていますが、だからといって爆発的に売れるものかというとそうではないでしょう。なぜ売れるかというと、それを買うことで、被災した人たちの手助けができるとみんなが思っているからです。

荻上 「物語」が付加価値になるから、他の商品ではなくその商品が短期的に選ばれている、という話ですね。

永松 復興グッズを作っている人は、ものではなくて絆を売っているんです。被災地と繋がりたいという思いを、繋ぎとめるために復興グッズを売っている。僕が絆ビジネスという言い方をしているのはそのためです。グッズを通じて、被災地の人たちとの交流も生まれる。とても良い活動だと思います。

自治体とNPO、それぞれの見守り活動

永松 もうひとつ雇用創出に関して、注目しているのは仮設住宅に入居されていらっしゃる方々の見守りや生活相談を被災者が仕事として行っている自治体がたくさんあることです。これは政府が緊急雇用創出として大型の予算をつけたために実行されています。

阪神淡路大震災のときには、そんな制度はありませんでした。徐々に孤独死などが問題化して、一部の聡明なNPOが取り組んだことで、ようやく問題が認知されたんですね。今回はそれがしっかりと活かされて、被災者の仕事となっている。特筆すべきことだと思います。

荻上 避難所の見守りや生活相談についてNPOの人に取材をしたところ、自治体の相談所ではなく、あえてNPOに相談にくる人もいたようです。被災者同士だと、もともと顔見知りの人もいるので、例えば夫にDVを受け始めてしまったといった相談を、地元の人にはなかなかやりにくいといったケースがあったようです。中の人にこそ向いている支援と、外から来た人たちだからこそ向いている支援、両方あるようにも思いますが、そうしたケースについてどうお考えですか。

永松 これは駒崎さんとぜひ議論したいと思っています。

私は、キャッシュ・フォー・ワークは、マーケットでもボランティアでもない、被災者された方々が、お金をもらいながら働くっていう中間的なかたちだと思っています。

荻上 短期的な社会的企業に近いですね。

永松 そうです。社会的な目的で雇用を作り出しています。

私はキャッシュ・フォー・ワークだけで被災地の問題がすべて解決するとは思っていません。先ほど荻上さんがおっしゃったように、被災者が例えば津波が怖かった、家族を失ったという相談を受けたとき、同じようにPTSDが出てしまうこともあります。他方で、地域の人だからこそ親身になって相談できることもある。こうした支援の意味づけについては、当事者や、被災者支援のNPO、研究者などと共同で考えていきたいことです。

荻上 傾聴ボランティアの活動も話題になっています。被災地地域で、孤立死を出さないように、あるいは思い出や苦しみを共有するために、一軒一軒訪ねて話を聞き、加えてニーズを探すといったアイデアです。

震災以降、様々なNPOが、様々なアイデアを練り、ニーズに応じられる方法を模索してきました。駒崎さんは、内閣府の非常勤研究委員として、NPOをバックアップする体制づくりにも関わられていますが、こうしたNPOの横の動き、仕組み上の問題について、どのような印象を持たれていますか。

駒崎 私は半年間、内閣府で非常勤をやっていました。今回特筆すべきなのは、アメリカでは回転ドアと呼ばれるような、民間と官の人材交流があったことです。これまでですと、官の世界と市民セクターが分断されていたため、国でいい補助金制度をつくっても、誰もそれを知らなくて困ることもよくありました。今回、民間で活動していた人が、復興庁の官僚になるといった民間雇用が行われたので、民間の人が被災地にいって「こういう補助金があるよ」と営業してくれたこともありました。こういう動きは今までにみられませんでした。

荻上 ボランティア担当大臣というポジションも作られましたが、あれは効果があったと思いますか。

駒崎 辻本さんは市民セクター出身の方なので、NPOのことはよくお分かりでした。ですから、情報を発信していく雰囲気を作ってくれたと思います。でも、これだけ未曾有の震災に国が迅速に動けたかといったそうではないし、それは誰がやっても同じでしょう。もう国単位で迅速に動くのは不可能だと思います。だからこそ中間集団をきちんと育成し、なにか問題が発生したときにぱっと動けるようにしなくてはいけない。国が悪い!と言っているだけでは駄目だと思います。

万全に迎え撃てるようになるためには官もNPOも必要ですし、あるいは地元の住民が、ある種の支援リテラシーを身につけて、迅速に動けるようになることも必要だと思います。幾重にもネットを張って、次なる震災、災害に備えなくてはいけません。

NPOを組織化する

荻上 被災地で取材していると、元官僚によく会いました。官僚の限界を感じ、震災後に辞めた方もいました。本人には忸怩たる思いもあると思いますが、思わぬかたちで回転ドアが機能した面もあるかもしれません。

NPOとして、制度上やノウハウ、バックアップとの協力など、今回の震災で感じた課題や後世に残すべき教訓をお聞かせください。

駒崎 課題がありすぎて整理がついていないのですが、一つはやはりさっきもお話した支援金、義捐金についてです。僕は、NHKの番組審議会の委員もやっているので、次は絶対に言ってやろうと思っていますが、NHKが義捐金の窓口はこちら、支援金の窓口はこちらですと言っているだけでも違っただろうと思います。最初に、たくさんのお金が市民セクターに流れていたら、もっと迅速に動けたはずです。それで救えた命、生活もあったと思います。

もう一つは、さっきのボランティア行くか、行かないかという話ですが、現地の状況がわからない場合は、戦争と似ているように思いますが、まず少人数の先遣隊を派遣して、そこで得た情報を即座にネットにあげて、どこになにが足りていないのかオープンしていく。そしてその後に情報を参考に支援体制を東京側で組み、一気にどん!と支援する方法が出来ればと思います。現地の情報がわからないがゆえに、無駄になってしまった支援も多々ありました。オープンガバメント的な取り組みがもっとあって良かったのかもしれません。

またNPOも、それぞれ個別に被災地に入ってはいましたが、平時に、こういうときにはこうしようといった打ち合わせがされてこなかった。これは僕らが平和ぼけしていたからでしょう。NPOは基本的に、例えばフローレンスなら、子育ての問題についてはプロフェッショナルですが、震災や災害が起きたときに対応など、長期的な目を持っていませんでした。そうしたことを話し合う協議会はあるべきでした。NPOもきちと組織化されていれば、もっと無駄なく動けたと思います。

4つの防災サイクル

荻上 お二人はご存じだと思いますが、NPO同士の縄張り意識でもめているケースというのはよく耳にしますね。それから、平時からどこまで備えられるのかという問題があって、いつもやっていることの延長線じゃないと対応できないことも明らかになりました。

防災の研究のなかには、災害サイクルの話がありますが、永松さん、今回の震災対応を防災サイクルに照らし合わせれば、我々はなにを学べたのでしょうか。

永松 そうですね、まず、災害サイクルについて説明しましょう。

まず災害が発生します。その事態に対応する「レスポンス」(対応)、そして被害からの回復である「リカバリー」(復興)、その次には二度と被害をおこさないための予防として「ミティゲーション」(被害軽減)を、最後にことが起きたときにすぐ動けるように準備する「プリペアドネス」(事前準備)と呼ばれる段階があります。これが4つのサイクルです。

これは災害に限った話ではないのですが、危機は繰り返しやってきます。それを一回のイベントとして終わらせないで、4つのサイクルとして循環させることで、次の教訓として繋げていこうという考え方です。

先ほど駒崎さんがおっしゃられていたことは、その通りだと思う反面、災害救援系のボランティアやNPOは、毎年、東海地震に備えて静岡で訓練を行ったり、横のネットワークと作ったりしています。こうした組織化は、阪神・淡路大震災以降とても進みましたが、今回はそれだけではカバーできるような規模ではなかった。それこそ駒崎さんのような、もともと災害とは関係ない活動をされてきた人たちが、復興支援に携わらなければ、とてもじゃないが回らない状況だったわけです。ただし、そこまでは横のネットワークが出来ていなかった。

ですから、ぜひ今回の震災を教訓として、普段は災害や防災と関係のない人たちが、少しだけその意識をもって横の繋がりに参加してもらえたら防災を研究している人間として喜ばしく思います。

NPOのノウハウを共有するために

荻上 NPOという話題になると、ついぞ人材育成や資金集めの話になりがちですが、バックヤードのアウトリーチって、非常に重要だと感じています。今回、いろいろな意味で、バックヤードが不可視化されていた。つまり、NPOの最前線ではなく、その後ろにある体制への想像力が通じていなかった。

まさに支援金の話がそれです。NPOが活動するためには、お金で支える必要がある。しかし、NPO=非営利だから、お金は取らないのだろう、稼がなくていいのだろうと思っている人さえいる。

あるいは、瓦礫処理ボランティアとして参加したつもりが、倉庫の管理やら電話対応をやらされて、一週間くらいで拗ねて帰ってしまうみたいな話もやはりありました。人気なのは、被災者の人と直接触れ合ったり泥かきなどをする「花形ボランティア」なのだけれど、そうでないものは露骨に避けられたり。しかし、いろいろな「バックヤードを支える」「バックヤードで支える」活動が本当に必要なんだということの理解、そしてなにより支援の方法論がシェアされていなかったと思います。

ご存知な方もいらっしゃると思いますが、僕は、震災以降、ネット上で流言検証情報のまとめページを作っていました。今回の震災で特徴的だと思ったことは、「支援呼びかけ流言」を多く見かけたということ。「どこそこに物資が足りない」とか「ここに送ってください」と流言を流すケースが多々みられました。

みんな、なにかしたかったんだと思います。だからこそ、そのアウトプットが間違っていると、本当にもったないない。物資の送り方ひとつとっても、業務用ホッチキスで箱をとめると開封のときに結構手間取ることとか、「おかんの仕送り型」で食べ物からぬいぐるみまでなんでもかんでもごっちゃに入れられると仕分けに時間がかかることとか、各地で共通の余った物資(例えば古着の下着とか、ホテルの備え付けの歯ブラシとか)があったこととか、そういう情報が事前にあると、事前に正解がわかるわけではないけれど、「今回はどうか」というヒントを得ることができると思うんですね。

現場では常識的なことが、外部では共有されていないことは、本当に多々あると思います。そうした情報の共有といった面での「失敗学」を、お二人に聞いてみたいと思います。

駒崎 今日、僕はこの場を、懺悔の場だと思っています。実は今までNPOの価値観や業界のことを、一般の人たちにはわかってもらわなくていいといったメンタリティを持っていました。そして、NPOにはそういう考え方の人は多いです。

ですから、NPOで当たり前のノウハウがシェアされていないのは、僕らに原因があるようにも思います。そういったメンタリティがうまれてしまったのは、例えば支援金の話ですと、バックヤードにこそお金がかかるという話を説明するのに、手間も時間もかかってしまうので、それでなんやかんや言われるくらいなら、やらなくちゃいけないことをやるよ!となってしまっていたんですね。これはとても反省しました。

荻上 ただ、実際は忙しいですよね。NPOの方々と話をしたときには、「そういうのはメディアとかあなたみたいな人がやってくれ、がんばって欲しい」と、逆に激を飛ばされたりもしました。NPOが自ら「こんなに仕事をしているのだから寄付してくれ」と発言すると、それはやはり自分のNPOのひとつの物語になってしまい、NPO全体の話になりにくくなる面もあるかもしれない。

駒崎 それでも、僕は「メディアがやってくれ!」では駄目だと思います。僕らが、メディアに取り上げられるようなかたちで発信する必要もあるし、一般の方々とノウハウを共有するための活動もかかわらなくてはいけないと思います。

方法論をメニューとして可視化する

荻上 永松さんは、研究者であると同時に教育者でもあって、今、被災地に学生さんを送って、ふるさと応援隊というブログにルポを書かせていらっしゃいます。それを読んでいると、様々なニーズが見えてくる。

今は当たり前のことが伝わっていない状況にある。その意味で、方法論のメニューを今よりも可視化するという課題があると思いますが、その点に注意すべき点はどのあたりにあると思われますか。

永松 すごく難しいですよね。なかには現地の邪魔にしかなってない支援があることも事実ですが、あまりそれをとやかくいって、抑制するのもどうかと思います。そういう意味では、僕が思うのは、支援とはこうあるべきだと紋切型にするのではなく、支援する側に、自分が送った物資が現地でどうやって配られるか、使われるかといった想像力を持って欲しいと思います。

先ほど荻上さんがおっしゃっていた「おかんの仕送り型」なんかは典型的な例ですね。特定の個人に送るならまだしも、なにも書かずに役所の災害本部に送るのは、やはり問題がある。あるいは、古着を送られても、今のこの時代に古着をもらって喜ぶ人はあまりいないと思います。

荻上 概ねはそうですよね。ただ、なかにはやはり、「古着でも助かった」と話す方もいます。例えば、多くの自治体では、避難所から仮設に移行するのが夏前頃でしたね。仮設はとても狭いので、その時期に荷物を減らす方も多かった。しかしまた冬が来て、あわてて冬服を用意するわけですが、その時期に古着の支援があって助かったという人もいます。だから、全部が全部NGというわけではない。そのうえで、ベターなものはなにかという話ですよね。新品があれば、そっちのほうが好まれるわけですし。

永松 支援をするとなると、抽象的にこれはいいことだろうって考えがちですが、支援というのは、実際に届いてから評価されるものです。だからなんでもかんでも古着でいいやとなるのではなく、古着もありますよと現地と確認を取り合うなど、送る側が受け取る側の立場に立って気配りをしなくてはいけない。そういう気持ちがないことが問題だと思います。

荻上 なにが必要なのかは、現場によって違いますね。ニュアンスの違いだと思うのですが、やったらめったら「送る」のではなくて、工夫して「届ける」ことが必要なのだと思います。ただ、そういう場合も、ネットのおかげで、マッチングが昔よりもしやすくなったため、ある場所で余ったものでも、横で連携して埋めていくこともできるようになったという話も聞きました。

ただ、やっぱり想像力って言葉は難しくて、どうしてもふんわりした印象になってしまう。それよりはせめて失敗学をシェアするという発想がいいのかなと思います。

駒崎 僕もそういう考え方です。みんな善意をもってやってくれているんだけれど、それぞれにそれぞれの想像力があると思います。でも、例えば現場を少しでも知っていたら、ある程度知識で支援内容の質を高められる部分があると思うんですよね。知識や考え方を含めて、リテラシーを高めていく。今回、このままなにもしないでいると、リテラシーを高める機会が失われてしまうと思います。だからこそ、荻上さんや永松先生といった方々に情報をまとめていただいて、普遍化していくことは非常に価値があると思います。

脆弱性を下げる、回復力を上げる

荻上 防災学の有名な概念で、災害は、危機と脆弱性の掛け算できまるという話がありますね。例えば、震度いくつという数字、積雪何センチといった数字で被害規模が決まるわけではありません。地域の慣れや対策、つまり社会の脆弱性、危機に対する耐性によっても変わってくる。だからこそ、システム、ハード、インフラ、情報の共有など、様々な面の脆弱性をさげていくことが重要だという話です。

復興アリーナのウェブサイトでは、情報面の脆弱性を下げていくための記事を掲載していきたいと思っていますが、こうした議論は今、防災の研究者の間でどのように進んでいるのでしょうか。

永松 少し大きな話をさせていただきます。実は脆弱性って概念はちょっと古くなってきていて、見直しが必要だという話がでてきています。

まず脆弱性についての話をさせていただきますが、「地震が人を殺すのではなく、弱い建物が人を殺す」という言葉があります。サハラ砂漠のど真ん中で、震度7の地震が起きても、災害にはなりません。揺れる地盤の上に、弱い都市構造があることによって災害がおきるわけです。この弱い都市構造が脆弱性です。

だから今荻上さんがおっしゃったように、地震という揺れと弱い部分が掛け合わさって災害になるという基本的な公式があるわけです。ハザードは減らせなくても、脆弱性を減らせば被害も減るわけですね。

荻上 そこでは、想定対象と想定方法がセットなんですね。

永松 そうなんですよ。想定対象がはっきりしていれば、脆弱性を特定できるので減らしていくこともできますが、ただ、想定対象がわからなくなると、脆弱性が特定できないんですね。例えば人工衛星などの宇宙ゴミが都市に落下してくれば間違いなく災害になりますが、その場合の脆弱性といわれてもよくわからないですよね。

そこで今、レジリエンシー、回復力という新しい概念がでてきています。これは、被害を受けたときに、そこから速やかに立ち直る力のことです。僕はこれがすごく重要だと思います。現在の脆弱性を下げていく方法には限界があります。しかし、災害が起きてから立ち上がる力は、どんなハザードに対しても有効です。この部分をもっと強めていかないといけないというのが、研究者の間で最近認識されつつあります。

駒崎 レジリエンシーには、どんなものがあるのでしょうか。

永松 例えばソーシャル・キャピタル(社会関係資本)はその一つだと言われています。いろいろな人が繋がって、被害に対応することは大きな力になります。あるいはそれを支援する政策や、財源、保険も大きな要素でしょう。いろんなひとがつながってそれにたいして対応できることは大きな要素のひとつだと思います。

キャッシュ・フォー・ワークも、僕のなかではレジリエンシーの一つなんです。仕事が失われることは、私たちの生活を直接脅かします。リーマン・ショックのような急激な不景気でも、我々の生活を速やかに立て直してく方法としてキャッシュ・フォー・ワークをやることができる。また私は、宮崎県で口蹄疫が発生したときに調査を行っていたのですが、それも同じ問題意識です。我々の平穏な生活がいきなり奪われたときに、どうやって回復していけばいいのか、これが今の研究の原点にあります。

平時からの蓄積を

駒崎 今のお話は、直感的によくわかります。というのも、僕らが被災地に入っていったときに、支援慣れしている地域としていない地域で、展開のしやすさがまったく違いました。どちらかと言えば宮城県は入りやすかったのですが、福島や岩手の一部の地域ではまずNPOの説明からしなくてはいけなかった。

荻上 あるいは沿岸部で津波の被害をうけたところだと、そもそも都市や行政の機能がとまっていて、電話対応すらできないところもありますね。

駒崎 そういう場合もありますね。ですから、平時からそういう繋がりを作ったり、行政以外でもきちんと課題解決ができるスキームを組んでおくことが有事の時に役に立つと思います。回復力に関して言えば、平時からの蓄積が効いてくるのでしょう。

荻上 そういったスキームのひとつとして、災害時相互援助協定があります。例えば東京都の杉並区は、福島県の南相馬市とこの協定を組んでいます。そのため、東日本大震災発生の数日後には、南相馬に特定的に財源にするための義捐金を駅前などで集めていました。また行政支援というかたちで、市の職員を複数名派遣して、ボランティア対応などを行い、地元の役所が通常の仕事の復旧作業に専念できるよう役割分担をしていました。杉並区は、新潟県小千谷市とも協定を結んでいるため、中越沖地震の支援のノウハウもあったため、諸々の対応は早かったと思います。

他にも様々な連携のパターンがあると思います。そうした例を、なぜ効いたのかという説明や活用の可能性など、柔軟性や回復力を高めるためのメニュー作りや記録が今後必要だと思いました。支援のために、情報面での教訓を残すというのは、まさに回復力を高めるための作業なのだと、永松さんの話を聞いて腑に落ちました。

永松さんはご自身をポスト阪神淡路大震災世代とおっしゃられたように、これからはポスト東日本大震災世代として、NPOの方や研究者の方も多く現れると思います。そこから紡がれる理論や実践、ノウハウが、今より積極的に共有できていくことを本当に願っています。僕も微力ながら取材を続けていこうと思っていますが、「復興アリーナ」が、その発信のためのプラットフォームになれればと思っております。本日はどうもありがとうございました。

プロフィール

荻上チキ評論家

「ブラック校則をなくそう! プロジェクト」スーパーバイザー。著書に『ウェブ炎上』(ちくま新書)、『未来をつくる権利』(NHKブックス)、『災害支援手帖』(木楽舎)、『日本の大問題』(ダイヤモンド社)、『彼女たちの売春(ワリキリ)』(新潮文庫)、『ネットいじめ』『いじめを生む教室』(以上、PHP新書)ほか、共著に『いじめの直し方』(朝日新聞出版)、『夜の経済学』(扶桑社)ほか多数。TBSラジオ「荻上チキ Session-22」メインパーソナリティ。同番組にて2015年ギャラクシー賞(ラジオ部門DJ賞)、2016年にギャラクシー賞(ラジオ部門大賞)を受賞。

この執筆者の記事

駒崎弘樹NPO法人フローレンス代表理事

NPO法人フローレンス代表理事。1979年東京都江東区生まれ。慶応大学総合政策学部卒業。「子どもが熱のときに預かってくれる場所がほとんどないという『病児保育問題』を解決し、子育てと仕事の両立が当然の社会を創ろう」と、05年4月に全国初の非施設型・共済型病児保育サービスを開始。2007年ニューズウィーク「世界を変える社会起業家100人」に選出。10年からは待機児童問題解決のための小規模保育サービス「おうち保育園」を開始。2011年内閣官房「社会保障改革に関する集中検討会議(座長:菅首相)」委員に就任。プライベートでは10年9月に1児(娘)の父に。経営者でありつつも2か月の育休を取得。著書に『「社会を変える」を仕事にする』『働き方革命』『社会を変えるお金の使い方―投票としての寄付・投資としての寄付』など。

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永松伸吾災害経済学 / 防災・減災・危機管理政策

関西大学社会安全学部教授。1972年福岡県北九州市生まれ。大阪大学大学院国際公共政策研究科博士後期課程退学、同研究科助手。2002年より神戸・人と防災未来センター専任研究員。2007年より独立行政法人防災科学技術研究所特別研究員を経て2010年より現職。日本災害復興学会理事。2015年より南カリフォルニア大学プライス公共政策大学院客員研究員。 日本計画行政学会奨励賞(2007年)、主著『減災政策論入門』(弘文堂)にて日本公共政策学会著作賞(2009年)、村尾育英会学術奨励賞(2010年)など。

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