「古くて新しい」お金と階級の話――そろそろ左派は〈経済〉を語ろう

ブレイディみかこ、松尾匡、北田暁大各氏による鼎談からなる『そろそろ左派は〈経済〉を語ろう』(亜紀書房)が刊行された。 日本のリベラル・左派の躓きの石は「経済」という下部構造の忘却にあると喝破し、アイデンティティ政治を超えて「経済にデモクラシーを」求めよとする本書から一部を転載する。

 

 

「古くて新しい問題」としての経済問題

 

北田 日本では「リベサヨ」という言葉に象徴されるような妙な形で運用される言葉があるけれど、それも一理ある気がします。どうも日本の「リベラル左派」というのはアメリカ的な意味での「リベラル(ソーシャル)」ですらなくて、経済的な志向性はむしろヨーロッパ的な意味での「リベラル(自由主義)」、アメリカで言えば共和党保守に近いのではないか、という話になりました。

 

たしかに、日本の「レフト」というのは、いまやソーシャルな要素が限りなく希薄化された「リベラル」に吞み込まれつつあるような気がします。経済的な下部構造を軽視して、意図せざる形で構造改革路線を踏襲し続けた結果として、ブレア流の「第三の道」に帰着してしまったのではないでしょうか。

 

ブレイディ ブレア政権の「第三の道」というのは、最初は新自由主義でも社会民主主義でもない、両者のいいところ取りをする「新しいレフトの道」だと言って出てきたんですよね。ブレアは、「ニュー・レイバー(新しい労働党)」を名乗りながら、福祉や保育などの人びとの生活に根ざした分野に財政支出をしつつ、その陰で公共サービスの官民連携運営を進めて、ロンドン地下鉄や郵便事業などに積極的に民間資本を入れました。

 

労働党が築いた「ゆりかごから墓場まで」の福祉国家の象徴であるNHS(National Health Service:国民保健サービス)の民営化を進めたのもブレアだし、労働党が無償化していた大学授業料を再び導入したのもブレアで、公営住宅にしても、サッチャーが民間に払い下げたことがいつも槍玉に挙げられますが、実はブレアとその後のブラウン首相の時代はサッチャー政権の時代よりはるかに公営住宅地が建設されなかった時代で、一三年間で約七九〇〇戸しか建てられていません。

 

こういう数字を見てわたしたちはいま驚くのですが、それほど巧妙に「忘れられた人びとなどいない」とリップサービスしながら、ニュー・レイバーはどんどん「小さな政府」にしていきました。ブレアはそれで保守党のサッチャーに「わたしの一番できのいい息子」とまで言われたんです。ブレアは労働組合とも距離をとり、親市場の立場をとりました。

 

松尾 結局、ブレア政権がやったことはほとんど新自由主義と一緒なんですよね。

 

ブレイディ そうなんです。ブレアが政権を握った時に宣言したのは「メリトクラシー(能力主義)の社会をつくる」ということでした。固定された伝統的な階級社会ではなく、能力によって移動できるダイナミックな流動性のある社会。でも、これは能力で決まる新たな階級社会のことです。それは階級の存在を容認することであり、階級の格差を縮めてより平等な社会にしましょう、ということではなかった。社会流動性の強調は、貧困から脱出する道は示すかもしれませんが、貧困をなくすことではない。根本的な問題の解決にはならないんです。

 

それに、メリトクラシーと社会流動性の強調は、労働者階級、つまり清掃員や工場職員、スーパーで働く人びとなどへの侮蔑感情や、そうした差別的な感情の正当化にもつながったと思います。彼らを社会流動性があるにもかかわらず出世できなかった怠け者とみなすようになったのです。階級移動できた人はほんの一部だったにもかかわらず、ブレアはそのうち「もはや英国に労働者階級は存在しない」とまで言い出しました。リアルな地べたに生きる労働者たちにしてみれば、「はあ?」と言うしかありません。

 

こうして英国でも労働党がもともとの支持基盤だった労働者たちの支持を失っていきました。それでブレアはわたしの連れ合い―彼はロンドンのイーストエンドのレイトンストーンという労働者階級の街の出身者なんですけど―から「自由や平等や人権を訴える金持ち」であるところの「リベラル」認定されているわけですね(笑)。

 

北田 社会学の領域で言うと、そのブレア政権のブレーンだったのがアンソニー・ギデンズです。ギデンズはブレア政権の標語と同じ『第三の道』(日本経済新聞社)というタイトルの本に加えて、『社会学』(而立書房)っていう鈍器みたいに分厚い入門書も書いているんですけど、それらの本に書いてあることは、文化的・政治的な次元では全部(アメリカ式の)「リベラル」なんですよね。

 

でも、本の中に経済学的な観点がほとんど見られない。一応「グローバリゼーション」とか「経済」「労働」という言葉は出てくるんですけど、『第三の道』の中には「ケインズ理論が経済の(需要面にばかり注目して)供給サイドを軽視しがちだったという点は、(旧式の)社会民主主義者の通念とうまく符合している」とかいう八〇年代のネオリベのケインジアンへの批判を丸吞みしたようなことも書いてある。

 

でも、そこには経済がどうやって発展するとか、社会が安定的に成長していくには具体的にはどうしたらいいのかって発想がなくて、全部制度的な公正性の原理だけで物事を考えているわけですよ。このギデンズ的なフラットな「リベラル」は、リュック・ボルタンスキーらのフランスの同時代の社会学とは違っていて、ある意味でとても現代社会学っぽい。

 

松尾 現代社会学っぽいというのはどういうことですか?

 

北田 これは自戒をこめて言うのですが、いまの社会学って、方法はさまざまありますが、やっぱり制度を比較に基づいて分析する学問だから。「その制度は不公正ですよ」「この制度では機能していませんよ」ということは言えるんですけど、どうやったら社会が全体的に「豊か」になるのか、そもそも社会を「豊か」にするとはどういうことなのかって発想が欠落しているんですよね。

 

もともと発展ではなく秩序を探究する学問、あるいは豊かさと秩序の連動を描き出す学問として制度化されてきたということもあるかもしれません。イスの数は決まっていて、その分配については不公平がある、その不公平はこのような形で生み出される、という分析は大切ですが、イスの数を増やすという発想は薄い。じゃあ、誰かのイスを取り上げるしかない、ということになりがちです。

 

ブレア政権はたしかに、文化的には「リベラル」で当然エコにも優しかったし、フェミニズムにも親和的で、差別には反対という多文化主義的な態度をとっていました。でも、ブレアの「第三の道」という政策は、結果的にはネオリベとほとんど変わることのないひどいもので、多くの人びとを痛めつけました。ギデンズに社会学者を代表させたら怒る人はたくさんいると思いますが、マルクス主義、史的唯物論の批判的継承からはじまり「第三の道」にいきついてしまった理論社会学者として、とても象徴的な人です。

 

ブレイディ そういうことがあって、英国でも労働党とその支持基盤である労働者階級との間の溝がどんどん深まっていったんですよね。それがいま欧州で「社会民主主義の崩壊」と言われる状況の背景になっています。

 

もともと欧州の左派の運動というのは、労働者たちが盛り上げたムーブメントを、レフト寄りの考えを持ったミドルクラスの人たちが政治的な力に変えていった、という歴史的な背景があったんですよ。そこでは、労働者階級とミドルクラスとの間にポジティヴなつながりがあったわけです。でも、やっぱり欧州でも、新自由主義的な改革が進められる中で、この「進歩的」なミドルクラスの人たちと、労働者階級の人たちのリアリティのギャップがどんどん大きくなっていってしまったんです。

 

そもそも、ブレアなんかは「貧困とか平等とか左翼っぽいことは僕は興味ない。ゴードン(・ブラウン。当時の財務相でブレアのあとの首相だった)がそういうのは好きだから任せる」と言っていたという側近の発言もありますしね。意識的に労働者たちから距離をとっていった。

 

だから、最近話題になっている欧州の新左派と呼ばれる人たちは、この分断を乗り越えることを大きなテーマにしていますよね。左派が労働者階級からの支持を捨ててどうするのかと。そういうことをしてきたから労働者の票を極右に奪われているわけだし。こうした背景のもとで出てくるべくして出てきたのが「反緊縮運動」と言われる運動だと思います。そして、ここでのポイントもやっぱり経済問題なんです。

 

松尾 おっしゃるように、欧州の新しい左派の運動は、みんな経済問題重視だというのが特徴ですよね。最近では、一昔前の古い「社会主義」を思い出させる政策を口にする人びとが欧州の反緊縮運動の中から現れてきて、若い人びとに新鮮に受け止められ、大きな支持を得るようになってきました。

 

ブレイディ 英国でジェレミー・コービンが出てきたのにも、そういう経緯があります。コービンはいまの労働党の党首ですけど、彼が二〇一五年九月の英国労働党の党首選挙に出てきた時は、みんな絶対に選ばれるわけないと思ってました。

 

コービンは労働党の最左派グループの古参議員の、まあこの最左派グループはこの当時まではお年を召した方ばかりだったわけですが、「マルクス主義者のおじいちゃん」みたいなイメージで、ブレアみたいなスタイリッシュな要素は何一つない、はっきり言って貧乏くさいというか、自転車かバスで移動していたベテラン国会議員でした。

 

一年間の議員経費に計上したのが一五ポンドのトナー・カートリッジだけで、ぶっちぎりで「もっとも経費を使わない国会議員」認定されたという伝説も残してますし(笑)。それはロックスターたちを官邸に招いてシャンパンを飲んでいたブレアとは真逆です。

 

そういう人が「公共投資の拡大」「鉄道の再国有化」「富裕層課税」とか、まるで終戦直後の労働党のような公約を語りながら、党首選に立候補して、若者やベテラン労働者の支持を受けて当選したんですよね。この時のコービンの政策はコービノミクスと言われて、英国のメディアでとても話題になりました。コービンは「えー! いまどきマルクス主義?」みたいな衝撃を人びとに与え、笑われながらも(笑)、若い人たちの間で熱狂的に支持されていきました。

 

たとえば、わたしが日本語版の字幕を監修したケン・ローチのドキュメンタリー映画に『1945年の精神(THE SPIRIT OF ’45)』(カウンターポイント)という作品があります。これは、戦争の英雄だったチャーチル率いる保守党が、一九四五年の選挙でクレメント・アトリーの労働党に大敗を喫して、労働党政権が誕生し、NHSの導入をはじめとする「ゆりかごから墓場まで」の高福祉政策がはじまった時のことを描いた映画なんです。

 

このDVDの英国版には、ボーナストラックとして、いまの欧州で反緊縮運動をやっている若い人たちへのインタビュー映像がついています。それを見てみると、「一九四五年の労働党のマニフェストを読んでどう思いますか?」という質問に対して、若い人たちがみんな「パーフェクト!」「こういう政治がほしいんだよ!」ってしみじみ語っているんですよね。

 

松尾 「古くて新しい」ものとして「オールド・レイバー(古い労働党)」の政策が再発見されているわけですね。かつてのニューレフトは、既成左翼のことを「経済決定論的だ」と言って批判して、正統派マルクス主義では重視されていなかった文化やアイデンティティの問題を取り上げましたけど、いまでは再び経済の問題がせり上がってきています。

 

北田 ヘイトスピーチ問題にも見られるように、またフェミニズムが英米圏で否応なく前景化されてきているように、アイデンティティ・ポリティクス(ジェンダーや性的指向、人種や民族、障がいなどの特定のアイデンティティに基づいて社会的に不公正な立場に置かれている人びとの利益を代弁しておこなう政治的活動のこと)はとても重要なアクチュアルな問題であり、その意味で経済決定論批判、文化左翼の運動は不可欠であり続けています。

 

しかし、前章でも述べたように、いまではなぜか「経済決定論はダメだ」から「経済は重要な問題ではない」へと認識がずれてきてしまっているように思います。日本ではなぜかそうなっていませんが、欧米での「古い」社会主義への若者の回帰は、経済もまた重要な変数であることを訴えかける、ごく当然の動向だと思うんですよ。

 

ブレイディ そうなんです。そもそも、一九四五年の労働党のマニフェストって、要するに終戦の年で、英国にはスラムが拡がって、戦争で戦って帰ってきた兵士たちにも生活の基盤がない状況だったから、労働党がバーンと未来のために投資して、完全雇用を目指し、公営住宅をばんばん建て、医療や教育を無償化し、みなさんがきちんとご飯を食べて、健康で文化的な生活を送れるようにします、って約束したものだったわけですよね。プログレッシブ(進歩的)とかいうより、ただ、人びとの衣食住を保障します、という。

 

ところが、ニュー・レイバーの「第三の道」や、リーマン・ショック後の不況と「第三の道」をさらに過激化した保守党の大緊縮時代を経て、現代の若者たちの最大の関心事も、終戦直後みたいに衣食住になっていたんだと思います。そんなベーシックなことを争点にする政治勢力がないものだから、若者たちにはクラシックな労働党の政策に立ち戻ろうとしているコービンが逆に先鋭的な政治家に見えて……。それで、最初にコービンが出てきた時に、英国でなんとマルクスTシャツが流行ったんですよ(笑)。

 

北田 マルクスTシャツ。見たことないですね(笑)。

 

ブレイディ びっくりしました。チェ・ゲバラのTシャツなんかはよく見かけますけど、マルクスTシャツはさすがに見たことがなかったから。その頃わたしが事務所を借りていたところが、古着屋さんとか洋服屋さんとかが並んでいる、ちょっとヒップな通りだったんですけど、そこのショーウィンドウにマルクスTシャツが飾られていた時には笑いました。

 

「I Told You So」という「(資本主義が最後にどうなるか)俺が言っただろう」っていう意味の言葉が髭もじゃのマルクスのイラストと一緒にプリントされているTシャツを着たお洒落な若者が、当時よく街を歩いていました。コービンはその後、二〇一七年の総選挙で躍進を遂げて、いまでは「次期首相候補」とまで言われています。

 

松尾 「俺が言っただろう」っていうのはかっこいいじゃないですか。アメリカのサンダース現象も、英国のコービン現象と似たようなところがありましたよね。コービンと同じように「社会主義者のおじいちゃん」のバーニー・サンダースも、当初は時代遅れの泡沫候補だと見られていましたけど、若い人たちの支持を受けて、二〇一六年の大統領候補者の指名争いでヒラリー・クリントンにあと一歩のところまで迫りました。結局サンダースはクリントンに敗れて、その後トランプ政権が誕生してしまいましたけど。

 

北田 トランプ政権が誕生したのは、やっぱりクリントンが想定以上に嫌われていたからでしょうね。クリントンがサンダース旋風を受けて少し左方向に舵をとったけれども、遅すぎた(個人的にはサンダースの撤退が遅すぎたと考えていますが)。ブレアや民主党左派のような旧来の「中道左派」的なものの支持が急速に落ち込む一方で、一見「古い」社会主義を思わせるような泥臭い左派に支持が集まりつつある状況があるわけですね。

 

松尾 はい。より正確に言えば、トランプとサンダースという右と左の両側から、クリントン的な旧来の中道左派の政治基盤が脅かされているという構図があるのだと思います。これは、一見右と左が台頭して真ん中がなくなっているヤバイ状況にも見えるんですけど、僕はこの背後には緊縮策に苦しめられてきた人びとの経済的な飢餓感があると思っています。

 

ブレイディ それは間違いないですね。たしかに、欧州でも英国でコービンが躍進する一方で、フランスではルペンなどへの支持が増加しています。他方でフランスでもジャン゠リュック・メランションというバリバリの左翼の人気も急上昇していますけどね。昨年(二〇一七年)の大統領選挙ではかろうじてマクロンが勝ったものの、次はどうなるかわかりません。

 

両極化する世界とか中道の没落とか言われてますけど、それはあくまで地上に見えている枝や葉っぱの部分で、地中の根っこはやっぱり経済だと思います。中道がいつまでも「第三の道」的なものや緊縮にとらわれて前進できずにいるから、人びとがもっと経済的に明るいヴィジョンを感じさせる両端にいっている。【次ページにつづく】

 

そろそろ左派は〈経済〉を語ろう――レフト3.0の政治経済学

そろそろ左派は〈経済〉を語ろう――レフト3.0の政治経済学書籍

作者ブレイディ みかこ, 松尾 匡, 北田 暁大

発行亜紀書房

発売日2018年4月25日

カテゴリー単行本(ソフトカバー)

ページ数320

ISBN4750515442

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