日本の教員配置システムが優れている理由――過度に分権化すると避けられない問題点

教育政策の研究をしていると、やれ現金給付だ、やれタブレットの配布だと、枝葉末節なところばかりに注目が集まっているのに辟易としてきます。なぜこれらが枝葉末節なのかというと、教育予算の7-9割程度は人件費に消費されているので、教育予算という観点から見ると、教員をいかにマネージ(例えば、少人数学級制度の実施なども、その本質は教員の数を増やす→人件費の増加→教員を増やした分教員給与を削るのか、それとも教育予算全体の増加に関する政治的合意を取り付けられるのか、という辺りにあります)するかこそが教育政策の鍵だからです。

 

教員のマネージメントは、教員養成にはじまり採用・配置・現職研修・昇進など多岐に渡りますが、今日は教員採用から配置にかけての話をしようと思います。

 

 

1.分権的なアメリカの教員採用

 

アメリカも日本と同じく、一般的に大学で必要な単位を取得して教員免許を取得するのですが、その後のプロセスが大きく異なります。

 

日本の場合は、都道府県ないしは政令指定都市の教育委員会が一括採用試験を行います。そして、教員側も希望を出せますが、配置やローテーションは教育委員会によって決められます。教員給与の1/3は国が負担し、残りの2/3は都道府県・政令指定都市が負担します。

 

しかし米国の場合は、州よりも下の学区レベルで教員採用が行われます。このため、配置やローテーションという概念がほぼ無く、学校を異動したい場合は、教員自ら別の学区のポストに応募して採用される必要があります。教員給与はほぼ学区が負担するかたちであり、日本と比べてきわめて教員採用が分権的に行われているのが分かります。

 

では、このような分権的な教員採用を実施すると、どのような問題が発生するのでしょうか?

 

 

2.優秀な教員ほど環境の良い学校に逃げて行ってしまう問題

 

米国の新人教員は、教員採用市場でとくに交渉力があるわけでもないので、環境があまり良くなく、誰も行きたがらないような学校から始まるケースが往々にしてあります。そこで経験を積み、実績を上げ、教員採用市場での交渉力が高まったら、環境が良く、みんなが行きたがる学区の教員採用に応募します。

 

つまり、環境の良くない学校にいる教員は、基本的には経験の浅い人たちか、能力が無くて良い学区に移れなかった人たちか、のどちらかになります。

 

この辺りを、NY州を舞台に分析したのが、Teacher Sorting and the Plight of Urban Schools: A Descriptive Analysisという論文です。

 

 

 

 

上の表のOverall teacher quality factorを見ると分かるのですが、NY州全体で見たときに、教員の能力を示す指標で、生徒がおもに白人の学校とそうでない学校、生徒がおもに貧困層の学校とそうでない学校の間で大きな格差が存在していることが読み取れます。さらに、教職経験が無い先生の割合・教員免許を持っていない先生の割合・試験に合格できていない先生の割合・無名高出身の先生の割合、のすべてで、白人・非白人の学校間と貧困層・非貧困層の学校間で統計的に有意な差が生じています。

 

少し話はそれますが、特徴に基づく学校間格差の大きさもさることながら、地域間格差が大きいことも目を引きます。例えば、一番下のSyracuse cityはシラキュース大学のあるところですし、その上もロチェスター大学のある大学街ですが、他のデータでも実証されているのですが、こういったcollege townと呼ばれるところは教育の質が全般的に高くなっています(私がいるランシングも正にこれで、グーグルのラリー・ページはランシング出身なのですが、両親が私のいる大学で教授をしていて、代表的なcollege town出身の裕福な白人家庭出身者と言えるでしょう)。

 

その一方で、New York Cityのようなダウンタウンの教育の質は低くなっています。裕福な白人が都心部から郊外へ逃げて行った様子が読み取れます(これも余談ですが、これをWhite Flightと言い、私のいるミシガン州はデトロイトでこれが顕著に起こっています)。

 

 

 

 

さらに教員の異動を詳しく見ると、同じ学区内での異動はこれといった特徴が無いのですが、学区を超えた異動の場合、その学校の特徴に大きな違いが存在しています。上の表を見ると、教員が出て行った学校と、教員を引き抜いた学校を比較した場合、後者の方が貧困層や非白人の割合が少なく、教員一人当たり生徒数が少ないだけでなく、給与も高い、という結果になっています。この表が示すように、教員はより教えやすい環境やより良い待遇を求めて異動していくことが読み取れ、やはりもっとも厳しい環境にある学校に残るのは新人か、他の学校に移れない能力の低い教員ということになります。

 

この辺りの教育格差と分権化の話は、現代ビジネスさんに寄稿した記事でも言及しているので、興味がある方は参照してみてください。あと、具体的に学区間で教員の平均給与にどの程度の差があるかなのですが、私が住んでいるミシガン州だと、もっとも教員給与が高いところと低いところでは3倍程度の差があります。

 

 

3.優秀な人ほど教員にならなくなる問題

 

日本の公務員給与は人事院が民間セクターの動向を見ながら決定しますし、かつて人材確保法を制定して教員給与を一般公務員よりも5%高くしたように、中央から教員給与の額に統制が効いたりします。ところが米国のように、地方にこの税負担を求めると、Race to the Bottomという状況が発生して、教員給与が下落しやすくなります(Race to the Bottomは、自分の地区の福祉水準を切り下げることで、その福祉を必要とする住民の転居を促し、他の地区にその住民の福祉費用を押し付けるという手法です)。

 

実際に、民間との相対比で見た教員給与は下落し続けており、これが教員の成り手の資質を下落させている状況を描写したのが、Changing Labor-Market Opportunities for Women and the Quality of Teachers, 1957-2000という論文です。元来、教職というのは女性の職場だったのですが、女性の労働参加が進み、これが女性教員の成り手の資質にどのような影響を及ぼしたのかを明らかにしています。

 

 

 

 

上の表の左側は、各属性別の女性の学力などがどのように変遷してきたのかを示しています。赤く四角で囲った部分を見ると分かるように、学校の先生になる女性の学力は1960年頃をピークに下がり続けています。

 

そして、右側の表は、学力を10段階で切ったときに、各層に属する女性が教職に就く確率を示しています。表が示すように、上位10%に属する高学力の女性が教職に就く確率は一貫して減少し続けています。逆に言うと、昔は優秀な女性であっても民間企業などでその力を活かすことができなかったので、教育セクターが安くこのような女性の労働力を調達できていたことが読み取れます。学力最上位の女性が教職に就かなくなった穴をどのような女性が埋めたのかというと、学力で上位30-40%に属する女性たちと学力で下位20-40%に属する女性たちです。

 

ちなみにですが、紹介したのは女性教員についてでしたが、相対給与という面で厳しいのは理数系の教員についても当てはまります。米国だと、少し数学ができると高い給与の職に就けてしまうので、理数系の人がわざわざ給与の低い教職を選んでくるわけもなく、理数系の教員不足が顕在化してきています。

 

米国の教育政策はここ数十年色々な施策が打たれていますが、相対給与の下落から教員の成り手の資質が下落している、ないしはその科目の教員免許を持っていない人が教えるという状況が出てきており、そもそもここに対処しないことには、何をやってもその効果は薄いだろうなというのが米国教育の現状です。日本の場合は、良くも悪くもここ20年ぐらい人件費が上昇せず、先進国の中ではもっとも人件費の安い国の一つになりつつあるので、この教員の成り手問題が顕在化しなかったのは、教育政策的には幸いだったたなと思います(マクロで見れば全然良くないのですが)。

 

 

4.貧困地区の教員、そもそもなり手がいない問題

 

最後のポイントは、どこから教員の成り手がやってくるかです。仮に、ある地区が石油を掘り当てて急に財源が豊かになって、教員に高い給与を支払えるようになったとして、優秀な教員を確保できるのでしょうか?

 

この教員がどれぐらい引っ越すのかを分析したのが、Hometown Disadvantage? It Depends on Where You’re From Teachers’ Location Preferences and the Implications for Staffing Schoolsという論文です。

 

 

 

 

上の図は、出身地の規模別に、大卒・高卒・教員が高校を卒業してから10年後に、出身高校からどれだけ離れたところに住んでいるかの中央値を表したものです(文末に平均値と中央値の話を補足しておきます)。図を見ると分かるように、基本的に大卒は高卒よりも、故郷から遠く離れたところに住んでいます。この米国のマイル表記は本当に止めて欲しいところですが、例えば中規模の都市・町・田舎出身の大卒は、自分の故郷から100キロ以上も離れて住んでいる人が過半数以上になります。しかし、高卒はというと出身地の規模にかかわらず、過半数以上の人が地元か地元の隣町ぐらいに住んでいることが分かります。

 

教員の学歴は基本的には大卒以上、中には大学院まで出ている人もそれなりにいるのですが、じつは教職を選ぶ人の多くが地元のすぐ近くの学校で勤務しており、その引っ越しパターンは大卒というよりも、高卒のそれに近いことが分かります。

 

つまり、教員の成り手は、基本的には地元の人材であるので、その地元の教育水準が低いと、教員の成り手のプールもその分だけ小さなものとなり、優秀な教員を集めづらくなるということになります。言い換えると、元も子もない話になってしまいますが、

 

→貧困学区というのはそもそもそこから大学に行く人材が少ない

→教員の成り手となる人材がほとんどいない

→ゆえに、集まる教員も能力が低いものになりがち

→その学区で行われる教育の質が低く、なかなか大学に行く人材を輩出できない

 

という悪循環が発生するわけです。

 

 

5.途上国での示唆

 

大変残念なことに、米国は強力な国なので、国際援助を通じて、ないしは途上国から米国へ来た留学生が帰国することによって、自国のシステムが途上国へと伝播していきがちです。今回議論した教員マネージメントもその例外ではなく、分権的な教員マネージメントをしている途上国が見られます。

 

やはりそのような国々では、都市と農村の間で教員の質に大きな差が見られますし(インフラや自分の子供の教育を考えると、誰も農村部の学校に行きたがらない)、なかなか優秀な人材を教職へと焚きつけられていないですし、女子教育を例にとると、地元に教育を受けた女性がいないので女性教員の成り手が見つからず、女性教員がいないから学校に行かない・モデルケースが無いから勉強をする意味が見いだせない、といったケースが散見されます。

 

では、集権化すれば上手くいくのかというと、これもまた難しい問題を孕んでいます。第一に腐敗の問題が挙げられます。アフリカの某国では中央集権的な教員採用→配置が実施されています。この国では、教員異動が発表される数週間前から、教育省の前に教員の長蛇の列ができ上ります。この教員たちは何をしに来ているのかというと、何とか地元or首都の学校に配属されるよう、教育省の高官に掛け合いに来ているのです。

 

汚職や腐敗が激しく、ガバナンスがまともに機能していないところで集権的な制度を実施すると、中央で一人が持つ権限が大きくなるため、制度がうまく機能しなくなってしまいます(この辺りは、日本でも最近文部科学省関連の汚職が話題になっており、類推できる話だと思います。詳しくはこちらの記事を参照してみてください→文部科学省汚職と競争的資金を、オバマ政権の経験から考える)。

 

第二の問題として、中央政府のキャパシティの問題が挙げられます。教員配置をまともにやろうとすると、まず各学校にどの学年or科目を担当する教員がどれぐらいいるか把握できていないと話になりません。しかし、度々Ghost Teacher問題が話題となるように、このようなデータがしっかりと完備されている低所得国はまずありません。仮にデータが完備されていたとしても、官僚がちゃんと計算できないといけないわけですが、そもそも官僚が足りていなくて(病欠・サボり・ドナーとの会議もこれを悪化させる)そんな時間がない上に、コネで官僚になってしまいまともにexcelすら使えない人たちもいるわけで、制度がまともに回らない恐れがあります。

 

 

6.まとめ――日本の優れた制度が途上国に輸出されない問題

 

日本と米国の教員採用→配置の制度を比べると、確かに米国の制度は保護者も教員採用に関与することができるため、より地元のニーズを教員採用に反映しやすいというメリットはあります。しかし、それを帳消しして余りあるデメリットが存在することは記事の中で紹介した通りです。

 

これに対し、日本の都道府県及び政令指定都市の教育委員会が教員を採用・配置を行い、教員給与の1/3は国が負担した上で、僻地・寒冷地手当などがあるというシステムは、学校間格差や地域間格差が出づらいシステムで、これこそ途上国に輸出すべきシステムだと思います。

 

現状の途上国の官僚に対する日本の支援は、主に日本に呼び寄せて研修や大学院へ通わせるものに留まっているうえ、理数科教育支援のようなpedagogy型の支援が主流です。これだけ優れたシステムを持っていて、かつ国際学力調査でも結果を示しているのですから、米国のようなドナーをちゃんと抑えて、現地に人を派遣したうえでキャパビルを行い、州・県レベルで教員採用・配置、国レベルで教員予算を出すというシステムを、いつか多くの途上国で根付かせてくれるといいなと願っています。

 

 

(補足: 学校のテストで平均点という単語をよく聞くので、何かを代表させる指標として「平均」を使いがちです。これ自体は悪くないのですが、平均値は異常値の影響を拾ってしまうという弱点を持っています。

 

例えば、本文で取り上げたような、高校卒業の10年後にどれぐらい離れた所に住んでいるか? というデータを取るとします。私は岐阜の南の方の田舎の中学校を卒業したので、同級生の多くは地元か、遠くても名古屋に住んでいます。ところが、私が28歳のときに住んでいたのは、日本から12000キロ以上離れたジンバブエでした。私の中学校のクラスが30人学級で、かつ皆が28歳のときに地元に住んでいたとしても、私一人の存在のせいで、平均値が岐阜から400キロ、すなわち東京辺りにいるということになります。私のような異常値の影響を取り除くためには、中央値を使うのが無難です。)

 

 

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