2018.01.30

『わが闘争』とナチズム後のドイツ

川喜田敦子 ドイツ現代史

国際 #ドイツ#我が闘争#ナチズム

ナチズムと聞いて思い浮かべるテクストといえば、アルフレート・ローゼンベルクの『20世紀の神話』、ヨーゼフ・ゲッベルスの日記、そしてアドルフ・ヒトラーの『わが闘争』であろうか。なかでも『わが闘争』は、第二次世界大戦後、ドイツでは長らく再版が許されてこなかったが、2015年末の著作権消滅を機にその扱いをめぐる議論がメディアで大きく取り上げられ、このテクストに対するドイツ社会の関心の高さを改めて印象づけた。

本稿では、ナチズム後のドイツ社会が『わが闘争』とどのように向き合ってきたか、『わが闘争』をめぐる近年の議論から何が見えるかを考えていきたい。

ナチ体制崩壊後のドイツにおける『わが闘争』の規制とその限界

1925年に出版された『わが闘争』の売り上げは33年以降に飛躍的に伸び、45年までの総販売部数は1000万部を超えた。しかし、第二次世界大戦後、ドイツ占領にあたった連合国管理理事会の方針により、『わが闘争』は(学術研究のために図書館に保存される一部を除いて)貸本屋、書店、図書館等から撤去された。

また、戦後に著作権を保有することになったバイエルン州(65年以降はバイエルン州財務省)は、『わが闘争』の再版を許可しなかった(注1)。ミュンヒェンの現代史研究所は、ヒトラーの著作や演説を集めた全13巻の史料集(注2)を出版しているが、この史料集に『わが闘争』を収録しようとする計画にも許可が下りなかった(注3)。

しかし、『わが闘争』は禁書だったわけではない。ドイツの刑法86条は憲法に反する組織の宣伝物を流布させることを禁じているが、連邦憲法裁判所は1979年に『わが闘争』を古書として販売することは同条による規制の対象とはならないと判決を出している。『わが闘争』は(西)ドイツの憲法秩序が定められる前の出版物であるため、その内容は、基本法に定められた自由で民主的な基本秩序に反するものとはみなせないという理由だった。

占領期に公共の場からは排除された『わが闘争』だったが、個人が所有していたものが古書店に流れ、それが今日にいたるまで取引されている(注4)。ZVAB、Abebooks.deなどの大手の古書取引サイトが取り扱いを自粛する一方で、『わが闘争』の古書販売専門サイトも作られた。また、インターネットが普及してからは、本文テクストが自由にダウンロードできる状況が生まれている(注5)。

『わが闘争』の場合、著作者の権利を保護するためではなく、望ましくない書籍の影響から読者を守るために著作権が行使されてきた(注6)。しかし、古書の流通を考えるとその実効性には限界があり、再版禁止は、ナチ・イデオロギーを排するという公的規範を象徴する意味合いにとどまったと言えるだろう。こうした状況のなかで、2015年末をもって『わが闘争』の著作権保護期間(70年間)が終了することになった。

これを機にドイツでは、『わが闘争』の再版は許されるか、許されるとすればどのような形がありうるかをめぐって大きな議論が展開された。最終的には、ミュンヒェンの現代史研究所が詳細な注釈を施したうえで、総計2000ページ近い二巻本の史料集として刊行することになった。2016年1月に刊行されたその史料集が『ヒトラー わが闘争 批判的注釈版』(以下、『わが闘争』(注釈付)と表記)である(注7)。

今日の『わが闘争』―古びたテクストだが危険がないとも言えない―

『わが闘争』は、今日、ネオナチのあいだでどのような意味をもっているのだろうか。実際のところ、第1巻の刊行から90年以上が経過した現在、『わが闘争』で言われていることを今日の世界にそのままあてはめてもほぼ意味をなさない。若い世代であれば、読んでも意味すら分からない表現もあるだろう。

しかしながら、生物学的な論理に立脚した人種主義、敵と味方を明確に分ける二元論の論理、人間の尊厳を傷つけるような表現など、『わが闘争』に含まれる思考枠組や表現形式の危険性を過小評価することはできない。また、『わが闘争』の翻訳、とくにアラビア語版がアラブ世界で広く普及しており、キーワードやフレーズの一部が反イスラエルのスローガンとして利用されているという実態がある。これがドイツに逆輸入されてアラブ系の青少年層やネオナチに影響を与えることも危惧されている(注8)。

ただ、現状では、ネオナチにとって意味があるのは『わが闘争』の内容よりもその特殊な象徴性だといわれる。たとえば「嵐18」という極右のロックバンドは「褐色のテロリスト」(2002)という歌のなかで、「自分は国民的社会主義者で[…]反ユダヤ主義者/国賊で[…]素晴らしい人種主義者で[…]褐色のテロリストだ/毎朝、『わが闘争』を読む」と歌っている。同じく極右バンドの「ギギと褐色の音楽家」の「テロの独房」(2014)では、『わが闘争』を所持すると白眼視されるという状況が国家による抑圧であるかのように描かれている(注9)。この二つの例に共通するのは、国家や社会の規範に反抗することに美学を求め、そういう自分に酔うという精神性である。

ミュンヒェン現代史研究所が刊行する全13巻の史料集が(そこに含まれるテクストが『わが闘争』と比べて無害とは言えないにもかかわらず)研究者以外の関心を集めていないことも、ヒトラーの思想そのものではなく『わが闘争』のもつ象徴性とタブーへの挑戦が問題の核心であることを示している。したがって、再版を禁じつづけるよりも、このテクストをしっかりと史料批判し、その成果を社会で共有することによって脱神話化する必要があるというのが『わが闘争』(注釈付)の出版にいたった現代史研究所の判断だった(注10)。

『わが闘争』(注釈付)の前書きには、この史料集は学術的でありながらも中立ではなく、明確に「立場性をもつ」書物だと書かれている。すなわち、この史料集の注釈は、『わが闘争』という象徴的なテクストのもつ潜在的な影響力を断ち切ろうとする明確に批判的で啓蒙的な意図に基づいて付されているということである。

3700箇所を超える注釈の具体的な内容は、ナチ・イデオロギーの中核的概念の説明に加えて、事実関係に関わる間違いの指摘、ヒトラーの偏った見解に対する修正、ヒトラーの主張と後のナチ体制下での政策の異同をめぐる検証などである(注11)。『わが闘争』(注釈付)は4000部が即日完売した後、1年間に7版を重ね、総計8万5000部を売り上げるベストセラーになった(注12)。

『わが闘争』については、著作権消滅に先立つ2014年6月、注釈なしでの再版は今後も阻止する必要があるとの認識で各州の法相が合意した(注13)。これは、刑法130条による規制を念頭に置いていると考えられる。刑法130条は、特定の民族的、人種的、宗教的集団に対して憎悪をあおり、暴力行為や恣意的行為を誘発したり、人間の尊厳を傷つけたりする行為を禁じている(注14)。

極右勢力の側では、ライプツィヒのデア・シェルム社が16年8月に1943年版の復刻再版に踏み切った。復刻版には、ホロコースト否定論者であり、90年代に刑法第130条違反で有罪判決を受けたフレデリック・テーベンが前文を寄せているといわれる。この件については、刑法130条に抵触するかどうかの捜査が始まっており、検察の判断が待たれる(注15)。

歴史の授業における『わが闘争』

『わが闘争』の再版をめぐる議論では、このテクストを学校の授業でどのように扱うかにも関心が集まった。『わが闘争』(注釈付)を全国的に歴史の授業で使用するようにしたいというヴァンカ連邦教育研究相の発言も報じられた。ただし、『わが闘争』を授業で利用すること自体は、実は、すでに長く行われてきている。

W・ホーファーの編集で1957年に刊行されたナチズムに関する史料集は今日にいたるまで改訂版を含めて通算100万部以上を売り上げているロングセラーだが、『わが闘争』のいくつかの箇所についてはここにすでに抜粋が収録されていた(注16)。

『わが闘争』からの抜粋が歴史の教科書に史料として掲載されるようになったのは、アイヒマン裁判、アウシュヴィッツ裁判等の影響により、歴史の授業でナチ時代が詳しく扱われるようになった1960年代半ば頃のことである(注17)。『わが闘争』はその後も教科書に掲載され続けてきており、2016年の調査によれば、バイエルン州のギムナジウム中等段階で認可されている5社、ギムナジウム上級段階で認可されている4社の教科書のすべてに抜粋が掲載されているという(注18)。

教科書に掲載された史料が実際の授業でどのように使用されているかを知ることは難しい。しかし、『わが闘争』に限らず、授業でナチ時代を扱う場合に、負の歴史として明確に距離をとるという以外の立場からなされることはまずもって想定できない。

そのうえで、『わが闘争』は史料として、すなわち、「史料批判(注19)」の作業を経て、それに基づいてナチ時代に関する歴史記述を支え、理解を深めるための素材として使用されることになるだろう。ただし、ナチ・イデオロギーとヒトラーに対する否定的評価が社会的規範として確立しているだけに、史料批判の作業と倫理的判断が無自覚に混ざり合って教員と生徒のあいだのコミュニケーションが阻害されるという授業実践の例も報告されている(注20)。

バイエルン州政治教育センターから刊行された冊子では、『わが闘争』という扱いに注意を要するこの史料をどのように教材として利用するかが検討されていて興味深い。ここでは、『わが闘争』(注釈付)の刊行を踏まえて、『わが闘争』の成立と構造、自伝的記述の虚実、ナチ運動の聖典としての機能、ヒトラーの世界観、『わが闘争』の内容とナチ体制下の政策の呼応、戦後の歴史文化のなかでの『わが闘争』の位置づけという6つの観点から、授業でこの大部の史料集のどの箇所を(注釈を含めて)利用し、どういう問いを立てることで、生徒に何を学ばせるかという提案がなされている。

たとえば、ヒトラーが反ユダヤ主義者になったのはいつか、第一次世界大戦での自分の前線体験をどのように描写しているかといった点で事実に反する記述がある箇所を取り上げるという提案がある。そうした嘘や誇張の背景には『わが闘争』の出版を通じて民族至上主義運動の主導権を獲得しようとするヒトラーの意図があったことを生徒に気づかせるのが目的である。

また、世界観を述べた部分の文体の特徴(修辞的疑問、二元論、誇張、根拠のない主張)や概念(生物学的概念・軍事的概念の多用)を検討するという提案もある。この作業を通して、ヒトラーの主張を批判的に分析するだけでなく、政治的・イデオロギー的なテクストを批判的に読む能力全般を養うこともできるだろう(注21)。

神話としての『わが闘争』、史料としての『わが闘争』

『わが闘争』は、ナチ時代に特殊な意味をもっただけでなく、戦後ドイツの過去との取り組みにおいても象徴的な位置づけを与えられたことで重ねて神話化されてきた。しかしナチズムを理解するための史料として見たとき、『わが闘争』には、本来、どれだけの重要性を与えるのが適切なのだろうか。『わが闘争』(注釈付)の刊行に対して、歴史家と歴史教員はメディアや政治家ほどの反応は見せなかったが、その背景にはこの問題がある。

『わが闘争』とヒトラーだけからナチズムを理解することはできない。それができると考えるのは危険でさえある。ドイツでは、歴史を個人ではなく構造から考えるという1960年代以降の歴史学研究における社会構造史の流れが80年代には歴史教育にも波及した。娯楽・出版・メディア事情を見る限り、ヒトラーを特別視する傾向は今なおかなり広く存在するとはいえ、歴史教育においては、他のヨーロッパ諸国の歴史教科書と比較してドイツの教科書では、ナチズムをヒトラー個人から説明しようとする傾向は弱いとされる(注22)。

もちろん、ヒトラーという人物を抜きにしてナチズムを考えることはできない。しかし、その場合でも、ヒトラーについては『わが闘争』以外にも重要な史料は多数ある。これらを踏まえて考えると、『わが闘争』がナチ時代に関する重要な史料のひとつであることに間違いはなく、『わが闘争』(注釈付)の出版は歓迎すべきものではあるが、歴史学と歴史教育に対する実質的な影響は限定的なものにとどまると思われる。

『わが闘争』がドイツ社会でもつ特別な象徴性が、今後、急激に失われるとは考えにくい。ドイツの記憶の文化における『わが闘争』の象徴的な位置づけと、歴史の史料としての『わが闘争』の価値のあいだにある乖離は簡単に消えるものではないだろう。『わが闘争』が当時もった危険性と今日もつ危険性のそれぞれをその大きさにふさわしく認識するプロセスは、それでも、このテクストが史料として読まれ、批判的に分析されるなかで徐々に進んでいくと考えられる。その点で、著作権消滅を機に新しい注釈付史料集が刊行され、その存在がドイツ社会で広く認知されたことにはやはり意味がある。

 

 

【注釈】

(注1)Vgl. Marion Neiss, „Mein Kampf“ nach 1945. Verbreitung und Zugänglichkeit, in: Zeitschrift für Geschichtswissenschaft, 60 (2012), S. 907-914. ただし、本文の抜粋に注釈をつけたものが出版されたことはある。

(注2)Institut für Zeitgeschichte (Hrsg.), Hitler. Reden, Schriften, Anordnungen. Februar 1925 bis Januar 1933, 13 Bde., München: Saur, 1992-2003.

(注3)Vgl. Ulrich Baumgärtner, Mein Kampf in der historisch-politischen Bildung, in: Einsichten + Perspektiven. Bayerische Zeitschrift für Politik und Geschichte, 1/2016, S. 5.

(注4)Vgl. Neiss, op. cit., S. 909-913. 一般の古書店では、研究目的での購入に限定したり、目録には掲載しないとの措置がとられることも多かった。なお、どの程度の数の『わが闘争』が個人の手元で所有されているかは分かっていない。

(注5)Vgl. Baumgärtner, op. cit., S. 5-6.

(注6)Vgl. Barbara Zehnpfennig, Ein Buch mit Geschichte, ein Buch der Geschichte: Hitlers “Mein Kampf”, in: Aus Politik und Zeitgeschichte, 43-45, 2015, S. 17-25, hier bes. S. 17.

(注7)Hartmann, Christian et al. (Hrsg.), Hitler, Mein Kampf. Eine kritische Edition, 2 Bde., München; Berlin: Institut für Zeitgeschichte, 2016.

(注8)Vgl. Baumgärtner, op. cit., S. 7; 63.

(注9)Vgl. ibid., S. 7; Gideon Botsch / Christoph Kopke, NS-Propaganda im bundesdeutschen Rechtsextremismus, in: Aus Politik und Zeitgeschichte, 43-45, 2015, S. 31-38, hier bes. S. 32.

(注10)Vgl. Hartmann et al. (Hrsg.), op. cit., Bd.1, S. 6, 11.

(注11)Vgl. ibid., S. 11-12. 『わが闘争』(注釈付)の内容については、拙稿「『わが闘争』(注釈付)の刊行とドイツのヒトラー観」『思想』1112号(2016)133-140頁で紹介した。

(注12)Vgl. Ein Jahr Kritische Edition. “Mein Kampf” verkauft sich 85.000 Mal, in: Spiegel Online vom 03. 01. 2017.

(注13)Vgl. Baumgärtner, op. cit., S. 6.

(注14)櫻庭総『ドイツにおける民衆扇動罪と過去の克服』(福村出版2012);武井彩佳『〈和解〉のリアルポリティクス ドイツ人とユダヤ人』(みすず書房2017)126-132頁参照。

(注15)Vgl. Jurist über Nachdruck von „Mein Kampf.“ „Hier testet jemand Grenzen aus“, in: taz.de vom 22. 1. 2017.

(注16)Walther Hofer (Hrsg.), Der Nationalsozialismus. Dokumente 1933-1945, Frankfurt am Main: Fischer Bücherei, 1957. Vgl. Ulrich Bongertmann, Texte aus „Mein Kampf“ im Geschichtsunterricht – schon seit Jahrzehnten! URL: http://geschichtslehrerverband.de/2015/12/25/texte-aus-mein-kampf-im-geschichtsunterricht-schon-seit-jahrzehnten/(最終閲覧日:2017年12月7日)

(注17)Vgl. Thomas Sandkühler, NS-Propaganda und historisches Lernen, in: Aus Politik und Zeitgeschichte, 43-45, 2015, S. 39-45, hier bes. S. 41.

(注18)Vgl. Baumgärtner, op. cit., S. 15-16. ただし、ドイツでは州によって認可されている教科書が異なるため、全体の傾向を論じるためにはすべての州の教科書を調査しなければならない。

(注19)史料批判とは、歴史学研究を構成する重要な基本要素のひとつであり、史料の真正性、作成者と作成時期、作成者の意図、内容と信憑性などを検討することを通じて、史料としての価値を吟味することを言う。ドイツの歴史教育では、中等教育の段階から、個別の歴史的事実についてのみならず、歴史学の方法について学ぶことが重視されている。

(注20)Wolfgang Meseth et al., Nationalsozialismus und Holocaust im Geschichtsunterricht. Eine empirische Befunde und theoretische Schlussfolgerungen, in: dies. (Hrsg.), Schule und Nationalsozialismus. Anspruch und Grenzen des Geschichtsunterrichts, Frankfurt am Main: Campus-Verlag, 2004, S. 95-146, hier bes. S. 127-128; Oliver Hollstein et al., Nationalsozialismus im Geschichtsunterricht. Beobachtungen unterrichtlicher Kommunikation, Frankfurt am Main: Johann Wolfgang Goethe-Universität – Institut für Allgemeine Erziehungswissenschaft, 2002, S. 111-127.

(注21)Vgl. Baumgärtner, op. cit., hier bes. S. 26-30; 37-44.

(注22)Vgl. Sandkühler, op. cit., S. 42. ゲオルク・エッカート国際教科書研究所の調査(2015)による。なお、ドイツのナチズム認識におけるヒトラー中心主義の問題については、前掲の拙稿でも論じている。

プロフィール

川喜田敦子ドイツ現代史

中央大学文学部教授。東京大学大学院総合文化研究科博士課程修了。学術博士(東京大学)。東京大学大学院総合文化研究科・教養学部ドイツ・ヨーロッパ研究センター特任准教授、大阪大学言語文化研究科准教授等を経て、2015年より現職。主な著作に、『ドイツの歴史教育』(白水社2005)、『図説ドイツの歴史』(河出書房新社2007)(石田勇治ほかと共著)、『歴史としてのレジリエンス―戦争・独立・災害』(京都大学学術出版会2016)(西芳実と共編)、I・カーショー『ヒトラー 1889-1936 傲慢』(白水社2015、翻訳)などがある。

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