2026.08.23

『福田徳三著作集』全21巻完結に寄せて

柿埜真吾経済学

現代の商業及商人 (福田徳三著作集第20巻)

著者:福田徳三研究会編集
出版社:信山社

福田徳三(1874-1930)は、黎明期の日本の経済学を語る上で欠かせない人物の一人である。

福田は限界革命や歴史学派の成果を日本の経済学に導入し、多くの弟子を育てただけでなく、マルクス主義や国家主義に対抗する自由主義の旗手としても活躍し、吉野作造とともに普通選挙の実現に尽力した。福田の業績は経済学にとどまらず、政治思想、歴史学、教育学など多岐にわたる。

しかしながら、大正デモクラシーの時代を代表する人物であるにもかかわらず、福田の著作集には彼自身が生前に刊行した『経済学全集』(1925–1926年)しかなく、一般人が福田の著作に触れることができる機会は稀であった。福田の存在はしばしばライバルのマルクス主義経済学者、河上肇の陰に隠れがちであり、批判的立場から見た一面的な評価がされることも少なくなかった。

『福田徳三著作集』の刊行により彼の業績に改めて光が当てられるのは大変喜ばしいことである。

本稿では全21巻のうち、比較的手に取りやすいものとして第20巻『現代の商業及商人』を紹介しよう。本書は、福田の商人論・商業教育論の古典、『現代の商業及商人』を中心に比較的若い時期の著作を集めたものである。

福田の主張には理想主義的な側面もあるが、日本の近代化には、まず個人の発達が必要であり、近代社会に相応しい商業道徳を確立する必要があるという強い意気込みが感じられる。

特に注目されるのは従来の武士道倫理への批判である。福田は、利益を軽蔑し主人への忠義を重んじる発想を批判し、新たな商業道の必要性を説いている。

武士道といえば、新渡戸稲造の『武士道』が有名だが、同じクリスチャンでありながら福田が新渡戸とは武士道に対照的な評価を下している点は興味深い。

武士道は主君との主従関係を前提とする社会で生まれた道徳である。現代社会は契約による権利と義務に基づく関係で成り立っており、それは主君と家臣の関係とは大きく異なる。経営者は主君ではなく従業員は家臣ではない。身分から契約へと社会の仕組みが変わった以上、日常生活の平和的な営みの中で国を富ませ社会を豊かにするには新たな商業道が必要だという。

そもそも商業活動でなぜ利益が生まれるかといえば、何か新しいことを始めるからである。商人は新たな需要を作り出し、生産者と消費者を結びつけることで「一歩ずつ社会の進歩より先に進んで行く者である」。資本主義の下の利益は革新的活動への報酬であり、社会全体の利益の一部である。

商人の獲得する利益は新しい価値の創造から生じ、社会全体の富を増加させる。「一人の利益は他人の損失」というゼロサム的発想は誤りである。「一人が利益を得れば他人も利益に与る」のである。商業は卑しい活動ではなく、商人たる者は「商人は社会進歩の先駆者」としての誇りを持ち、誠実に自らの職務に励まなければならない。

武士道を肯定し士魂商才を説く人々は、商業を戦争の延長上で考えがちである。これは「一方の得が他方の損になる」と考えるゼロサムゲームの危険な発想である。

福田は、第一次世界大戦で実力をわきまえず帝国主義に走り世界を敵に回したドイツ敗北を当然とし、ましてドイツ以上に弱い日本が帝国主義に走ればその結果は明らかだろうと説く。もし世の中に危険思想というものがあるとすれば、これこそ危険思想だと喝破する。福田の死後、不幸にも懸念は的中したといえるが、彼の先見の明は高く評価できるだろう。

貿易は国同士の戦争ではないし、取引は騙しあいではない。個人同士であれ、国同士であれ、市場取引は、当事者の双方が得をする互恵的な営みである。商人の利益は新たな価値を生み出す創造的活動の結果であり、それは社会の富を増加させる。商人はどれだけ社会の富を増加させたかで評価されるべきである。

国際貿易も戦争ではなく、互恵的利益をもたらす活動として理解すべきなのである。トランプ政権の独善的な貿易政策と軍事政策が深刻な混乱をもたらしている現在、福田の言葉に改めて耳を傾ける価値は小さくないだろう。

田中秀臣上武大学教授による解説は、近代化の流れに対応して巧みに販路を開拓した優れた刀剣商人だった父やキリスト教の信仰に篤い母の影響など福田の生い立ちから、丁寧に福田の経済学の形成過程を辿る優れた解説である。

プロフィール

柿埜真吾経済学

1987年生まれ。経済学者、思想史家、高崎経済大学非常勤講師。学習院大学文学部哲学科卒業、経済学研究科修士課程修了。立教大学兼任講師等を経て2020より現職。著書に『ミルトン・フリードマンの日本経済論』、『自由と成長の経済学』がある。

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