2015.01.22

報告6 日韓2つの「ふつう」――「不通」から「普通」へ

浅羽祐樹 比較政治学

国際 #日韓#離米従中卑日

変化の兆しのある日韓関係の「不通」

2つの「ふつう」という観点から日韓関係を読み解き、2015年を展望してみたいと思います。

1つ目の「ふつう」は、「通じない」という意味での「不通」です。これは日韓関係の現状に対する私の評価です。2つ目の「普通」は、「平凡な」「よくある」と理解されることが多いのですが、ここでは「普(あまね)く通じる」と書き下して、将来に向けてそのようなかたちで日韓関係をオープンにしていくという展望を意味しています。

「不通」は、いまだ日韓両国の首脳が単独での会談を一度も行っていないことに象徴されています。「地球儀を俯瞰する外交」を掲げる安倍首相は、2014年11月の「日中」首脳会談で、50カ国の首脳とトップ外交を行ったことになりますが、韓国の朴槿恵大統領とのみ行っていない。唯一、2014年3月にオランダのハーグで行われた核セキュリティサミットの折に、オバマ大統領が仲介するかたちで、「日米韓」という枠組みを通じた会談が行われただけで、「日韓」の欠如が際立っています。

日韓の首脳レベルの「不通」は、ほぼ同時期に就任した安倍・朴のペアになってからではありません。日韓単独で、お互いの国を行き来するかたちでの首脳会談は、2011年12月に、当時の野田首相と李明博大統領の間で行われたものが最後です。そこでは慰安婦問題だけが一方的に取り上げられ、日本側にとっては後味の悪い記憶が残っています。その後、李大統領が竹島に上陸するなど、日韓関係は1965年の国交正常化以降50年の歴史の中で最悪の状況に陥っています。

変化の兆しも見られます。APECの折に日中首脳会談が実現したことで、不意打ちをくらった韓国は、日中韓外相会談をソウルで行い、日中韓首脳会談につながることを希望するという、ポジティブな発言を初めてしました。これまで慰安婦問題が解決しない限り首脳会談に応じないという立場をとってきた朴大統領にとって、それが解決しなくても、単独の日韓首脳会談を行いやすいのは、「日中韓」というマルチの会談の席だろうと思います。これは北京APECの脇で日中首脳会談に応じた習近平主席も同じだったでしょう。

外務省の局長級会談は2014年に5回行われました。長らく開催されていなかった、安全保障の問題も含めて包括的に話し合う次官級の戦略対話も10月に行われ、12月にも次官協議を重ねています。外相対談は8月と9月に2回行われ、首脳レベルでも、APECの夕食会が隣の席だったことを理由に、あくまでも非公式ということで意見交換を行っています。

近年外交は、政府当局者同士が行う専管事項ではなくなり、国際社会で広く「心と精神を勝ち取る」側面が重要になっていますが、トップリーダーしか成しえない役割もあります。とりわけ日韓に関して申し上げますと、首脳会談を行うことによって、双方の国民レベルで陥っている嫌韓/反日といった悪循環を断ち切るチャンスが生まれます。トップリーダーにはその責任がある。どんなにブスッとしていても、中国の国家主席と一緒に撮ったフォトセッションが報道で繰り返し使われると、日本国内、国際社会で中国に対する認識が少なからず好転したように、首脳会談によってのみ可能になるブレイクスルーがあります。

鎖は一番弱い輪で切れる

日韓は歴史認識問題が理由で対立しているとよく言われますが、私はそのようには考えていません。もっと根の深い、中国の台頭や米中関係の行方に対して、日韓両国の間で戦略的認識ギャップがあり、今後どのように政策的に対応するか、食い違いが生じているからだと思っています。少し大仰な言い方をすると、国家大戦略(グランド・ナショナル・ストラテジー)のレベルで齟齬が生じているため日韓は対立しているのではないでしょうか。

日本は中国の台頭を脅威として認識し、アメリカとの同盟関係を強化することで対応しようとしています。他方、韓国は中国の台頭を必ずしも脅威とみなしているわけではありませんし、米中関係の行方に対しても「新型大国関係」と言われるような関係が可能だし望ましいと考えている。むしろ日本が引き金になることで、日中対立が米中対立につながり、米中の間で韓国が「股裂き」になる状況が一番望ましくないと思っている。このように国家大戦略をめぐる齟齬が厳然と存在しています。

「韓国はわれわれと違う国になった」という印象を持っている人が多いのではないでしょうか。内政では、報道・表現の自由や結社の自由について、自由民主主義体制を共有していたはずだが、どうも違うのではないか、と。外交のレベルでも、韓国もアメリカ側についていたはずなのに、どうも中国側に行ってしまったのではないか。そういう疑いが強まっています。

実際はどうなのか。この点については慎重に判断しなくてはいけません。2014年7月に習主席が訪韓したときの中韓首脳会談で、中韓関係は「成熟した戦略的協力パートナーシップ関係」に格上げされました。当初中国は経済的な関係だけでなく、安保も含めた「全面的な」関係に格上げすることを望んでいましたが、韓国は「成熟した」と形容詞を加えることで、ギリギリのところでなんとか踏みとどまった、と言えます。

中韓は「対日」「歴史共闘」している、とよく言われます。しかし私は、これはカバー(擬装)にすぎないのではないかと思うんですね。本当は中国による韓国の「抱き込み」なのではないか、「米日韓」、つまりアメリカが同盟国の日本や韓国と築き、これまで維持してきた、北東アジアにおける安保や経済の秩序に対する挑戦なのではないかと思うんです。

米国が「アジア太平洋国家」「アジアへの回帰」を標榜する中で、合意とルールに基づくリベラルな秩序に対して、力による一方的な現状変更を迫っているということなのだと思うんですね。英語の警句に、“A chain is no stronger than its weakest link”という言葉がありますが、これを意訳すると「鎖は一番弱い輪で切れる」となります。つまり、「米日韓」という「鎖」において「日韓」という「輪」が切れることは、誰にとって得なのかを考えると、見えてくるものがあるのではないでしょうか。

韓国は「離米従中」をギリギリ踏みとどまっている

その上で、いま流布しつつある「離米従中卑日」という言葉について考えてみましょう。韓国はアメリカとの同盟から離れて中国につき従い、日本を蔑んで見ているという見方は、本当に妥当なものなのか。何をしたら中国側に行ったのか、あるいはアメリカ側に留まっているのかを見極めるためのチェックリストを用意してみました。

まず、北京APECの際の中韓首脳会談で、両国がFTA(自由貿易協定)に合意しましたが、これは許容範囲内でしょう。次に、日本が主導してきたADB(アジア開発銀行)がすでにある中で、透明性が確保されるかどうかよく分からないかたちで経済的な秩序を中国が主導して構築していこうとするAIIB(アジアインフラ投資銀行)に参加するかどうか。これはボーダーライン上です。いま韓国は踏みとどまっていますが、オーストラリアが今回見送ったからとも言われているので、今後どうなるか分かりません。

明らかなデッドライン越えは、集団的自衛権に関する解釈変更に対して、中国の反対に同調することです。7月の中韓首脳会談で同調してしまったんですね。「さすがにマズい」「行きすぎた」と気づいて、引き戻しを始めています。THAAD(戦域高高度防衛ミサイル)もアウトです。中国は「参加するな」と脅しにかかっていますが、いつまでも配置しないとなると、アメリカは「韓国が中国についた」と判断するでしょう。最後に「戦勝70年」。中国は韓国に盛んに水を向けていますが、そもそも韓国は戦勝国ではなく、法的には日本からの分離・独立です。

というわけで、慎重に見極めなくてはいけないのですが、いまのところはギリギリのところでなんとか踏みとどまっている、と言っていいのではないかと私は考えています。

DSC_1112

日韓間の微妙なニュアンスを読み取ること

なぜ韓国が中国に完全には乗れずにいるかと言うと、対中認識がアンビバレントだからです。「新型大国関係」はもはや不可避であり、便乗するのが一番利益になると認識している反面、中国が台頭することで、たとえば稼ぎ頭のサムソンのスマホのシェアが、性能は同じで価格が半分の中国製によって、さらに落ちてしまうかもしれない。また中国は韓国を誘う際に「人文紐帯」というフレーバーをよく塗すのですが、韓国人は中国に対して、万里の長城とか国が大きいとか、人が多いとは思っていても、精神的なつながりがあったとは考えていないということが世論調査で明らかになっています。

何より軍事的に、アメリカに対してこれまで以上にチップを積まないといけないことに本当は気づいている。戦時には韓国軍の作戦統制権は在韓米軍司令官にあるのですが、これが2015年に韓国大統領に戻ってくることになっていました。しかし、返還はもう少し待ってほしいと自らアメリカに申し入れをして、2020年代まで延期してもらった。ということは、朝鮮半島で有事があるときは、韓国軍と在韓米軍は在韓米軍司令官に指揮される。在韓米軍と在日米軍はもともと一体として動くことが前提で編成されていますから、当然一緒に動く。そして自衛隊は、集団的自衛権の解釈変更によって、在日米軍と一緒に動くことになる。つまり、この四者は共同でオペレーションをするというわけですね。

そこには軍事的な合理性があるということは、そのサークルのプロたちの間では共有されています。ただ、政治的には難しいのでなかなか言葉には出てこないんですね。「朝鮮半島で有事があるときに、韓国政府が同意と要請をしない限り自衛隊が韓国に足を踏み入れることは許さない」という言い方をしています。ここでいう「要請」は、「超訳」すると、「いざというときは一緒に戦ってください」ということです。このような微妙なニュアンスが含まれていることをきちんと読み取らなくてはいけない。要は、「ツンデレ」なんですね。

21世紀の共同宣言、そして「不通」から「普通」へ

2015年は数字の並びがいろんな意味でいい年です。まず日本では「戦後70周年」でもあり、「敗戦70周年」でもあります。ということは、反対に「戦勝70周年」をPRしたい勢力も当然いる。さらに「日韓国交正常化50周年」でもあります。どんな年として記憶に刻むのか、これからフレーミング争いが激しくなります。

こういったときは、プロポーションのいい、釣り合いのとれた見通しと見晴らしが重要です。日韓両国は1998年にパートナーシップ宣言を高らかと謳い上げたことがあります。2000年来の日韓関係の基調は交流と協力だった。しかし過去の一時期、植民地支配により多大の損害と苦痛を与えたので、日本は痛切な反省と心からのお詫びを表明。戦後日本は生まれ変わって、国際社会に貢献していることを韓国は高く評価する。これらをトータルで評価して、慰安婦や竹島など個別にはいろいろ問題があっても、一つの争点だけで日韓関係の全体が損なわれないようにしていく。共に国際社会に貢献するのが21世紀「に向けた」日韓関係である。こうした現状分析と展望を示しました。

いま私たちは21世紀に生きていますが、かつて日韓が共有していたはずの視座に再び立って、今度は21世紀「の」共同宣言として打ち出すことができるかどうか。それとは別に、安倍談話が出るでしょうが、このように時間軸と空間・領域軸の両方で釣り合いよく位置づけていくことが重要でしょう。

日韓両国は、相手の顔だけをみて激昂しがちですが、そこにはオーディエンスがいて、場合によってはジャッジされているということを常に忘れてはいけない。そうした目を先取りして行動した側が有利になるというゲームの局面を迎えています。典型的には、つい「日韓」歴史認識問題と理解しがちですが、日韓「間の」問題、日韓「だけの」問題と本当に言えるのかどうか。慰安婦問題は、少なくとも2000年代以降は、好むと好まざるとにかかわらず、「紛争下における女性の人権問題」とフレーミングされています。慰安所に行くまでに軍による強制連行があったかどうかだけではなく、慰安所で本人の自由意思に反することがあると「奴隷」とみなされるというわけです。事の真相を明らかにしたり、好きか嫌いか、正しいかどうかだけでなく、得するか損するかなど様々な軸で考えて、比較衡量したいところです。それこそが国益判断です。

韓国が第三国の首脳やプレスに「告げ口外交」をしていると揶揄することがありますが、あれが効果的ならば日本こそ積極的にやればいい。ボーリングでストライクをとりたいのであれば、7番ピンや10番ピンではなく、1番ピンを狙わないといけない。その1番ピンがニューヨークではなくワシントンDCならば、そこにお金や人材を集中して投入する戦略をとるのはむしろ当然ですし、反対に「アジアの中のワシントン・ロンドン・パリ」、つまり東アジアにいる外国プレスに対してもしっかりとブリーフィングするという方法もあるでしょう。

日韓どちらの方がより上位のルールや規範に整合的な言動をしているかを広くアピールすることが肝要です。まもなく徴用工問題に関して韓国最高裁の判断が示されますが、もし韓国国内にある日本企業の財産に対して、差し押さえの強制執行ということになった場合、「貿易で食べている国が、特定の日本企業に対してそのようなことをしたら、アメリカやドイツといった他国の企業にも『あんな国とはビジネスができない』と思われてしまうかもしれませんよ。契約や約束を守ることは朴大統領が強調するように大切ですね」というロジックです。

韓国人の日本に対する感情は「千年恨」だと朴大統領が述べたことがありますが、これはレトリックにすぎません。実証分析を見ると、日韓FTAを結ぶと韓国が得すると思えば日本に好意的になるし、自衛隊が脅威でないと認識すればやはり好意的になる。学歴や所得が高い層ほど好意的ですし、若ければ若いほど、日本を訪れたことがある人ほど好意的だということが明らかになっています。反日/親日は変数であることが分かれば、そこにターゲットを絞って働きかけることもできます。

かつて近江商人は、「売り手よし、買い手よし、世間よし」を商いの基本にしていました。日韓関係も、「日本よし、韓国よし、国際社会よし」といったかたちでビジネスをして、「不通」から「普通」へ、「普(あまね)く通じる」ように拓いていくことが大切なのではないでしょうか。(「地殻変動する東アジアと日本の役割/新潟県立大学大学院開設記念シンポジウム」より)

プロフィール

浅羽祐樹比較政治学

新潟県立大学国際地域学部教授。北韓大学院大学校(韓国)招聘教授。早稲田大学韓国学研究所招聘研究員。専門は、比較政治学、韓国政治、国際関係論、日韓関係。1976年大阪府生まれ。立命館大学国際関係学部卒業。ソウル大学校社会科学大学政治学科博士課程修了。Ph. D(政治学)。九州大学韓国研究センター講師(研究機関研究員)、山口県立大学国際文化学部准教授などを経て現職。著書に、『戦後日韓関係史』(有斐閣、2017年、共著)、『だまされないための「韓国」』(講談社、2017年、共著)、『日韓政治制度比較』(慶應義塾大学出版会、2015年、共編著)、Japanese and Korean Politics: Alone and Apart from Each Other(Palgrave Macmillan, 2015, 共著)などがある。

この執筆者の記事