グダンスク市長襲撃事件――英雄ではない私たちが憎悪の波を止めるために  

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2000年代に入ってから、公共の場において存在感を増しつつある急進右派の諸団体に対し、アダモヴィチ市長は度々対決する姿勢を見せた。

 

2018年4月15日、国民急進陣営(ONR)が創設84周年に合わせてグダンスク中心街をデモ行進し、ファランガと呼ばれる旗印を掲げ、黒い服を着たメンバー約400人が、「偉大なポーランドこそ我らの目的」、「祖国の敵に死を!」とシュプレヒコールをあげた。行進はグダンスク旧市街の広場を通って市庁舎前を終着点とした(注8)。

 

(注8)Joanna Wiśniowska, “Adamowicz zapowiada: Będzie manifestacja przeciwko ONR”, Wyborcza.pl (2018-04-15), http://trojmiasto.wyborcza.pl/trojmiasto/7,35612,23272833,manifestacja-przeciwko-przemarszowi-onr-zbierzmy-sie-na-prodemokratycznej.html.

 

戦間期のONRは、ドモフスキの主導で設立された大ポーランド陣営(OWP)から分岐して、1934年4月に設立されたが、同年7月に政府により活動を禁止され非合法となった(注9)。現在のONRはこの団体の後継を自認しており、「極右ファシスト団体」との批判を受けている。この日、デモに先立って、ONRは創設記念日を祝う全ポーランド集会を行っており、会場に選んだのはグダンスク造船所のホールであった。「連帯」の始まりとなる8月合意が署名された歴史的な場所である。ONRはあえてこの場所を使った理由について、「ポーランド人のための連帯し偉大なポーランド――それが我らの目的である」とした。

 

(注9)Rafal Pankowski, The Populist Radical Right in Poland: The Patriots (London, 2010), p. 32.

 

 

「8月合意」が署名されたグダンスク造船所のBHPホール。ONRは創設84周年を記念する全ポーランド集会をここで行った。

 

 

この出来事を受け、アダモヴィチ市長は、「グダンスク造船所の歴史的なホール――つまり8月合意が署名された場所――から、それらの理念のまったくのアンチテーゼを叫びながら」ONRのメンバーたちが出てくる光景に、「グダンスクとグダンスク市民は、自由や連帯の理念を並外れて嫌悪感を催させるやり方で利用しようとした人々によって侮辱された」とコメントした。そして、グダンスク市民に向けて、「しかし恐怖は私たちを麻痺させることはできないのであり、だから、デモクラシーや自由、そして開かれていること――これらの価値を近しく感じる人たち皆を、4月21日土曜日12時に市庁舎の前に招きます」と訴え、反ファシスト集会へ参加するよう呼びかけた。

 

「グダンスクはナショナリズムとファシズムにNOと言う」を集会のスローガンに、ポーランド、グダンスク、EUの旗を配布すること、アダモヴィチ市長のほか反共産主義時代の活動家で上院副議長のボグダン・ボルセヴィチ(注10)や、「市民プラットフォーム」議員のヘンリカ・クシヴォノス(注11)、民主主義擁護委員会(KOD)のラドミル・シュメウダに加え、戦争中のルヴフで奇跡的に命を救われ、戦後グダンスクに暮らしたユダヤ人女性マグダレーナ・ヴィシンスカ(注12)の参加が発表された。(注13)

 

(注10)ボルセヴィチの経歴について“Senatorowie”, Senat Rzeczypospolitej Polskiej, https://www.senat.gov.pl/sklad/senatorowie/senator,74,9,bogdan-borusewicz.html[最終閲覧日:2019年1月21日]参照。

 

(注11)グダンスクにおいて路面電車の運転士をしていたクシヴォノスは、1980年8月15日朝、自分が運転する電車を停め、乗客に「この電車はこの先へは参りません」と告げた。実際には市内交通のストライキはもっと早くに始まっていたが、彼女が電車を停めたことはストの始まりを象徴するエピソードとして知られている。クシヴォノスは「工場間ストライキ委員会」幹部会のメンバーとして8月合意に署名した。Maciej Sandecki, “Henryka Krzywonos-Strycharska: Ten tramwaj zaważył na całym moim życiu”, Wyborcza.pl (2018-06-19), http://trojmiasto.wyborcza.pl/trojmiasto/7,35612,23559555,henryka-krzywonos-strycharska-ten-tramwaj-zawazyl-na-calym.html.

 

(注12)ヴィシンスカの経歴についてSebastian Łupak, “Gdańskie obchody Międzynarodowego Dnia Pamięci o Ofiarach Holokaustu”, Portal Miasta Gdańska (2018-01-26), https://www.gdansk.pl/wiadomosci/gdansk-uczcil-miliony-zydowskich-ofiar-holokaustu,a,99848参照。

 

(注13)Dariusz Gałązka, “Antyfaszystowska manifestacja w Gdańsku. Dla tych, którym bliskie są ideały demokracji i wolności”, Wyborcza.pl (2018-04-21), http://trojmiasto.wyborcza.pl/trojmiasto/7,35612,23298774,antyfaszystowska-manifestacja-w-gdansku-dla-tych-ktorym-bliskie.html.

 

市が組織したデモに対し、ナショナリスティックな諸団体はすぐに反応した。グダンスク市庁に11件のデモの申請があり、それらのなかには、ナショナリスト団体「全ポーランドの若者」(MW)による対抗デモがあった。

 

MWは1989年に活動を始めたが、ONR同様、ドモフスキの影響を受けていた戦間期の学生団体の後継を自認している。2010年11月11日に、ワルシャワにおいて最初の独立記念日行進を組織し、後に独立行進の運営に特化した委員会が設置されてからは、主要団体として参加を続けてきた。独立行進は例年、排外的なシュプレヒコールや暴力行為、警察との衝突が問題視されてきたが、2018年には「法と正義」政権が共催を申し出て「合法的に」25万人が参加する大規模行進に発展した。

 

MWは2017年6月、アダモヴィチ市長を攻撃するキャンペーンを組織し、その一環として「政治的死亡証明」を発行した。ポーランド政府発行の証明書を模したアダモヴィチ市長の「政治的死亡証明」は、右上に顔写真が貼られ、「亡くなった人の名前」欄には「名:パヴェウ/姓:アダモヴィチ/政治的帰属:市民プラットフォーム/公務:グダンスク市長」、「死亡した時間、場所、原因」欄には「2017年6月30日/14:00/グダンスク/死因:リベラリズム、マルチカルチャリズム、愚鈍」と記載、「証明書発行元」欄は「ポーランド国民」とされていた。アダモヴィチ市長は会見で「身の危険を感じる」と話し、検察は調査を始めたが、2ヶ月後には中断、今回の事件の数日前に調査の中止が決定されていた。

 

市長は襲撃事件の4日前(2019年1月9日)、「全ポーランド主義者たちがしたことは、普通の批判ではなかった。死亡証明書というきわめて明白なシンボルを用いたものであり、許容される範囲を超えている」とコメントし、不服を表明していた(注14)。事件後、MWスポークスマンのマテウシュ・マジョフは、「政治的死亡証明書」の騒動は1年半前の話であるとして、今回の事件との直接的な関係を否定し、ナイフで市長を襲った男は個人的な動機に基づいていたと報道されている、と述べるにとどめた。(注15)

 

(注14)“Adamowicz skarżył się na mowę nienawiści. Śledczy nie podzielali jego obaw…”, Fakt24 (2019-01-13), https://www.fakt.pl/wydarzenia/polityka/pawel-adamowicz-skarzyl-sie-na-mowe-nienawisci-mlodziez-wszechpolska-i-prokurature/61j35f8#slajd-7.

 

(注15)Paweł Kalisz, “Wszechpolacy tłumaczą się z “politycznego aktu zgonu” Adamowicza. “To happening sprzed półtora roku””, Na Temat (2019-01-19), https://natemat.pl/260703,mlodziez-wszechpolska-tlumaczy-sie-z-politycznego-aktu-zgonu-adamowicza.

 

アダモヴィチ市長は「自由な、連帯した、開かれたグダンスク」を目標にし、自身の両親が「移民」としてグダンスクにやってきた背景から、とくに旧ソ連諸国からグダンスクへやってくる人々を受け入れて地域社会へ統合することに熱心であった。EUが標榜する多文化共生の理念に賛同し、賛同するだけでなく実践した。

 

こうした姿勢は、公共メディアやネットにおいて、「市民プラットフォーム」の政治家のなかでもとくにアダモヴィチを標的にする理由になったと考えられる。アダモヴィチはポーランド人ではないといったネット上の中傷だけでなく、「アダモヴィチ市長が擁護したグダンスクの第二次世界大戦博物館の展示プログラムは非ポーランド的」であったとか、グダンスク市は「ドイツ・グダンスク共和国」である、といった右派の国政与党「法と正義」の政治家らの発言は、「憎悪の波」が高まるのを助長こそすれ沈静化させはしなかった。

 

アダモヴィチ市長が襲われた際、直接に実行した男の動機はなお不明瞭な段階ながら、政治的な暴力行使であるという受け止めが広がったのは、こうした経緯によるものであった。グダンスクだけでなく、ワルシャワやクラクフにおいて、暴力による意思表示に抗議するサイレント・デモが行われた。

 

ワルシャワにおいて14日夜のサイレント・デモの終着点とされたのは、国立美術館ザヘンタの建物であった。ここは1922年、独立を回復したポーランドの初代大統領に選出されたガブリエル・ナルトヴィチが、「ユダヤ票で選ばれた」という中傷に基づいて暗殺された場所である。

 

ナルトヴィチに対しては、選挙後、右派の国民民主党(ONRやMWと同じ思想的起源を持つ)の新聞による中傷キャンペーンが行われ、世論を反ナルトヴィチへと煽動した(注16)。独立回復から間もないポーランド社会の分断は、言論による攻撃から政治家の暗殺に至った。

 

サイレント・デモに参加した人々は、1922年の大統領暗殺の経緯を、独立回復100周年を祝ったばかりのポーランド社会で深まっていく分断と対立、歯止めをかけられない憎悪の言葉、そして今回の暗殺に重ね合わせていた。

 

(注16)実際には、ナルトヴィチの政治的立場は、ユダヤ人の支持層と特別に強い関係があったわけではなかった。ナルトヴィチ選出の経緯について、安井教浩「第二共和政ポーランドにおける議会政治の幕開けと民族的少数派(2) :東ガリツィア・ユダヤ人の選択」『長野県短期大学紀要』64巻、137-154頁。

 

アダモヴィチ市長の訃報を受け、「クリスマス・チャリティ・大オーケストラ」の代表イェジ・オフシャクは会見を開き、「大オーケストラ」のイベントが襲撃の標的となった事件に自分や家族の身の危険を感じたため、代表を辞任すると述べた。「ここは残忍で野蛮な国だ」と言って、慌ただしく部屋を出た。苛立ち怯えた様子で、太めの赤いフレームのメガネがまったく映えていなかった。

 

土曜日の葬儀までは喪に服することが、グダンスク市やポーランド政府により宣言されたが、「憎悪の波」はやまないであろうという見通しが大半を占めた。

 

翌日、ガゼタ・ヴィボルチャの編集長として、アダム・ミフニクは公開メッセージを送り、イェジ(ユレク)・オフシャクに再考を促した。

 

「激情、痛み、そして理解とともに、昨日、ユレク・オフシャクの辞任表明を聞いた。そして今、この場所から、連帯と敬意、賛嘆の言葉をもってユレクに願い出たい。お前がやっていることは、ユレクよ、お前のクリスマス・オーケストラは、私たち皆のなかから、私たちのなかにあるもっとも良いところを集めたものだ。お前は良いことをしているし、そうすることでお前は人生の情熱を実現させてきたんだろう。

 

辞任すると決めた言葉から感じられた、お前の痛みや後悔を、よくわかっている。

 

だが私は思うんだが、しばらくしてから、ユレクよ、考え直すときが来る。お前はオーケストラにとって必要だ。なぜなら、良きことを実行したいと願うポーランドに、お前は必要とされているからだ。

 

辞任を取り消せないか、もう一度よく考えてくれるように、私は君に訴えかける。これが君の決定であり、ただ君だけが、最終的に自分と自分に近い人たちの運命を決められる――そのような意味で君の辞任を理解しているけれども、それでもやはり、君やオーケストラに対してあの憎悪の波を組織している人々は、ただ一つのこと、叫喚追跡のキャンペーンをすることしかできない。そして、もしも彼らが、自分たちの魔女狩りは効果的だというシグナルを受け取るとしたら、それはよくないことだ。

 

ユレクよ、私自身、一度ならず嫌がらせの標的となったことがある。分かったことが一つだけあった。これをやっているのは悪意ある人々で、恐喝屋なのだ。そして相手が恐喝屋であるなら、譲歩してはだめだ。憶えていてくれ、ポーランドのなかで君が敬意を向けてきた人たちは、君を尊敬し、愛していて、そして君の側にいる。その人たちは、この素晴らしいイニシアチブ、クリスマス・オーケストラから君が消し去られることを認めない。ユレクよ、私たちはいま君のそばにいるし、これからもそうだ。私たちと、留まってくれ。」

 

ミフニクは事件後すぐに、アダモヴィチ市長への追悼の辞を『ガゼタ・ヴィボルチャ』に掲載したが、その文面の冷静さと異なるオフシャクへの訴えかけの口調は、ミフニクにとって大事な話をしているのだということを明示しており、まだ事態は進行中なのだということを伝えていた。

 

グダンスク造船所に隣接するヨーロッパ連帯センターに安置されたアダモヴィチ市長の棺は、18日夕方にグダンスク大聖堂へ移され、別れを告げに来るグダンスク市民の列が深夜も途切れることはなかった。翌19日の葬儀において、市長の妻マグダレナ・アダモヴィチは、次のように夫に語りかけた。

 

「あなたは開かれてあること、共感することを教え、善をなすよう励ましてくれました。ここグダンスクにおいて、あなたの小さな祖国において。私は信じています、あなたの励ました善がこれからも広がっていき、他の町や、世界中に届くことを。分裂はぬぐい去られ、憎悪の波が終わることを。」

 

そして、参列者に向けて静かに訴えた。

 

「今日私たちに必要なのは静寂ですが、しかし、静寂が沈黙を意味してはならないでしょう。なぜなら沈黙は無関心に近いからです。パヴェウは決して無関心だったことはありませんでしたし、一度として日和見主義者であったことはありませんでした。今日、皆が良心の清算をしなければなりません。身の回りで悪や不正、卑劣なことが起きていたとき、私たちは何をしていたでしょうか? 悪い言葉が浴びせられていたときに?

 

パヴェウや私たちの家族に、たくさんの卑劣で悪い言葉がぶつかってきました。私たちは心を痛めましたが、パヴェウはそれらを自分の肩に負いました。パヴェウと私たち家族が遭遇し、グダンスクを哀しみで覆った悲劇が、もう二度と繰り返されませんように。」(注17)

 

(注17)“Magdalena Adamowicz: Cisza jest potrzebna, ale nie milczenie. Dotknęło nas wiele niegodziwości”, OKO.PRESS (2019-01-19), https://oko.press/magdalena-adamowicz-cisza-jest-potrzebna-ale-nie-milczenie-dotknelo-nas-wiele-niegodziwosci/.

 

アダモヴィチ市長は大聖堂内に埋葬された。

 

葬儀の後、イェジ・オフシャクはアダモヴィチ宛てにメッセージを出し、チャリティー・オーケストラ代表の仕事に戻ると宣言した。グダンスク大聖堂において参列者たちが話した内容を、多くのポーランド人が聞き、自らの心に問いかけ、憎悪に対して「ノー」と言うように、この出来事から憎悪に対して憎悪で応じることがないように。

 

そして、アダモヴィチの理想はより一層大きな力を得て帰ってきたとし、「私はこれからもオーケストラで演奏し、代表を務める。なぜなら、自分の隣で何が起きているのかを見たからだ。」と話した(注18)。

 

(注18)Jerzy Owsiak, “Moje dwa słowa do Prezydenta Pawła Adamowicza”(2019-01-19).

 

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