思考や発見を誘発するささやかな介入――「ガブリエル・オロスコ展―内なる複数のサイクル」

東京都現代美術館で「ガブリエル・オロスコ展―内なる複数のサイクル」が開催中だ。ガブリエル・オロスコ氏は1962年メキシコ生まれ。90年代から活躍し、現在も世界の主要美術館での大規模な個展が続く現代アートの巨匠であるが、その作風は誰にでも開かれていて、非常にユニバーサル。世界各地を回りながらその土地その土地で制作をするスタイルで、会期中は日本に滞在しているらしい。世界中で多くの人を惹き付ける彼の魅力を知りたいと、展覧会を担当する東京都現代美術館学芸員・西川美穂子さんに話をうかがった。(取材・構成/長瀬千雅)

 

 

現代美術の巨匠、国内初の個展

 

――ガブリエル・オロスコ氏の個展は国内の美術館では初だそうですね。

 

現代美術ファンには名前が知られていますし、1990年代からベネチア・ビエンナーレやドクメンタ(ドイツ・カッセルで開催される大規模な現代アートのグループ展)などの国際展で活躍する大変重要な作家ですが、日本ではこれまで紹介される機会が少なかったですね。

 

 

――このクルマのビジュアルがキャッチーで、「見たい!」と思ってしまいました。これは代表作の一つですね?

 

 

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《La DS カーネリアン》2013年 変形した車 H150×W490×D120cm

 

 

正確には、93年に発表した《La DS》の別バージョンです。初代は水色のシトロエンDSでした。まだ無名の作家が発表したこの作品は、かなり大きなインパクトを与えました。フランスでの展覧会だったのでシトロエンDSを選んだわけですが、ギャラリーにこの作品が現れたときは、誰も見たことのないものだったでしょうね。見慣れたクルマだし、クルマだとわからない人は絶対にいないけれど、違うものになっている。驚きがあったと思います。

 

20年後にこの《La DS カーネリアン》を作った時には、彼も作品も有名になっていたわけですが、そのことを十分に意識した上で作っていると思います。同じものでも、違う文脈に置かれると、違う意味が生ずる。それを楽しんでいるし、見せたい気持ちがあるんです。現にこうして日本の展覧会で、ヨーロッパとは違う文脈、違う組み合わせで見せている。同じ手法をとっているけれど、彼にとっては新しい作品なのです。

 

 

――クルマをいじるにしても、全然違うものにするという選択肢もあるわけですよね。バラバラに解体して別のものを作るとか、ぐしゃっと潰すとか。

 

オロスコは、あるモノや状況に「介入」することによってちょっとした変化を起こします。その小さな変化が、大きな変容よりも私たちには驚きだったりするわけです。固定観念をゆらすのが上手い。だから、これもちゃんと乗れる形でないとダメなんです。

 

 

ガブリエル・オロスコ氏 Photo: Eric Sander

ガブリエル・オロスコ氏 Photo: Eric Sander

 

 

オロスコ氏のコメント(オープン前日の会見より)

子どものときはF1ドライバーになりたいと思っていて、世の中のお子さんと同様に、私もクルマのコレクションを持っていました。道ばたにあるクルマを全部F1みたいにしたらすごくかっこいいんじゃないかと思っていたんです。93年にパリに行くと、DSがあちこちで現役で走っていた。自分は特に大事だと思っていなかったものが、その場所では特有の性質を持った存在であることが強く印象づけられたわけです。また、人によっては有機的なデザインを汲み取ることができるし、アバンギャルド性や、未来に対して希望もたらすユートピア的な要素もある。そのDSというクルマを切って、組み替えて、圧縮するということは、その中に身を置いていた人体そのもののあり方を、記憶が変えていくということです。(《La DS》は)モダンやテクノロジーに対して人々が求めているものをもう一度見つめてようとした、きわめて特別で、はっきり言ってクレイジーなプロジェクトでした。

 

 

――走らせることはできるんですか?

 

エンジンルームは空洞なので動きはしませんが、乗り込んでシートに座れるようになっています。今回の展示ではお乗りいただくことはできないのですが。「移動」と「容れ物」というのは彼にとって大事なコンセプトです。中は無かもしれない。何かが詰まっているかもしれない。入れ替わることも可能。物事をそういうふうに見て、考えているんですね。クルマも、中に空洞を持っていますよね。

 

 

――空洞といえば、あの問題作です。

 

問題作ですね(笑)。

 

 

《ヌードル・フォール》2015年 即席麺のカップH14.6×W14.6×D7.5cm

《ヌードル・フォール》2015年 即席麺のカップH14.6×W14.6×D7.5cm

 

 

――最初は、「なんでどん兵衛の空きカップが壁にくっついているんだ?!」と思ったんです。何か細工がされているわけでもないですし。《ヌードル・フォール》とキャプションがついていたので、これも作品なんだとわかったぐらいで。

 

フタの写真がうどんの滝のように見えたそうです。日本語がわからないので抽象画のようにとらえているんですね。

 

 

――実際にオロスコさんが食べたものなんですか?

 

オープニングの前日に自分で買ってきて、「お湯ちょうだい」って、いきなりここで食べ始めたんです。食べ終わったところで、「釘、もってきて」って。とんとんと壁に打ち付けて、「キャプションもつけてね」とか言って(笑)。本当は、言わずにいて、「あれは本人が食べたのだろうか?!」と思っていただいた方が面白いのかもしれませんが、別に隠すことでもないので。

 

 

――(近づいて見る)ダメだ、どん兵衛をまじまじと見てる自分が面白すぎる。

 

(笑)。カップ麺って、一度フタを開けてお湯を入れたあと、閉じるじゃないですか。それが面白いと言うんですね。クルマと同じで、一度割って開けて、閉じたわけです。

彼はデザインだけでどん兵衛を選んだそうなのですが、カップ麺の中でも日本で知らない人はいないこれを選んだというのがまた、すごいですよね。

 

 

――たしかに、よくぞこの国民的商品を。言われてみるとこの格子模様が抽象画に見えなくもない……。

 

彼はアレクサンドル・ロトチェンコ(ロシアの構成主義作家)も好きですよ。

 

 

――意味が伝わらなければ漢字って模様ですしね。……でもやっぱりダメです、日本人の目を捨てられない。「どん兵衛」って読んじゃう。

 

94年に開いた、伝説的な個展があるんです。ニューヨークのマリアン・グッドマン・ギャラリーというところだったのですが、ある部屋に入ると、何もないんです。あれ?と思いながら歩みを進めていくと、四方の壁のまん真ん中、目の高さのところに、透明のヨーグルトの丸いフタだけが貼ってある。《ヌードル・フォール》はその展示ともつながりますね。今回はフタだけでなく容器ごとですが。どんぶり状の形自体が気に入ったみたいなので。

 

 

――なるほど。ちなみに、展覧会が終了したら、この容器はどうするんですか?

 

捨てるわけにはいきませんね(笑)。

 

 

――どこかに巡回するのでしょうか。誰か買いたい人が現れるかも? あえなく夢の島行き? 想像がふくらみます。

 

 

「コンセプチュアルな存在」としての写真

 

ーー写真作品も、ユーモアに溢れたものが多いですよね。

 

 

 「ガブリエル・オロスコ展―内なる複数のサイクル」の展示風景

「ガブリエル・オロスコ展―内なる複数のサイクル」の展示風景

 

 

 《ピアノの上の息》1993年

《ピアノの上の息》 1993年 Cプリント

 

 

今回、写真作品は30点ほど展示しています。私たちは何点ぐらい欲しいという希望を伝えて、どれを展示するかは作家本人が選びました。こちらで仮に年代順に置いておいたものを、彼が来日してから自分でバーッと並べ替えていきました。

 

よくどんな機材で撮っているかと聞かれるんですが、コンパクトカメラなんです。今はiPhoneも使うそうです。持ち運べることがとても重要で、自分のアクションを記録するためにカメラがある。特徴的なのが、《ピアノの上の息》です。

 

グランドピアノに吹きかけた息を撮っているのですが、はぁっと息を吹きかけて、消える前にパッと撮る。全部一人でやっていることです。三脚を構えて構図を決めて、露光を調整して、という撮り方はしていません。そういう態度が軽やかに見える理由だと思います。楽しい気持ちにもさせてくれますし。

 

 

――直感的にわかるようになっている感じがします

 

何を見せたいかということはちゃんと認識できるけど、すごく説明されているわけでもない。ちょっとほったらかしにされている感じもあったりしますよね。

 

 

――コンセプチュアルアートというと、試されているような、小難しいものだったらやだな……と正直思ってしまうのですが、そういう小難しさはないですね。

 

そういうことは絶対しないですね。彼の特徴はやはり、日常への小さな介入なんです。

 

 

 《クレイジーな観光客》1991年 Cプリント

《クレイジーな観光客》1991年 Cプリント

 

 

この《クレイジーな観光客》は初期の代表作の一つですが、ブラジルの市場なんですね。彼が落ちていたオレンジを拾って、一つの机に1個ずつ置いていった。そうしたらその場にいた他の人たちもやり始めて、こういうことになったそうなんです。「僕らはクレイジー・ツーリストだね」と言い合ったところから、タイトルがついたそうです。

 

 

――この状況作りに加担した人たちが自分たちのことを「おかしな観光客」と言っているんですね。

 

そうです。そして日本人の観客は、「梶井基次郎の『檸檬』だよね」と。

 

 

――あ、本当ですね! 丸善の書棚に置かれたレモン。見立ての面白さとか、謎解きになっているタイトルとか、すごく日本的な感性に近いものを感じてしまいます。俳句的というか、詩的というか。

 

私もそう思います。そして、彼にとっては写真作品も彫刻なんです。

 

 

――写真も彫刻、ですか。

 

写真を見るというより、観客にその空間と時間を体感してもらいたいと思っているんですね。

 

オロスコ氏のコメント(オープン前日の会見より)

私が写真でやろうとしていることは、通常フォトジャーナリストが撮るような本格的な写真のあり方に反論するということもありました。つまり、構図に固執し続けることを突き抜けた、コンセプチュアルな存在としての写真です。アイデアが中心にすえられている、すなわち、写真を経由して立体作品を作っていくということが、私が写真の取り組みでやっていることです。中心点は無限の広がりを持つ空間であり、ボリュームであることができる。私が常に行っている「介入」を、従来の写真のあり方と替えていく。従来の写真のあり方と真逆のことをやっていったのです。

 

 

――もともと彫刻家を志望していたのでしょうか。画家とかではなく?

 

大学では絵画の勉強もしていましたが、いわゆる西洋画よりも、ロシアのイコン(正教会で発達した聖画)が好きだったみたいですね。イコンは崇拝の対象を非常に象徴的に、プリミティブなかたちで表現するものです。彼には、遠近法を使ってキャンバスの中にイリュージョンを作り出すということはしたくないという思いがあるんです。

 

 

 

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シノドス国際社会動向研究所

vol.2019.4.15 

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