2012.01.31

社会保障と税の一体改革を考える

結城康博 社会保障論 / 社会福祉学

福祉 #社会保障と税の一体改革#社会保障目的税#財政健全化

「社会保障と税の一体改革」に関する報道が増えてきた。といっても、野田総理大臣の「ネバー、ネバー、ネバー、ネバー・ギブアップ」発言に象徴されるように、「消費税増税の意気込み」や、「消費税増税を取り巻く政局」ばかりが報道され、肝心の「改革」の中身が報じられない。これではそもそも国民は、「改革」が適切なのか否かを判断できない。

消費税増税そのものは、もはや「既定路線」となった感が強い。昨年末、政府税制調査会は、消費税率を2014年4月に8%、2015年10月に10%と2段階で引き上げるとした民主党案を了承し、現在は法案審議の準備段階となっている。消費税増税に積極的な岡田克也氏が副総理として担当大臣に就任するなど、政府の動きも活発化している。

その使い道について政府は、引き上げ分5%のうち、「1%を社会保障の充実」、「4%をその安定」とすると説明している。なお従来は、「機能維持1%」「消費税に伴う政府支出等に1%」「機能強化3%」といったような表現で説明してきた。だがこれらは単なる言い回しの変化であって、実質は財政再建のための増税であることに変わりない。

こうした「説明」を真に受けるのではなく、政府の消費税引き上げ分の使途が、実際にどう変わったのかを検証・分析することが重要である。その意味では、国民も「社会保障と税の一体改革」における政府の説明を、よく精査していく責務がある。

わたしは昨年、社会保障審議会介護保険部会の委員を務めていた。以下に、今回の「改革」の中身について、いくつか論点整理をしていきたい。

消費税5%引き上げの中身

国民の多くは現在、超高齢化社会といった現実と経済情勢を前に、消費税引き上げに「理解」を示していると考えられる。メディアの報道もまた、のきなみ「増税やむなし」という前提で進んでいる。

かつては消費税引き上げの議論においては、基本的に多くの国民は反対の立場であった。いくつかの政権も「増税やむなし」といった姿勢で国政選挙に挑んだものの、何度も惨敗をきしてきた。だが、今は状況が変わりつつある。

とはいえ、この国民認識の変化の前提には、「消費税5%引き上げ分が社会保障サービスや給付に直結すること」が、条件としてあるのではないだろうか。だとすれば、仮にこの条件が達成されなければ、「消費税引き上げやむなし」という国民感情は、再度、拒否的なものへと変わっていく可能性が高いと考えられる。

借金返済は社会保障目的税化?

現行の政府資料や審議会の資料等を分析・検証すると、少なくとも消費税引き上げ分の1%は、国の借金返済に充てられることが分かる(表1を参照)。

これについて政府は、財政を健全化していくことこそが、「後の世代に負担をかけないために安定した社会を築くため」に重要なのだと述べている。つまり、借金返済も社会保障の安定のために必要であり、「社会保障目的税」の利用対象の一部であると認識している。

しかし同時に、政府はこれまで、消費税増税分をすべて社会保障のために活用すると説明してきた。もしすべて社会保障費に増税分を活用するというのであれば、少なくともこれら2.5兆円分を「サービス及び給付の拡充」部分に充てるべきであろう。

「ムダの削減」を掲げた事業仕分けブームは下火になったようだが、昨年の会計検査院の報告によれば、いまだ4000億円以上の無駄使いが指摘されている。さらなる特別会計などの効率化をすすめれば、まだ一定の財源は生み出す余地があるのではないか。この疑問への説明はなく、ただ「増税ありき」で進んでいく議論に、不信感を抱く国民も多いだろう。

負担増の議論

もっとも、これら2.5兆円を「サービス及び給付の拡充」部分に充てたとしても、現行よりもサービス水準が極端に高くなるとは限らない、というのが実情ではある。仮に「全て社会保障のために活用」したとしても、せいぜい1.25兆円のサービス水準が高くなるところである。

なぜなら、現在の「社会保障と税の一体改革」の中身は、増税にあわせて社会保障給付費の「効率化」を実施するものだからだ。「効率化」とは、要は支出の削減だ。昨年の12月まで医療、年金、介護といった各政府系審議会等において、負担増を含めた議論が繰り広げられ、削減額は総額1.2兆円規模になっている(表2を参照)。

これら政府の負担増案には民主党内でも反対意見も多く、今国会での審議は見送られた案件も多い。だが、現行の政府案(社会保障と税の一体改革)は維持されたままで、いずれ法案審議がなされる可能性が高いのだ。

たとえば、医療分野では高額療養費制度(慢性疾患などで受診が多い患者に対して、一定程度の額を超えた場合に医療費を軽減するシステム)などを拡充させていくものの、外来受診時には、毎回100円を負担するということが検討されている。現行では外来受診時は、原則、窓口自己負担は3割であることは周知の事実だが、それにプラスして、別途100円支払うものである。

また、現在、70~74歳の窓口自己負担は1割に据え置かれ、2割負担は凍結されているものの、「改革」によって正式に2割負担にしていくことも、政府は検討している。

一方、年金制度に関しては、現在の支給年齢65歳を、将来的に68歳まで引き延ばしていく案も議論された(この案については、「今国会では」見送られたが)。あわせて、高齢者の雇用先を確保するため、65歳まで労働者が働きたいと望めば、企業は希望者を雇用しつづけなければならないといったシステムも検討されている。

2%の引き上げでも

消費税増税と、社会保障の「効率化」(という名の削減)。税と社会保障の一体改革の中身は、国民に大きな「痛み」を求めるものだ。

ただし日本の社会保障費は今後、たとえサービスの拡充がなくとも、高齢化の進展によって毎年1.5兆円弱は自然増となりつづける。そのため、社会保障費における安定財源を確保しない限り、財政健全化は達成できないのもたしかだ。

今回の「社会保障と税の一体改革」では、自然増部分と基礎年金国庫負担引き上げ分も、消費税増税分で賄うことになっている。そのため、少なくとも2%引き上げ分は、早急に実施されなければならないことになる。

だがそれならば、当面は2%の引き上げのみ実施して、現在の社会保障制度を維持することだけを目指してもいいのではないだろうか。実際、これだけでも実現されれば、現在は国債などで対応しているのであるから、結果的には財政健全化にもつながるはずである。

だが、現在の借金返済のための増税案が盛り込まれ、さらには「効率化」ばかりに重きを置いた「社会保障と税の一体改革」では、国民的な理解が得られず、政局にも発展しかねない。そうなると結果的には、増税が実現できない可能性も充分に考えられる。

財政健全化そのものは重要

現在、日本の国債発行額は1000兆円を超え、頻繁に財政危機と言われている。一方、日本の金融資産が1400兆円あるから、まだ国債に依存しても問題はないという議論もある。しかも、日本の財政危機は、国内で国債を処理しており国外に借金しているわけではないから、ヨーロッパの状況とはまったく異なるといった考えもある。

たしかに、アメリカやギリシャなどのように対外債務があるとかなり厳しい状況になるが、日本の場合、実質的にはそこまで深刻ではないと考えられる。しかし、政府が1000兆円の借金をしていることに変わりはなく、財政健全化も早急に取り組む必要がある課題でもある。仮に、国債の利回りを0.5%とすると、毎年、利子だけでも5兆円の利息を政府は支払わなければならない。現在の借金は早急に減らせなくとも、せめて1年間の予算編成で国債に依存しない財政状況にしていこうとする政府方針も重要だ。

借金返済は消費税以外で

しかし、消費税増税は、高所得者よりも低所得者に負担が多くかかる結果になるという「逆進性」の問題もあるため、その使途は慎重に考えていかなければならない。その意味でも、増税分は着実に社会保障サービスに直結しなければ国民の理解は得られないだろう。「低所得者などへの保障は削るが、負担は増やす」では、そもそもの社会保障の理念に反してしまう。

つまり結局は、消費税を中心とした「社会保障と税の一体改革」で財政健全化を目指すことには限界があり、所得税、法人税、相続税などといった、文字通り「税制の抜本改革」を実施しなければ、根本的な財政健全化の解決にはいたらない。したがって、「財政健全化イコール消費税で」、という前提ありきの議論も見なおさなくてはならない。消費税増税後、それでも「健全化」ができていないという事態が周知のものとなれば、ますます議論が混沌としたものになってしまうだろう。

社会情勢の変化

さらに重要なこととして、社会保障の議論は、「財政健全化」ありきで議論を進めると、結果としてニーズが忘れ去れ、「弱者」ばかりが痛みを負うという「不健全化」を招いてしまいかねない。

ところで、政府が社会保障制度の枠組みを説明する際に、「自助」「互助」「共助」「公助」といった助け合いの理念を用いることがある。これらは「サブシディアリティ原則」を応用したもので、弱者となった際の相互扶助機能を順位づけしたものである。

一般的に「自助」=「家族」、「互助」=「地域」、「共助」=「社会保険」、「公助」=「社会福祉」と解釈される。その意味では、相互扶助における根本的なシステムは「家族」である。

かつては、高齢者が老いて身の回りのことができなくなれば、子どもが親を引き取り三世代家族で暮らしいく。もしくは子育ては主に「妻」が担い、夫が勤め人として収入を得るといった家族形態が一般的な時代もあった。いわば「介護」や「子育て」といったシステムが、「妻」「娘」といった主に女性によって担われ、その核となる単位が「家族」であった。

「家族」と社会システム

しかし現在、家族形態は大きく変わり、高齢者世帯では独居もしくは老夫婦世帯が増え、家族扶助機能の限界が見えはじめている、家族扶助の大きな担い手であった「女性」の社会進出が進展していく現在、「共働き世帯」は珍しいことではなく、家族の機能が大きく変わっている。

一方、個人の地域社会対する関わり方も希薄化している。かつては近所付き合いを重要視することは常識であったが、昨今は「あいさつをしない」「隣の人と話さない」といった、人間関係の変化が目立つ。地域のネットワークに入ろうとしない人たちも増えはじめ、「互助組織」「地域力」の減退が顕著となっている。

こうした傾向の中、2055年には高齢化率が40%を超える数字が示されていることから、この時点を一定の到達点として睨みながら給付水準を考えていくべきであろう。その際に、気をつけなくてはならない点がある。

社会保障制度を考えるにあたっては、ついつい「負担と給付」といった点ばかりが議論がされがちである。しかし、「家族」「地域」といったインフォーマルなサービス供給形態に限界が見られ、しかも「企業」を中心とした社会構造の変化も顕著となっている今、社会構造や産業構造の変遷を見極めながら、社会システム化された社会保障制度の転換方法を議論し、拡張的な議論を行わなければ、根本的な問題解決の糸口を見つけることはできない。

そして、最終的に社会が求めている社会保障的機能が、いったいどの程度まで必要なのかを検証し、一定の給付水準を見定めてから「負担」を論じなければ、財政論ありきの議論に終始してしまうだろう。

安易な財政再建路線の手段

社会保障と税の一体改革において、「財政状況が厳しい」「財源の裏付けがないとサービスは維持できない」といった議論が、政府の社会保障審議会や国会等でも繰り広げられている。たしかに、日本の財政状況は厳しい状況であり、早急に対策を講じて行くべきであろう。

しかし今は、社会保障費以外の部分でも、無駄使いや優遇税制などが持続・維持されている。いずれ国民に社会保障における給付削減、もしくは大幅な負担増を求めなければならない時期が来るかもしれないが、それらはすべての分野の無駄使いや優遇税制などを廃止・是正されてから実施されるべきであり、現在の財政規律を主張する論は、安易に削減もしくは負担増が可能である部分に焦点をあてているに過ぎない。

その意味では、政府の案を詳細に分析すると、現在の社会保障と税の一体改革は、消費税といった安易な税収源を頼りに財政再建を目指している政策と考えられ、本来の社会保障制度の抜本改革「ではない」と言わざるをえないのである。

プロフィール

結城康博社会保障論 / 社会福祉学

淑徳大学総合福祉学部教授。淑徳大学社会福祉学部社会福祉学科卒業。法政大学大学院修士課程修了(経済学修士)。法政大学大学院博士課程修了(政治学博士)。社会福祉士・介護福祉士・ケアマネジャー。地域包括支援センター及び民間居宅介護支援事業所勤務経験をもつ。専門は、社会保障論、社会福祉学。著書に『日本の介護システム-政策決定過程と現場ニーズの分析(岩波書店2011年)』『国民健康保険(岩波ブックレットNo.787)』(岩波書店、2010年)、『介護入門―親の老後にいくらかかるか?』(ちくま新書、2010年)、『介護の値段―老後を生き抜くコスト』(毎日新聞社、2009年)、『介護―現場からの検証』(岩波新書、2008年)など多数。

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