ケムニッツ、あるいはドイツ社会の和解のレジリエンスと「憂慮する」市民たち

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1.はじめに

 

2018年8月末から9月はじめにかけての2週間、ドイツ社会はこの話題に揺れた。東部ザクセン州の都市ケムニッツでおこったある殺人事件をきっかけに、極右勢力が大規模なデモをおこない、街中で外国人を狩りたてて暴行したり、警察や反対する左派勢力と激しく衝突したりしたのだ。

 

日本でも、この事件は大手マスコミ各社が取りあげた。しかし、それらの報道は事件の概要を断片的に伝えるのみであり、この事件がドイツ社会にあたえた衝撃についても、またこの事件を近年のドイツ社会の動きに対してどのように位置づけるかについても、説明が不足している。

 

このニュースを聞いて、多くの人は「またか」とやり過ごしてしまったに違いない。「極右が台頭している。ヨーロッパはどこでもそうだ」と首を振った人もいるだろう。「メルケル首相が難民を受け入れたから、国民のあいだに反発が強まっているんだよ」と、訳知り顔に言った人もいるかも知れない。いったい、ケムニッツの事件は何を語っているのか。そこには何かこれまでにないものがあったのだろうか。この事件から、ドイツの、ヨーロッパの現状や今後について、われわれがどんなメッセージを受け取れば良いのだろうか。

 

 

2.ケムニッツ市記念祭での殺人事件

 

8月26日、ケムニッツ市では恒例の記念祭がおこなわれていた。これは毎年3日間にわたって市の中心部でおこなわれるお祭りで、24回目を数える今回はケムニッツ市の創建875周年にあたっていたこともあり、大観覧車に6つのライヴステージ、200軒の出店が軒を並べ、人出は25から26万人と予想されるなど、ひときわ盛り上がっていた。

 

この日、祭の最終日となるはずの日曜日のまだ夜明け前3時過ぎに、事件は起きた。2つのグループが市内中心部でトラブルとなり、ひとりの男性が殺害され、2名が重傷を負った。犯人2名は現場から逃走した。

 

ちなみにドイツのマスコミは、殺された男性のことを当初は「ひとりの男性」としか報じていなかった。数日経ってから、それが「ドイツ人」であったこと、正確に言えばドイツ国籍を取得したキューバ人の男性であったことが報じられた。そしてさらにしばらく経ってから、彼がダニエル・Hという名前であったこと、35歳であったこと、キューバ人の父とドイツ人の母とのあいだに生まれ、ケムニッツで育ったこと、妻と一人の子があり、ハウスクリーニングの会社で働いていて人付き合いもよく、近所や同僚の評判の良い人物であったこと、などが報道されたのである。

 

それに対し、犯人は比較的早い段階から外国人であるとされた。翌日の午後には警察はイラク人ヨーシフ・Aとシリア人アラー・Sに対して逮捕状を請求した。主犯とされたヨーシフ容疑者は23歳で、2015年10月に他の大勢と同じくバルカン半島経由で難民としてドイツへとやってきた。彼の難民申請は3年近い調査のあと、事件3日後の8月29日に最終的に却下された。

 

報道は、ヨーシフの出国理由が、政治的な迫害などではなく、恋愛関係のもつれであったこと、彼が提示した身分証明書が偽造だったこと、さらにドイツ入国後もくりかえし傷害事件をおこして逮捕され、酔っ払って自暴自棄になった末に物損事故まで起こしていたこと、などを報じた。最後の住居はケムニッツ近郊の村に建てられた難民シェアハウスであったが、そこには滅多に帰宅しなかったという。

 

アラー容疑者のほうはシリア北部の出身のクルド系の22歳の青年であり、ケムニッツでは床屋の見習いをしていた。事件後、ヨーシフはその場で、アラーは翌日、警察に逮捕された。

 

 

3.事件をめぐる数々の謎

 

この事件には、いろいろ不可解なことがあった。まず、26日の早朝にインターネットポータルサイトのtag24.deが事件の第一報を報じたが、その直後から、ダニエル・Hは外国人に暴行されそうになっていたドイツ人女性を助けようとしてナイフで刺されたのだ、といううわさがインターネットを駆け巡った。警察が正式に否定してからも、うわさはとまらなかった。

 

さらに不思議なのは、事件3日後の29日、容疑者の逮捕状の画像がインターネットに出回ったことである。これはもちろん違法行為である。公開したのがおもに極右系のサイトやフェイスブックであったため、その関係者の関与が疑われ、極右政党「ドイツのための選択肢」に属するブレーメン州の市議会議員(ブレーメンは都市州のため市議会=州議会である)で、休職中の連邦警察官でもある人物が警察の家宅捜査を受けたが、彼は自分がリーク元であることを否認した。

 

結局ケムニッツ市を管轄するザクセン州のある法務官僚が情報提供者とわかり、停職処分を受けた。しかし、彼の政治傾向や動機など、背景が何であったのかはあきらかにされていない。

 

第3に不思議なのは、逮捕された容疑者のヨーシフが、嫌疑不十分で3週間後に釈放されたことである。彼は事件の現場にはいたが、ダニエル・Hへの暴行には加わっていなかったという。凶器とされるナイフ2本のうち、1本は見つかっておらず、もう1本からヨーシフの関与を示す証拠は採集されなかった。

 

ヨーシフの弁護士は逮捕そのものが不当であったという見方を示している。どうしてこのような誤認がなされたのかはあきらかではない。警察は、現場から逃走したイラク出身の難民で22歳になるファルハード・Aという人物が殺害に関与していたとし、9月4日以来公開捜査をおこなっているが、この人物はまだ捕まっていない。

 

第4に、まだ警察の公式発表がない段階で、「ニュー・ソサイエティ2004」というフーリガングループが、自分たちのフェイスブックでダニエル・Hの死に対する抗議デモを呼びかけたことである。そこには「俺たちの街、俺たちのルール」、「誰がこの街で発言権を持っているのか、みんなで一緒に示そう」と書かれてあった。

 

予告されたデモの開始時間は16時半、集合場所はケムニッツ市中心部の有名なカール・マルクスの巨大な胸像前。先に述べたように、この日は祭の最終日であったが、運営委員会は混乱を恐れて午前中で祭の行事の打ち切りを決めた。

 

第5の不思議は、この、わずか数時間前に予告されたばかりのにわか仕立てのデモが、とにもかくにも800人もの参加者を集めたことである。デモが事前許可を得ていなかったため、不意を突かれた警官隊は圧倒された。ビール瓶をぶら下げ、スローガンを怒鳴りながら市内を練り歩くフーリガンたちの映像がインターネットで拡散された。

 

このデモが引き金となった。翌27日の夜に右翼がデモを呼びかけた際には6000人が集まった。このときも弱体な警察はデモを制御することに失敗した。極右のネオナチたちは、右手をまっすぐ目の高さに伸ばすナチ式敬礼(ドイツでは違法である)をしたり、ジャーナリストたちにカメラを向けられると中指を突き上げたり、ズボンを下ろして尻を見せたりといった狼藉を働いた。

 

第6の不思議は、この当日(26日)の夜のデモの時に撮影したとされる映像についてである。携帯電話かスマートフォンのカメラで撮影されたとおぼしきその映像では、デモ参加者らしき複数の屈強な男たちが外国人のように見える2名の男性を追いかけ回し、「ゴキブリめ」、「歓迎しないぞ」とあざけり、後ろから足蹴にしようとするというものである。

 

この、「ケムニッツの人間狩り(Chemnitzer Hetzjagd)」として有名になった短い映像を、一体誰が撮影したのか。のちに、撮影者はある警備会社の従業員であると報じられたが、その会社は関与を否定している。ケムニッツ在住のある公務員の妻という説もある。

 

ともかく、アンジェラ・メルケル首相をはじめ多くの政治家やメディアが、一斉にこの「人間狩り」行為を批判した一方で、ザクセン州首相ミヒャエル・クレッチマーや連邦憲法擁護庁長官(当時)ハンス=ゲオルク・マーセンは、この映像の真贋に疑問を呈し、事態はそこまで深刻ではないという見方を唱えた。これに対し、現場にいたジャーナリストたちは「人間狩り」があったのは事実であり、それどころか実際には「ひとりのドイツ人の死に対し、ひとりの外国人の死を」というような移民の殺害を叫ぶ声まで上がっていたのだと報告している。

 

 

4.なぜケムニッツだったのか

 

なぜ、ひとつの殺人事件がこのように急速にニュースとなり、大きな騒動を引き起こすに至ったのだろうか。とくに驚くのは、ダニエル・Hの殺害に対する、極右勢力のあまりにも素早い反応ぶりである。筆者などは、実際はそうではなかったようであるが、事件そのものが彼らのデモンストレーションのために仕組まれたのではないかという疑問をもってしまったほどである。これはいったいどうして可能になったのだろうか。

 

これには2通りの説明が可能である。ひとつは、ケムニッツ市という都市の特殊な地域的事情に関わるもので、もうひとつは、ケムニッツの属するより広い地域、つまりドイツ東部とくにザクセン州という地域に関する構造的な説明である。

 

前者としては、ケムニッツでは以前からネオナチに代表される極右勢力が勢力を持っていたことが挙げられる。そのメンバーは1990年の東西ドイツの再統一の頃から150人から200人に達し、なかにはケムニッツを拠点にして全国に極右政治活動を展開していた「血と名誉(Blood & Honnor)」のような団体も存在した。

 

2000年から2006年にかけて各地で外国人連続殺害事件を起こしてドイツ全土を震撼させた狂信的な極右組織「ナチ地下運動(Nazionalsozialistischer Untergrund=NSU)が、結成の地イエナの次に根拠地としたのもケムニッツであった。これら極右グループの構成員は過激な者から穏健な者まで多岐にわたっているが、相互に連絡を保ち、左翼のグループと対立し、小競り合いや暴力事件を繰り返していたのだ。

 

さらに、ケムニッツ市には過激なサッカーファンであるフーリガンのグループが存在していた。その代表的なひとつ「フーナラ(HooNaRa)」というグループは、その名前が“フーリガン・ナチ・レイシスト”の短縮形であることからも明らかなように、ネオナチに強く傾斜していた。

 

この集団は2007年に解散させられ、メンバーは憲法擁護庁の監視下におかれ、グループとしてはスタジアムへの出入りが禁じられているが、それでもその勢力は「ナチ・ボーイズ(NS –Boys)」、「カオスなケムニッツ(Kaotic Chemnitz)」といったいくつもの集団にわかれてなお健在で、大きな影響力を持っている。

 

2018年の8月のデモに参加者を動員したのは、これらの極右政治グループやフーリガンたちであった。ドイツの地方都市は、どこでもサッカーの地元チームがあり、熱狂的な支持を集めている。試合のたびに市内や近郊から大勢のサポーターがバスや鉄道でスタジアムに駆けつける。なるほど、フーリガンたちであれば、あれほどの短時間に大量の人間を任意の場所に集めることも可能であっただろう。

 

 

5.なぜドイツ東部なのか、なぜザクセン州なのか

 

こうした極右勢力の勢力の存在と、それがフーリガングループとつながっていたことは、ミクロな視点からケムニッツの事件がなぜ起きたのかを説明してくれるが、では、なぜケムニッツを含むドイツ東部、ザクセン州にはこうした勢力が強いのだろうか。1990年までは東ドイツだったこの地域であるが、そもそも旧東独時代からネオナチが存在し、人種主義的な理由による外国人への敵意が広がっていたことが、最近ではわかってきている。

 

1970年代、労働力不足に直面した旧東独政府が、キューバやベトナムといった友好国から契約労働者の受け入れを始めると、その傾向は一気に強まっていった。外国人労働者は仕事ぶりが怠慢であるとか、整理整頓や清潔の習慣が異なっていて「気持ち悪い」とされた。こうした労働者は政府の方針として専用の宿舎で暮らしており、日常生活において近隣住民との接点がほとんどなかったことも、彼らへの反感や敵意を増幅した。

 

さらに、東独内部の政治状況や経済状態への不満が、そこに加わった。東独時代、外国人に対する暴力事件は決して珍しいものではなく、約20年のあいだに犯罪件数にして合計8600件、集団による暴力事件も220件、宿舎への襲撃事件ですら40件もあったという。しかし、国際親善を標榜していた旧東ドイツ政府は、こうした事実をひた隠しにしていたのである。

 

1990年のドイツ再統一後、冷戦終結にともない、旧ユーゴスラヴィアに代表される東欧からの外国人が、大挙してドイツにやってくるようになった。これが東ドイツが直面した外国人の第二の波である。

 

これをきっかけに、旧東独地域では外国人にたいする暴力事件がくり返されるようになった。外国人に対する暴力事件自体は、1992年に外国人アジール申請者の宿舎が放火されて3名が亡くなったメルンをはじめ、ゾーリンゲン、ケルンなど西ドイツに属する地域でも発生しているが、それと並んで中心となったのが旧東独地域である。

 

1991年にポーランド国境に近い工業都市ホイヤースヴェルダ(Hoyerswerda)で住民による同市居住の難民や外国人労働者に対する暴力事件があり、1992年8月にはロストック=リヒテンハーゲンでベトナム人労働者の宿舎が放火され、4日間にわたって警官隊とネオナチが激しい衝突を繰り広げた。この年にはブランデンブルク州のドルゲンブロットでも難民申請者の受け入れセンターが放火され全焼する事件があった。このときは、捜査の結果、極右勢力のメンバーであった犯人が住民有志から2000西ドイツマルクの金を渡され放火するよう依頼されていたことが発覚した。

 

そして、2015年夏に始まったヨーロッパ難民危機は、ドイツ東部地域を襲った第三の外国人の波だった。ザクセン州のハイデナウでは難民収容施設の設置に反対する住民と警察の衝突が同年8月21日から3日間にわたって繰り広げられた。2016年2月、同じくザクセン州のクラウスニッツでは、難民を乗せたバスを住民を含む過激グループが数時間にわたって取り囲み、罵声を浴びせた。

 

その二日後、ザクセン州バウツェンでは、難民の宿舎に割り当てられる予定だった建物が放火され、全焼した。そして今回のケムニッツ、ここもザクセン州である。ケムニッツは難民危機以後のドイツで続発した一連の外国人を対象としたヘイト犯罪としては今のところ最後のものであり、規模にしては最大のものである。

 

繰り返される外国人への嫌がらせや暴力事件のなかで、ザクセン州が舞台になることが多かった。このことの理由を、ザクセンの住民が過去の歴史のなかで体験し共有してきた独特の被害者意識・感情に求める見方もある。ドレスデンの政治学者ハンス・フォアレンダーによれば、その記憶は第二次世界大戦末期にさかのぼる。1945年2月13から14日にかけての夜、ザクセン州の首都ドレスデンは連合軍の集中爆撃を受け、一夜にして壊滅した。ドイツの敗戦が誰の目にも明らかな時期に、軍事目標がほとんど存在せず、大勢の避難民が集まっていた街に、民間人を標的にした残酷な攻撃が加えられたのである。

 

自分たちは戦争の無実の被害者であるという意識は、旧東独時代にドレスデン市民のあいだで固められた。さらに、1990年の再統一後は西ドイツ人が大挙してやってきて、旧東社会のなかの主要ポジションを独占し、主導権を握った。自分たちは大戦中は理由なくして被害者となり、統一後は二流市民として扱われた。こうした犠牲者意識と劣等感が、2015年以降の難民危機をきっかけに噴出してきたというのである(『シュピーゲル』2018年9月1日号による)。【次ページにつづく】

 

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シノドス国際社会動向研究所

vol.268 

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