2013.04.25
働きながらできるボランティア支援
荻上 今日は、特定のNPOに所属するのではなく、さまざまな支援活動に個人で参加しつづけているボランティアのみなさんに集まっていただきました。
「常連化した個人ボランティア」のみなさんだからこそ、NPOなどの仕切りの良し悪し、自治体ごとによるニーズの違いなど、多くのことを感じられてきたのではないかと思います。その体験を通じて見えてきた課題と教訓、ボランティアの方法論などをお話いただきたいと思います。
「ボランティアに行かない理由」がなかった
荻上 最初に、みなさんは普段はなにをされている方なのか。そしてなぜ、ボランティアに参加するようになったのかをお聞かせください。まずは福田さんからお願いします。
福田 福田耕です。普段は介護関係の会社で経理を担当しています。震災当時は21歳で、就職したばかりの社会人1年目でした。ボランティアには2011年の8月末から参加しています。
もともと学生の頃から社会貢献に興味があり、将来はそちらの仕事に就きたいと考えていました。だから震災が起きてからは、ずっとボランティアに行きたいと思っていました。きっかけというよりは直感ですね。行かない理由はないと。
荻上 震災後、いつでもボランティアに行けるよう準備されていましたか?
福田 平日は仕事があるので、土日に行けるボランティアがないか、ネットで情報収集していました。条件に合うボランティアを見つけたら、とにかく予約してって感じでした。
荻上 最初はどこでボランティアをされたのでしょうか?
福田 宮城県石巻市での瓦礫の撤去です。最初はなにもわからなかったので、行ってから考えるしかないと思っていました。8月末なので、すでに受け入れ態勢もかなり整っていましたが、想像していたよりも深刻な状況に驚きました。
参加したのは瓦礫撤去のボランティアだったのですが、ボランティア中は、「これからなにをすべきか」を悩むのではなく、「いまここでできることをしよう」と考えていました。現地のリーダーの人に従いながら、精一杯、手を動かしつづけました。いまから思えば、ですが。
最初のボランティアを終え、東京に戻ってきて、普段の生活を送っていても、違和感を覚えるようになりました。ずっとモヤモヤしていているような感じです。なにもせずにモヤモヤしていても仕方ないと思って、9月末にまた石巻市へボランティアに行きました。
それから石巻市に何度か足を運ぶうちに、瓦礫処理から被災地のコミュニティ支援に活動が変わっていきました。そのうち、石巻市がまだまだ人手を必要としていることはわかりつつも、他に復旧がもっと遅れている地域がないか、広く見てみたいと思い、他の地域に足を運ぶようになりました。
女性ボランティアが少なかった南相馬
荻上 福田さん、ありがとうございます。次に塩田さんにおうかがいします。
塩田 塩田宏美です。福島県出身で、18歳まで中通りに住んでいました。高校卒業後、都内の大学に進学し、現在は都内で働いています。
わたしの地元は、放射能の影響こそ少なかったものの、地盤が弱く、多くの家屋が全壊や半壊の被害を受けました。実家も半壊しました。そういう状況ですから、震災後は、福島県の被災地の状況を自分の目で確かめたいと考えていました。
自分にできることをしたいけれど、多額の寄付ができるわけでもない。体力もないし、普段の生活もある。だけど、実際に現地に行って自分の目で確かめたい。そこで、日帰りでできるボランティアをみつけ、参加することにしたんです。
初めてボランティアに参加したのは、2011年9月です。いわき市で瓦礫の分別をするボランティアでした。一件の牛乳屋さんの瓦礫を分別することになったので、そこのご主人と一緒に片付けていたんです。
お話をしながら片付けていたのですが、「放射能の問題もあるし、家もこんな有様。その上、誰も助けに来てくれない」とうかがい、悲しくなって一緒に泣いてしまって。精神的にキツくなって、しばらくはボランティアに参加できなくなりました。少し時間がたってから、もう一度参加するようになれましたが。
その後、福島県は復興が遅れていると言われるなかで、石巻市のボランティアが成功していると聞き、自分でなにができるかはわからないけれど、成功例をみて仕組みを学ぶことで地元に貢献できるんじゃないかと考えて、長期参加するために足を運びました。
荻上 実際に行ってみてどうでしたか。
塩田 いろいろな人の話を聞いていると、瓦礫が片付いて町は少しずつ復興しているものの、心理的な問題など、見えない問題はむしろこれからなんだと思いました。また、成功モデルといっても、人によって実情がだいぶ違うことを感じました。一方で、よそから来た人でしかできないこともあるとも分かりました。
荻上 石巻市でのボランティアのあとは、どちらに行かれたのでしょうか。
塩田 南相馬市に行ってみました。放射能の影響のためか、ボランティアも少なく、現地の詳しい情報も少なかったと思います。
いろいろな被災地をまわって気が付いたことは、女性ボランティアは比較的、年配の方が多いということです。ある男性のボランティアと話していて、男性より女性の方がおしゃべりで情報を発信する力があるんだなあって思いました。だからこそもっと女性が来るべきだと感じました。
ですが、南相馬市の場合は、そもそも女性自体が少なかったです。石巻市では半分近く女性がいたところもあったのに、南相馬市では若い女性ボランティアをあまり見かけず、不安でした。
南相馬市の場合、福島県に対する想いが特に強かったり、放射能に関する詳しい知識があったりといった、一部の人しかボランティアに来ていないと思った。とはいえ、被曝の影響がまだわからなかったので、友達に「行こうよ」とも誘いにくい。「ここにボランティアに来ていることは誰にも言っていない」という男性もいました。
人手が足りないところに行こう、と思った
古口 古口正康です。普段は会社員をしています。震災後、毎週のようにボランティアに通っておりまして、地元の埼玉県と被災地を往復した回数が100回を超えました。
20歳のときに阪神・淡路大震災があり、ボランティアが注目されていました。行くかどうか相当悩んだけれど、かなりの引っ込み思案だったので行かなかった。そのことへの申し訳なさをひきずっていました。
1998年には、栃木県那須町で水害がありまして、祖父母が被害にあい、自衛隊ヘリに助けてもらったと聞きました。発災3日目に、避難所に会いに行ったとき、「ボランティアやって帰りなよ」と言われたのですが、結局はなにもせずに帰ってしまいました。体格がいい人が頑張っているのをみて、及び腰になったのです。
今回もまた、いくかどうか悩んでいたのですが、3月31日にいわき、4月中旬に石巻に下見にいきました。那須町で見たようなガテン系の人たちだけではなく、ごく普通の人たちが過酷な力仕事を頑張っていました。それを見てもなお自信がなくって「自分にはできないかも?」と思い、行かないと決めて、行くなら使おうと思っていた交通費分の資金を寄付したのです。
ですがその後、ピースボート、オンザロード、APバンクなどが登壇するイベントを見にいったとき、オンザロード理事長の高橋歩さんから「悩んでいるなら行ってきな」と言われて。では行ってみようと思い、一度行き始めたら、何度も足を運ぶようになりました。
初期の泥出しボランティアには、いろいろな人が参加していました。アメリカやコソボなど、海外からボランティアに来ている人も多くいました。そうこうしているうちに、ボランティアリーダーに任命されたりするようにもなりました。
荻上 実際に参加してみて、いかがでしたか。
古口 ボランティアは所詮よその人間で、地元の人は受け入れてくれないのではないかという先入観があったのですが、行ってみると、とても感謝されることを知り、10年間たまっていたモヤモヤを、ようやくおろせたような気もします。長期休暇をとりたかったが、職場の問題でそうはいかなかったので、月に8、9日、休みのたびに通っています。
最初は夏前までかなとか、年内までかなとか思っていたのですが、くぎりを付けられなくなりました。ボランティア不足に悩んでいる場所がある、地域差があるということもわかってきたし、時期によって課題が変わるので、ニーズがまだまだなくならないことも知りました。とくに、福島は手薄だな、といった課題が見えてきました。
「人が避けている場所に行かなくちゃ」という想いがあったので、除染ボランティアにも力を入れるようになりました。除染ボランティアの人は、宮城県、岩手県のボランティア経験者や、放射能の専門知識をもっている人が多かったです。岩手県や宮城県での活動が収束してきたので、「次は福島だ」という人に、よく会いました。
ボランティアって、どうしても、一番最初に活動させてもらった場所に感情移入する面があります。初期にボランティアが少なかった場所などは、ある意味で、ボランティアという有限なパイの取り合いに出遅れたともとれます。
時間がたってボランティアの数は減っていますが、頻繁に通っている人のなかには、「ボランティア過疎地域」を探し、そこで活動をしようという想いを持っている人がいます。
ボランティアも人それぞれ
荻上 ボランティアに参加されるなかで、年齢や性別によって、ボランティアがやりやすい環境は違ってくると思います。塩田さん、いかがでしょうか。
塩田 NGOピースボートは若いスタッフや女性が多かったので参加しやすかったですね。
参加した支援団体のなかには、ボランティアのなかに、酔っぱらっている人や消灯時間を守らない人など、マナーの悪い人もいました。初日からそんな人を見かけたので、「すぐに帰ることになるんだろうな」「つづかないだろうな」って思ったんです。でも、親切な人もいて、助かりました。
福田 ボランティア同士が喧嘩していたこともありましたよね。
塩田 あと持ち帰るのを忘れただけなのかもしれませんが、ゴミをそのまま置いていってしまう人もいました。
他にも、大学三年生の方が参加されていたのですが、作業をちゃんとやらないで遊んでばかりいて。そのくせ報告の時間では、ちゃんとした立派なことを言う。こういう人が増えたら困るなあって思いました。
荻上 現地のニーズに応えることよりも、自分の体験を蓄積することばかり考えている人もいるのかもしれませんね。ボランティア間の温度差は感じられましたか?
福田 受け入れ態勢が良くなると、良くも悪くもいろいろな人が来ると感じました。旅行気分の人もいました。
古口 埼玉県に避難している方のために瀬戸焼の器を寄付していただいたのに、数日もしないうちに盗まれてしまったことがありました。
荻上 「出会い」を求める人の参加もあったという話も聞きましたが。
塩田 そういうこともあります。以前、『プレイボーイ』に「ボランティアにいけばモテる」みたいな記事が掲載されていて。そういう勘違いは困ります。
古口 わたしも何度も東北に行くので職場で「あっちに恋人がいるんじゃないの」って言われたことがありますよ(笑)。
ボランティア団体や個人ボランティアの衝突
荻上 いろいろなボランティアがいるとなると、やはりボランティアを指揮する団体が重要になってきますよね。
塩田 そうですね。ピースボートは本当に成功例だと思います。仲良くするときは仲良く、締めるところは締めていたので、参加者からみて、とてもやりやすかったです。
福田 ピースボートは組織づくりがうまかったですね。ピラミッド型の組織にはなっているのですが、現場にも裁量権があるのでその場判断ができる。「報・連・相」を徹底していました。世界中でさまざまな活動されていますから、経験がいきているのかなと思わされました。
古口 わたしはピースボートのボランティアに参加したことはないのですが、石巻市のいろいろな現場で、ピースボートと他の団体が協力して活動しているのを見ました。
塩田 オンザロードですよね。
古口 そうです。他にも数団体いました。
わたしは石巻市の大川地区という、亡くなった方のほうが生存者より多い地区で瓦礫撤去をしていたのですが、精神的にたいへんつらい場所で、涙が止まりませんでした。そこで救いだったのが、活動していると所属団体など関係なく、必要に応じてみんなで助け合いながら作業をしていたことです。いろいろなところでボランティアをするとわかるのですが、これって珍しいことなんです。普通は団体が別々にやっているんですよ。団体間による「管轄争い」のようなものも、結構な場所で起きているので。
荻上 団体同士の衝突や、団体のスタッフと個人の衝突もあったとうかがいます。
古口 思いが強い方もいらっしゃるので、衝突することはありますね。
最近聞いた例ですと、ある団体に参加申込してボランティアをしながら、団体の活動とは別に個人的な活動もしている方がいらっしゃるのですが、団体側からすると、あくまで団体のミッションのために活動して欲しいので、勝手なことをされては困るといって注意をしたんです。その後、その方は来なくなりました。
怒られてボランティアに来なくなる人、たくさんいるんです。自由意志で集まってきたボランティアを束ねるのは本当に大変です。もともと見知らぬ者同士がその日そのとき限りのチームをつくって一緒に活動をするわけですし、お金をもらっているわけではないから、ボランティア側も来てあげているという姿勢になりがちで。でも団体には団体のルールがありますから、そこで衝突すると、スタッフもきつい言い方になってしまうんです。
荻上 NPOやボランティア団体同士の衝突はどう思いますか?
古口 最初はいっしょにやればいいのにと思っていたんですけど、自分たちのプロジェクトを実現させるだけでも精一杯になるので、気持ちに余裕が無くて、同様の活動をしている団体とは衝突してしまうのかもしれません。
実際に起きた例ですが、ある被災者がふたつの団体に同じ作業をお願いしてしまい、どちらが担当するかで揉めてしまったことがあります。結局、片方の団体が引くことで解決をはかりましたが、逆にもう片方の団体が「なんで引いたんだ」って怒ってしまい、対立がより深くなってしまったこともありました。
塩田 物資に関しても、足りないものは団体同士で補えばいいのに、うまくいかないところがありました。
除染ボランティアに参加するか否か
荻上 お三方は南相馬でのボランティアに参加されていますが、いま南相馬市ではどのようなボランティア活動をされていますか?
古口 南相馬ではいま、仮設住宅の避難者ケアや、旧警戒区域の片付けなどがメインです。自分が最近やっているのは、ボランティアセンターの内勤業務などですね。南相馬市以外では、福島市でだいたい月1回のペースで除染ボランティアに行っています。
塩田 わたしは除染には参加していません。年齢制限にも引っかかってしてしまいますし。
福田 ぼくは除染ボランティアではなく草刈をメインでやっています。受け入れてくれるなら行きたいんですけど、体はひとつしかないので、優先順位をつけざるをえなくて。時期が来れば行こうと思っています。いま若い人が行くのは違うかな、と。
塩田 わたしも除染ボランティアに行こうと考えたこともありますが、家族が心配するというのもあって。そもそも南相馬市でボランティアをやっていることを家族に告げたときもかなり驚いていて。いまだって、応援というよりはあきれているみたいです。
やはり女性は気にしている人が多くて。福島市にお住まいの方で、子どもが通っている学校が給食に福島産のお米を使っていたようで、学校側に他県のお米を使うよう要望を出している方がいました。一方で、気にしていない方は気にしていないようです。
荻上 放射線は目に見えるリスクではないので、気にされる方と気にされない方がいるんでしょうね。
福島では放射能の問題がありますし、震災直後は大きな余震の心配もありました。ご家族の方も含め、ボランティアは周りの方の理解が重要だと思います。みなさんの周りの理解はどうでしたか?
古口 猛反対されるので、父親にだけは内緒にしています……。その点、福田君は周囲がよく理解してくれていますよね。
福田 自分は問題なかったです。でも職場でボランティアの話をすると、「自分の息子には行かせない」という人もいます。それはどちらが正しいとかではなく、個人の考え方なので。
さいわい自分は反対する人はいませんでしたし、むしろホッカイロをくれる人もいて。そうやって身近なボランティアに優しい声をかけたりすることも、間接的な支援のかたちだと思います。
塩田 そういえば南相馬市には他県からのボランティアが多くて、県内の他の市町村から来ている人はとても少なかったですね。宮城や岩手だと、被災していない西側から、沿岸部に支援に来ている人が結構いるのですが。ただでさえ放射能で不安なのになんでもっとリスクのあるところに行かなくてはいけないんだと考えているのかもしれません。
個人ボランティアが現地以外でできること
福田 ボランティアで現地に入って、こっちに戻ってきたときに現地の状況を伝えることは大切だと思うんです。メディアでは伝えられない情報を伝えることができますし、風化防止にもなります。
荻上 日常的な言葉で伝えることでイメージは変わりますね。
福田 自分は普段、月曜日から金曜日まで働いているので、長期のボランティアはできません。会社を辞める手もありますが、それではなにも変わらない。自分のいまの立場でできる最大の支援は、きっと少ない時間ながら現地でボランティアをして、その情報を持ち帰って広めることだと思います。
古口 わたしがボランティアリーダーをやるときは、最後に必ず「今日の作業は終わりですが、帰ってからも広報ボランティアとして、今日見たこと・感じたことをいろいろなところで広めてください」と伝えるようにしています。
荻上 いまでもボランティアに参加するきっかけを探している人は結構いると思います。時間が経つほど、「いまさら行っていいのだろうか」と参加するハードルは上がってしまう部分もあるでしょう。福田さんのような方がお話をすることで、参加するきっかけになるかもしれません。
一方で、いま現地に入ってボランティアをされている方に対し、サポートできることはなにがあると思いますか? 活動のための資金が足りないといった問題があるのではないかと思いますが。
福田 自分の場合、最初は公共交通機関を使った頃は往復15000円くらいしたのですが、その後はみんなで車の乗り合わせをして一緒に行くようにしてなんとかやっていますね。お金がなくなって行けなくなるのは嫌だったのでいろいろと考えました。
古口 福田君が代表になってFacebookに「CHANCE―南相馬」(https://www.facebook.com/groups/184716611650307/)という、乗り合わせをつのるページもつくりましたよね。これが予想以上に拡散して、宮崎県の大学生たちが後方支援を名乗り出てくれたんですよ。ほんとうに嬉しかった。
荻上 そのようなプラットフォームがあれば交通費問題は解消できるかもしれませんね。ボランティアに必要な技術や向き不向きはありますか?
古口 大工仕事や事務処理が得意だと重宝されそうですね。自己主張が強い人は向かないと思います。どうしてもグループでの作業が多くなるので。
福田 「以前ボランティアに行ったときはこうしていた」と過去の経験を持ち出す人はいましたね。それが提案なら問題ないのですが、「このやり方は間違っている!」と突っ張られるのは困ります。
古口 あれはだめ、これはだめと批評ばかりする人もいますね。リーダーをやっているとそういった方に注意しなくてはいけないですが、あまり命令口調にならないように気をつけました。
これからのボランティアのために
荻上 今後ボランティアを継続していく上で、環境面、制度面で求めることはありますか?
塩田 JTBが南相馬市行きのボランティアバスを始めました。安心できる旅行代理店が主催するものが増えると行きやすくなると思いますね。日本は災害も多いですし、今後は、ボランティアが日常生活の一部になればと思います。
荻上 阪神淡路大震災のボランティア元年から16年。今回の震災によって、ボランティア経験者は爆発的に増えたと思います。その一方で、現地ではまだまだボランティアを必要としています。ボランティアに誘うコツはあるのでしょうか?
古口 やはりまずは自分の体験を伝えることだと思います。わたしも、Facebookで写真や体験記を載せて伝えているのですが、最近はいろいろな意見が寄せられるのでだんだんしんどくなってきて。
たとえば放射能に関して、福島に住むこと自体を反対している人から、ボランティアについていろいろ言われたり。Facebookのコメントについて、津波の被害にあわれた方から苦情がきたり。
あとボランティアのみんなで集合写真を撮るとき、達成感で笑顔になるんですよね。それを否定することはできませんが、見る人によっては不快な気持ちになるだろうと思うと、なかなか掲載しにくいです。だから必然的に書き込む内容も堅いものが多くなってしまう。それが逆に、ハードルをあげやしないかとも思います。
今日は被災地に直接行く話ばかりでしたが、全国各地に避難している人もいるので、被災地に直接いかなくてもできるボランティアはあると思います。これからはそれを広めることも課題かな、と。
塩田 女性の方にもっと参加して欲しいです。瓦礫処理以外にもやれることはたくさんあるので、一度現地に足を運んで自分で確かめて欲しいです。男性も女性も、女性にはあれこれ聞きやすいようですし、発信力もあります。あと女性がいるとおじさんたちがいつも以上に頑張るようなので(笑)。
あとは震災から二年がたち、クローズする支援団体が多くなると思い、女性が参加しやすい不定期ボランティアバスを企画しました。第一陣は4月に南相馬市へ行く予定です。まずはボランティア仲間を募って、団体で活動しようと思っています。
荻上 現地の女性の方に話を聞くと、物資の面などでたとえば生理用品とか男性では気づかないところも、女性のボランティアの方は気づいてくれることもあったそうなので、色んな年代や、背景を持った人が参加することは大切ですね。
古口 被災地に行かなくても、自分の自治体に避難してきた方への支援がどうなっているのかを意識するだけで、また違うと思います。
福田 自分はもっと若い人に頑張ってもらいたいです。今後社会を担っていく世代が、現地に行き感じたことを自分の職場や家庭に持ち帰って生かして欲しい。大学生のボランティアも個人的な経験ではなく、社会に還元するように意識して欲しいです。
荻上 若者が多くの経験をすることで、より長く社会に還元できるというのは確かにありますね。本日は本当にありがとうございました。
(2012年12月11日 飯田橋にて 構成・金子昂)
プロフィール
荻上チキ
「ブラック校則をなくそう! プロジェクト」スーパーバイザー。著書に『ウェブ炎上』(ちくま新書)、『未来をつくる権利』(NHKブックス)、『災害支援手帖』(木楽舎)、『日本の大問題』(ダイヤモンド社)、『彼女たちの売春(ワリキリ)』(新潮文庫)、『ネットいじめ』『いじめを生む教室』(以上、PHP新書)ほか、共著に『いじめの直し方』(朝日新聞出版)、『夜の経済学』(扶桑社)ほか多数。TBSラジオ「荻上チキ Session-22」メインパーソナリティ。同番組にて2015年ギャラクシー賞(ラジオ部門DJ賞)、2016年にギャラクシー賞(ラジオ部門大賞)を受賞。