児童ポルノ規制署名の背後にある、「人身売買に反対する」というレトリックの罠 

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問題は児童ポルノ禁止法改正?

 

七月一日、米国系の化粧品店ザ・ボディショップと、子どもの権利を守る活動をしている民間団体が、文部科学省や国会議員などを訪れ、児童ポルノの個人所有を処罰することを含めた法改正を求める二十一万人分の署名を提出した。ところがそれが報道されるとインターネットでは、ザ・ボディショップの店頭などにおいて署名に参加した人たちのあいだから、自分たちは「子どもの人身売買に対する法整備を求める」という声明に署名したのであって、児童ポルノ禁止法の改正を求める署名だったとは知らなかった、という声があがった。店頭で署名したという複数の人によると、署名には「人身売買に反対する」とだけ書かれており、児童ポルノ禁止法改正(単純所持規制)を求めるとは書かれていなかったという。署名を求めた店員も、あくまで人身売買に関する署名だと説明したそうだ。ザ・ボディショップの説明では、児童ポルノ禁止法の改正はあくまで人身売買をなくすために必要な法改正のひとつにすぎず、児童ポルノ禁止法改正だけを狙ったわけではないとしているが、「人身売買に反対する」という誰も反対できない口実を掲げつつ、集まった署名を「児童ポルノ単純所持を規制する法改正を求める」という、それより意見が分かれる要望にすり替えて提出したのは、詐欺的な手法による署名集めだったのではないか、と指摘されている。

 

単純所持規制を求める要望書だとは知らずに署名してしまった、騙された!と感じる人たちの怒りは理解できる。しかし、問題を「不誠実な署名集めの手法が用いられた」だけだと認識してしまうと、その背後にあるより大きな問題が覆い隠されてしまう。はっきり言うと、これを機会に「人身売買に反対する」という口実のほうまで疑うようにしないと、人々はこれからも騙され続けるだろう。というのも、「人身売買」という言葉は、多くの人がそこから想像するような(たとえば人間を奴隷として売買するというような)ごく限定的な意味で使われているのではないし、特定の政治的意図と無関係な中立的な用語でもない。

 

そういうわけで、ここでは「人身売買」(ヒューマン・トラフィッキング)という言葉が広まった背景や、その社会的な影響を解説してみたい。なお、以下で「人身売買」と書いているのは、日本語におけるそれではなく、英語の human trafficking および trafficking in persons のこととして理解してほしい。また、日本政府の文書では「人身売買」ではなく「人身取引」という用語が使われているがここでは「人身売買」に統一している。

 

国際犯罪としての「人身売買」

 

人類の歴史において、人間を奴隷として売買したり、当人の望まない(性労働を含む)労働を強要したりということは古くから行われていたが、「人身売買」という言葉が広く使われるようになったのはじつは最近のことだ。過去の新聞記事のアーカイブを調べると分かるが、「人身売買」という用語がいまあるかたちで広く使われだしたのは、二〇〇〇年頃からの過去十年前後の話にすぎない。もちろん一九四九年に国連が採択した「人身売買及び他人の売春からの搾取の禁止に関する条約」でも「トラフィック」という言葉は使われているのだが、その時点では広まっていない。

 

では二〇〇〇年に何が起きたのか。この年、国連総会において国際組織犯罪防止条約の一部として「人身売買禁止議定書」が採択され、また米国でも「人身売買被害者保護法」が成立した。それ以前の新聞記事にも何件か「ヒューマン・トラフィッキング」という言葉が使われた例はあるが、これは「トラフィッキング」という言葉の「移動・運搬」あるいは「違法な取り引き」という本来の意味で使われていたのであり、たとえば米国に密入国したい人からお金を受け取って案内する行為(この場合、運ばれている人は顧客であって、人身売買されているわけではない)を指し示すなど、用語として特定の意味を得てはいなかった。

 

二〇〇〇年に「ヒューマン・トラフィッキング」が「人身売買」の意味で広く使われるようになる以前、「トラフィッキング」といえば国境を超えた麻薬や銃火器の密輸を指す言葉として使われることが多かった。そして現在「ヒューマン・トラフィッキング」と呼ばれているような事例は、「奴隷制」「強制労働」「強制移住」「強制売春・性搾取」というような、より具体的で個別の呼称で呼ばれていた。

 

国連においてこれらの問題を担当していたのは、移民・難民問題について扱う国際移住機関 (IOM)や、移民労働者を含む労働問題について扱う国際労働機関 (ILO) などだった。IOMやILOといった国際機関においては、これらを貧困や国際的な経済格差が引き起こす、国際的な移住および労働における人権侵害であると認識したうえで、その予防や被害者の救済のための国際的な体制をつくろうとしていた。

 

ところが二〇〇〇年に採択された国連・国際犯罪防止条約「人身売買禁止議定書」は、「人身売買」の問題をそうした経済格差や国際的な移住・労働における人権問題としてではなく、条約の名が示すとおり「国際犯罪」の問題として扱うという方向に、国際社会が方向転換したことを示している。つまり、人々の経済的な権利や移住・労働における権利に対する侵害として人身売買と対峙するのではなく、麻薬や銃火器の密輸・密売と同様な、単なる犯罪行為として警察・司法を通して取り締まる方向に国際的合意がつくられていった。

 

 

米国「人身売買被害者保護法」がたどった変化

 

それを強力に後押ししたのは、議定書採択より一足早く「人身売買被害者保護法」を成立させた米国の意向だ。そこには、人身売買をめぐる議論を、国際的な経済格差の解消や、移民や労働者の権利擁護からできるだけ切り離し、国際犯罪に対する警察・司法当局の断固たる措置が求められている、というかたちに誘導しようとする米国政府の意図がみえる。

 

現に、「人身売買」が米国で問題とされるとき、立場の弱い移民労働者に対する搾取といった「労働者の権利」「移民の権利」問題への取り組みは後回しにされ、犯罪行為である売買春の取り締まりばかりに力点が置かれる。(この点は、外国人研修生制度のような外国人労働者の搾取を可能にしている法制度より先に、漫画やアニメを含んだポルノやロリコンメディアを槍玉に挙げる、日本の一部「反人身売買」団体にも共通している。)

 

はじめ米国の「人身売買被害者保護法」が想定していたのは、過去の「強制労働・強制移住」に対する取り組みがそうであったように、アジアやアフリカや中南米における強制労働や強制売春の問題や、米国に連れてこられて強制労働・強制売春に従事させられる外国人の権利侵害だった。しかし「保護法」が成立すると、外国人の強制売春については売春をさせられている人が「被害者」として扱われるような法制度が(問題はあるけれど一応)できたにも関わらず、他者に売春を強制させられている米国市民はいまだに「売春者」として犯罪者扱いされているのは不当ではないか、という議論が起きた。

 

実際のところ、「保護法」の恩恵を受けるためには厳しい要件があり(たとえば、加害者への法的追求に被害者が全面協力することが要求されているが、加害者は「協力すれば被害者本人や本国に残る家族に危害を加える」と脅すことがあり、司法に全面協力するのは難しい)、外国人の被害者がそれほどきちんと保護されているわけではない。また、「保護法」によってもたらされる恩恵の大部分(在留資格、公的医療、生活保護)は、米国市民なら「保護法」以前から受け取る資格があるものばかりだ。

 

そもそも「保護法」はこれらの公的サービスに(本来は受給資格がない)外国人の人身売買被害者がアクセスできるようにするための法律であり、外国人だからといって米国市民には認められない「在米特権」のようなものが与えられるわけではない。

 

しかし、形だけとはいえ売春に従事させられている外国人のことを「被害者」として扱う法制度ができたにも関わらず、同じように売春に従事させられている米国市民が「被害者」ではなく「犯罪者」として扱われている、という指摘は、基本的に正しかった。ここで「基本的に」と限定しているのは、「保護法」成立とは関係なく、外国人の被害者だって「犯罪者」しかも「犯罪をおかした不法滞在者」として扱われることのほうが多いという点で、「外国人被害者だけ優遇されている」という認識は間違っているからだが、国内の被害者も「被害者」として扱われるべきだという点においては間違っていない。

 

そして二〇〇三年および二〇〇八年に「保護法」が延長されるたびに、外国人被害者救済から、国内の、しかも未成年の「人身売買」被害に(正しくは、その対策と称する重罰化と取り締まり強化に)その重点が移されている(この傾向は、現在審議中の二〇一一年延長法案によってさらに加速している)。

 

また同時に、これは一九九四年にはじめて成立し、その後なんども延長されている「女性への暴力法」にも共通する話なのだが、はじめはごく小さな範囲で被害者支援と司法的対策を盛り込んだ「保護法」は、その後被害者支援に使われる予算を増やす方向ではなく、予防・責任者追求という名のもとに、厳罰化や取り締まり強化といったかたちでより警察・司法の機能を強化する方向に重点が移動している。人身売買の予防や被害者の救済と社会復帰ではなく、どれだけ多くの犯罪者を刑務所に送り込んだかということが施策の成功を測るバロメータになってしまっているのだ。

 

 

人身売買を厳罰化が追いつめているのは?

 

「保護法」におけるこうした変化は、一九九四年以来「女性への暴力法」がたどった経緯をなぞっているとともに、米国が一九八〇年代前半から展開している「麻薬との戦争」をも想起させる。当時のレーガン政権は「麻薬との戦争」を宣言し、海外の麻薬密売組織に対抗するような「国際援助」(武装警察の訓練など)を行なったり、国内において麻薬売買・使用を重罰化するなどしているが、それは実際に麻薬の売買や使用をなくすことにはほぼ無力であり、大勢の貧しい人たち、とくに黒人やラティーノを刑務所に送り込み、出所後の就職や就学を困難にすることで、さらに貧困を深刻化させることになった、と多くの人が指摘している。

 

「人身売買」への取り組みにおいても、売春をさせられている人が「被害者」として保護の対象となるには要件が厳しすぎるため、単なる犯罪者として扱われる傾向は変わっていない。また、加害者への敵対証人として証言するよう被害者に圧力をかける目的で被害者を逮捕・起訴する(証言すれば起訴を取り下げる、と持ちかける)ことも頻繁に起きている。

 

これは、大人の被害者だけでなく、性的合意年齢に達していない未成年の扱いにおいてもそれほど変わらない。ここ二年間ほどのあいだに、いくつかの州で「売春をしている未成年がみつかっても、犯罪者としてではなく被害者として扱う」ことをうたった法律が成立しているが、それらの法律でも「初犯のみ」という制限がついていたり、更生プログラムに参加することを義務づけたり(参加を怠れば犯罪者として逮捕・処罰される)と、加害者の裁判で検察に有利な証言をするよう求められていたりと、ほんとうの意味でかれらを「被害者」として扱うような仕組みにはなっていない。

 

その一方で、「人身売買」への取り組みは、人身売買とも強制売春とも関係なくただ生活のために売春に従事している女性や、彼女たちの周辺にいる人たちに対する取り締まりを強化する結果をもたらしている。「人身売買」を口実に売買春関連の刑罰が厳罰化されるとき、実際に売買春の犯罪で逮捕されるのは大多数が売春に従事する女性であり、かりに彼女たちに売春を強要している人がいたとして、そういった人たちが捕まるリスクはほとんどないし、客の男性が捕まる可能性もごくわずかだ。人身売買を厳罰化する目的で制定される法律が追いつめているのは、ほとんどの場合その人身売買の被害者を含んだ「売春に従事する女性たち」だ。

 

 

「クロス・カントリー作戦」のデータが語るもの

 

以下にあげるのは、米国連邦捜査局 (FBI) が未成年の人身売買と性的搾取を摘発する目的で二〇〇八年に開始した「クロス・カントリー作戦」のデータだ。「クロス・カントリー作戦」とは、各地の警察当局とFBIが協力し、売春に従事している/させられている未成年を「救出」するという趣旨の一斉摘発で、何十もの都市で同時に三日間にわたって集中的に捜査が行なわれる。とはいえ、捜査の方法は各地の警察に任されており、街頭売春が行われている場所で集中的に捜査する都市、インターネット上の広告を調べる都市などまちまちだ。

 

この「作戦」は二〇〇八年六月から二〇一〇年十一月までのあいだに五回実施されており、そのたびに成果が大々的に発表されている。以下に示すデータは、その公式発表から数字を抜き取って表にしたものであり、詳細な数字が提示されている回とそうでない回があるのは、FBIの発表そのものがどれだけ詳細な情報を公開しているかに起因する。また以下に「加害者」として示されている数値は、原文では「pimp」(ポン引き、売春斡旋者)とされており、かならずしも売春を強制しているわけではない。

 

一見して分かるとおり、全国の警察とFBIが三日間かけて総力で売春に従事させられている未成年を救出しようとしているわりには、「救出された」未成年の人数はかなり少ない。なにしろ、五回実施された「クロス・カントリー作戦」のどの回をみても、各都市あたりの平均で二人以上の未成年が「救出された」ことが一度もないのだ。その一方で、「救出」された未成年の十倍を超える大人たちが、さまざまな罪状で逮捕されている。第二回の内訳から分かるように、その大多数は売春に従事している成人女性たちだ(第二回のデータにおいて逮捕者のうち五十一人が「人身売買加害者」にも「売春者」にも含まれないが、これは買春客だと思われる)。

 

さらに、これらの発表において売春の斡旋や強要を行う人が「救出された」未成年の数より多く逮捕されたとされているが、これがもし本当だったとしたら、驚異的なことだ。たとえばわたしの住んでいるポートランド市では、毎年百人を超える売春従事者が逮捕されその多くが有罪となっているが、売春の強要や斡旋で有罪になった例は過去五年間に数例しかない。なぜなら、強要の犯行現場を押さえることが困難であり、被害者が加害者を恐れずに不利な証言をしなければ、とうてい有罪に持ち込めないからだ。(ちなみに、ポートランドで過去五年間に有罪になった数例のケースは、わたしの知るかぎりすべて「被害者が証言をする予定だ」という警察のブラフを信じた加害者が、罪を認める代わりに刑期を短くするという司法取引に応じた結果であり、裁判で有罪判決に持ち込んだ例はほとんどない。)

 

この点について「クロス・カントリー作戦」について調べているある法学者に話を聞いたところ、実際に「加害者」として逮捕されている人の大半は、同じ売春をしている女性や、以前は売春をしていたが引退して他の女性たちを指導したり、金銭管理などを担当している女性たちだそうだ。売春斡旋に対する法律では、売春に従事するよう他者に強要する行為と、売春に従事している人に業務上の便宜をはかるなどする行為や、売春の儲けを受け取って生活することが、とくに区別されずに処罰対象となっている。

 

たとえば売春に従事している人の家族や恋人などでも、彼女に経済的に養ってもらっていれば逮捕されかねないし、売春が行われることを承知で部屋を貸している大家やホテルの管理人、売春の現場まで車で送り迎えする運転手、いざというときのために待機するボディガード、売春のための広告に使われる写真を撮影する写真家まで、幅広く逮捕できるようになっている。

 

これらの行為は、「人身売買」という言葉が本来想定しているような、他人に売春に従事するよう強要する行為とはまったく性質が異なるものだが、FBIの発表やメディアの報道ではその区別がなされないまま「人身売買の加害者をこれだけ逮捕した」と報じられる。

 

しかし実際に「クロス・カントリー作戦」の影響は、売春に従事しているごく少数の未成年を「救出」することと引き換えに――といっても、かれらの大部分は、まるで犯罪者のように更生施設に強制的に入れられるか、更生プログラムに参加させられプログラム終了後またすぐ売春にもどるか、あるいは実家もしくは里親に帰されてまたすぐ逃げ出すかのどれかで、実際にはまったく「救出」されていないのだが――売春に従事している女性たちや、彼女たちに協力する多くの人たちに「犯罪者」の烙印を押し、その結果として売春に従事している女性たちをより孤立させ、危険にさらすと同時に、彼女たちに前科をつけることで性産業以外で就職することをさらに困難にしている。

 

 

「クラブ907」捜索のケース

 

昨年(二〇一〇年)十一月にカリフォルニア州ロスアンヘレスの「クラブ907」が人身売買や労働者搾取、管理売春などの疑いで捜索を受けた事件は、人身売買や性的搾取の被害者を救うはずの取り組みがそれとは正反対の結果をもたらした典型的な例だ。

 

クラブ907は「ホステスクラブ」というカテゴリの店舗であり、届け出のうえではアダルト産業ではなくホステスが客の横について接客してくれるタイプの飲食店ということになっているが、実際には店の内外で売買春やそれに近いサービスが提供されていることが周知の事実となっていた。また、この店では不法滞在者を含む多くの移民女性がホステスとして働いていたが、良い仕事があると騙されて連れてこられたあげく不法入国・滞在者であるという弱みを握られていたり、不法入国する際の借金を背負わされていたりという理由で、自由に辞めることができない人も少なくなかった。

 

民間の移民労働者支援機関がおこなった聞き取りによれば、女性たちは毎週最低二十時間に相当する客の指名を取るよう求められており、ノルマをクリアした場合は時給九百円程度が支給されていた。ノルマを達成できなかった場合は時給が八百円以下に下げられるだけでなく、ノルマを達成できるまで一切の給料を受け取れなかった。彼女たちの一部が、店から払われる正規の給料だけでは生活できずに、売春に従事せざるをえなかった背景には、こうした事情があったのだ。これらの扱いは事実であれば明らかに労働法違反であり、移民であったり借金を抱えていたりという女性の弱みにつけこんだ人権侵害だといえる。

 

ロスアンヘレス警察が事前にどれだけそうした人権侵害の証拠を掴んでいたかは明らかではないが、本来飲食店であるはずの店で堂々と管理売春が行われており、しかもそこで働いている女性の多くが移民だと分かっていたわけだから、このような人権侵害が行われていたことは当然想定していたはずだ。たんに売買春の摘発をするためではなく、人身売買や労働者への人権侵害を理由として警察がクラブ907の捜査に踏み切ったことが、それを裏付づけている。

 

にもかかわらず、捜査が終わってみると逮捕された八十八人の関係者のうち、八十一人はホステスとして働いていた女性であり、その大多数は不法入国・不法労働に関連した違法行為を理由として逮捕されていた。また、逮捕者のうち一人は十七歳の家出少女だった。人身売買や人権侵害の被害者を救出するための摘発だったはずが、実際にはその「被害者」たち多数が犯罪容疑者として逮捕され、クリスマスの時期を最長で数ヶ月のあいだ勾留されたばかりか、国外への強制送還に怯えることになったのだ。いっぽうクラブの幹部や経営者は保釈金を払ってすぐに釈放され、数日後には代わりのホステスを募集する広告をだしていた。

 

クラブ907のケースでは、たまたま逮捕者が大勢に及んだこともあり地元のメディアで大きく報道され、移民支援団体や女性団体などが逮捕された移民女性たちの支援に立ち上がった結果、女性たちの多くは「人権侵害の被害者だった」と認定され、一月の終わりまでには釈放された。しかし彼女たちの一部は、釈放後も国外退去を迫られている。

 

報道すらされないほかの多くのケースでも、人身売買や人権侵害の被害者が売春や移民法違反あるいはドラッグ使用などの罪で逮捕され、処罰を受けたり、国外追放されたりすることは、決して珍しいことではない。人身売買や性的搾取といった人権侵害を生み出している経済的・社会的な背景(貧困、経済格差、不当な移民規制など)を変革するのではなく、それらの行為を単なる犯罪として取り締まるという米国主導の「国際世論」には、新たな人権侵害を生み出し被害者をさらに追い詰めているという側面が確実にある。

 

 

「人身売買に反対する」というスローガンへの懐疑

 

冒頭では、ザ・ボディショップや民間団体が集めた署名が、店頭では「人身売買に反対する」という趣旨だったはずなのに、政府や政治家に提出する段階では「児童ポルノの単純所持規制」を求める署名として変質させられた、という件を取り上げた。先にも述べた通り、自分は人身売買反対の要請に署名したつもりだったのに騙された、という人たちの怒りはもっともだけれども、わたしからみると「いまさらなにをいっているのだ」と感じてしまう。

 

「人身売買」という言葉そのものが、人権侵害を生み出している経済的・社会的な背景から目を逸らし、それらを単なる非人道的な犯罪として扱うことで、警察・司法権力を強化するために生み出されたものであることを考えれば、そもそも「人身売買に反対する」という署名そのものを疑ってかかるべきだったのだ。

 

いうまでもないが、これは現在「人身売買」として批判されている状況が存在していないというわけではないし、それらに反対する取り組みや施策が不要だということでもない。もともとは経済格差や移民規制の問題から目を逸らせようという米国政府の意向を反映したものであったとしても、国連でも一定の定義のもとに取り上げられている以上、「人身売買」という言葉を避けて通るのも難しいだろう。

 

しかしだからこそ、「人身売買に反対する」などという単純なスローガンに賛同(あるいは反対)するのではなく、具体的にどのような施策が提案されているのか、そしてそれが「被害者」とされた人たちや、それ以外の売春従事者や移民労働者たちにどのような影響を与えるのか、個別に吟味する必要がある。

 

児童ポルノの単純所持規制に反対する人たちは、個人による所有が犯罪とされてしまうと、家族写真やアイドルの写真集などが解釈によっては児童ポルノとみなされたり、第三者によって児童ポルノを送りつけられるなどして、冤罪が生じてしまう、とよく主張している。

 

そうした懸念を否定するわけではないが、「人身売買反対」を口実とする施策の弊害をもっとも強く受けているのは、家族写真やアイドル写真集を保管している一般人でも、ロリコン漫画・アニメなどを好むオタクたちでもない。現にそうした弊害の犠牲となっているのは、本来それらの施策が救済の対象としているはずの、さまざまな事情によって性労働に従事している女性や、移民や、家庭内での虐待やホモフォビア(同性愛嫌悪)などによって家出せずにはいられなかった未成年たちだ。

 

「人身売買反対の署名なら良かったが、単純所持規制にすり替えるのは詐欺に等しい」という態度では、これからさき騙されて単純所持規制を求める請願に署名させられることは避けられるかもしれないが、「人身売買反対」を掲げるそれ以外のさまざまな施策――そのなかには、ほんとうに被害者の利益になるものもあれば、まったく逆効果にしかならないものや、本来あるべき対策を遠ざけるようなものも含まれるだろう――にこれからも無批判に加担させられつづけるのではないか。

 

騙されて署名させられたことを教訓とするなら、今回の件を単純所持規制や表現規制を目論む一部の民間団体に特有の問題として扱うのではなく、「人身売買反対」というレトリックが今回にかぎらずこれまでさまざまな政治的意図で利用されてきたことを踏まえたうえで、「人身売買に反対する」というスローガンそのものを疑ってかかる契機にする必要がある。

 

と同時に、こういう件が起きたからといって、「人身売買」として扱われている問題群から目を逸らし、単純所持規制反対・表現規制反対という自分にとっての関心事だけに閉じこもるようなことがあってもいけない。たとえ騙されて「単純所持を処罰するよう要請する」請願に署名させられてしまったとはいえ、人身売買、とくに性的搾取を目的とした子どもの人身売買は許せないと思い、人身売買に反対することを掲げた署名した、その気持ちは本物だったはずだ。今回の件で、そうした気持ちが萎えてしまったり、人身売買について無関心になってしまわないように願いたい。

 

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シノドス国際社会動向研究所

vol.268 

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