米国離脱後のイラン核合意と「イラン問題」

2018年5月8日、米国のトランプ大統領はイラン核合意(JCPOA)(注1)からの離脱を表明した。トランプ大統領によれば、JCPOAはイランの核兵器開発を阻止するにはあまりにも不十分な合意であった。また、JCPOAは米国がイランの問題行動と位置付けてきたものすべてを、解決するものではなかった。

 

(注1)イラン核合意はその正式名称を、包括的合同行動計画(Joint Comprehensive Plan of Action)といい、JCPOAと略される。

 

イラン核開発問題は実際に、米国が「イラン問題」と考えるものの一部であった。米国にとって、1979年に革命を経て反米国家に転じたイランは、中東和平を妨害する「テロ支援国家」であり、大量破壊兵器の開発を目指し、イラン国民の人権を侵害する「ならず者国家」であった。2002年8月に発生した「イラン核開発問題」は、これらの数々の問題のひとつであるにすぎず、JCPOAは米国にとっての「イラン問題」を、一気に解決するものではたしかになかった。

 

しかし、オバマ政権がその他の問題は切り離し、JCPOAの成立を目指したわけは、核不拡散に関わる核開発問題を、まず対処すべきものと定めたからである。オバマ政権はそのような判断のもと、革命以降、外交関係は断絶したままのイランとの直接交渉に踏み切り、2015年7月にJCPOAを成立させた。JCPOAのもとで、イランは核関連活動を大幅に縮小させ、イランの交渉相手であった米国を筆頭とする6カ国(P5+1)(注2)は、核問題を理由にイランに対し科していた一連の制裁を解除した。

 

(注2)イランとの交渉に臨んだのは国連安保理常任理事国である米英仏ロ中の5か国にドイツを加えた6カ国であり、P5+1と呼ばれる。

 

つまりJCPOAは、「イラン核開発問題」の発生から13年という長い年月を経て初めて、すべての交渉当事者の合意を得て成立したことになる。交渉ごとである限り、各当事者は一定の妥協も強いられた。それでも合意成立の6日後に、JCPOAは国連安保理において決議2231としても採択され、オバマ政権のイニシアチブにより成立したJCPOAは、こうして国際合意となった。

 

JCPOAの成立以降、イランはこれを遵守してきた。しかしトランプ大統領は、JCPOAにまつわるこれまでの経緯を無視し、米国のJCPOAからの離脱と、JCPOAに基づき停止されていた対イラン制裁の復活を宣言した。オバマ政権があえて核問題に絞り、イランの核関連活動を大幅に制限する合意を成立させたのに対し、トランプ大統領は「そのアプローチがそもそも間違っていた」と主張したのである。

 

JCPOAの成立による対イラン制裁の解除を受けて、世界各国の企業は資源大国であり人口8000万の市場でもあるイランとの取引拡大を模索した。しかし、トランプ大統領は今回、これらの企業に対しては、「イランとの取引を180日以内に切り上げる(注3)」ことを強く促した。

 

(注3)英語の表現は、“wind down”

 

より正確には、トランプ大統領はJCPOAからの離脱に際し、「イランとの取引を続ける企業には米国が制裁を科す」ことを発表した。イランと取引をする第三国の主体を対象とするいわゆる「二次制裁」は、オバマ政権のもとで大幅に強化され、イランを交渉のテーブルに着かせることにもなった。JCPOAの成立を受けて、米国は二次制裁を停止していたが、トランプ大統領はこれらの制裁を、すべて復活させたのである。イランがJCPOAから受けつつあった経済的恩恵は、米国の制裁により阻まれることになった。

 

 

「イラン問題」

 

オバマ政権はJCPOAの成立後、「米政府はイランのJCPOA遵守にも資する対イラン経済取引の拡大を推奨する」というメッセージを、欧州諸国や日本に届けてまわった。しかしトランプ政権は、米国のそれまでの立場をいとも容易に覆した。JCPOAに基づきイランとの取引拡大を模索した世界各国の企業は、トランプ大統領の一声により、方針転換を余儀なくされた。

 

他方、イスラエルやサウジアラビアなどの国々は、トランプ大統領によるJCPOAからの離脱を歓迎している。トランプ政権が現在「イラン問題」と位置付けている問題の多くは、両国がトランプ大統領に対し、「イランの悪事」として訴えてきたものでもある。オバマ政権の政策全般にきわめて批判的なトランプ大統領の誕生は、これらの両国にとっては「宿敵」イランを追いつめる、絶好の機会となったのである。

 

米国が「イラン問題」とみなす諸問題は、突き詰めればイランの反米姿勢に由来している。革命前のイランは中東随一の親米国であったが、その体制を打倒した革命を経て、イランには米国の「帝国主義」や「傲慢」を糾弾する反米体制が生まれた。

 

革命後のイラン体制の認識では、米国は1953年に、CIAを通じたクーデター支援により、イランの石油国有化を推進したモサッデク民族主義政権を転覆させた。米国はまた、その後独裁色を強めた国王の、ゆるぎない後ろ盾であり続けた。また、1980年にサッダーム・フセインによるイラン侵攻で始まったイラン・イラク戦争では、米国はイラクを支援した。さらに、米国は今日に至るまでパレスチナ人の抑圧を継続する、イスラエルの最大の庇護者であり続けている。

 

他方、米国の認識では、冷戦の終結以降、「新世界秩序」を模索するなか、反米姿勢を維持するイランの体制は、(1990年にクウェートに侵攻したイラクとならび)、「封じ込められるべき」対象であった。米国はそのようなイランに対し、「大量破壊兵器開発」、「中東和平反対」、「テロ支援」、「人権侵害」などを理由に、ありとあらゆる制裁を科してきた。

 

ここでテロ組織とされているのは、イスラエルの占領に対し武装闘争を継続する諸組織である。たとえばその筆頭としてあげられるヒズボラは、レバノン南部に拠点を持つ反イスラエル武装組織だが、もともとは1982年にイスラエルがレバノンに侵攻し、レバノン南部を占領下に置いたことを受けて生まれた組織である。イランにとってヒズボラは、イスラエルの占領に対する正当な、かつ支援すべき抵抗勢力であり、他方、イスラエルはヒズボラを、テロ組織と呼んできた。

 

このように、イランと米国(およびイスラエル)の間には、ひとつひとつの事象をめぐり、解消しがたい認識の相違が存在する。イランの「誤った認識」に基づく「誤った行動」を正すための米国の制裁も、はかばかしい効果は上げられなかった。このようななか、オバマ政権は、イランによる核保有だけは阻止すべく、イランとの直接交渉に臨んだ。イスラエルはイラン国内でイラン人核物理学者たちを暗殺し、イランの核施設を対象とする高度なサイバー攻撃も実施していたが、イランによる核関連活動は続いていたからである。【次ページにつづく】

 

 

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