2018.05.10
「古くて新しい」お金と階級の話――そろそろ左派は〈経済〉を語ろう
ブレイディみかこ、松尾匡、北田暁大各氏による鼎談からなる『そろそろ左派は〈経済〉を語ろう』(亜紀書房)が刊行された。 日本のリベラル・左派の躓きの石は「経済」という下部構造の忘却にあると喝破し、アイデンティティ政治を超えて「経済にデモクラシーを」求めよとする本書から一部を転載する。
「古くて新しい問題」としての経済問題
北田 日本では「リベサヨ」という言葉に象徴されるような妙な形で運用される言葉があるけれど、それも一理ある気がします。どうも日本の「リベラル左派」というのはアメリカ的な意味での「リベラル(ソーシャル)」ですらなくて、経済的な志向性はむしろヨーロッパ的な意味での「リベラル(自由主義)」、アメリカで言えば共和党保守に近いのではないか、という話になりました。
たしかに、日本の「レフト」というのは、いまやソーシャルな要素が限りなく希薄化された「リベラル」に吞み込まれつつあるような気がします。経済的な下部構造を軽視して、意図せざる形で構造改革路線を踏襲し続けた結果として、ブレア流の「第三の道」に帰着してしまったのではないでしょうか。
ブレイディ ブレア政権の「第三の道」というのは、最初は新自由主義でも社会民主主義でもない、両者のいいところ取りをする「新しいレフトの道」だと言って出てきたんですよね。ブレアは、「ニュー・レイバー(新しい労働党)」を名乗りながら、福祉や保育などの人びとの生活に根ざした分野に財政支出をしつつ、その陰で公共サービスの官民連携運営を進めて、ロンドン地下鉄や郵便事業などに積極的に民間資本を入れました。
労働党が築いた「ゆりかごから墓場まで」の福祉国家の象徴であるNHS(National Health Service:国民保健サービス)の民営化を進めたのもブレアだし、労働党が無償化していた大学授業料を再び導入したのもブレアで、公営住宅にしても、サッチャーが民間に払い下げたことがいつも槍玉に挙げられますが、実はブレアとその後のブラウン首相の時代はサッチャー政権の時代よりはるかに公営住宅地が建設されなかった時代で、一三年間で約七九〇〇戸しか建てられていません。
こういう数字を見てわたしたちはいま驚くのですが、それほど巧妙に「忘れられた人びとなどいない」とリップサービスしながら、ニュー・レイバーはどんどん「小さな政府」にしていきました。ブレアはそれで保守党のサッチャーに「わたしの一番できのいい息子」とまで言われたんです。ブレアは労働組合とも距離をとり、親市場の立場をとりました。
松尾 結局、ブレア政権がやったことはほとんど新自由主義と一緒なんですよね。
ブレイディ そうなんです。ブレアが政権を握った時に宣言したのは「メリトクラシー(能力主義)の社会をつくる」ということでした。固定された伝統的な階級社会ではなく、能力によって移動できるダイナミックな流動性のある社会。でも、これは能力で決まる新たな階級社会のことです。それは階級の存在を容認することであり、階級の格差を縮めてより平等な社会にしましょう、ということではなかった。社会流動性の強調は、貧困から脱出する道は示すかもしれませんが、貧困をなくすことではない。根本的な問題の解決にはならないんです。
それに、メリトクラシーと社会流動性の強調は、労働者階級、つまり清掃員や工場職員、スーパーで働く人びとなどへの侮蔑感情や、そうした差別的な感情の正当化にもつながったと思います。彼らを社会流動性があるにもかかわらず出世できなかった怠け者とみなすようになったのです。階級移動できた人はほんの一部だったにもかかわらず、ブレアはそのうち「もはや英国に労働者階級は存在しない」とまで言い出しました。リアルな地べたに生きる労働者たちにしてみれば、「はあ?」と言うしかありません。
こうして英国でも労働党がもともとの支持基盤だった労働者たちの支持を失っていきました。それでブレアはわたしの連れ合い―彼はロンドンのイーストエンドのレイトンストーンという労働者階級の街の出身者なんですけど―から「自由や平等や人権を訴える金持ち」であるところの「リベラル」認定されているわけですね(笑)。
北田 社会学の領域で言うと、そのブレア政権のブレーンだったのがアンソニー・ギデンズです。ギデンズはブレア政権の標語と同じ『第三の道』(日本経済新聞社)というタイトルの本に加えて、『社会学』(而立書房)っていう鈍器みたいに分厚い入門書も書いているんですけど、それらの本に書いてあることは、文化的・政治的な次元では全部(アメリカ式の)「リベラル」なんですよね。
でも、本の中に経済学的な観点がほとんど見られない。一応「グローバリゼーション」とか「経済」「労働」という言葉は出てくるんですけど、『第三の道』の中には「ケインズ理論が経済の(需要面にばかり注目して)供給サイドを軽視しがちだったという点は、(旧式の)社会民主主義者の通念とうまく符合している」とかいう八〇年代のネオリベのケインジアンへの批判を丸吞みしたようなことも書いてある。
でも、そこには経済がどうやって発展するとか、社会が安定的に成長していくには具体的にはどうしたらいいのかって発想がなくて、全部制度的な公正性の原理だけで物事を考えているわけですよ。このギデンズ的なフラットな「リベラル」は、リュック・ボルタンスキーらのフランスの同時代の社会学とは違っていて、ある意味でとても現代社会学っぽい。
松尾 現代社会学っぽいというのはどういうことですか?
北田 これは自戒をこめて言うのですが、いまの社会学って、方法はさまざまありますが、やっぱり制度を比較に基づいて分析する学問だから。「その制度は不公正ですよ」「この制度では機能していませんよ」ということは言えるんですけど、どうやったら社会が全体的に「豊か」になるのか、そもそも社会を「豊か」にするとはどういうことなのかって発想が欠落しているんですよね。
もともと発展ではなく秩序を探究する学問、あるいは豊かさと秩序の連動を描き出す学問として制度化されてきたということもあるかもしれません。イスの数は決まっていて、その分配については不公平がある、その不公平はこのような形で生み出される、という分析は大切ですが、イスの数を増やすという発想は薄い。じゃあ、誰かのイスを取り上げるしかない、ということになりがちです。
ブレア政権はたしかに、文化的には「リベラル」で当然エコにも優しかったし、フェミニズムにも親和的で、差別には反対という多文化主義的な態度をとっていました。でも、ブレアの「第三の道」という政策は、結果的にはネオリベとほとんど変わることのないひどいもので、多くの人びとを痛めつけました。ギデンズに社会学者を代表させたら怒る人はたくさんいると思いますが、マルクス主義、史的唯物論の批判的継承からはじまり「第三の道」にいきついてしまった理論社会学者として、とても象徴的な人です。
ブレイディ そういうことがあって、英国でも労働党とその支持基盤である労働者階級との間の溝がどんどん深まっていったんですよね。それがいま欧州で「社会民主主義の崩壊」と言われる状況の背景になっています。
もともと欧州の左派の運動というのは、労働者たちが盛り上げたムーブメントを、レフト寄りの考えを持ったミドルクラスの人たちが政治的な力に変えていった、という歴史的な背景があったんですよ。そこでは、労働者階級とミドルクラスとの間にポジティヴなつながりがあったわけです。でも、やっぱり欧州でも、新自由主義的な改革が進められる中で、この「進歩的」なミドルクラスの人たちと、労働者階級の人たちのリアリティのギャップがどんどん大きくなっていってしまったんです。
そもそも、ブレアなんかは「貧困とか平等とか左翼っぽいことは僕は興味ない。ゴードン(・ブラウン。当時の財務相でブレアのあとの首相だった)がそういうのは好きだから任せる」と言っていたという側近の発言もありますしね。意識的に労働者たちから距離をとっていった。
だから、最近話題になっている欧州の新左派と呼ばれる人たちは、この分断を乗り越えることを大きなテーマにしていますよね。左派が労働者階級からの支持を捨ててどうするのかと。そういうことをしてきたから労働者の票を極右に奪われているわけだし。こうした背景のもとで出てくるべくして出てきたのが「反緊縮運動」と言われる運動だと思います。そして、ここでのポイントもやっぱり経済問題なんです。
松尾 おっしゃるように、欧州の新しい左派の運動は、みんな経済問題重視だというのが特徴ですよね。最近では、一昔前の古い「社会主義」を思い出させる政策を口にする人びとが欧州の反緊縮運動の中から現れてきて、若い人びとに新鮮に受け止められ、大きな支持を得るようになってきました。
ブレイディ 英国でジェレミー・コービンが出てきたのにも、そういう経緯があります。コービンはいまの労働党の党首ですけど、彼が二〇一五年九月の英国労働党の党首選挙に出てきた時は、みんな絶対に選ばれるわけないと思ってました。
コービンは労働党の最左派グループの古参議員の、まあこの最左派グループはこの当時まではお年を召した方ばかりだったわけですが、「マルクス主義者のおじいちゃん」みたいなイメージで、ブレアみたいなスタイリッシュな要素は何一つない、はっきり言って貧乏くさいというか、自転車かバスで移動していたベテラン国会議員でした。
一年間の議員経費に計上したのが一五ポンドのトナー・カートリッジだけで、ぶっちぎりで「もっとも経費を使わない国会議員」認定されたという伝説も残してますし(笑)。それはロックスターたちを官邸に招いてシャンパンを飲んでいたブレアとは真逆です。
そういう人が「公共投資の拡大」「鉄道の再国有化」「富裕層課税」とか、まるで終戦直後の労働党のような公約を語りながら、党首選に立候補して、若者やベテラン労働者の支持を受けて当選したんですよね。この時のコービンの政策はコービノミクスと言われて、英国のメディアでとても話題になりました。コービンは「えー! いまどきマルクス主義?」みたいな衝撃を人びとに与え、笑われながらも(笑)、若い人たちの間で熱狂的に支持されていきました。
たとえば、わたしが日本語版の字幕を監修したケン・ローチのドキュメンタリー映画に『1945年の精神(THE SPIRIT OF ’45)』(カウンターポイント)という作品があります。これは、戦争の英雄だったチャーチル率いる保守党が、一九四五年の選挙でクレメント・アトリーの労働党に大敗を喫して、労働党政権が誕生し、NHSの導入をはじめとする「ゆりかごから墓場まで」の高福祉政策がはじまった時のことを描いた映画なんです。
このDVDの英国版には、ボーナストラックとして、いまの欧州で反緊縮運動をやっている若い人たちへのインタビュー映像がついています。それを見てみると、「一九四五年の労働党のマニフェストを読んでどう思いますか?」という質問に対して、若い人たちがみんな「パーフェクト!」「こういう政治がほしいんだよ!」ってしみじみ語っているんですよね。
松尾 「古くて新しい」ものとして「オールド・レイバー(古い労働党)」の政策が再発見されているわけですね。かつてのニューレフトは、既成左翼のことを「経済決定論的だ」と言って批判して、正統派マルクス主義では重視されていなかった文化やアイデンティティの問題を取り上げましたけど、いまでは再び経済の問題がせり上がってきています。
北田 ヘイトスピーチ問題にも見られるように、またフェミニズムが英米圏で否応なく前景化されてきているように、アイデンティティ・ポリティクス(ジェンダーや性的指向、人種や民族、障がいなどの特定のアイデンティティに基づいて社会的に不公正な立場に置かれている人びとの利益を代弁しておこなう政治的活動のこと)はとても重要なアクチュアルな問題であり、その意味で経済決定論批判、文化左翼の運動は不可欠であり続けています。
しかし、前章でも述べたように、いまではなぜか「経済決定論はダメだ」から「経済は重要な問題ではない」へと認識がずれてきてしまっているように思います。日本ではなぜかそうなっていませんが、欧米での「古い」社会主義への若者の回帰は、経済もまた重要な変数であることを訴えかける、ごく当然の動向だと思うんですよ。
ブレイディ そうなんです。そもそも、一九四五年の労働党のマニフェストって、要するに終戦の年で、英国にはスラムが拡がって、戦争で戦って帰ってきた兵士たちにも生活の基盤がない状況だったから、労働党がバーンと未来のために投資して、完全雇用を目指し、公営住宅をばんばん建て、医療や教育を無償化し、みなさんがきちんとご飯を食べて、健康で文化的な生活を送れるようにします、って約束したものだったわけですよね。プログレッシブ(進歩的)とかいうより、ただ、人びとの衣食住を保障します、という。
ところが、ニュー・レイバーの「第三の道」や、リーマン・ショック後の不況と「第三の道」をさらに過激化した保守党の大緊縮時代を経て、現代の若者たちの最大の関心事も、終戦直後みたいに衣食住になっていたんだと思います。そんなベーシックなことを争点にする政治勢力がないものだから、若者たちにはクラシックな労働党の政策に立ち戻ろうとしているコービンが逆に先鋭的な政治家に見えて……。それで、最初にコービンが出てきた時に、英国でなんとマルクスTシャツが流行ったんですよ(笑)。
北田 マルクスTシャツ。見たことないですね(笑)。
ブレイディ びっくりしました。チェ・ゲバラのTシャツなんかはよく見かけますけど、マルクスTシャツはさすがに見たことがなかったから。その頃わたしが事務所を借りていたところが、古着屋さんとか洋服屋さんとかが並んでいる、ちょっとヒップな通りだったんですけど、そこのショーウィンドウにマルクスTシャツが飾られていた時には笑いました。
「I Told You So」という「(資本主義が最後にどうなるか)俺が言っただろう」っていう意味の言葉が髭もじゃのマルクスのイラストと一緒にプリントされているTシャツを着たお洒落な若者が、当時よく街を歩いていました。コービンはその後、二〇一七年の総選挙で躍進を遂げて、いまでは「次期首相候補」とまで言われています。
松尾 「俺が言っただろう」っていうのはかっこいいじゃないですか。アメリカのサンダース現象も、英国のコービン現象と似たようなところがありましたよね。コービンと同じように「社会主義者のおじいちゃん」のバーニー・サンダースも、当初は時代遅れの泡沫候補だと見られていましたけど、若い人たちの支持を受けて、二〇一六年の大統領候補者の指名争いでヒラリー・クリントンにあと一歩のところまで迫りました。結局サンダースはクリントンに敗れて、その後トランプ政権が誕生してしまいましたけど。
北田 トランプ政権が誕生したのは、やっぱりクリントンが想定以上に嫌われていたからでしょうね。クリントンがサンダース旋風を受けて少し左方向に舵をとったけれども、遅すぎた(個人的にはサンダースの撤退が遅すぎたと考えていますが)。ブレアや民主党左派のような旧来の「中道左派」的なものの支持が急速に落ち込む一方で、一見「古い」社会主義を思わせるような泥臭い左派に支持が集まりつつある状況があるわけですね。
松尾 はい。より正確に言えば、トランプとサンダースという右と左の両側から、クリントン的な旧来の中道左派の政治基盤が脅かされているという構図があるのだと思います。これは、一見右と左が台頭して真ん中がなくなっているヤバイ状況にも見えるんですけど、僕はこの背後には緊縮策に苦しめられてきた人びとの経済的な飢餓感があると思っています。
ブレイディ それは間違いないですね。たしかに、欧州でも英国でコービンが躍進する一方で、フランスではルペンなどへの支持が増加しています。他方でフランスでもジャン゠リュック・メランションというバリバリの左翼の人気も急上昇していますけどね。昨年(二〇一七年)の大統領選挙ではかろうじてマクロンが勝ったものの、次はどうなるかわかりません。
両極化する世界とか中道の没落とか言われてますけど、それはあくまで地上に見えている枝や葉っぱの部分で、地中の根っこはやっぱり経済だと思います。中道がいつまでも「第三の道」的なものや緊縮にとらわれて前進できずにいるから、人びとがもっと経済的に明るいヴィジョンを感じさせる両端にいっている。
階級問題としてのブレグジット
北田 二〇一七年の英国の総選挙の時は、当初労働党は保守党に二四ポイントも差をつけられていて劣勢だと言われていましたよね。けれど、選挙が終わってみたら、政権交代こそできなかったものの、保守党を過半数割れに追い込む大躍進という結果になりました。
ブレイディ はい。二〇一七年はわたしは英国に住んで二一年目だったんですが、あの年の総選挙は本当にすごかったですよ。あんな選挙前の光景はいままで見たことがありませんでした。なんというか、ごく普通の一般庶民が、それも、これまではけっこうノンポリに見えた人びとまで、自分の職場や病院や子どもの学校を守るために立ち上がっていたんです。
たとえば、わたしは総選挙の三日前に、息子の学校の前でPTAが労働党のチラシを配っているところに遭遇したんですけど、そのチラシには「わたしたちの学校を守るために労働党に投票しましょう」「保守党はわたしたちの市の公立校の予算を一三〇〇万ポンド削減しようとしています」って書かれていました。今度はその翌日、国立病院にいくと、外の舗道で知り合いの看護師たちが労働党のチラシを配っていて、「わたしたちの病院を守るために労働党に投票しましょう」「これ以上の予算削減にNHSは耐えられません。緊急病棟の待ち時間は史上最長に達しています」とも書かれていました。
北田 まさに「地べた」の人たちが支えた選挙戦だったということですね。昨年の選挙での労働党の躍進の理由はなんなのでしょうか?
ブレイディ そもそもメイ首相が解散総選挙を発表した時、今回の選挙はブレグジット(「Britain」と「exit」を合わせた造語で、英国のEU離脱のこと)選挙になると言われていました。だから保守党は「ブレグジットの交渉をおこなえるのは強いリーダー。それができるのはテリーザ・メイ。ジェレミー・コービンのようなしょぼい指導者には無理」という「強い英国を再び」「サッチャーの再来」みたいな強気の路線でアピールしていました。
でも、労働党のほうではブレグジットを選挙戦の争点にはしなかったんですね。むしろ「ブレッド&バター・イシュー(どうやって飯を食うか問題)」と呼ばれる国内問題を争点にしました。そして、その戦略が見事に当たっていたんだと思います。
その時の労働党のマニフェスト(「反緊縮マニフェスト」)は、英国の人気ジャーナリストのオーウェン・ジョーンズに「二一世紀のレフトのマニフェスト。世界中で苦戦している左派はこれをテンプレートにするべき」とまで絶賛されたんですけど、その内容はNHSへの大規模支出、大学授業料の再無償化、学校・警察・福祉など削減されてきた公共サービスの復興、鉄道・郵便などの再国営化を謳ったものです。それこそ、一九四五年の労働党マニフェストの刷新版とも言われましたね。コービン自身、「一九四五年の労働党がおこなった未来への投資を、我々の労働党が再びおこなう」と演説で言っていました。
北田 結局、経済問題が国民の一番の関心だったということですね。
ブレイディ そうです。わたしの見たところ、そもそも、ブレグジット自体が国民の「このままでは飯が食えない」というワーキングクラスの不満からきているんですよね。ブレグジットは「移民排斥」とか「右傾化」という言葉で片づけられるような単純な問題ではなくて、背景にあるのは実は階級問題であり、保守党の緊縮政治だと思っています。
ブレグジットが階級問題だというのは、EU離脱投票の時の「離脱票」(グレー)と「残留票」(白)の全国マップを見てみるとよくわかるんですよ。たとえば、イングランド中部と北部は「離脱」の票でグレーに染まっています。「残留」の白はロンドン近郊やブライトンなど南部のほんの一部、そしてスコットランド、北アイルランドだけです。これを見ると英国は明確に二つに分裂しているのがわかります。つまり、「イングランド中部・北部」vs「ロンドンとその近郊を含む裕福な南部+辺境地域(ウェールズを除く)」とにきれいに分かれているんですよね。
松尾 つまり、貧しい地域ほど、離脱に投票した。
ブレイディ はい。結局、緊縮財政で打撃を受けて、不満を抱えているのは貧しい地域の人びとですから。そしてブレグジット投票の一年後の総選挙の時には、今度はその地域の多くがコービンの労働党に投票している。ブレグジット投票の時は、当初残留派が優勢だと報道されていたし、離脱派の人びとでさえ、まあ勝つことはないだろうと思っていました。
だから、わたしの連れ合いなんかは「俺はそれでも離脱に入れる。どうせ残留になるっていうのはわかっているけど、せめて数で追い上げて、俺たちワーキングクラスは怒っているんだという意思表示をしておかなきゃいけない」と言っていましたし、「とにかく現状維持ではダメだ」という、そのことだけを言うために離脱に入れたという人もいましたね。あとは、「そういうことはまずないだろうけど、もし離脱派が勝ったらキャメロン首相がやめるかも」というピュアな反キャメロン票。日本でも「アベ政治を許さない」みたいなのがありますが、キャメロンも本当に嫌われてましたからね。で、本当にキャメロンはやめる結果になった。
北田 ワーキングクラスの緊縮政治に対する批判的な意思表示のつもりが、本当に離脱派が勝ってしまったわけですね。
ブレイディ それで、わたし自身はやはり移民の立場だから残留派だったんですけれども、自分の配偶者も含めて、周囲があまりに離脱に入れると言うものだから、どうしてそういうことになっているのかを知りたくて、いろんな人と話したし、記事もそっち側で見聞きしたことを書いていました。離脱派をぎゃんぎゃん批判するより、彼らの主張を深く知ることが大事だと思った。
で、話を聞いていると、彼らは彼らなりに考えているし、いわゆるブレア的な能力主義社会を信じている人びとというか、残留派のいわゆるリベラルよりも、よっぽど経済的不平等の問題について本気で考え、現状に憤ってると感じたんです。でも、そこに移民問題が絡んでいたものだから、左派はその憤りを汚れた愚かなものとして頭から否定していた。
毎日のようにテレビやラジオでも離脱に関するディベートがおこなわれていて、英国人労働者が多様性の重要さを訴え、アフリカ系移民がEUからの移民制限を訴えて激しく口論している場面もあったり、これまで一般的に思われてきた「右」と「左」の概念が揺らいで混沌とした状態になっていると実感しました。
一般に、EU離脱派陣営は、保守党右派のボリス・ジョンソンや右翼政党UKIP(UK Independence Party:英国独立党)のナイジェル・ファラージが率いた「下層の右翼」なんだという風に理解されていますよね。でも、地元の様子を見る限り、わたしはこうした理解は一面的だと思います。ボリスやファラージが大嫌いな離脱派もいましたからね。それに、普段は左派でとおっている人びとの中にも、最後まで迷っている人も多かった。
松尾 知り合いに英国のミッドランドで市の社会事業をやっていた人がいるんですけど、退職していいおばあちゃんになって、京都に遊びに来たんです。その時に、連れてきた孫娘にキツネのキーホルダーを買ってあげたらすごく喜んで、「このキツネになんて名前をつけようか?」なんて話をしてたんですよ。その人は労働党支持者だから「ジェレミー・コービンってつけたらどうですか?」って言ったら、すごいウケてて。で、「デイヴィッド・キャメロンっていう名前にしたらゴミ箱に捨てる!」って言ってました(笑)。でも、その人もやっぱりブレグジットの投票では離脱に入れていたんですよね。
ブレイディ そもそも、わたしが知っている「離脱に入れる」と言っていた下層の街の人びとって、わたしや息子に一番親切で優しくて、何かにつけて助けてくれるタイプの労働党支持者たちだったんですよ。
英国でわたしが住んでいるのは、ブライトンの公営住宅地で、まあ一般的にガラが悪いって言われているところです(笑)。家賃とかも安くて、坂の上のほうに上がっていくと中国人の移民の方々が一軒に一〇人ぐらいとかで住んでいた住宅があったんですが、「不法入国なんじゃないか?」という噂が広まって、一〇代の子とかがレンガを投げたり、落書きをしたりとかの嫌がらせをはじめました。
そしたら、わたしの連れ合いや隣家の息子、いつもうちに飲みに来ている近所の労働者のおっちゃんたちが「そんなことさせちゃいけない!」とすごく怒って、毎晩ローテを組んでパトロールしていたんです。でも、その人たちも離脱投票の時には、みんな離脱に入れているんですよね。だから、彼らは別に排外したいから離脱に入れたわけじゃないと思います。そういう状況を見て、ついにはド左翼のコービンさえ、「移民の増加について心配するからといって、その人はレイシストではない」と言いはじめていました。
北田 EU離脱はたしかに社会の保守化、右傾化という文脈でよく語られていますが、でもそういうナショナリスティックな現象として理解してしまっていいのか、潜在する媒介変数があるのではないかと思います。ブレア的サッチャリズムがもたらした「社会」の分断です。
ブレイディさんは『労働者階級の反乱』(光文社新書)の中でも「労働者たちにとっての離脱は、文化的な動機(移民への不満)よりも、経済的な動機(生活への不安)が大きかった」と書かれていますよね。それで、次の選挙戦では、フタを開けてみたら対外強硬路線を打ち出した保守党が惨敗して、コービンの労働党が大躍進する選挙になった。
ブレイディ はい。保守党は労働者階級のことをナメていたんだと思います。ブレグジットで国民は右傾化しているから、右っぽい「強い英国」像を打ち出せばウケるとタカをくくっていたけれど、実際はそうじゃなかった。そもそもEU離脱問題を従来の「右か左か」というものさしで見るから、EU離脱投票では国民が右傾化し、二〇一七年の総選挙で急に左傾化したようにも見えるんですけど、そんなに毎年のように国民が右翼になったり左翼になったりするわけがないじゃないですか(笑)。
だから、ここでは、「右か左か」の問題じゃなくて「上か下か」の問題が出てきているんだって考えるとすっきりするんですよね。これまで、労働者階級は財政緊縮策でものすごく苦しんできたので、このまま緊縮の政治がずっと続いていくよりも、ここで一回断ち切りたいというか、キャメロン政権転覆狙いも含めたちゃぶ台返しみたいな気持ちがあったと思うんです。EUとキャメロンは、親市場で緊縮派という点で完全にグルというか、同じ「憎むべきネオリベ」に見えちゃってましたしね。そういうブレグジット投票での国民感情を分析し、うまくすくい取ったのが、総選挙でのコービンの労働党だったということですね。
「未来への投資」で経済成長をする
ブレイディ 英国だけじゃなくて、こういう反緊縮運動の流れがいま欧州の左派のメインストリームになっているんですよね。たとえば、スペインでもパブロ・イグレシアスが率いる新興左翼政党のポデモスが躍進しています。パブロ・イグレシアスはもともとマドリード・コンプルテンセ大学という超エリート校で政治学の先生をやってた人なんですけど、非常にわかりやすいスローガンをとばすことで有名です。ポデモスは二〇一一年のウォールストリート占拠運動の先駆けと言われるスペインのM15運動から生まれた政党ですが、これも不況と緊縮が背景にあり、若年層に熱狂的に支持されている点でコービンと同じです。
フランスでもフレデリック・ロルドンっていう経済学者が一昨年(二〇一六年)「夜、立ち上がれ(Nuit debout)」っていう、ウォールストリート占拠運動の再来とも言われた運動を立ち上げました。これがすごかったのは、単にプラカードを振って叫ぶデモの領域を完全に超えていて、ものすごい人数の「夜間集会」みたいになって、数ヶ月間、毎日、夜になると広場で市民たちがさまざまな問題を討議したということです。
一般人と知識人が一緒に政策論議のシンポジウムとかやって、その模様をネットやラジオで毎日中継した。これも、左派政党だったはずの政権が新自由主義的な緊縮政策を進め、ついに労働法典に手をつけると言い出したことに左派の人びとの怒りが爆発してはじまった運動です。彼らは現在でもさまざまな運動を展開していて、マクロンが当選した時も、もし彼が緊縮的な考え方をあらためないのなら自分たちで反対勢力をつくると言っていました。
ギリシャでは、反緊縮の新興左翼政党のシリザが政権についています。結局、シリザのチプラス首相はドイツ政府などの圧力で緊縮財政策を吞んでしまって、当初シリザ政権で財務大臣を務めていた反緊縮派の経済学者ヤニス・バルファキスも辞任に追い込まれてしまいましたけどね。でも、バルファキスはいま「DiEM25(Democracy in Europe Movement 2025:「欧州に民主主義を」運動2025)」という組織を率いていて、欧州の反緊縮運動の中心にいます。
松尾 さっき「一昔前の「社会主義」を思い出させる政策」って言いましたけど、コービンに限らず、これらの反緊縮運動はみんな新自由主義と既存の中道左派を批判して、「大きな政府」による手厚い社会政策、賃上げと労働運動の復興などを提唱しているというのが特徴なんですよね。
ブレイディ そう、一見するとみんな主張していることは古いゴリゴリの左翼みたい(笑)。そこがかえって新しい感じがするというか。
北田 でも、「大きな政府」による再分配政策を提唱すると必ず「それで、財源はどうするんだ?」っていう話になっちゃいますよね。それこそ旧態然とした「古い社会主義」「古い社会民主主義」の復興は、いまではもう不可能じゃないかって。日本ではそういう風に左派が言うから話が奇妙になる。
ブレイディ 欧州では、むしろ保守派の人びとがよく「赤字財政をどうするんだ?」っていう批判をします。財政危機をあおっているのはだいたい保守派で、それに対して左派が「けち臭いことを言っていないで、政府はドーンと財政出動して俺たちのためにお金を使え」と批判するという構図が一般的です。
松尾 財政緊縮派というのは、まさにそういう風にして「大きな政府はもうダメだから、財政均衡して、できるだけ小さな政府にシフトしていこう」という主張をずっとしてきたわけですよね。でも、現在の問題は、蔓延する不況と失業の問題があるのに、それを無視して政府が財政緊縮策をとり続けていることが、より事態を悪化させているということなんです。
ブレイディ それで大失敗しているのが南欧の国々です。リーマン・ショックのあとに「不況だからとりあえず財政均衡」と緊縮をはじめ、ずるずる続けているものだから、若年層の失業率が上がって人口減少が深刻になっている。若者がEU圏の他国に移住したり、国に残っている若者も結婚したり子どもを産んだりしなくなったから、出生率が下がっているんですね。
スペインなんかも、「人口減少は緊縮のせい」って指摘されているほど、不況時の経済のかじ取りのせいで社会が変貌してしまったんですよね。でも、例外はポルトガルです。あそこは一番人口減少が心配されていた国なんですが、大胆な反緊縮政策に切り替えてから劇的な経済回復を果たし、同時に財政赤字もすごいスピードで減らしています。
松尾 実は、この問題は一九三〇年代にケインズが指摘したのと同じ構図を反復しているようなところがあるんですよね。よく知られているように、ケインズは「大きな政府」による公共投資と財政出動というもの(いわゆる「ケインズ主義政策」)を提唱しましたが、彼は別にこれを、好況で財政に余裕がある時に提唱したわけじゃなくて、「大不況で税収が激減しているので財政均衡をするべきだ」という論調が経済学のメインストリームだった時代に、そういう定説に逆らって提唱しているんです。
ケインズの理論の詳細については、ちょっと込み入った話になるので、このあとにご説明しますけど、財政問題を解決するうえでも、庶民の生活の苦しみを和らげるうえでも、まず必要なことは不況を脱して景気を良くすること、つまり適切な経済成長をするということなんです。そのためには、デフレ不況を脱却する手段としての財政出動を渋るべきではありません。というよりも、不況下で赤字財政を恐れて緊縮策をとると、かえって不況を長引かせて税収が萎むので、結果的に財政状態も悪化してしまいます。
ブレイディ コービンも財政赤字は歳出カット(緊縮策)で減らせるものではなくて、万人のために役立つバランスのとれた経済成長によってこそ削減できると言っていますが、そのための経済政策も含めた政策パッケージなんですよね。たとえば、コービノミクスというのは、この景気刺激策を、教育や福祉などの分野に「投資」する(「人への投資」「未来への投資」)という形でおこなおうとするものです。さっきも言いましたが、選挙戦でもコービンは「国の未来のために投資をおこなって経済成長するのだ」ということをさかんに強調していていました。
北田 不況下における政府の財政支出というのは、国民の福祉を高め、将来の税収を増やすための「未来への投資」みたいなものだと考えればいいということですね。景気回復のための刺激策を、福祉や教育などの分野への「投資」としておこなうことで、再分配も経済成長も両方矛盾なく追求できる。まさに、ケインズ主義的な、一九三〇年代のニューディールにも通じる王道の経済政策だと思います。
ブレイディ 反緊縮マニフェストには「緊縮財政で暗い国をつくらなくとも、投資と成長で収入を増やせば財政は健全になる」とも書かれていて、実際に「ニューディール」という言葉も使われていました。
それと、これはまあ英国に住むわたしからすればホラーな話なんですが、餓死者を出し、平均寿命の伸びを止めてまで緊縮財政を進めてきた保守党政権は、実はぜんぜん借金を返せてないんですよね。当初は二〇一五年までに財政赤字をなくすって言ってたんですけど、いつのまにか二〇三一年まで期限が延びてるし、実は緊縮財政をはじめた二〇一〇年以来、国の借金が七〇〇〇億ポンドも増えている。緊縮財政は国を暗くしただけでなく、財政健全化するどころか、逆に借金増えてるじゃないかって。日本の人びとも、この愚かな例に学んでほしい。
松尾 そもそも、日本でも財政赤字がここまで膨らんでしまった原因は、「失われた二〇年」の低迷によってずっと景気が悪かったからなんですよ。経済が低迷しているから税収も伸びなくなってしまった。少子化の問題だって、不景気で先行きが不透明だから若い人がますます子どもをつくりにくくなっているという側面もある。
だから、財政赤字の問題を解決するためにも消費増税が必要だという議論はむしろ逆で、消費税を上げてますます景気が悪くなると、財政赤字はもっと膨らんでしまいます。その反対に、財政出動というと一時的に借金が増えるように思えるかもしれませんが、経済成長することは将来の税収の増加にもつながるので、やはり一番効率がいいのです。
ブレイディ それに加えて、コービンは財政赤字を考えるのなら、消費税のように庶民を苦しめる税制政策じゃなくて、「持てる者の応分の負担」、要するに法人税や富裕層課税を強化することが重要だ、とも言っています。
北田 大企業や富裕層への課税は、日本の左派の間でもよく主張されていますよね。
松尾 はい。僕も富裕層課税は重要な政策の一つだと思います。たとえば、大企業は橋本龍太郎政権時代の一九九八年からいまに至るまで、ずっと法人減税が続いていて優遇されてきました。いま「社会保障や教育投資のための財源が足りないから消費増税でまかなう」などと言っていますが、このかんずっと引き下げられてきた法人税の税率を、ひとまず民主党政権時代の二〇一二年の引き下げ以前の水準に戻すだけで、二〇一四年の消費増税分をほぼチャラにする規模の税収になります。
北田 でも、法人税を増やすと経済成長ができないんじゃないか、という反論が来そうですけど。
松尾 そんなことはありません。たとえば、ノーベル賞経済学者のポール・クルーグマンは『そして日本経済が世界の希望になる』(PHP新書)という本の中で、法人減税について、経済成長とは関係ないと批判しています。
また、法人税を上げると企業が海外に出ていくという心配をする人もいますが、経済産業省が企業にアンケートした調査結果によると、企業が生産拠点を選ぶ時に重視する度合いで、労働力確保の容易性や物流コスト等々多くの項目と比べて税制は下位にあります。企業を海外に逃したくなければ、円高にしないことが一番です。リーマン・ショック後の円高時代にどんだけ企業が海外に移転したか。
たしかに法人税を大幅に増税すると設備投資が減って不況になる、という風に言う人はいるでしょうね。そういう懸念に対しては、不景気を十分に脱却しないうちは、法人税を増やした分は、設備投資や雇用促進のための補助金などの形で総額で同じ額を企業セクターに戻す、あるいは累進課税を強化した分は人びとに一律の給付金の形で還元する、というやり方がいいのではないかと僕は思っています。そして還元したお金は、デフレ不況を脱してインフレの心配が出てきたら、今度は徐々に削減していって、実質的には大企業や富裕層への増税になるように段階的に調整していけばいいわけです。
北田 なるほど。所得の再分配のために大企業や富裕層への課税政策というものは必要だけれど、不況下で増税すると雇用を悪化させてしまう可能性があるので、徐々にそうした課税が促進されるような方法を考える、ということですね。
松尾 はい。重要なのは、欧州の反緊縮運動では、こうした再分配政策と経済成長というものが、特に矛盾するという風には考えられていないということなんですよね。再分配政策と経済成長というのは、普通に両立する概念なのです。
たとえば、ブレイディさんが「人への投資」「未来への投資」とおっしゃったように、コービノミクスは単に社会保障政策というだけではなくて、それ自体が不況を脱却し、働く人たちを豊かにするための経済政策でもあるわけです。福祉産業に投資をすれば、そこでの雇用が増えて消費も拡大し、経済成長が促される、といったように。
ブレイディ よく誤解されがちなのは、労働者階級の人びとは、要するに生活さえ保障されればいいんだろう、と思われることなんです。新自由主義者、つまり、ブレアやサッチャーにそれは顕著でした。一番低いところには福祉を与えておけばいい、という考え方です。
でも、実際には労働者階級の人びとは誇り高い人びとですから、誰かの施しで食べさせてもらうのではなく、自分の力で働いて豊かになりたいと思っています。だからコービノミクスは単なる社会保障充実政策ではないのです。取り残されている人びとがいないように、みんなで一緒に健康的に成長しましょう、っていう経済政策なのです。でも景気が悪化して雇用が減ると再分配はやはり社会保障的なものになってしまう。労働者たちはそれは望んでないと思います。
北田 いまお話に出たように「再分配政策と経済政策を切り離して考えてはいけない」というのが、この本の大きな主張の一つだと思うのですが、日本ではこの二つが切り離されて考えられがちなのが問題だと思います。
「借金が多くて国家財政が危機なので、未来にツケを残さないように節約しよう」というと耳に心地がいいけれど、何度も言うように、それは現実には財政赤字削減のために国民の生活を犠牲にすることにしかならないじゃないですか。「大企業に課税したお金を社会保障費に回す」と言っても、やっぱり同時に景気を回復することを目指さないと、それだけでなんとかなるとはとても思えません。与党が改憲と引き換えに大胆な再分配重視を打ち出したら旧民主系は何も手がなくなる。
「無からお金をつくり出す」?
北田 ただ、よくある批判として、財政出動で「人に投資して経済成長をするんだ」と言った場合に、やっぱり「投資するにも先立つものがないと」というものがありますよね。「財政出動の財源を借金でまかなったら財政破綻する」という声をよく聞きます。
実際、わたしも「リベラル懇話会」(現在の与党に対して危機感や不安を覚える市民にとっての有効な「受け皿」となりうるリベラル政党のために、人文社会科学の研究者有志によって実現可能な政策パッケージを検討する研究会)の活動で民主党(当時)の人たちに長々と「再分配政策と経済政策を切り離して考えてはいけない」という政策提言をしたあとに、「でも財源がない」と返されてしまってがっくりしたことがあります。
松尾 さっきも言ったとおり、ケインズの時代にも同じように「不況で税収が萎んでいるから財政均衡しろ」と言われていました。あとでお話ししますけど、実際にそれをやってとんでもないことになったのが、ワイマール時代のドイツです。他方、アメリカではニューディール政策がとられましたけど、別に財政破綻も悪性インフレも起きませんでした。
本当は、政府がその気になりさえすれば、財政破綻を引き起こさずに財源を確保することは簡単にできるんです。本来、ケインズ主義政策というものは、単に不況下で人びとの職をつくるために政府が公共投資するというだけではないんですよね。そもそも、なぜ政府がそんなことができるのかというお話の前提にこれがあるんですけど、ひとことで言うと、財政出動のお金というのは中央銀行(日本の場合は日銀)が金融緩和で「無からつくり出して」いるんですよ。要するに、中央銀行がお金をどんどん刷りまくってばらまいているわけです。バラマキとか言うとまた印象悪いかもしれないけど(笑)。
ブレイディ 「無からお金をつくってばらまく」とかひとことで言うと、「錬金術じゃないか?」とか言って怒られそうですよ(笑)。
松尾 少し専門的な話になりますが、詳しくお話しします。そもそも、ケインズ主義政策の大前提には、金本位制をやめるということがあるんです。金本位制というのは、一円の価値が「金貨何グラム」という風に決まっている、という制度ですね。一定量のお金をもっていくと中央銀行が金貨と交換してくれる。このシステムの下では、たとえ紙幣を使っていたとしても、お金の正体は金貨です。
でも、中央銀行にある金貨の量にはどうしても限界がありますよね。だから世の中に出回るお金の量は、中央銀行の金貨の量にどうしても制限されてしまいます。そうすると「不況下でみんな困っているから、政府支出をして景気を良くするために、お金をどんどん刷りましょう」と言っても、日本銀行の中の金貨があまりないと刷れないんですよね。つまり、ケインズ主義政策というのは、金本位制をやめて自由にお金をつくれるようになったからこそできた。これがまず一つです。
北田 はい。それで、世界恐慌に見舞われた一九三〇年代に、各国がみな金本位制を一時的に停止しましたね。その時はあくまで緊急措置でしたが、戦後の一九七三年に本格的に変動相場制に移行して以降、金本位制は完全になくなっています。だから、いまや各国の中央銀行は持っている金貨の量に左右されずに、「無から」お金を刷ることができる。しかし、結局政府の国債を買い取ったりして中央銀行がお金を刷っているわけだから、「それも借金じゃないか!」とか言う人もいますよね。
松尾 ただ、国の借金というのは普通の借金とは性質が違うんですよ。たしかに、金本位制をやめてお金を「無からつくり出す」といっても、結局、日銀が政府の国債などの資産を買い取って、その分のお金をつくっているわけです。じゃあ、「この国債は借金じゃないか」ってなると思うんですけど、よく考えてみてください。そもそも、そのお金はどこに対する借金なのかっていうと、民間の企業ではなくて日銀に対する借金なんですよね。
日本の場合、大半の借金は別に外国から借りているわけではありません。一応、いまの日本では、財政法第五条で、国会で特別に認められた時以外は、日銀が政府から直接国債を買い取ることは禁じられているので、通常だと政府が直接お金を借りるのは、民間の国内銀行からです。でも、最近では銀行が持っている国債を日銀が大量に買い取ってお金を出しています。結局債券市場を一度通してから、日銀がそこから国債を買い取っているだけなので、間にクッションは挟んでますけど、政府が日銀からお金を借りているのと同じことになります。それでいま、国債の四割くらいは日銀の金庫の中に入っています。やろうと思えば、民間流通している国債をもっと日銀が買い取ることもできます。
ここでのポイントは、実は政府の日銀に対する借金というのは、期限が来たら借り換えをして、また期限が来たら借り換えをして……という風に、永久に先送りすることが可能だということです。つまり、事実上、好きな時まで返さなくてすむという仕組みになっているんですよね。当たり前ですが、これは合法ですよ(笑)。日本でもこの借り換えということは以前からおこなっています。
もちろん、こういう風に返済期限を無限に先送りしても、国債の利子分は日銀に払わなければいけないんですけど、日銀というのは収益から職員の人件費などの経費を差し引いた額を「国庫納付金」として政府に戻していますから、事実上利子がないのと同じです。職員の人件費を普通の公務員と同じように税金でまかなっているみたいなものですからね。
ブレイディ 「負債」の問題をどう考えるのかってことは、欧州の反緊縮運動の間でもさかんに議論されています。緊縮派はすぐ「借金、借金」って言うけど、松尾さんのおっしゃるように、中央銀行への借金は普通の意味での負債とはぜんぜん意味が違うんですよね。
北田 要するに、適切な経済成長が促されて税収が増加するタイミングまで、政府は返済期限を延ばし続けることができる、ということですね。
松尾 はい。実際、アメリカや英国など戦後の先進国で債務を完済した国は一つもありません。じゃあなぜ誰もそのことを問題にしなかったかというと、経済成長によって政府債務のGDP比の割合が徐々に減っていったからなのです。次頁のグラフは、イギリスの政府純債務のGDPに対する比率の推移ですが、ピークの一九四七年にはなんと二三七・九パーセントもありました。それが戦後の経済成長の中でどんどん低下していって、底は一九九一年の二五・二パーセントにまで至りました。近年また上がっているのは、リーマンショックと緊縮政策による経済低迷のせいですね。
もっとも、政府債務のGDP比のレベル自体、高いからといって一概に問題にするようなものではありません。そもそも、いままでの話の中でちょくちょく話題にあがった『1945年の精神』で出てくる、アトリー内閣ができた一九四五年の政府純債務のGDP比はいくらだったかと言うと二一五・六パーセントですね。いまの日本は、騒いでますけど一二〇パーセントくらいですよ。この時点で、戦後の高度経済成長時代がくると思っていた人はおそらくほとんどいなかったと思います。それにもかかわらず、充実した福祉国家を建設しようと決断したわけです。
ブレイディ 松尾さんはよく「財源はある、必要なのは政治的意志だ」とおっしゃってますもんね。
松尾 はい。「日銀の金庫の中の国債を期限がきても借り換えする」などと言うと、何かその場しのぎの怪しげなことをやっていると思われるかもしれませんが(笑)、実はこれは経済においてはごく普通の手段なんです。
たとえば、正常な経済の状態の時にも、世の中を回しているお金というものがありますよね。その世の中に流通しているお金というのが、一体どこからきているかというと、これもやっぱり日銀がなんらかの資産を買って発行しているものなんです。その資産の中心が国債です。そうすると、世の中にお金が出回っているということは、その裏で日銀の金庫の中にその分の国債があり続けているということです。
つまり、国の借金を全部日銀に返すということは、そもそも世の中からお金が全部消えてしまうことを意味しているんですね。だから、正常に世の中を回すために出しているお金と同じ分の国債は、政府が返さずに永久に借り換えして日銀が持ち続けるのが当たり前なのです。将来景気が加熱してインフレが進んだとき、日銀が貨幣を吸収するために民間に売ったり、借り換えを停止したりする一部の国債だけが、返済が必要な借金になります。
日銀はデフレの時は国債などを買い取って貨幣を発行し(買いオペ)、インフレの時は国債などの手持ちの資産を売って貨幣を回収します(売りオペ)。こうして日銀は、世の中に供給される貨幣の量(マネー・サプライ)をコントロールしているのですが、こういう政策を「金融政策」と言います。
ブレイディ 「通貨にかかわる政策」という意味で、英語圏では「Monetary Policy」と言われています。
松尾 この「金融政策(Monetary Policy)」の中でも、世の中に出回る貨幣供給量を増やして金利を引き下げ、民間の需要を喚起するための政策を「金融緩和(Monetary Easing)政策」というのですが、「量的緩和(Quantitative Easing)政策」と言うのは、この金融緩和政策の「すごいやつ」のことぐらいに思ってもらっていいです。政府が発行した国債を、日銀が間接的な形で買い取ってお金をばんばん刷れば、これが財政出動の原資にもなります。それが僕が「無からお金をつくってばらまく」と言っている意味なんですね。一九三〇年代の恐慌の際のニューディール政策でも、政府は金本位制を停止させて大規模な金融緩和政策をとっています。
ブレイディ コービンも「人民の量的緩和(PQE:People’s Quantitative Easing)」というので同じ政策を唱えていました。中央銀行(イングランド銀行)がどんどんお金を刷って、国民のためにドーンと使う(財政出動する)べきだって。量的緩和でつくったお金を人びとのために投資する政策だから「人民の量的緩和」と言われているんです。