2011.12.13
ロシア下院選挙 ―― プーチンに国民がつきつけた「ノー」
ロシア下院選挙
2011年12月4日、ロシアで下院選挙(全議席数450を比例代表制選挙で選出)が行われた。本選挙は、2012年3月に予定されている大統領選挙の前哨戦として、きわめて大きな注目を集めていた。ウラディミル・プーチン首相は、その大統領選挙の筆頭候補者であり、当選は確実視されているが、大統領選挙を良いムードで迎えるためにも、下院選挙で結果を残しておきたいところであった。
最近の与党・統一ロシアの人気低迷は顕著であり、今回の選挙では、獲得議席の大幅な減少が予想されていた。具体的には、前回の獲得議席は約7割であったが、今回は憲法改正に必要な3分の2の議席を割り込むのではないかと見られていたのである。
カリスマとして揺るぎない支持を獲得しているかに思われてきたプーチン首相の人気にも陰りが見えてきている。たとえば、11月20日にモスクワで開かれた総合格闘技の大会でプーチンが挨拶をするために登場すると、2万人の観客から激しい怒号の口笛と野次が起こり、収拾がつかないほどの大騒ぎとなった。
ロシアではこのようなことは稀で、ましてやプーチンにとっては前代未聞であった。テレビで全国放送されていたこともあり、面目丸つぶれとなったかたちだ。11月初旬に行われた社会調査によれば、プーチン首相の支持率が前回調査(10月末)の66%から61%に低下し、2000年8月以来の低水準となるなど、その人気低迷は数字にもはっきり出ていた(なお、下院選挙後、支持率は30%程度にまで落ちたという話もある)。
なりふり構わぬ選挙戦
こうしたなか、統一ロシアやプーチンの取り巻きなどは、なりふり構わぬ選挙戦を繰り広げていった。たとえば、メドヴェージェフ大統領とプーチン首相の両首脳は、各地での集会に積極的に参加し、軍人や教員の給与や年金の引き上げなど、バラマキによる生活水準向上を約束したほか、躍進が伝えられる共産党に対し「ソ連を解体に導いた」と激しく攻撃した。
また、地方行政機関が予算増額の条件として集票アップを求めたことなどの不正が報じられたり、ロシア正教会の地方幹部に信者への投票を働きかけるよう求めて野党から批判されたりしていた。加えて、モスクワ大学で起きた学生運動は暴力的に鎮圧され、学生が拘束されたほか、反政府的な運動を起こした人びとのみならず、反政府的な運動を「起こしそうな人」を予防的に逮捕、拘束するという事件も多々起きていたという。
さらに、反政府系の野党の政府公認を拒否したり、統一ロシアのやり方に批判的だった独立系の選挙監視団体「ゴラス」に強制捜査が入ったり、政府に批判的なインターネットサイト、ブログ、ツイッターを閉鎖するなど厳しいメディア統制を行ったりと、必死の対応が見て取れた。しかし、インターネットサイトの制限には手が回りきらず、選挙前日の3日には、中部エカテリンブルクの学校内で数人の女性が多量の書類に何かを書き込む姿が動画サイトユーチューブで投稿され、多くの人びとに視聴されてしまった。それは投票用紙の与党欄に丸をつける光景であり、投票箱に事前に入れる準備であったため、多くの批判が書き込まれた。
あるいは、統一ロシアは、本選挙で議席を大きく伸ばすと見られている野党共産党や極右の自由民主党、左派系の公正ロシアに対し、議席を保証する代わりに「野党を装う」よう依頼し、3党から合意を得たという報道までなされている。このように、あってはならない非民主的な動きが今回の選挙では多々見られ、選挙前から内外で「ロシアに本当の選挙はない」と厳しく批判をされてきたのだ。
選挙当日にも多くの違反
そして、12月4日、投票がはじまると、各地で統一ロシアの苦戦が報じられた。
選挙当日にも、野党支持者がモスクワで190人、サンクトペテルブルグで70人拘束された。拘束者はもっと多いという報道も多数なされている。また、当局者が違法に投票箱に投票用紙を放り込む様子や、野党の選挙監視人が不当に追い出される様子など、統一ロシアの違反を証明する動画がたくさん投稿されたという。
このような動画は、選挙当日も、選挙後も次々と投稿されており、もはや当局も制御しきれない状況だ。さらに、与党が有権者を複数の投票所に連れて行って投票させていた、野党の選挙監視人が投票箱に封印するのを見届けるのを禁じられた、選挙監視人が確認していた票数や出口調査で推定される票数の2~3倍の票が統一ロシアにカウントされていたなど、伝えられる不正は枚挙にいとまがなく、ロシア全土で1100件以上の選挙違反があったと伝えられている。
選挙結果の評価
投票終了直後、統一ロシア幹部のグリズロフ下院議長は、早々に「勝利」を宣言していたが、その一方で、同党の比例代表名簿1位で選挙責任者を務めたメドヴェージェフ大統領は記者会見で、選挙後の野党との連立合意の可能性に言及したことから、過半数割れも覚悟していたとみられている。
9日に中央選挙管理委員会が発表した最終の投票結果は、以下のとおりである。
統一ロシアの前回選挙の得票率は64.3%であったので、大幅な議席減となった。得票率は過半数を割り込んでいるが、同選挙には7党が参加しており、得票率5%未満のヤブロコ、ロシアの愛国者、右派活動(新党)という3党には議席が配分されず、3党の得票分は残りの4党に割り振られるため、統一ロシアの過半数の議席はかろうじて維持されたものの、確保したかった3分の2の議席には遠く及ばなかった。
国民の意識のあらわれ
本選挙において、共産党はとくに新しい主張を発したわけでもない。この結果は、たんに統一ロシアに対する反感が高まり、反発票が野党に流れただけだと考えてよい。統一ロシアが与党を維持する政権下で、経済状況がなかなか改善しないなか、プーチンとメドヴェージェフが大統領と首相のポストを交換すると発表したことは国民の(とくに中間層の)大きな反発を呼び起こした。この発表は、プーチンが主導する政権が、今後、最長12年も継続することを意味し、国民の大きな抵抗を招いたと考えられる。
さらに、選挙戦では多くのなりふり構わぬ行動を各地で見せ、明らかな選挙違反も多くの地でなされたことから、国民はその姿に呆れ果て、すっかり白けムードとなってしまっているという。 統一ロシアに対する国民の反発が高まっていたところに、一連の選挙活動がその反感を、輪をかけて増幅してしまったといえるだろう。
国民も今回は、自分たちの反発の意思を明確に表明するに至っている。
たとえば12月5日には、下院選挙の不正を問う約8千人規模の抗議デモがモスクワで発生し、プーチン首相とロシア政府を批判、選挙結果はでっち上げだとしてプーチンの退任を求めた。革命を求めるものさえいたという。モスクワでは5日夜に300人が拘束され、サンクトペテルブルクでは同じく120人が拘束されたとされる。
また、翌6日には統一ロシアに反発する約500人がモスクワ中心部で抗議行進を行い、軍や警察が放水砲で対抗した。同6日の夜には、少なくとも1000人以上がモスクワの勝利広場でプーチンを激しく批判し、数十人が拘束された。このデモには、元ロシア連邦第一副首相ボリス・ネムツォフや著名な活動家であるアレクセイ・ナバリニも参加していたと報じられている。またクレムリンに近い革命広場ではデモ隊と警察および内務省部隊が衝突し、デモ参加者の一部が拘束された。
他方、それらデモ隊と政府と統一ロシアを支持する青年団体「ナーシ」や「若き親衛隊」などとのあいだの対立も激化している。たとえば1万5千人規模の支援集会を開いた「ナーシ」や、8千人規模の支援集会を開いた「若き親衛隊」と、反政府デモ隊のとのあいだで衝突が起き、双方に拘束者が出ている。
そして、選挙管理委員会が12月9日に最終選挙結果を発表すると、国民の怒りはさらに大きなうねりとなって表れた。選挙管理委員会は、選挙結果に不正はないと主張しているものの、国民はその結果に大きな疑惑を持ち、不満を募らせている。とくに、12月10日は、ロシア各地の50都市で下院選挙の不正疑惑に抗議し、プーチンの退陣を求める抗議行動が行われ、数万人が参加したといわれる。
たとえば、モスクワでは約4万人が抗議行動に参加した(当局サイドは2万~2万5千人と伝え、デモ主催者側は最大10万人の参加があったとしている)。インターネットのフェイスブックやツイッター、ブログなどを通じて参加者は集結したようである。デモ主催者は、事前に3万人規模のデモを午後2時から6時まで行う許可を当局から得ていたが、モスクワでは機動隊5万人以上が配備され、ヘリコプターも出動して上空からも警戒がなされ、130人以上が拘束された。なお、そのデモを当局が許可した背景には、ここである程度の「ガス抜き」をさせなければ、不満が本格的に爆発すると考えたためだろう。
また、プーチンの故郷であるサンクトペテルブルグにも7千人が結集し、与党の人気が高いとされる地方、たとえばシベリアのバルナウル、中部クラスノヤルスク、チタや極東ハバロフスク、ウラジオストクなどでも、抗議デモが行われた。その後もあちこちでデモがつづいているが、このような動きも、プーチン時代になってからはきわめて異例であり、プーチン王朝にいよいよ「ノー」がつきつけられたといえるだろう。
プーチンは米国務省の策謀と言明、メドヴェージェフは調査を指令
このような状況に直面し、政権サイドも状況をいかに取り繕うかに必死だ。
デモやインターネットなどの取り締まりはもちろんであるが、加えて、これらの抗議デモは米国務省の策謀だと主張している。クリントン米国務長官は12月5日に、選挙の施行方法について深刻な懸念があるため、きちんとした調査を求めるという旨の発言を行っていたが、プーチン首相は8日の国営テレビで、この発言こそが、米国務省の支援を受けている反政府勢力に対して行動を開始させる合図だったのだと述べた上、外国からの干渉からロシアを守らねばならないとまで発言した。
実際、2003年のグルジアのバラ革命や翌年のウクライナのオレンジ革命において、米国が干渉した事実はあったといえるが、それに乗じ、米国にデモ発生の責任をなすりつけるプーチンの必死な姿には痛々しさすら感じる。
他方、メドヴェージェフはOECEや米国からの不正選挙の調査要請と国民のうねりを意識してか、12月11日に自らのフェイスブックで、不正が指摘されているすべての投票所での不正調査を実施するよう命じた。声明のなかでは、国民は自分の意見を表明する権利を持っており、それが法律の枠内で実現されたことは喜ばしいが、集会でのスローガンには賛同できないとも述べられている。なお、デモ隊がインターネットを主たる連絡手段としていることから、自らもフェイスブックを利用して、デモ隊へのアピールの意味も大きいとも考えられている。
国内外への影響
だが、いくらプーチンサイドが悪あがきしても、本選挙結果の国内外への影響はきわめて大きいと思われる。
まず、国内についていえば、ただでさえ国民の失笑を買っていた、なりふり構わぬ選挙戦を繰り広げてすら「この程度の結果しか出せなかったか」という軽蔑の雰囲気が強く広がっており、それは今後の政権運営に対し、厳しい状況を生む可能性が高い。とくに、選挙後に各地で繰り広げられた抗議デモでは、参加者が「プーチンやめろ」と高らかに叫び、来年3月4日に予定されている次期大統領選挙で優れた対抗馬が出て、プーチンが大敗すれば良いのにと口々に語っている。
それでもなお、次期大統領選挙でのプーチンの当選は間違いなさそうだ。なぜなら、その優れた対抗馬が出そうにないからである。対立候補は出るだろうが、民主的選挙を演出するためだけのお飾りの対立候補にすぎない状況となり、公正な選挙戦も投票も期待できないだろう。また、プーチンの支持率が相当下がったとは言っても、地方ではまだ支持率はそれなりに維持できているともされている。
とはいえ、プーチンが次期大統領に就任したとしても、これまで通りのスタイルで政権を維持することはきわめて難しいだろう。すでにプーチンのカリスマ性や人気はかなり消失しており、もはやお得意のパフォーマンスで人気を維持できる段階にはないと考えられる。最近では、2000年にプーチンが行った公約が達成されていないという批判も大きく出ていることから、今後はより現実的なかたちでの政策実現と国民生活の向上が急務となってくるだろう。
逆に、プーチンが現実的な政策を推進し、国民生活を改善させることがなければ、国民が「アラブの春」的な動きを起こす可能性も否定できない状況になりうる。現状では、まだ「アラブの春」的な動きは起こらないと筆者は考えているが、「アラブの春」が起きたとき、モスクワの識者は、プーチンのカリスマ性が維持されるかぎり、ロシアで「アラブの春」は起こらないと口々に語った。しかし、最近の一連の動きは、プーチンのカリスマ性が大きく揺らいでいることを示しており、逆に考えれば、「アラブの春」的な動きが起こる可能性が高まっているとも言える。旧ソ連での「色革命」は選挙の後に起きてきた。ロシア当局は現状を直視し、ごまかしの政治から脱却し、現実路線を進めていくことが必要となるだろう。
対外的にも、今回の選挙の影響は大きいと思われる。「もはやプーチンの権力も尽きてきた」という印象が世界にも広がってしまった。とくに、最近のロシア首脳陣の対外的な動きには好戦的な雰囲気が強く見られる。たとえば、今年11月、メドヴェージェフ大統領は、オバマ政権がロシアの一連の要求に同意しなければ、米国が欧州に配備しようとしているミサイル防衛(MD)システムをロシアのミサイルの標的にする可能性があると脅迫しているし、今年発効した新たな核軍縮条約である新STARTからの離脱も示唆した。
下院選挙を前にして、国内向けに「強い指導者」をアピールした可能性もあるとはいえ、このような動きはソ連的な対外行動に類似しており、冷戦的な空気を醸し出している。今回の下院選挙は、国際的なロシアに対する冷笑を引き起こしたことは間違いないが、ロシアが国内外からの批判の声を無視したり、弾圧したりすれば、ロシアの国際的孤立につながる可能性もある。もしそうなれば、ロシアの国際的孤立とプーチンの権力縮小に乗じて、旧ソ連諸国の親欧米化路線が刺激される可能性も高い。
以上のように、今回の結果は国内外に、多くの影響をもたらしてくると思われる。
ロシアの民主化・自由化の萌芽?
今回の選挙結果でひとつだけ言えそうなことがある。それはロシアに真の民主化・自由化の萌芽が見えてきたということである。今回の選挙はあまりに多くの一連の不正により、きわめて非民主的な選挙だったことは間違いない。しかし、ロシアの国民が、プーチン登場以降の権威主義的なロシアにあって、これだけ自分たちの意思を明確に表明したのははじめてのことではないだろうか。
動画の投稿などで、確たる証拠を持って、政府にノーをつきつけたことの意義も大きいはずだ。また、政府も一定レベルの抗議デモを容認せざるを得なくなった。また、ここまで不正が明らかにされては、今後の選挙であまりにあからさまな不正は行えなくなってくるだろう。
これは皮肉なことながら、ロシアの下からの民主化・自由化の第一歩に見えてならない。そのような下からの民主化・自由化の動きを国際的にも見守り、ロシア当局の反民主的な動きを牽制していくべきだ。世界はロシアの選挙後の動向に注視していく必要があるだろう。
推薦図書
政治、経済、ビジネス、エネルギー、軍事という全分野において、2000年以降、ロシアを主導しているウラディミル・プーチンの政治手腕を検証すると同時に、ソ連解体後に大国として復活したロシアのさまざまな姿についても詳細に描いた本である。プーチンの姿のみならず、ロシア人の考え方や彼らの行動パターンについても理解ができるので、現在のロシアの現状を考えたり、将来像を展望したりする上でも役立つはずだ。地図・年譜・図版資料も充実しているので、資料的な価値も大きい。
プロフィール
廣瀬陽子
1972年東京生まれ。慶應義塾大学総合政策学部教授。専門は国際政治、 コーカサスを中心とした旧ソ連地域研究。主な著作に『旧ソ連地域と紛争――石油・民族・テロをめぐる地政学』(慶應義塾大学出版会)、『コーカサス――国際関係の十字路』(集英社新書、2009年アジア太平洋賞 特別賞受賞)、『未承認国家と覇権なき世界』(NHKブックス)、『ロシアと中国 反米の戦略』(ちくま新書)など多数。