2018.10.23

子どもの家庭背景による学力格差は根深い――学力の追跡的調査の結果から考える

中西啓喜 教育学

教育 #学力格差

1.はじめに

2018年8月2日、大阪市の吉村洋文市長が、文部科学省が実施する全国学力・学習状況調査(以下、「全国学テ」と表記)の数値目標を市として設定し、達成状況に応じて教員の手当を増減させる人事評価の導入を検討すると発表したことが話題になっている。

そこで本稿では、改めて、学力の獲得がいかに子どもの家庭背景によって「根深く」左右されているのかについてデータを示していく。そして読者には、データを見たうえで、こうした教育への介入が適切な方向であるかどうかについて考えるきっかけにしていただければ幸いである。

2.全国学テによる学力格差の実態

文部科学省が全国学テを本格的に毎年実施するようになったのは平成19年度からである。この調査の主たる目的は、「義務教育の目標の実現状況の評価と検証」としているため、児童生徒の家庭環境についての情報収集は、基本的にはほとんど行われていない。しかし、平成25年度には保護者調査も実施され、保護者の収入や学歴水準等と子どもの学力の関係が分析されることになった(なお、平成29年度にも同様の保護者調査が実施されている)。

このデータの分析はお茶の水女子大学の研究チームに委託され、報告書もウェブサイト上で公開されている(お茶の水女子大学 2014)。

お茶の水女子大学の研究グループは、まず保護者に対する調査結果をもとに、家庭所得、父親学歴、母親学歴の3つの情報から子どもの家庭背景を測定した。このように測定される子どもの家庭背景は、社会学では「社会経済的地位(Socio-Economic Status:SES)」と呼ばれる。こうして測定されたSESを「上位」、「中上位」、「中下位」、「下位」に四等分し、それぞれのグループごとに学力の平均正答率を比較したものが図1である(注1)。

結果を簡単にいえば、「家庭が裕福な児童生徒の方が各教科の平均正答率が高い傾向が見られる」というものであった。この知見そのものはもちろん重要なのだが、より重要なことは、(1)日本の学力格差の様相が国家的規模で明らかにされ、(2)(委託研究ではあるものの)文部科学省の名において公表された、という2つの事実である。

図1.家庭の社会経済的背景と学力の関係

出典 「平成25年度全国学力・学習状況調査(きめ細かい調査)保護者に対する調査結果概要」に掲載された表を加工した。

http://www.nier.go.jp/13chousakekkahoukoku/kannren_chousa/pdf/hogosha_summary.pdf

3.格差は「連鎖・蓄積」するものだと考えてみる

図1のような結果が国家的規模のデータによって広く発信されたにも関わらず、学校や教師の努力によって学力格差が克服されるのではないか、という意見は根強い。こうした見方が蔓延する理由のひとつには、学力を一時点で観測しているため、家庭背景に根差した学力格差の深刻さが今一つ認識されていないことに起因していることが考えられる。

周知の通りだが、文部科学省の全国学テは、毎年小学6年生と中学3年生を対象として実施され、その前にもその後にも同一児童生徒への学力調査は実施していない。換言すれば、全国学テの結果は、子どもの学力格差はいつから始まり、その後どのような推移をたどるのかを把握しておらず、すでに出来上がっている学力格差を一時点で切り取っているに過ぎない可能性がある。結論を先取りすれば、学力格差は小学6年生よりももっと早い段階に発生しているのである。

石田浩氏(2017)は、格差の「連鎖・蓄積」(cumulative advantage and disadvantage)という考え方を用いて、人々の人生を通じた不平等の形成プロセスを説明しようとしている。通常、個人の不平等は、ある時点での有利さ・不利さが時間とともに積み重なっていく(「富める者はますます富む!」)。その時にスタート地点となる不平等は、家庭環境や性別のような当人の意思や努力によって獲得できない〈生まれながらの差異〉である。このような〈生まれながらの差異〉が、その後の人生における学歴や職の獲得に対して影響し続けるという考え方を格差の「連鎖・蓄積」と呼んでいる。

4.日本の学力格差の「連鎖・蓄積」の様相を把握する

それでは、格差の「連鎖・蓄積」という枠組みから日本の学力格差の様相について把握してみたい。これには同一の対象を追跡的に繰り返して調査して得られたデータが必要となる。同一の対象を追跡的に繰り返して調査して得られたデータを「パネルデータ」と呼ぶ。日本では学力情報を含んだ小中学生を対象としたパネルデータの蓄積はそれほど多くないが、ここではその一例を紹介したい。

「青少年期から成人期への移行についての追跡的研究(Japan Education Longitudinal Study: JELS)」(代表:お茶の水女子大学・耳塚寛明)は、2003年から2010年まで関東地方と東北地方において、小学3年生―6年生―中学3年生を対象に、3年ごとに同一の児童生徒を追跡した学力のパネル調査である。最終的な分析ケース数は1,085人、学力調査は算数・数学のみ、児童生徒の家庭背景を親の学歴で定義している、などのいくつかの限界はある。しかし、こうした類のデータは他に例が少ないため貴重なデータである(注2)。

(1)学力格差はどのように推移するのか?

パネルデータの特徴を活かした分析によって、学力格差の推移をビジュアル化したのが図2である。結果は、(1)小学3年次において、すでに親学歴による学力格差が観測され、(2)学年(年齢)の上昇とともに学力格差が拡大していくこと、の2点が示された(注3)。

改めて確認しておくと、文部科学省の全国学テは小学6年生と中学3年生に対し、一時点で実施されている。図2の結果を勘案すれば、私たちが新聞等で把握する図1で見られた学力格差の様相は、「すでに出来上がっている学力を一時点で切り取ったもの」に過ぎないことがわかる。

図2.算数・数学通過率の推定結果(成長曲線モデル)

出典 中西啓喜(2017)『学力格差拡大の社会学―小中学生への追跡的学力調査結果が示すもの―』東信堂、p.61より。

(2)児童生徒の努力は学力格差を克服するのか?

パネルデータを用いた分析のもうひとつの長所として、偏りの小さい推定値を得やすいという点がある。この特徴を活かして、児童生徒の努力の指標として学習時間を設定し、親学歴別に学力と学習時間の関連を分析したのが図3である。

まず青色の棒の両親非大卒の結果を見ると、「ほとんどしない」と「1時間まで」の正答率はそれぞれ47.3点と48.3点となっている。この1ポイント差には統計的に意味はないが、学習時間が「2時間まで」と「2時間半以上」となると、学習時間が正答率を向上させる統計的な関連が見られるようになる。

一方で、オレンジ色の棒の両親大卒の結果では、「1時間まで」の学習時間で学力スコアが向上する。つまり、両親大卒の児童生徒は短時間の学習でも学力に効果があるが、両親非大卒の児童生徒は比較的長い時間の学習をしないと努力が学力に変換されないことが示唆される。

さらに、両親大卒と両親非大卒の児童生徒別に学習時間の推定値を比較すると、同じ学習時間にも関わらず、親学歴によって学力スコアが異なる。両親大卒の児童生徒は、1時間までの学習時間でも52.9点だが、両親非大卒の児童生徒は48.3点しか獲得していない。さらに見ると、両親大卒の児童生徒は、2時間半以上の学習時間で55.7点だが、両親非大卒の児童生徒は51.3点に留まる。

この結果は、学力の獲得をとりまく種々の学習行動(例えば、努力)は形式的に平等であるに過ぎないことを示唆している(ブルデュー&パスロン 1964=1997など)。具体的にいえば、両親が非大卒の児童生徒に比べて、両親大卒の児童生徒は「効果的な学習」がより身体化されており、学習時間の効果が親学歴別に異なり、その結果として、個々人の努力では学力格差が克服することができないことになる。

図3.親学歴別、学習時間の効果の推定結果(固定効果モデル)

出典 中西啓喜(2017)『学力格差拡大の社会学―小中学生への追跡的学力調査結果が示すもの―』東信堂、p.85の表5-3を図化した。

5.学力格差は根深い

ここまでの図2と図3の分析結果を合わせて考えると、学力格差の発生には二段階のメカニズムがあることがわかる。すなわち、(1)家庭背景による初期的な学力格差に加え、(2)家庭背景によって学習時間の効果が異なる、という2段階である。第一の段階は家庭環境そのものが生み出す学力格差であり、第二の段階は児童生徒の家庭背景によって「努力の質格差」とも呼べる現象が生じており、それが学力格差を生み出しているのである。

こうしたデータを改めて眺めてみると、学力格差がいかに子どもの家庭環境によって早期から大きな影響を受けているのかが理解してもらえるだろうか。むろん文部科学省の全国学テの実施には、その役割と意義はある。しかし、全国学テによって把握できる学力格差(図1)は、すでに出来上がっている格差を一時点で切り取っているに過ぎないという限界は理解すべきである。

このようなデータを提示すると指摘されるのは、「分析結果は傾向に過ぎず、例外もあるはずだ」という意見である。例えば、「私は親が非大卒だけど学力が高かった」や「友人は、貧困家庭だったが有名大学に進学できた」などの経験則を踏まえて「納得できない!」という主張がある。

しかし、過去の『シノドス』(https://synodos.jp/education/16239)において中澤渉氏が指摘している通り、統計的な分析結果が示すのは、あくまで全体の傾向でしかない。それゆえに、「不利な家庭環境を乗り越えた人物」のようなレアケースは存在する。だが、全体の傾向にマッチしない自分や身の回りの人間のケースを「納得できない!」と紹介するだけでは反証したことにはならない。統計的な分析によって導かれた知見は、統計的な分析で反証しなければならないのである。

例えば、JELSデータの分析によれば、学力スコアを上位・中位・低位に3等分し、小3の時に学力低位だった児童生徒が、中学3年生で学力高位になったのは全体の4.42%に過ぎなかった。具体的な人数を記述すれば、1,085人中の48人である。両親非大卒の児童生徒に限れば13人(1.2%)しかいない。このような極めて少数のケースを元に、「学力格差は挽回できる!」と反証の根拠にするのは無理がないだろうか(注4)。

賛否は別として、冒頭で紹介した大阪市のように、学校に成果の説明責任を求めようとする政策的動向は、歴史的には新しいことでも特別なことでもない。教育に市場原理を導入して、高い成果を目指すということは海外でも見られる。有名な例としては、アメリカではブッシュ政権下における「おちこぼれゼロ法」(No Child Left Behind Act=NCLB)である。

歴史的に、人々は社会問題の解決を過剰に学校教育へ期待し、「小手先の学校いじり」に熱中し、学校教育は社会問題の解決の「カギ」としての役割を押し付けられてきたのである(ラバリー 2010=2018)。

むろん、筆者は学校教育が無力だと主張したいのではない。学校教育に期待するからこそ、学校に出来ることと出来ないことを見極め、どのような条件がそろえば学校教育の効果が発揮されうるのかを考えたいのである。そのための真っ先に取るべき「最善策」が現場教師への査定を導入することなのかということを、本稿の図1~図3を見たうえで読者にも考えてみてほしい(注5)。

〈注〉

(1)文部科学省の全国学テはA問題とB問題に分かれている。A問題は、主として身につけた「知識」に関わる出題、B問題は、主として知識の「活用」に関わる出題である。

(2)JELSの詳細については、以下のウェブサイトを参照されたい。

http://www.li.ocha.ac.jp/ug/hss/edusci/mimizuka/JELS_HP/Welcome.html、2018年8月29日取得。

(3)最近では、日本財団によって「貧困状態の子どもの学力は10歳を境に急激に低下する」という知見が発表されている。

https://www.nippon-foundation.or.jp/news/articles/2017/img/92/1.pdf、2018年8月29日取得。

(4)データの詳細は、拙著(中西 2017)の50-63を参照されたい。

(5)例えば、教育と福祉に連携が必要なことは、過去の『シノドス』(https://synodos.jp/education/17471)において仁平典宏氏も論じているところである。

〈文献〉

ブルデュー・ピエール&ジャン・クロード・パスロン、1964=1997、『遺産相続者たち―学生と文化』藤原書店。

石田浩、2017、「格差の連鎖・蓄積と若者」石田浩編『格差の連鎖と若者1 教育とキャリア』勁草書房、pp.35-62。

ラバリー・デイヴィッド、2010=2018、『教育依存社会アメリカ―学校改革の大儀と現実』岩波書店。

中西啓喜、2017、『学力格差拡大の社会学―小中学生への追跡的学力調査結果が示すもの』東信堂。

お茶の水女子大学、2014、『平成25年度 全国学力・学習状況調査(きめ細かい調査)の結果を活用した学力に影響を与える要因分析に関する調査研究』。

プロフィール

中西啓喜教育学

1983年、三重県伊勢市生まれ。青山学院大学大学院教育人間科学研究科博士後期課程修了(博士・教育学)。専門は教育社会学。お茶の水女子大学・研究員を経て、現在、早稲田大学人間科学学術院・講師。主著は『学力格差拡大の社会学―小中学生への追跡的学力調査結果が示すもの』(2017年・東信堂)、『半径5メートルからの教育社会学』(2017年・大月書店・第1章を担当)、主要論文は「少子化と90年代高校教育改革が高校に与えた影響─「自ら学び自ら考える力」に着目して」、『教育社会学研究』88:89-116、「パネルデータを用いた学力格差の変化についての研究」『教育学研究』82(4):65-75、「トラッキングが高校生の教育期待に及ぼす影響―パネルデータを用いた傾向スコア・マッチングによる検証」『ソシオロジ』191:41-59など。

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