TPPの憂鬱 ―― 誤解と反感と不信を超えて

環太平洋戦略的経済連携協定(TPP)をめぐる議論がにわかに熱くなってきた。反対論を唱える本がすでに昨年から今年はじめにかけて出版されているように、議論そのものはすでに1年近くつづいている。反対派の代表ともいえる中野剛志氏(京都大学工学部准教授)の『TPP亡国論』(集英社新書)は2011年3月の刊行だ。だが、野田佳彦首相が11月12、13日に開催されるアジア太平洋経済協力会議(APEC)に向けて、交渉参加の決定を下すとしたことで議論のボルテージが上がってきている。

 

しかし、議論が熱くなればなるほど、TPPについて論じることは憂鬱でもある。議論があまりに事実誤認に基づいていること、あまりに多くのことを混同していること、あまりに対立激化していることなどなど、理由は多い。もっとも憂鬱とばかりも言っていられない。もう少し説明をしてみよう。

 

 

自由貿易をめぐる誤解

 

TPP反対論は、煎じつめれば貿易自由化への誤解、アメリカへの反感、政治への不信の3点くらいになるのではないだろうか。

 

第一に、貿易自由化をめぐる誤解だ。去る10月27日、中野剛志氏がフジテレビ系の『特ダネ!』に出演したときのことである。笠井信輔アナウンサーが、前原政調会長が外相時代にTPPについて、「農業は日本の国内総生産(GDP)で見て1.5%ほどにすぎない、98.5%のことを考えなければならない」という発言を紹介したところ、中野氏は「今回の震災で被害にあった東北の人は0.5%だ。だからといって少数の人を切り捨てるのか」と一喝した。前原氏の真意はわからない。しかし、ここでは明らかに「多数がトクをするために少数がソンをする、犠牲になる」という構図が描かれている。中野氏の場合は、少数がソンをするのならば、そうした政策は(いかなる意味においても?)実行してはいけないと述べているように聞こえる。

 

しかし、これがそもそも誤解のもとだ。TPPの要点は、加盟国の関税の原則撤廃と、各国共通のルールづくりの2点にまとめられる。これは市場の拡大と、市場のインフラづくりにあたる。経済学者は、このふたつに反対のしようがない。巷にあふれるTPP関連本に反対が多くて賛成がわずかしかないこと、そして貿易論や国際経済学者の発言が反対論者の数に比べて少なく感じられるのは、あまりに経済学者が当たり前にすぎると考えているのかもしれない。

 

さらにいえば、今回の決定は交渉参加をするかどうかである。「自発的に入る取引には利益がある、利益がなければ取引には入らない」というのが大原則である。一度交渉したら辞めることはできないということをいう反対論者もいるが、世界貿易機構(WTO)や自由貿易協定(FTA)、経済連携協定(EPA)など、交渉が延々とつづいているものの妥結に至っていないものは山ほどある。そして市場をうまく機能させるのにルールなどのインフラづくりが欠かせないことについては、最近の経済学がむしろ強調するところだ(ジョン・マクミラン『市場を創る』NTT出版、2007年)。

 

 

見え隠れするゼロサム的世界観

 

もう少し利益について述べてみよう。市場の拡大が望ましいのは、それによって多数派がトクをするからではない。少数派のソンを上回るだけのトクが発生するからだ。このトク、利益がどのように生まれるのかという理論の話をすればきりはない。理論的には保護貿易のほうが、少なくとも自国がトクをするという話はいくらでもある。しかし、そういう理論をつくって2008年度のノーベル記念経済学賞を受賞したポール・クルーグマン(プリンストン大学教授)が強調するように、それでも頑健なのは自由貿易のほうだ。

 

TPPについては各種の数字が出ている。いずれも第一次近似として考えたほうがよいし、市場拡大の利益を厳密に数値化できるわけではないにせよ、参考にはなる。それでも内閣府のいうように実質GDPは0.54%(金額ベースで2.7兆円)増える(ちなみに農水省のいう損害額7兆円あまりは農業関連のGDPすら上回るという眉唾な数字である)。これをその程度にすぎないとみるか、第一次近似としてはまずまずとみるかで判断は異なるかもしれない(片岡剛士氏によれば、この数字は関税の撤廃だけを考えたもっとも控えめな数字である。さらに非関税障壁やサービス貿易障壁を撤廃した場合は考慮されていない。『The Neo Economist』Vol.35、2011年11月2日)。だが、重要なのはソンを上回るだけのトクが生まれるということだ。貿易自由化は典型的なプラスサム(トクがソンを上回る)の世界である。

 

厄介なのは、TPP推進派の側にも、反対派の側にもかつての重商主義的な、あるいは戦略的通商政策的な、つまるところゼロサム的な世界観(「ある人のトクは別の人のソン」)が見え隠れすることだ。かつて松尾匡(立命館大学経済学部教授)がまとめたように、いわゆる構造改革派と反対派の議論は経済学と反経済学の対立ではなかった。それはむしろ反経済学同士の激突であったとすらいえる(「「経済学的発想」と「反経済学的発想」の政策論」野口旭編『経済政策形成の研究』ナカニシヤ出版、2005年)。ゼロサムの世界には妥協の余地がなく、競争は戦争、あるいは生存競争にたとえられる。賛成論者は輸出を促進するからTPPは良いといい、反対論者は輸出を促進しないからTPPは悪い、という。

 

 

 

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vol.2019.4.15 

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