2022.02.25
タイプの違う9作品、それぞれの取り組みを読み込む――第66回岸田國士戯曲賞予想対談
去る1月末、第66回岸田國士戯曲賞(白水社主催)の候補作9作品が発表されました。2021年はコロナ禍が続き、複数の都道府県で数カ月にわたって緊急事態宣言等が発出されました。2020年のように劇場が一斉に閉じることはなかったものの、市場データを見ると客足は戻りきっていません。そのような状況にもかかわらず、いくつもの意欲的な作品が作られました。若手劇作家の登竜門と言われる岸田賞は、どんな作品を候補に選んだのか。今年もじっくりと各作品を読んでいきます。選考会および受賞作の発表は2月28日です。(企画・構成/長瀬千雅)
バラエティーに富む候補作
田中 今年は、例年以上に楽しく読みました。予想しないといけないのに、読んでいくうちに「あれもいいじゃない」「これもいいじゃない」と目移りするくらい。なぜかというと、どの作品にも新しい「今」の演劇への挑戦を感じられたからです。日本に限らず、演劇はまだまだ保守的な、慣習的な部分が大きく幅をきかせている分野だなと思うんですね。2021年を振り返っても新しい出合いがなくて不安を感じていたところだったので、若手の挑戦が頼もしく、いいぞいいぞと思いました。
山﨑 私も、期間限定とはいえ、最終候補作が今年も公開されたおかげで、読めてよかったと思える作品との出会いがありました。でも、全体として見ると、素晴らしいと思えた作品と、最終候補作になるほどだろうかと感じた作品が、かなりはっきりと分かれたという印象です。今回は最終候補となった作品が9本もあるだけあって、作品のタイプもバラエティーに富んでいます。オーソドックスな社会派は瀬戸山美咲さんの作品くらいで、音楽的な手法を取り入れた実験的な戯曲があったり、長編コントのような作品が入っていたり。タイプの違う作品のよしあしを直接比較することは難しいので、重要なのは、各作品がそれぞれの取り組みの中で何をどれだけ達成しているかということになりますが、そう考えると、似たタイプでほかにもっとよい作品があったのでは? と思うものが何本かありました。
田中 小劇場をたくさん見ているからこその意見ですね。私は瀬戸山さん以外は見ていなかったので、かえって新鮮に驚くことができたのかもしれません。私の勉強不足で、小劇場まで十分にカバーしきれていないんです。だからというわけではないですが、すごくいい作品でも、キャパ数十席の会場で数日間しか上演していなかったりして、限られた人数しか見ていないのは本当にもったいないと思います。
山﨑 確かに、上演を見た人がものすごく少ない作品も最終候補作には含まれていますね。
田中 今回読んだ中でも、こんなに小さいところでやっていたのか、もったいないと思う作品がありました。特に公共劇場は、いい戯曲を書く若手がいたらすかさず機会を与えてほしい。と強く訴えたところで、受賞作の予想にいきましょう。
ノミネート作品と選考委員、二人の予想
■最終候補作品
小沢道成『オーレリアンの兄妹』(上演台本)
笠木泉『モスクワの海』(上演台本)
加藤シゲアキ『染、色』(上演台本)
瀬戸山美咲『彼女を笑う人がいても』(「悲劇喜劇」2022年1月号掲載)
額田大志『ぼんやりブルース』(「悲劇喜劇」2021年11月号掲載)
蓮見翔『旅館じゃないんだからさ』(上演台本)
ピンク地底人3号『華指1832』(上演台本)
福名理穂『柔らかく搖れる』(上演台本)
山本卓卓『バナナの花は食べられる』(上演台本)
*最終候補作品は2月22日から3月1日まで、期間限定で公開されています。
https://www.yondemill.jp/labels/253
■選考委員
岩松了、岡田利規、ケラリーノ・サンドロヴィッチ、野田秀樹、矢内原美邦(50音順)
山﨑 私の本命は、ピンク地底人3号の『華指1832』です。
田中 私もです。よかったですよね。
山﨑 素晴らしかったです。対抗に、山本卓卓さんの『バナナの花は食べられる』を挙げます。山本さんはここ数年ずっといい作品を書き続けていて、今回も渾身の一作でした。岸田賞にふさわしい作品であり作家だと思います。
田中 私は『華指1832』と、もう一作、瀬戸山美咲さんの『彼女を笑う人がいても』を押します。W受賞があるとしたらこの組み合わせじゃないかな。2本挙げたので対抗はなしで。
山﨑 大穴予想は、蓮見翔さんの『旅館じゃないんだからさ』。笑えたという意味ではものすごく面白かったのですが、その単純に面白いということを審査員がどう評価するかわからないという意味で大穴です。
田中 私は、加藤シゲアキさんの『染、色』を大穴と予想します。小説家としては実績のある加藤さんのはじめての戯曲ということですが、会話劇としても自然でうまいと思いました。では、一作ずつ見ていきましょうか。
小沢道成『オーレリアンの兄妹』
■あらすじ
家出をした15歳の絆太(はんた)とその妹で14歳の晃子(てるこ)は途中で不思議な家に忍びこむ。家に住人らしき気配はないものの、入ると壁から英語で歓迎を表す声が聞こえ、そこには最先端の電化製品や高価な服、ご馳走が溢れていた。金持ちの家を目の当たりにした絆太は悲惨な自分の家の状況、父母からの怒号、晃子への暴力、ある日学校帰りに見た路上生活者の窮状を思い出す。夢のような家を出て自活の道を探ろうと促す兄に妹は目の前にある誰かの富を満喫したいと言い返す。(田中)
■上演記録
作・演出・美術:小沢道成
音楽:中村中
出演:中村中、小沢道成
2021年8月 東京・下北沢・駅前劇場
EPOCH MAN
山﨑 小沢さんはもともと「虚構の劇団」に所属する俳優で、2013年からEPOCH MANという自身の演劇プロジェクトで作・演出を手がけています。今回の候補作の中では『モスクワの海』の笠木泉さんも俳優出身の劇作家ですね。『オーレリアンの兄妹』は、童話「ヘンゼルとグレーテル」を下敷きにした作品です。ただ、原作の童話以上のものが描かれているかというと……。
田中 「ヘンゼルとグレーテル」を使って作者が訴えたいことがなんなのか、つかみあぐねる感じがありました。虐待や暴力の連鎖といった現代的なテーマは入ってくるんだけれども、そうだとしても、もとの「ヘンゼルとグレーテル」の筋書きのほうがよほど風刺が効いていると思ってしまいます。
山﨑 金持ちの家に貧しい兄妹が入り込むという筋書きは映画『パラサイト』を思わせもしますが、それも原作の射程範囲のうちだと思います。設定がもっと現実社会に寄せたものになっていたら受け取り方も変わってきたかもしれないですが、全体にファンタジー風の味付けがされていることもあり、翻案としての独自性がどこにあるのかがよくわかりませんでした。会話は小慣れていますしラストの展開には多少の意外性もある。おそらく上演は楽しんで見られるものになっていたのだとも思いますが、戯曲として最終候補作にノミネートされるほど評価すべき部分があるようには思えませんでした。
福名理穂『柔らかく搖れる』
■あらすじ
広島の田舎町に住む小川家の人々。夫を亡くした老母・幸子の住む家には不妊治療の末に離婚して独り身となった長男・良太、ギャンブル依存の次女・弓子、シングルマザーの従姉妹・ノゾミとその娘・ヒカルが身を寄せている。少し離れたところに住む長女・樹子は同性の恋人と暮らしているが、ふたりの関係を家族には話せていない。小川家に住み、あるいは出入りする人々がそれぞれに抱える事情が浮かび上がる4話構成のオムニバス作品。(山崎)
■上演記録
作・演出:福名理穂
出演:菊地奈緒(elePHANTMoon)、用松亮、堀夏子(青年団)、ししどともこ(カムヰヤッセン)、廣川真菜美、矢野昌幸、岩永彩、深澤しほ(ヌトミック) 、桂川明日哥、関彩葉
2021年11月 東京・こまばアゴラ劇場
ぱぷりか
田中 現代社会の争点がてんこ盛りに入った戯曲でしたね。親子の関係、ギャンブル依存、アルコール依存、不妊治療、同性カップル、シングルマザー、老人介護。それらがすべて、ある家族の物語として語られています。そして、家族というもっとも近い存在が、いかにわかり合えないかが提示される。てんこ盛りだけどごちゃごちゃせず、よく書けていると思いました。
山﨑 てんこ盛りなだけでなく、扱われているどの問題に対する視点もきちんとアップデートされていると思いました。今後、すべての戯曲で、ここがスタートラインになってほしいと思うくらいです。登場人物もひとりひとりが立体的に描かれていて、たとえば、意識されないちょっとした行動や性格の類似が家族であることを否応なく示すといった巧さにも唸りました。
田中 シーンとシーンのあいだに入る「ゴポゴポ」という水の音も、息苦しさを絶妙に表していて、うまいですよね。バランスがいい戯曲だと思いました。
山﨑 ただ、先ほども言いましたが、この作品で描かれているようなことは、今の作家はせめてこれくらいの解像度で書いてほしいという、あくまでスタートラインだとも思うんです。オムニバス形式で様々なテーマを「こういう問題がありますよね」と見せるよりも、テーマを絞ってそこから先を見せてほしい。
各話は本当によく書けているのですが、オムニバスとして並べたときに全体を通して見えてくるものがない点も不満です。家族という枠組みが、単に作品を長編として成立させるためのエクスキューズになってしまっているようにも見えるので。
田中 今は長引くコロナ禍で、家族とすごす時間が長くなったり、家族について考えざるをえなかったりする人も多いでしょうから、家族が関心事になりやすいし、戯曲のテーマになることはよくわかる。ただ、枠組みにうまくおさまりすぎていて、それを超えるものが出てきていないのかもしれないですね。
笠木泉『モスクワの海』
■あらすじ
あるときふいに自宅の庭で立ち上がることができなくなってしまった老女。通りがかりの女は老女を助けようとするが拒絶されてしまう。老女には引きこもりの息子がいたらしい。その息子は、近くの公園で起きた通り魔事件の犯人と同い年だ。意を決した女は老女の家の門を乗り越え、老女とともに家の中に入る。そこで女は、老女の生活と、彼女が生きてきた人生の断片を少しだけ知ることになる。(山﨑)
■上演記録
作・演出:笠木泉
出演:松竹生 高木珠里 踊り子あり
2021年12月 東京・下北沢 ニュー風知空知
スヌーヌー
山﨑 受賞作の予想では本命にも対抗にも挙げませんでしたが、私自身が今回一番好きな作品を挙げるとしたら『モスクワの海』になるかもしれません。自宅の庭で立てなくなったおばあさんと、たまたまそこに通りがかった女性の、たった10分程度の交流。その向こうに、おばあさんの過去が立ち上がってきたり、遠くで起きた悲劇的な出来事が透けて見えたりする。戯曲を読んでいくと、それらが別々の出来事ではなく、つながった一つの世界で起きていることなんだということが自然と実感されます。
人間に対するまなざしがやさしいところもグッときます。たとえば、おばあさんの息子が「橋から川に落ちる」場面。男が落ちるのを見た「鳥たち」は「ちょっとふらっとしただけなんだ」と言って、みんなで助けにいくんですね。彼は自殺したんじゃない、たまたま落ちてしまっただけなんだ、と。鳥たちのように誰かの「たまたま」の瞬間に「たまたま」居合わせることでその誰かを救うことができるかもしれない。そういうやさしさを感じました。
田中 最初のほうは、「これはなんの話だ?」と思いながら読み進めたんです。しりもちをついた女性に手を貸すか貸さないかだけの話なので。でも、その女性二人の会話の行間に、しっかりとした世界観があるんですよね。
社会的な出来事がさりげなく入ってくるのも、好感がもてます。例えば、中盤で「男」が、自分と同じひきこもりの男性が引き起こした事件に触れるせりふがあるんですが、巻末の上演メモによると、2019年に川崎市の登戸で起きた通り魔殺傷事件のことを言っているそうです。うまく社会の中で生きていけなかったり、追い詰められたりした人間へのやさしい視線を感じました。現実の事件の犯人を擁護するわけではまったくないし、犯人は亡くなっているから動機もわからないんだけど、この作品の中では、身近でささいな風景の向こうに、私たちの知らないことがたくさんあるんだということを、うまく伝えていると思います。それを社会派の文脈でことさらに説明するのではなく、一風変わったシチュエーションの会話の中にそういうものが見えてくるのがうまいなと思いました。
山﨑 この戯曲は社会も世界もきちんと描いていますが、それは具体的な個人の生活とそこへのまなざしに根ざしている。近くを見たり遠くを見たりという、スケールの伸び縮みがうまいですよね。
田中 一見身近な話なのに、大きな世界を内包している。これを100人前後しか見ていないのはもったいない、もっと大きい劇場でやってもらいたいと思った作品でした。
額田大志『ぼんやりブルース』
■あらすじ
「おーい」という呼びかけからはじまり、劇場の至るところに電話が置かれるこの作品は声を主題にしたものだとひとまずは言えるだろう。言葉は音へと分解され、音楽的に再配置されていく。ときおり現れる意味を持ったフレーズも断片的で、全体として何らかの物語を示すわけではない。この戯曲によって立ち上がるのは、タイトルが示唆するように「ぼんやり」とした言葉以前の声を発し、時間的空間的に離れたところで発せられるそれを聞き取るという営為そのものだ。(山﨑)
■上演記録
構成・演出・音楽:額田大志
出演:朝倉千恵子、鈴木健太、長沼航、額田大志、原田つむぎ、藤瀬のりこ
2021年11月 東京・こまばアゴラ劇場
ヌトミック
田中 この作品は雑誌『悲劇喜劇』に戯曲として掲載されていますし、こうして岸田賞の俎上にものせられていますが、戯曲として評価するのは非常に難しいですね。劇団(ヌトミック)のYouTubeチャンネルに6分ほどのトレーラーがアップされていたのでそれを見たのですが、映像を見て余計にそう思いました。
映像を見ると、互いの声が重なりあったり、楽器の音と声が同時に響いたりしていて、雑多な喧騒の中で生きている若者の日常を表現しているのだと思うんです。カジュアルな衣装や、ワイヤーが張り巡らされた舞台美術を見ても、今日、彼らが置かれている状況を舞台に再現しているのが見てとれます。だからなおさら、この作品は上演ありきのもので、これを評価するのであれば、いろんな音が混ざり合っているこの空間自体を評価してあげないといけないんじゃないかと思うんです。
山﨑 戯曲への評価とは話がずれますが、今の日本の演劇界に、そういう実験的な上演を評価する場がほとんどないのは残念なことだと思います。タイトルの通りなかなか掴みがたい作品ではありますが、私はこの作品のテーマを「声を聞くこと」だと思いました。言葉になる以前の気持ちや、口には出されなかった言葉。そういうものをどうにか聞き取ろうとすること。私は上演を見たんですが、俳優の声と身体を通して立ち上がった上演は、たしかに「声を聞く」場になっていたと思います。出演者の魅力も引き出されていました。
一方、上演を離れて、この作品を戯曲として評価できるかと考えると、ちょっと厳しいのではないかと思います。聞くという行為は上演において立ち上がる部分が圧倒的に大きい。そこまで込みで戯曲として評価できるかどうか。
額田さんはもともと作曲家として活動をしていて、その後、音楽活動と並行して演劇を始めたという経歴の持ち主です。音楽的な手法を演劇に持ち込んだり、演劇的な手法を音楽に持ち込んだりと、二つのジャンルを積極的に架橋するような活動をしていて、第16回AAF戯曲賞を受賞した『それからの街』という作品でも楽譜のような戯曲のレイアウトを採用していました。ただ、声なき声を聞く、というテーマは物語としても書けるものですし、額田さん自身、物語も書ける作家なので、今回のような、行為を引き出すための「楽譜」を戯曲として評価するかと言われると……。
田中 オーソドックスな形式じゃないからダメなわけではないんですよね。ラップミュージカルと銘打たれたままごとの『わが星』が2010年に岸田戯曲賞をとってから、そういったある種実験的な戯曲を、選考委員は何本も選んできているわけで。だけど、この作品は、岸田賞を受賞するのとは違う評価のされ方があるだろうと思いました。
加藤シゲアキ『染、色』
■あらすじ
主人公の深馬はその才能から将来を嘱望された美大生。友人の北見、原田と一緒に卒業制作に追われる日々を送っていた。忙しい深馬を気遣いながら就活に奔走する彼の恋人、杏奈。内心では自分の作品に納得していない深馬だったが、そんな時に不思議なことが起こる。彼の作品に謎の女真未がスプレーで描き足しをして、絵を完成させてしまったのだ。同じ頃、街では深馬と真未が一緒に描いた壁のグラフィティが人々の興味を集めていた。真未の正体とは?深馬の隠された本心とは?(田中)
■上演記録
原作:加藤シゲアキ「染、色」(角川文庫『傘をもたない蟻たちは』所収)
脚本:加藤シゲアキ
演出:瀬戸山美咲
出演:正門良規(Aぇ! group/関西ジャニーズJr.)、三浦透子、松島庄汰、小日向星一、黒崎レイナ、岡田義徳
2021年5〜6月 東京・東京グローブ座、大阪・梅田芸術劇場 シアター・ドラマシティ
東京グローブ座
田中 なによりもまず、この作者は会話を書くのがうまいと思いました。自然に、無理なく会話が流れていくので、それだけでも読ませる力があると思います。加藤さんは、小説家としてのキャリアがあるからか、エンタメ業界でもまれてきたからなのか、若い作家にありがちなひとりよがりさを感じないんですよね。力を入れるところと、すっと引くところの駆け引きもうまくて、「達観しているなあ」と思うほどでした。
ストーリーもおもしろいと思います。美大生を主人公にしていますが、モラトリアムにいる若者を叱咤するようなところもあり、それを上からではなく、自分たちの物語として提示するのが、客の機微をよくわかっていると思います。引っ掛かるところがないわけではないのですが。
山﨑 会話が自然なかたちで書けていて、するすると読めるのは同意です。書く力は十分にあると思う。
田中 ちょっと映画を見ているような感覚にもなりますよね。書きながら自分で演出をつけているような感じがありました。
山﨑 ト書きもかなり書き込んでいるのが印象に残りました。興味の引き方、先が気になる展開の作り方も巧いです。ただ、ひと通り読み終えて振り返ってみると、いくつか腑に落ちないところもあるように思うんです。(※以下、物語の重要な部分に触れています)
絵の才能で生きていくか、就職して働くかの岐路に立つ美大生〈深馬〉が、ある日、〈真未〉という存在に出会う。この〈真未〉はいわば「才能の化身」のような存在です。〈真未〉との関係が深まっていくほど、〈深馬〉と周囲の人間との関係は悪化していく。つまり、社会との折り合いがつかなくなっていく。ところが、〈深馬〉は〈真未〉を信じきることもできず、結局、〈真末〉という存在も失ってしまうことになる。
物語の結末で、〈真未〉と〈深馬〉は実は同一人物だったということが明らかになります。つまり、〈真未〉は〈深馬〉の絵の才能が具現化したような存在だったわけです。二人が同一人物だったというオチはミステリーとしてはややベタ過ぎる印象もありますが、二人の関係を通して〈深馬〉が自身の才能とどう付き合っていくかが描かれているのは巧いなと思いました。
一方で、才能の化身が女性である必然性は感じられませんでした。男性である〈深馬〉の分身なら男性である方が自然だと思うんです。原作の短編小説は同じ設定でかなり違う物語になっているので、単にそちらと合わせたということかもしれませんが……。他にも、〈真末〉が存在しないことに気づいた〈深馬〉の記憶と現実の齟齬や、〈真未〉の部屋が実在していたことなど、細かいところで釈然としない点がいくつかありました。この作品にかぎった話ではないですが、戯曲にも小説における編集者のような第三者の目を入れるシステムがあってもいいと思うんですよね。
田中 中劇場でやれるスケール感はあると思うんですよ。書ける人であるのは確かだと思います。
蓮見翔『旅館じゃないんだからさ』
■あらすじ
ネット配信の普及により閑散としたレンタルビデオ店の店内。新人店員及川が先輩である片山と塚田に研修を受けている。彼氏の勤務初日の様子を確認すべく、及川の彼女、栗原が店にやって来る。栗原はビデオを借りようとするのだが、そこで以前借りたビデオの未返却が発覚、高額な滞納金が発生していると告げられる。そうこうしている内に、この日に訪れた客たちがそれぞれに元カノ、元カレといった入り組んだ関係であることが次第に明らかになってきて、収集がつかない事態に。(田中)
■上演記録
作・演出:蓮見翔
出演:園田祥太、飯原僚也、上原佑太、吉行翼、道上珠妃、中島百依子、忽那文香、吉原怜那、蓮見翔
2021年9月 東京・ユーロライブ
ダウ90000、渋谷コントセンター
山﨑 蓮見さんが主宰する「ダウ90000」は、2020年の9月から活動している劇団・コントユニットで、今回ノミネートされた『旅館じゃないんだからさ』は第二回本公演として上演された作品です。まだ活動歴は浅いユニットですが、先日の第三回本公演『ずっと正月』ではチケットが発売後すぐに売り切れてしまうくらいの人気ぶりでした。
戯曲を読めば人気にも納得ですよね。めちゃめちゃ面白い。ただ、それ以外の感想は特にないという……。これまでも、たとえばヨーロッパ企画の上田誠さんの作品のように、直球でエンタメな戯曲が岸田賞を受賞しているケースはあります。でも、エンタメであることは物語やテーマがないことを意味しません。一方で『旅館じゃないんだからさ』は笑いの一点突破のように思えるんです。
田中 わかります。せりふもおもしろいし、言葉の縮め方にもセンスがあるし。最初から最後までおもしろく読みましたが、結論として「この人はお笑いがやりたいんだな」と思いました。コメディが悪いわけではないんですよ。コメディでいいんだけれども。
山﨑 ステレオタイプを利用しつつ、嫌な笑いがなかったことには好感を持ちました。ベテランのバイトと新人、彼氏彼女に元カレ元カノ、そして片思いと登場人物の組み合わせを少しずつずらしながら会話を回していくつくりも巧いし、くだらないことを延々話し続けて飽きさせないテクニックもある。笑いという点においてはすでにトップレベルだと思います。
田中 お笑い全盛の時代ですから、きっとこういう作品が求められているんでしょうね。
山本卓卓『バナナの花は食べられる』
■あらすじ
マッチングアプリの利用者とサクラとして出会ったバナナと桜。意気投合したふたりはともに探偵業をはじめることになる。探偵の仕事を通して出会った元セックスワーカーのレナ、売春斡旋やドラッグ売買の仲介役だったクビちゃんも加わり、仲間は4人に。彼らはバナナの希望でアリサという女性を「救おう」とするが、かえって深く傷つけてしまう。失意のバナナが命を落とし、残された3人は再びアリサを救おうとするが——。(山﨑)
■上演記録
作・演出:山本卓卓
出演:埜本幸良、福原冠、井神沙恵(モメラス)、入手杏奈、植田崇幸、細谷貴宏
2021年3月 東京・森下スタジオ Cスタジオ
範宙遊泳
山﨑 山本さんはこれまで第59回に『うまれてないからまだしねない』が、第62回に『その夜と友達』が最終候補にノミネートされていて、今回が3回目のノミネートになります。
この戯曲ではまず、自分を「腐ったバナナ」と呼ぶ男が、マッチングアプリのサクラの男や、セックスワーカーの女といった登場人物たちと、一人一人出会っていきます。別々の方向を向いていた者同士が、互いに向き合うことによって変化していく様が丁寧に描かれていく。そうして集まったメンバーである女性を救おうとしますが、失敗に終わります。しかも主人公は死んでしまう。それでも彼の行動が、思っていたのとは違うかたちではあるけれども人を救うことになるというラストが感動的でした。
田中 私も、泣けるなこれは、と思いながら読み終えました。登場人物たちの境遇は、社会的弱者と呼ばれるものかもしれませんが、でも今の世の中では誰も、特に若い人たちは、「自分は弱者ではない」とは言い切れないと思うんです。ここに書かれていることはひとごとではない。なのに政治は機能していないし、SNSは暴走しているし、いったいこの国はどうなっちゃったの?というような現実がある。山本さんはそういう現実をしっかりと見つめて、戯曲の中に「今」をきちんと書き込んでいるなと思いました。
言葉の使い方もよくて、刺さるせりふがたくさんありました。シニカルな言い方にはなっているけれど、登場人物たちのやるせなさやもがきみたいなものがにじみ出ていると思います。戯曲として、言うべきことを恐れずにまっすぐに言っているところがすばらしいと思いました。
山﨑 山本さんの近作では、ある種の弱さを抱える人たちがそれでも真っ当であろうとする姿が描かれていることが多いように思うんですけど、この作品はその集大成、渾身の一作になっていたと思います。
田中 この戯曲は、山本さんの「戦う姿勢」を表しているのかなとも思ったんですよ。この国の大人たちはなぜ正しくあろうとしないのかと、もの申したい気分もあったんじゃないかと思うんですよね。
山﨑 前回ノミネートされた『その夜と友達』も本当に素晴らしい作品だったので、今度こそ受賞してほしいと強く思います。
田中 山本さんが受賞して予想がはずれる未来は大歓迎です。
▽瀬戸山美咲『彼女を笑う人がいても』
■あらすじ
原発事故以降の福島を取材し続けてきた新聞記者の高木伊知哉はオリンピック開催を前に上司から配置転換を告げられる。事実上の連載打ち切りに途方にくれる伊知哉は祖父、吾郎の残した取材ノートを手に取る。タクシードライバーだった祖父は30歳まで新聞記者として安保闘争に参加する学生たちを取材していた。学生運動のターニングポイントとなった東大女子学生の不幸な死。その報道をめぐり上司と衝突する吾郎。報道はどうあるべきか、2つの時代の国を揺るがす事件から考察する。(田中)
■上演記録
作:瀬戸山美咲
演出:栗山民也
出演:瀬戸康史、木下晴香、渡邊圭祐、近藤公園、阿岐之将一、魏涼子、吉見一豊、大鷹明良
2021年12月 東京・世田谷パブリックシアター 福岡・愛知・兵庫へ巡回
世田谷パブリックシアター
田中 「よくぞ書いてくれた」と思う作品でした。瀬戸山さんの戯曲は、この国の政治をテーマにしたものが多いですが、その中でも今作は、非常にすっきりと、理に適うかたちで書かれていると思います。
タイトルの「彼女」は、劇中には登場しませんが、1960年の安保闘争で亡くなった樺美智子さんを指すと思われます。当時、国会議事堂前に集まった学生と機動隊の衝突の中で、大学生だった樺さんが命を落としたのは、センセーショナルなできごとでした。戯曲の中で、デモの最中に死亡した女子学生の死因をめぐって新聞記者が取材を重ねますが、樺さんの死因をめぐる議論も当時、実際にあったことです。
この国の歴史の中で、学生闘争があんなかたちで失敗に終わったことは、ある種のトラウマになっていると思うんですね。あの失敗を引きずって今があるというのは、まさにこの戯曲が物語るとおりだと思います。そのことをテーマにして、かつ、あのころと今をつないで書かれていることが、すばらしいと思いました。二つの時代を対比することで、この国の本質的な「変わらなさ」を描き出す構造もうまいと思います。
山﨑 私はこの作品はまったくいいとは思えませんでした。この作品で描かれるほとんどの問題は戯曲の冒頭で提示されていると思うんですけど、読み進めていってもそれが深まっていかない。祖父〈吾郎〉がかつて新聞記者だったことを知った主人公〈伊知哉〉が祖父のことを知ろうとしますが、それによって変わっていくものもありません。
田中 過去が現在にポジティブな影響を与えず、〈吾郎〉の挫折を〈伊知哉〉がなぞっているだけだとしても、そのこと自体が「60年安保から60年経ってもいかにこの国が変わっていないか」という現実を表しているんじゃないでしょうか。祖父が味わった悔しさを、今また自分も味わうのか、という。
山﨑 うーん……物語を通してそれが見えてくるのであればいいんですけど、その結論はこの戯曲では最初から見え見えだと思うんですよね。終わり方も感心しませんでした。〈伊知哉〉は原発避難者を取材してきた連載を失うわけですけど、取材される側の人間、しかも女性が失意の〈伊知哉〉を慰撫するようなことを言うのは、あまりに主人公に都合がいいのではないかと思います。
田中 私は、観客に未来を想起させる終わり方だと思いました。この戯曲を今やる意味、特にオリンピックのあとにやる意味は大きいと思う。このテーマを取り上げて、公共劇場でやってくれたことを高く評価したいです。
ピンク地底人3号『華指1832』
■あらすじ
京都市南区、鴨川を跨ぐ京阪沿線のガード下にあるダイナーを舞台に、そこを切り盛りする京子と彼女の家族をめぐる物語が描かれる。息子・ひかるの恋の向かう先が焦点となる現在と、夫・健人に起きた出来事が焦点となる過去。両者を行き来するなかで浮かび上がるものとは——。ろう者である京子を中心としたコミュニティを描くこの作品では、多くのセリフが手話、あるいは発語交じりの手話として発せられるということも付記しておくべきだろう。(山﨑)
■上演記録
作・演出:ピンク地底人3号
出演:岡森祐太、木下健(短冊ストライプ)、しもさかさちえ、中村ひとみ、橋本浩明、薮田凛、山口文子、白木原一仁(プロデュースユニットななめ45°)
2021年9月 大阪・in→dependent theatre 2nd
ももちの世界
山﨑 まず率直に、とても驚きました。以前、と言ってもおそらく10年近く前ですが、王子小劇場で劇団「ピンク地底人」を見たときは割と実験的なことをやっていた印象があり、今回のような骨太な戯曲を書く作家であるという認識がまったくなかったものですから。
現在と過去、二つの時代を行き来しながら、未来へと受け継がれていくものと過去の呪縛とが描かれ、それらが日常の差別や暴力、さらには日本から離れたアメリカで起きる同時多発テロ事件にも連なるものであることが示される構成は驚くほど巧みです。
田中 それぞれのキャラクターもしっかり書けているし、なんといっても会話がうまいですよね。そして、多様性をこれほどしっかり意識して書かれているのがすばらしい。この戯曲の最大の特徴は、登場する人物6人のうち2人がろう者であることだと思うんですが、流行りのダイバーシティかと思いきや、上っ面ではまったくない。少数者は大変だ、差別されていると告発するものではなく、家族という普遍的なテーマを描こうとして、それに成功しています。
会話だけでなく、描写もいいんですよ。主人公の〈京子〉の息子〈ひかる〉が料理をする詳細な描写とか、京都の町並みの描写とか、そこに彼らの日常の時間があることをしっかりと感じられる。まるでイギリスの劇作家、サイモン・スティーヴンスのようだと思いました。
山﨑 一度最後まで読んでから改めて読み返してみると、ものすごく緻密に、いろいろなものが対比されているのがわかるんですよ。たとえば、料理をつくり出す指先と、戦闘機のネジをつくる指先。それは母から受け継がれた味であり、子を養うための仕事でもあります。タイトルが、男女が出会ったときの指先にともる炎と、人体を燃やす炎のダブルミーニングになっていることに気づいたときには衝撃を受けました。生と死の対比が繰り返し描かれていて、しかもそれらは絡まり合って割り切れないものとしてあるわけです。捏造した過去にすがらないと生きられない業を抱えた人間の姿が描かれているところにも作家としての凄みを感じました。
強いて言えば、人間たちを見守る存在として登場する〈高架橋〉の存在はあまり生きていないんじゃないかな、とは思うんです。でもそれも、ほかがあまりにもよく書けているから目についたのかもしれません。上演のときは字幕がつくんですよね?
田中 字幕はついていたそうです。演劇を手話でやることは以前からあったかもしれませんが、当たり前のこととして登場人物にろう者がいるという視点は、新しい扉を開けてくれたと思います。
*最終候補作品は2月22日〜3月1日まで、期間限定で公開されています。
https://www.yondemill.jp/labels/253
世代交代は進むか
田中 9作品すべて読み終えましたが、最初の予想は変わりましたか?
山﨑 変わらないですね。迷うとしたら笠木泉さんの『モスクワの海』を本命か対抗に置くかどうかだけです。すごくいい戯曲なので、評価されてほしいと思っています。
田中 私は今回、加藤シゲアキさんが候補に入ったことで、演劇に興味を持つ人が増えてほしいと思いました。今回をターニングポイントとして、演劇界に新しい風が吹いてほしい。オリンピックを見ていても思うんですが、スポーツの世界は強制的に世代交代が進むじゃないですか。もちろん演劇はスポーツではないけれども、劇作家、演出家、さらに批評家にしても、もう少し積極的に若い人にチャンスを与えないと。日本の場合、ようやく公共劇場の役割が議論され始めたところなので、これからもっといろんな試みが進むといいなと思います。
山﨑 戯曲だけでなく、演出にしても批評にしても、ダイバーシティやジェンダーに関する感覚がアップデートされていないものは、これからいよいよ通用しなくなっていくと思いますし、そうでなければ演劇は衰退しても仕方ない。演劇に参入する人を増やそうとするだけでなく、きちんと更新されていってほしいですね。
▽白水社・岸田戯曲賞 サイト
http://www.hakusuisha.co.jp/news/n12020.html
プロフィール
山﨑健太
1983年生まれ。批評家、ドラマトゥルク。演劇批評誌『紙背』編集長。WEBマガジンartscapeでショートレビューを連載。他に「現代日本演劇のSF的諸相」(『S-Fマガジン』(早川書房)、2014年2月〜2017年2月)など。2019年からは演出家・俳優の橋本清とともにy/nとして舞台作品を発表。主な作品に『カミングアウトレッスン』(2020)、『セックス/ワーク/アート』(2021)、『あなたのように騙されない』(2021)。
artscape: http://artscape.jp/report/review/author/10141637_1838.html
Twitter: @yamakenta
田中伸子
演劇ジャーナリスト、The Japan Times演劇担当。2001年より英字新聞 The Japan Timeの演劇担当として現代演劇、コンテンポラリーダンスに関する記事を執筆するほか、新聞、演劇専門誌などの日本語メディアにも記事を寄せている。
バイリンガル演劇サイト:jstages.com
https://www.japantimes.co.jp/culture/stage/
観劇ブログ:芝居漬け https://ameblo.jp/nobby-drama