2018.09.10
アメリカの二大政党は「保守対リベラル」の構図だけで分析することはできない
日本では、政党政治を分析する際に、ヨーロッパの政党政治に見られる特徴を暗黙の前提としてしまう傾向がある。その特徴とは、政党とは何らかの理念やイデオロギーに基づいて組織されたものである(べきだ)ということである。例えば、日本の自由民主党は保守の政党であり、野党はリベラルな政党だというようなことが、当然のこととして語られる。アメリカ政治について語る際にも同様に、民主党はリベラル、共和党は保守の政党だという説明がなされる。
このような説明は、政党政治の大まかなイメージを持つ上で有益である。だが、ここでいう「保守」や「リベラル」とは一体何を意味するのか分からないというのが、じつは多くの人の率直な感想ではないだろうか。
本稿は、アメリカで保守、リベラルと呼ばれる勢力はどのような人たちかの説明を試みる。ただし、本稿は、保守やリベラルの哲学的意味の明確化を目指すものではない。むしろ、保守やリベラルの意味を理念的に探求しても、アメリカの政党政治の特徴がわかりやすくなるわけではないと主張したい。
なぜならば、アメリカの政党は理念やイデオロギーに基づいて組織されているのではないからである。そして、この特徴は、じつは日本の政党についても当てはまる。アメリカの政党の性格を理解することを通して、日本の政党政治についても再考する機会となれば幸いである。
アメリカの保守とリベラル、その歴史的背景
アメリカはしばしば自由の国、リベラルな風土を持つ国だと説明される。この認識は、日本のみならずアメリカでも共有されている。では、アメリカでは自らの政治的立場をリベラルと考える人が多いかというと、そうではない。アメリカ国民に自分のイデオロギー的立場を問うと、一番多いのが保守と認じている人たちで約4割なのに対し、リベラルと自認する人は2割強である。アメリカではじつは保守が優勢なのである。
ならば、アメリカにおける保守とはどういう意味だろうか。言葉の意味からすれば、何かを守るのが保守の基本である。何か良いものが過去にあると想定し、その過去に立ち返ることが保守の特徴である。では、アメリカの保守が立ち返るべき過去とは何だろうか。アメリカは建国期に、自由や民主主義、平等などの「アメリカ的信条」と呼ばれる理念を作り上げ、それを独立宣言と合衆国憲法で宣言した。アメリカの保守に立ち返るべきものがあるとするならば、独立宣言、合衆国憲法、アメリカ的信条になるだろう。
だが、独立宣言、合衆国憲法、アメリカ的信条は、リベラルの立場に立つ人々も重視するものである。このようなコンセンサスになっている価値観を基に保守を定義するのは妥当ではない。これは、アメリカの保守を、特定の思想やイデオロギーに基づいて説明することに無理があることを意味している。
では、アメリカにおけるリベラルとは何だろうか。今日のアメリカでリベラルと呼ばれる勢力の基礎は、ニューディール期に作られた。大恐慌から脱するには、市場や自己責任の原則にのみ基づくのではなく、政府が積極的役割を果たすことが必要だとの立場からニューディール政策を推進した人々が自らをリベラルと称したのが発端である。アメリカのリベラルとは、ヨーロッパの社会民主主義に似た立場だといわれることがあるのは、この点を根拠としている。そして、次第にニューディール政策を推進した民主党はリベラルな政党だという認識が持たれるようになっていった。
1960年代、70年代になっても、民主党が優勢な時代は続いた。第二次世界大戦後の経済成長の基礎を民主党が築いたと考えられたためである。そして、民主党の優位が続く中で、勝ち馬に乗って民主党と提携関係に立とうとする勢力が増えていった。経済的な不平等に焦点を当てて社会福祉を拡充しようとする人々。人種や民族、女性や同性愛者などのアイデンティティを実現し、承認を得ようとする立場の人。環境保護などの新しい価値を重視する人たちである。このような人々もリベラルを自称するようになっていったのである。
そして、アメリカで保守を自称するのは、リベラルを称する人々が示す立場に反発する人々である。もちろん、彼らも黒人や女性の権利を否定しようとしているのではない。リベラル派の主張がときおり行き過ぎているのではないかと考え、それに歯止めをかけようとするのが、保守の基本的立場である。彼らは、リベラルの立場に立つ民主党に対抗する共和党の下に結集していった。保守とリベラルの対立が、共和党、民主党という政党間対立に重ねて議論されるのは、このような事情によっている。アメリカの保守とリベラルの立場を理解する上では、このような歴史的背景に立ち返る必要があるのだ。
プラグマテックに票の獲得をめざすアメリカの政党
では、アメリカの政党にはどのような特徴があるのだろうか。
アメリカの政党は、ヨーロッパの比例代表制を採用している国の政党とは性格を異にしている。比例代表制を採用する国では、比較的多くの政党が議席を持つことが可能なので、特定のイデオロギー的立場を示す政党も一定の影響力を持つ。他方、アメリカの政党はイデオロギー的な一貫性を追求するよりも、プラグマテックに多くの票を獲得しようとする。アメリカの政党は綱領政党ではなく、さまざまな意味での連合体としての性格を持つ。具体的には、地方政党の連合体、そして利益集団の連合体としての性格を持っている。
アメリカは、建国後初期から民主的な選挙を実施してきた。さまざまな交通手段が発達するより前から選挙政治が行われたため、選挙区を大きくすることはできず、小選挙区制で選挙を行うのが自然だった。他方、全米規模で大統領選挙が行われたことから、大統領選挙を争う二大政党が全米で大きな存在感を示してきた。
今日の二大政党は南北戦争期から存続している。民主党、共和党ともに、全国的メディアが登場する前から存在したため、選挙区ごとに政党組織が発達し、その性格は地域によって異なっていた。今日でも、アメリカでは連邦議会選挙の際にも、連邦の党本部は候補者の公認権を持たず、候補者は選挙区ごとに予備選挙や党員集会で決定されている。選挙区ごとの政党組織の自律性が強いのである。このように強い自律性を持つ地方政党が、大統領選挙のときには一緒に行動するのである。地方政党の連合体としての特徴が強く、地方ごとの自律性が高いことがアメリカの政党の大きな特徴である。
それに加えて、利益集団の連合体というのもアメリカの政党の特徴である。比例代表制を採用する国では、例えば環境保護を重視する政党も一定の議席を確保することが可能だが、小選挙区制を採用するアメリカでは緑の党が議席を獲得するのは困難である。したがって、自らの利益関心の実現を目指す人々は、政党ではなく利益集団を作って政治家や裁判所に働きかける。アメリカの二大政党の相違は、どのような利益集団と提携関係に立っているかによって説明できるのだ。
民主党はニューディール期に、労働組合、小農、黒人やエスニック集団を有力な支持基盤とした。1960年代に公民権や偉大な社会の実現が目指されるようになると、貧困者、女性、同性愛者の権利拡充を目指す団体、環境保護団体も民主党連合に加わった。
これに対し、共和党は、労働組合と対立する企業経営者や富裕者の政党というイメージが強くなった。そして、1970年代以降に宗教右派、例えば、学校で進化論を教えさせないようにするとか、人工妊娠中絶を認めない人たちも共和党連合に加わった。
つまり、民主党に、ニューディール期にフランクリン・ローズベルト大統領とニューディールの支持者らが、そして60年代以降にアイデンティティ・ポリティクスの実現などを目指す人々が加わり、共和党にはそれに反対する人が加わったのである。
このような二大政党の成り立ちを考えれば、アメリカの政党で内部対立が存在するのは当然である。例えば、民主党連合の中でも、マイノリティ集団と労働組合の利益関心は対立している。安い賃金でも働く黒人や移民は、労働条件の向上を目指す白人労働者にとっては好ましくない存在である。アメリカの労働組合は白人を中心に構成されているので、黒人や移民と利害を共有しないのである。
共和党連合内にも利害対立は存在する。企業経営者や富裕層は、経済活動に政府が介入するのを嫌う、いわゆる小さな政府の立場を採る。他方、宗教右派は、立法によって祈りの時間を公立学校で制度化しようとするなど、政府が積極的な役割を果たすことを求めている。
これらの結果として、アメリカでは政党規律が弱くなっている。連邦議会で党主流派が示した政策方針にしたがって投票した議員の割合を調べると、1970年代には、上下両院、二大政党共に60~70%程度しかなかった。今日では政党規律は強くなっており、上下両院、二大政党共に9割程度になっている。だがこれは、日本でいうところの造反議員が一割程度は存在することを意味している。日本やヨーロッパでは造反議員がほとんど見られないことを考えると、アメリカの現象の特殊性がわかるだろう。
利益集団の連合体としての民主党とイデオロギー志向の共和党
ニューディール期から比較的最近までの間、民主党が利益集団の連合体としての性格を強めたのに対し、共和党は相対的にイデオロギー志向を強めていった。
民主党連合については、対立する諸勢力も選挙での勝利を目指して協力関係に立った。民主党連合を構成する団体は、勝ち組連合に加わり続けるのが得策だったので、一部の知的エリートを例外として、リベラリズムとは何かというような理念的検討を避けた。利益集団間の相違を明確化する危険を秘めた問いをたてるのではなく、利益分配と権利拡充を通して恩恵に預かろうとしたのである。
民主党の支持団体である環境保護団体やフェミニスト団体には妥協を嫌う活動家が多いというイメージを持つ人もいるだろう。これらの集団は、民主党が勝って利益分配をしてもらえるという前提に立って、他の集団のことをあまり考えずに利益追求をしてきた。その結果、党を分裂させるような大喧嘩はしないものの、小競り合いは続き、民主党連合は利益集団の連合体としての性格を持ち続けた。
他方、共和党を支持する団体は、保守勢力と共和党の劣勢挽回を目指す必要があった。そこでまずは、保守の大同団結が目指された。保守勢力に結集の場を与えた『ナショナル・レビュー』というオピニオン誌では、いかに民主党とリベラル派が間違っているのかを強調する記事が掲載され、保守勢力内部でのイデオロギー論争は徹底的に回避された。
また、政策研究機関であるシンクタンクも、保守派にアイデアを提供し、活動の機会を作った。FOXニュースやトークラジオに代表される保守派メディアも大きな役割を果たした。中立性と客観報道が求められる報道番組ではなく、出演者が民主党政権の批判を繰り返すオピニオン番組を中心に作っていった。これらの結果、民主党連合という勝ち馬に乗らなかった人々が、保守というシンボルの下に集結した。言葉の意味は不明確ながらも、保守という理念を掲げて団結したため、共和党の方がイデオロギー志向が強くなったのである。
この結果として、民主党には利益集団の連合体、共和党にはイデオロギー志向という特徴が生まれ、それが今日でも二大政党を特徴づけている。例えば、2016年大統領選挙の際、民主党ではヒラリー・クリントンが大統領候補に確定した後も、バーニー・サンダースの支持者がクリントン批判を続け、投票に行かない人もいた。それに対して、共和党については、ドナルド・トランプという特異な候補に不満を感じた人であっても、最終的にはトランプに投票した人が多かった。選挙のときに、民主党はバラバラ、共和党は意外にまとまっているのには、このような歴史的背景があるのである。
ただし、近年では共和党内でも対立が徐々に先鋭化するようになっている。その理由は、民主党優位の時代が終わり、共和党が権力を持ったことにある。1994年の中間選挙で、ニュート・ギングリッチの指導下で共和党が圧勝して以降、連邦議会、とりわけ下院では共和党が勝ち続ける状態が生まれた。また、2000年、2004年の大統領選挙では共和党のジョージ・W・ブッシュが勝利した。このような変化を受けて、共和党が連邦議会上下両院と大統領職を支配する事態も生まれた。
このような状況下、共和党でも具体的な政策をどうするかをめぐって対立が顕在化していった。ニューディール以後に保守が大同団結できたのは、民主党の方針に反対していれば良かったからだった。しかし、保守が権力を持つ側に回ると、どのような政策を実現するべきかをめぐり争いが顕在化したのである。
今日共和党の下に集っている保守派には、経済的保守、社会的保守、軍事的保守と呼ばれる人々が存在する。だが、小さな政府を目指す経済的保守は、軍拡の必要性を説く可能性のある軍事的保守とは立場を異にするところがある。規制強化を目指す社会的保守と、政府の役割低下を目指す経済的保守に対立があるのはすでに指摘したとおりである。
なお、保守派と共和党の利益関心が一致するとは限らない点にも注意が必要である。保守連合を支えた人が望んでいたのは自らが信じる保守の勝利であり、共和党の勝利とはズレがあった。例えば、W・ブッシュ大統領は社会的保守派を支持基盤にしていたので、思いやりのある保守主義と称し、ときには福祉拡充を容認する立場をとった。
しかし、小さな政府の立場をとる経済的保守派は、W・ブッシュらを「名前だけの共和党員」と呼んで批判した。こうした人たちが、後にティーパーティ派となっていった。このように、ニューディール期以降、民主党、リベラル派に対する反発を基礎に団結していた保守も、権力の座に着くと内部対立が顕在化するようになったのである。
他方の民主党は、優位を失った今日でも、相変わらず対立を続けている。近年では、ビル・クリントンやヒラリー・クリントンを中心とする中道的なスタンスのニュー・デモクラットと呼ばれる人たちと、サンダースやエリザベス・ウォーレンのような左派的傾向の強い人たちの対立が顕在化している。ニュー・デモクラットは増税や福祉拡充に対する世論の反発を認識した上で、あまりに左派的な立場をとるのは国民の意向に合わないと考える。リベラル派と呼ばれる左派は、このような立場を明確に否定しているのである。
日本の政党政治への示唆
アメリカの政党政治が保守対リベラルという構図で描かれているのは事実である。だが、本稿で説明したように、二大政党はイデオロギーや理念を基に組織されているのではないため、政党の内部にも対立が存在しているのである。
このような特徴は、じつは日本の政党政治についても指摘することが可能である。55年体制期の自由民主党は、ときに、右翼から左翼まで揃った総合デパートと称されたように、多様な政策的立場の人々を擁していた。今日の自民党も包括政党としての性格を持っており、政治家にも支持者にも多様な人々が含まれている。
日本政治に対する理解を複雑にしているのは、自民党を批判する勢力がしばしば「保守」というラベルを貼って自民党を批判し、自らを「リベラル」と称するからである。例えば鳩山政権成立時の民主党はこのような戦略を採り、またメディアも保守対リベラルの構図で政党政治を説明しようとしていた。
だが、当時の民主党にも自民党と同様に多様な立場の人材が存在しており、全体として見れば、自民党と民主党に属する政治家のイデオロギー的立場に大きな違いがあったわけではない。にもかかわらず、当時の民主党もメディアも、日本政治を保守対リベラルの構図で説明しようとした。そして、政治家の実際の政策的立場に大きな違いがないにもかかわらず、政策の違いに基づく政権交代の必要性を強調したのだった。このような無理のある枠組みで政治を展開させることに限界があったことが、今日に至るまで有権者が政治家、とりわけ野党に対し不信を抱いている一因ではないだろうか。
政治を分析するに際して、理念や思想、イデオロギーに注目することは重要である。だが、多くの政治的対立は理念、思想、イデオロギーとは異なる次元で展開されているという事実も忘れてはならないだろう。アメリカの二大政党を保守対リベラルの構図だけで分析することができないのと同様に、日本の政党政治をイデオロギー対立の次元だけで説明しようとするのも危険である。アメリカの事例を通して、日本政治に対する見方も再考していただければ幸いである。
プロフィール
西山隆行
東京大学大学院法学政治学研究科博士課程修了、博士(法学)。現在、成蹊大学法学部教授。主著として、『アメリカ政治入門』(東京大学出版会・2018 年)、『アメリカ政治講義』(筑摩書房・2018 年)、『移民大国アメリカ』(筑摩書房・2016 年)、『アメリカ型福祉国家と都市政治―ニューヨーク市におけるアーバン・リベラリズムの展開』(東京大学出版会・2008 年)、『アメリカ政治』(共編著、弘文堂・2019年)など。