2015.04.01
イエメンとトルコ――イスラム世界は中世のキリスト教徒の時代を生きている
サウジアラビアのサルマーン・ビン・アブドゥルアズィーズ・アル・サウード国王は、3ヵ国の元首を空港で出迎えた。アメリカ合衆国のオバマ大統領、トルコのエルドアン大統領、そしてエジプトのシーシ大統領…これはサウジアラビアの王族にとっては非常に珍しいことである。
この3枚札の注目すべき点は、阻止線として現れていた。
イエメンでシーア派のイランを支援している「ザイド」派の一派であるフーシ派が、最初に首都のサナアを、その後戦略的港湾であるアデン湾を手中に収めたことは警告となった。
そして止めの、年間2万隻ものタンカーや船舶が通過するバブ・エル・マンデブ海峡の掌握…
そしてアメリカが支援する湾岸諸国の150機もの軍用機と15万人にのぼる人々が、武力でフーシ派を襲撃したこと…
エジプトがこの巨大な軍事作戦に肩を貸したこと…
長い間中断状態にあった2者対談が、オバマ大統領とエルドアン大統領の間で交わされた電話会談により再開したこと…
エルドアン大統領が、「この軍事作戦にはトルコの情報と後方支援も付随している」と発表したことは、イランを非難し「アラブ諸国から彼ら自身が主導する軍隊を後退させる」ためにテヘランに呼びかけを行ったこと…
これらのピースがそれぞれの場所に収められることで浮かび上がる青写真は、以下のようなものだ。
「アメリカとともに、中東のスンナ派地域とトルコで一つの阻止線を形成する…」
ここではエルドアン大統領の、そしてエジプトのシーシ大統領に対する「個人的な態度」が状況的に残る。
イランが中東のシーア派人口とともにその地域で支配的且つ拡張的な力として重視されていることに対し、スンナ派もそれに対向する阻止線を形成することは、アメリカの支援をもその背中に受ける状況となることがレントゲンのように透けて見える。
中世のキリスト教徒なのか
イスラム世界は、残念なことに、中世のキリスト教徒の時代を生きている。
カレンダーから換算すると、ほぼ同じ年齢だ。
キリスト教での宗派間の戦争や殺戮は、特にカトリックとプロテスタント間のものは、何百年も続いた。
願わくば、中東ではっきりと、そして深く、さらに広がりつつある「スンナ派・シーア派」の分極状態が、そのように非常に長引かないことを祈る。
中東では書物や通信、そして共感する心理が皆無のようだ。
今の私たちの時代では、何百万冊もの書物やインターネットのような情報の海、新聞、ラジオ、そしてテレビが人類に与えられるなか…教育や寛容、共感、そして共に生きるための先人の知恵を誰もが知っているこの現代において、あまりにも悲観的になってはならない。
宗派が生み出したものだが、その奥底には実際の司令塔である国家が存在する暴力に依存した過激派の組織は、社会全体における心理学の等価ではない。
それらの背後にいる巨大な国家は、経済的且つ後方支援を提供し、理論を作り出す国家、そして金融の中心部を引き出す。そしてこれらすべてが周縁性により苦境に立たされている。
彼らが焼き尽くした場所は、犯罪の限りが尽くされる場所となる。
しかし悲しむべきことは、この共通分母において一体となることが、常識や認識のグローバルな集団的知性を形成するに至らないことである。
トルコの真実
トルコがこの青写真の「スンナ派ブロック」に身をおくことは、果たして正しい居場所なのだろうか。
アタテュルクの「世俗国家」は宗派の外側に取り残された。
宗教は政策軸から離れた場所にいたはずだ。
しかも…
中東の泥沼に足を取られないよう、注意していたはずだ。
外交政策と同様に、内政においても宗教や宗派を国家の歩む線状で方位磁針として見ないようにしていたはずだ。
そして…
この知性的な世俗主義政策は、非常に有益であったはずだ。
中東の血や石油、そして砂によって混然となったこの不安定な土地で、出来事によってではなく、道理によって態度を決めることが必要だ。
Milliyet紙(2015年03月28日付、Güneri Cıvaoğlu)/ 翻訳:指宿美穂
■本記事は「日本語で読む世界のメディア」からの転載です。