2020.05.20
9月入学の「隠れたコスト」――新卒者の「放棄所得」と国の「逸失税収」
本稿は、苅谷剛彦・オックスフォード大学教授の呼びかけで集まった研究グループ(50音順に相澤真一・上智大学准教授、氏岡真弓・朝日新聞編集委員、岡本尚也・Glocal Academy 代表理事、中村高康・東京大学大学院教授)における議論を踏まえて執筆しているものです。
「9月入学」に関する議論が喧しい。新型コロナウイルス感染症の影響(臨時休校措置)により、十分な学びを得られなかった人たちの学修機会を保障する手段として注目されているのに加え、最近は「国際化を進めるチャンス」「改革の象徴」といったスローガンで9月入学を推進しようとする動きも見られる。他方、実際に9月入学制度を導入する場合、多数の法改正が必要になること、巨額の家計負担や行政コストが発生すること、待機児童や教員不足の問題が顕在化すること、などの現実的な課題も指摘されている。また、当事者である若者の意見を見ても、9月入学に否定的な人の方が多いようである(注1)。
(注1)たとえば、調査設計が必ずしも十分ではないが、一つの参考情報として日本若者協議会によるアンケート調査結果。
9月入学をめぐる論点については、すでに様々な整理がされているので本稿では割愛するが(注2)、ここで大切なのは、たんに9月入学に「賛成」か「反対」か、と二項対立に陥ってしまうことではない。そうではなく、9月入学を導入する場合のメリット・デメリットをエビデンスにもとづいてしっかりと検証し、課題がある場合には「9月入学導入をしない言い訳を探しているだけ」と片付けるのではなく、当該課題をどのように解決すべきかあわせて検討・具体化することが重要であろう。むしろ、そうした現実的な視座がないまま理念先行で9月入学を語ることは、無責任と言わざるをえない。その意味で、昨今各所から提示されている家計負担、教員不足、待機児童問題などに関する具体的な数値(注3)は注目に値するものであり、このようなエビデンスを踏まえた地に足の着いた政策論争・形成が期待される。
(注2)たとえば、日本教育学会の声明や中里氏の論考1・論考2。
(注3)たとえば、文部科学省の試算や朝日新聞の記事1・記事2。
他方、これまでの「9月入学論争」において、十分に光を当てられてこなかったのが、4月から就職を予定している人たちである。とりわけ、「国際化を進めるチャンス」として9月入学が語られる際、高校卒業者についてはおもに大学進学することが想定されているようだが、たとえば文部科学省が実施する学校基本調査によれば、2019年3月に高校を卒業した人のうち、約18.5万人が進学せずに就職をしている。また、過去数年の実績を見ると大学卒業後に就職する人は40万人強、リーマンショックの影響で雇用環境が非常に厳しくなった時期でも約33万人に上る。ここで、仮に9月入学が導入され、それに伴って高校3年生や大学最終学年の卒業時期も5か月間後ろ倒しになった場合、早期卒業を認めない限り働き始める時期も5か月遅くなる。すると、中里氏の論考でも触れられているように、これだけ多くの人たちが本来得られていたはずの5か月分の収入を得られなくなる、すなわち「放棄所得」の問題が発生することになる(注4)。さらに、個人の収入は直接税・間接税を通じて国の財政に結びつくことを考えると、放棄所得が発生することによって、国レベルでも本来得られていたはずの5か月分の税収を失うことになる。この「逸失税収」は、新たな制度を導入することで「わざわざ手放す」リソースであり、その妥当性を考える上では、「逸失税収を伴う施策により期待される効果」と「仮に同程度の税収があった場合に進められる施策による効果」をしっかりと比較検証することが求められる。
(注4)これは、文部科学省の試算で示された直接的な費用(授業料や生活費等)とは別に、5か月間を学校・大学で過ごすことにより生じる「機会費用」の問題ということもできる。なお、厳密には「収入」と「所得」の定義は異なるが、本稿では定型句として「放棄所得」を使い、後述する分析においては「収入」に関するデータを用いる。
そこで以下では、9月入学を導入した場合の「隠れたコスト」といえる「放棄所得」と「逸失税収」について、簡単な試算結果を見ていきたい。なお、9月入学に関する議論においては、開始時期をいつにするのか(2020年か2021年か)、どの学校種を対象とするのか(大学のみか他も含めるのか)、といった点について前提を整理する必要があるが、今回は本年度から導入され、2021年3月に卒業予定だった高校生~大学生が8月に卒業する(9月から働き始める)ケースを想定する。(ただし、この仮定が変更になっても、試算の内容・示唆自体には特に大きな影響がないことも付言しておく)
新卒者の放棄所得(約7157億円)
新たに学校を卒業して、いわゆる「新規学卒者(新卒)」として働き始める人の初任給は、厚生労働省の「賃金構造基本統計調査」で見ることができる。これによれば、2019年度新卒の平均初任給(企業規模10人以上)は、高卒が約16.7万円、高専・短大卒が約18.4万円、大卒が 約21万円、大学院卒(修士課程)が約 23.9万円である。他方、各学校種を卒業した後の進路別人数は、文部科学省の「学校基本調査」で公表されている。2019年調査では、卒業後に正規職員等として働いている人は、高校卒(全日制・定時制)が約18.4万人、高専・短大卒が約4.6万人、大卒が 約43.1万人、 大学院卒(修士課程)が約 5.5万人である。もっとも簡単な計算としては、この新卒初任給と新卒正規職員数を学校種ごとに掛け合わせたものが、一月当たりの放棄所得ということになり、高校から大学院卒まですべて合計すると約1431億円となる。これは毎月の額であるため、仮に就職が5か月間後ろ倒しになると、その5倍の計約7157億円もの放棄所得が発生することになる。なお技術的な観点からは、将来発生する金額は「割引率」を加味して「現在価値」に計算するのが正確なアプローチだが、今回は期間も5か月と短く、割引率を適用しても結果にほとんど影響がないため、分かりやすさを重視してそのまま加算している(注5)。
(注5)データの制約上、中卒あるいは大学院卒(博士課程)で働いている人、ならびに学歴にかかわらず非正規として働いている人は含まれていないため、過小推計となっている可能性がある。
ここで留意すべきは、仮に就職時期が5か月遅くならなかったとしても、昨今の社会・経済情勢を踏まえると雇用環境が非常に厳しくなる(初任給が下がり、新卒就職者数も減る)ことが予想されるため、単純に2019年のデータにもとづいて推計した場合、放棄所得を過大に見積もってしまう可能性である。そこで、一つの参考値としてリーマンショック後の2010年データを用いてみると、同様の計算方法に基づけば一月当たりの放棄所得は約1119億円、5か月分で5594億円となる(注6)。この数値の多寡については様々な評価があり得るが、厳しい雇用環境を織り込んで推計したとしても、相当額の放棄所得が発生する(しかも、別途文部科学省が試算しているような直接費用に加えて生じる)という事実は忘れてはならない。
(注6)リーマンショック直後の2009年よりも2010年の方が、経済危機による雇用環境の悪化を反映している(初任給が低く、新規就職者数も少ない)ため、より厳しい状況を想定した推計として2010年データを利用している。
なお、生涯賃金の観点からは、たとえ就職時期が5か月遅くなっても退職時期を同様に後ろ倒しすれば問題ない、と考えられなくもない。しかしながら、現在のような未曽有の危機的状況下において、新卒者一人ひとりの生活に目を向けたとき、考えるべきは数十年後にトータルで放棄所得分が解消されるか否かではなく、困難な経済・雇用環境のもとでさらに直近の収入が制度的に失われてしまうことの意味である。
国の逸失税収(約876億円)
先述のとおり、国民一人ひとりの収入は国の税収と結びついているため、放棄所得が発生すれば、それに伴って本来得られていたはずの税収も失うことになる。ここで、家計の収入や支出状況をまとめている総務省の「家計調査」を見てみると、世帯の種類ごとに平均消費支出額や直接税の支払い額が分かる。たとえば一つの参考値として、単身の勤労者世帯(注7)のうち年間収入200~300万円の世帯に関するデータ(2019年)を用いると、毎月の支出額のうち所得税は約3700円、住民税は約3800円、その他直接税が約2500円であり、また消費支出額から計算した消費税額は約14000円となる。これらの数値を、先ほど用いた新卒で正規職員等として働く人の数と掛け合わせると、一月当たり逸失税収は約175億円、5か月分で約876億円となる(注8)。
(注7)「『勤労者世帯』とは,世帯主が会社,官公庁,学校,工場,商店などに勤めている世帯をいう。ただし,世帯主が社長,取締役,理事など会社団体の役員である世帯は『勤労者以外の世帯』とする。」(総務省HP)
(注8)個人収入に回らなかった金額が他のルートで税収に結びつくこともあるため、実際の税収全体への影響を正確に捕捉するためにはより精緻な分析が必要だが、ここでは分かりやすさのためシンプルに収入階級別の税支出額と該当者数を掛け合わせて計算している。
ここでも、新型コロナウイルス感染症の影響を念頭におくと、直近の統計データを延長して推計すると過大になる可能性があるため、放棄所得と同様にリーマンショック後の2010年データを用いて分析すると、一月当たり逸失税収は約145億円、5か月分で約725億円である。これらは、国全体の税収総額に占める割合を考えれば小さなものであるが、例えば2020年度の文科省補正予算全体(2763億円)の4分の1以上に該当する額であり、個別の施策に目を向ければ「新型コロナウイルスに伴う学校再開等支援」(155億円)の4.5倍以上、「大学等における遠隔授業の環境構築の加速による学修機会の確保」(27億円)の25倍以上である。同様に、同年度本予算のうち、たとえば「公立学校施設の整備」(695億円)よりも多く、「大学等のグローバル化の推進」(45億円)、待機児童対策としての「認定こども園施設整備」(25億円)、グローバル社会における教育機会を確保・充実させるための「在外教育施設の教育機能の強化」(177億円)などより遥かに大きな金額となっている。つまり、現在の制度や予算案を前提とすれば、9月入学を導入することで「わざわざ手放す」税収があれば、複数の施策に伴う公財政支出を賄ったり、各施策の規模を拡大したりすることも可能といえるのである。
理念先行ではなくエビデンスにもとづく議論を
以上を踏まえると、現在の状況下で9月入学を推進する意義はどこにあるのだろうか。よく聞かれる一つのロジックは、「学びの保障」の観点から、休講措置で失われた学びを取り戻すというものである。これがもし、当事者である学習者の声として聞かれるのであれば、仮にその意見がマイノリティであったとしても「エビデンスがないから」という理由だけで完全に排除するのは必ずしも望ましくないだろう。しかしながら、学習の遅れについては、長期休業期間の短縮やイベント(準備)の縮小を伴うカリキュラムの再編成、入試問題の対象範囲調整といった対応が不可能ではないと考えられる。また、新型コロナウイルス感染症の流行第二波・第三派等が発生した場合、同じロジックに立てば学事暦を後ろ倒しし続けることになる(回りまわって一年後の4月、ということにもなりかねない・・・)。
そうであれば、明らかに多くのコストが発生する制度を拙速に導入するよりも、今後感染症の再流行があっても学びが途切れないような環境を構築する方が優先度は高いのではないだろうか。たとえば、ICT利活用による質の高い遠隔教育を可能とすることは一つの方向性だろう。ただしその場合、本稿で主張してきた「エビデンスにもとづく議論」の観点に立てば、本当にICTを用いた遠隔教育で確かな学びを担保できるのか、どのような遠隔教育であれば教職員の負荷を過大に増やさず質の高い学習を実現できるのか、とくに社会経済的に困難な家庭環境に置かれた子供たちの学びをどのように保障するのか、といった点についてはしっかりと検証することが不可欠である。その際、別途拙稿で整理したように、「ハード」「ソフト」「ヒューマン」「政策・制度」の切り口から検討することも一案だろう。
また、9月入学に関わるもう一つの主要な論点は「国際化」であるが、まずもって「国際化」の定義(誰・どのような組織がどのような状態になることを「国際化」と呼んでいるのか)が恐らく人によってバラバラなのではないか・・・という点はさておき、学校種や年齢にかかわらず日本から海外へ、海外から日本へ様々な人が動き、国をまたいだ国際研究・事業等が活発化した状態を指すのであれば、これがどうして9月入学によって実現するのだろうか。仮に大学に絞って考えても、たとえば海外から著名な研究者や優秀な留学生が他国ではなく日本に来ないのは、筆者が以前に関わった教員・学生調査によれば学事暦のズレなどではなく、待遇の悪さ(給与、研究費、家族手当等)や言語の壁が主要因であった。ひるがえって、日本から海外への留学を躊躇する一つの大きな理由として金銭的な負荷があることは、各種調査が示しているところである(注9)。
(注9)たとえば、文部科学省資料。
これらを勘案すると、「国際化」についても一見お金がかからないように見える9月入学への移行で実現しようと夢想するのではなく、実際には9月入学導入に伴って発生する直接的・間接的なコストを教育・研究基盤の強化や奨学金の充実等へ回した方が、効果的な可能性がある。そうした手当を打たずにたんに学事暦だけを変更した場合、たとえば金銭的な制約がない優秀な人材が海外留学しやすくなって人材流出が起こり、かえって日本の国際化が遅滞する恐れもあるだろう。ただしもちろん、こうした代替策や危惧も概念レベルの話にすぎないため、上述のように今後しっかりとしたエビデンスにもとづいて検証することが求められる。
繰り返しになるが、本稿は9月入学問題に「白黒つける」ことを目的としたものではない。そうではなく、どのような立場から論じるにしても、想定されるコストや成果について理念的に訴えるだけでなく、エビデンスにもとづいて検討を行うことの重要性を、「隠れたコスト」といえる「放棄所得」および「逸失税収」の観点から示すことが本稿の主眼である。そのため、9月入学導入を推進したいのであれば、当該制度の費用対効果を、当該制度を導入しない場合と比較して客観的に提示することが求められる。また同様に、9月入学に慎重な立場であっても、課題ばかりでなく「学びの保障」や「国際化」といったゴール自体に賛同できるのであれば、9月入学に代わる施策を費用対効果に関するエビデンスとともに示すことを期待したい。こうした動きが生まれれば、仮に最終的な結論が9月入学導入になったとしても、附随する課題をあらかじめ想定して対応策を講じることができ、また導入しない場合でも、代替策をより客観的に具体化することが可能となるだろう。
現在のような混乱期において、従前の枠組みにとらわれることなく大胆に未来を構想することは非常に有意義である。しかしその際、足元を見ずに理念先行でことを進めるのはきわめて危険であり、エビデンスを踏まえた意思決定が欠かせない。その意味で、「9月入学論争」は、我が国における教育政策論争・形成のあり方を一段上のステージへと昇華させる絶好の機会なのかもしれない。
プロフィール
荒木啓史
1984年生まれ、埼玉県出身。社会情報大学院大学准教授。社会学博士(オックスフォード大学)、教育学修士・学士(東京大学)。2008年より2016年まで三菱総合研究所に勤務し、教育分野を中心として多数の調査研究・コンサルティングに従事。その他、タイにある東南アジア教育大臣機構・高等教育開発センター(SEAMEO-RIHED)のリサーチフェロー、世界銀行がホストする国際教育基金「教育のためのグローバル・パートナーシップ(GPE)」コンサルタントなどを歴任。現在、特定非営利活動法人サルタック代表理事、三菱総合研究所客員研究員も務める。