タクシン時代、終焉へ――タイ政治、主役交代も分断修復の道筋見えず

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タクシン時代の終焉

 

日本の天皇家とも親しい関係にあるタイ王室だが、政治とのかかわりは象徴天皇制とはまったく異なる。「国王を元首とする民主主義」を掲げるタイは立憲君主制とされるが、プミポン前国王は70年にわたる治世の間、重要な局面で超絶的な政治力を発揮してきた。軍のクーデターの成否を決めるのも前国王次第だった。政局や社会が混乱した時、調停者として国民の前に現れた。国民を思いやり、莫大な王室財産を投じて地方や貧困層向けの福祉活動を長年続けてきた「徳」を国民が認めていたから調停は絶対とみられてきた。

 

ところが、06年のクーデター以降、前国王は期待されていた調停役を果たすことがなかった。前国王やシリキット王妃を取り巻く王党派は反タクシンで一致し、とても中立な立場だったとはいえない。前国王が調停に乗り出しても、国民の過半数を占めるタクシン派の納得が得られる状況ではなかった。

 

タクシン元首相と付き合いがあるとみられていた現国王が即位し、状況が変わるのか注目されていた。タイの王室は以前から情報のブラックボックスだが、プラユット首相をはじめとする軍政上層部、プレム氏が議長を務めていた枢密院が現国王と円滑なコミュニケーションをとれていないことは間違いなさそうだった。

 

軍政は昨年末、延期を繰り返していた総選挙の日程をいったん2月24日と決定した。ところが元日になって国王側は戴冠式を5月に実施すると発表、投票日は再び延期された。

 

16年10月に前国王が死去した直後には「国民とともに喪に服したい」として軍政の要請を拒んで即位を先送りした。

 

2017年に制定された現憲法も、国民投票を経た後で国王が変更を求め、軍政は応じざるを得なかった。国王が海外に出るときに摂政を置くとした規定をなくし、憲法に明文規定がないときは憲法裁長官らの合議に任せるとする条文を削除した。国王の権限は格段に強まった。国王の意を軍政が事前に察知できない状況が続いているようだ。

 

18年6月には王室財産局名義だったサイアム・セメントやサイアム商銀株を国王個人の名義に切り替え筆頭株主となり、王室資産の管理運営権限を絶対的なものとした。米誌フォーブスは08年、前国王の資産を350億㌦と推定。世界一の裕福な王族と紹介している。

 

国民の絶対的な支持を受けた前国王に比べ、現国王の「徳」やカリスマは足元にも及ばない。皇太子時代から行動を予測することが難しい人と周囲やメディアには受け止められてきた。代替わり以降、独自の権限を強めようと模索している様子がうかがえる。

 

王女擁立を断念させた国王の声明は「すべての王族は政治的に中立である」「特定の政治的立場をとることはできない」と述べている。06年以降、国王や王妃を取りまく王党派が「政治的に中立」だったとは言えず、その状態は前国王亡き後も軍政、司法、枢密院などの支配層で続いている。そうしたなかで出された声明は、直截的には王女の擁立を退けるものだとしても、タクシン派からすれば、本当に「中立」ならばありがたいという話だった。

 

しかし現国王のその後の動きを見ると、前の時代と変わらず、タクシン派には厳しく対応するようにみえる。元首相が恩赦で帰国する可能性も当面はない。来月で70歳になる元首相の政治的な影響力は今後次第に薄れていくだろう。これまでは選挙で大勝し再び政権の座に就くことや王室の代替わりで状況が変わる希望が支持者にはあったが、いずれも先行きが見通せなくなった。

 

 

新星現る

 

タクシン派の受け皿は、40歳の党首タナトーン氏が率いる新未来党だ。反軍政を訴え、総選挙で予想を大きく上回る80議席を獲得した。

 

 

総選挙の最後の集会で演説する新未来党のタナトーン党首=3月22日、バンコクで柴田直治撮影

 

 

選挙戦最後の晩、私はバンコクで催された主要政党の集会をライドシェアのグラブバイクにまたがってはしごした。中心部のスタジアムで国民国家の力党が催した集会の大トリにプラユット氏が登場した。ひと昔前のヒット曲を歌い、過去5年の実績をアピール。「すべての人々を豊かにする」と訴えた。行政府の長としての遠慮からか、それまでは集会に登壇することはなく、ビデオメッセージを寄せるだけだったが、最後の集会ということで初めて聴衆の前に姿を現した。首相の登場では盛り上がったものの、野外のスタジアムということもあってか空席が目立ち、ほとんどの参加者は明らかに動員と分かる形で集団行動していた。タクシン派政党がより大きなスタジアムを満杯にした過去の集会を何度も見てきた私の目には熱気に欠けるように映った。

 

 

総選挙最後集会で演壇にたつプラユット首相=3月22日、バンコクで柴田直治撮影

 

 

それに比べタクシン派のタイ貢献党と新未来党はそれぞれ体育館を満員にして次々に弁士を登壇させ活気があった。とくに新未来党では午後10時近くになってタナトーン党首がステージに上がると、熱気は最高潮に達した。

 

 

新未来党の集会はタナトーン党首の登場で最高潮に=3月22日、バンコクで柴田直治撮影

 

 

タナトーン氏は、軍政の継続に反対する人々、なかでも都市リベラル層や知識階級の心をつかんだようにみえる。これまでは「タクシンは必ずしも好きではないが、民主主義の原則から外れた軍政は支持できない」と考えてきた人たちだ。北部、東北部では元首相の支持は根強いが、今後、反軍政、反プラユット派の求心力はタナトーン氏へ向かうとみられる。

 

軍や王党派は早速、新未来党を盛んに牽制している。警察は選挙後、2015年6月の反軍政デモにからむ扇動容疑を持ち出してタナトーン氏を事情聴取した。さらにメディア関連企業の株の所有者の立候補を禁じる法に違反したとして選管が憲法裁に審理を申し立て、議員資格が停止された。解党の申し立てもされており、体制派から攻撃のターゲットになっている。

 

 

世界最悪の格差国家

 

軍はクーデターに際し大きく3つの公約を掲げた。国民和解、政治改革、汚職追放である。タクシン氏らの「腐敗」を糾弾し、元首相や周辺の汚職の追及に力をいれてきた。前政権が実施したコメ担保融資制度に伴う汚職を防止せずに国に損害を与えたとする「職務怠慢」でインラック前首相らを訴追した。

 

ところが軍政も過去5年間、その腐敗ぶりを世間にさらし続けた。国際NGO「トランスペアレンシー・インターナショナル」が公表する「腐敗認識指数」ランキングで、タイは16年、176か国中101位と前年の76位から大きく順位を下げた。

 

軍でプラユット首相の先輩にあたり、政権の中枢を担うプラウィット副首相が超高額の時計を20個以上も取っ替え引っ替え着用していたことがネットユーザーに暴かれ、資産報告をしていないことが明らかになった件は世間を呆れさせた。「知人から借りた」との弁明を首相も受け入れ、国家汚職追放委員会も不問に付したことは、汚職摘発が公平にされていない印象を残した。

 

過去繰り返されてきたクーデター後の民政移管までの期間と比べても、今回の5年は異様な長さである。その間、5人以上の集会を禁じ、批判者を不敬罪で投獄して反対派を排除した。タクシン派と対話を試みるなど和解の道筋を探った形跡はなく、言論や政治活動を力で封じ込めることで安定を演出したに過ぎない。我田引水で進めた政治改革は選挙後の体制維持には寄与しても、社会の分断を癒す術にはなっていない。

 

クレディスイスが世界40カ国を対象に経済格差を調べた昨年の調査で、タイは1%の富裕層が国の富の66・9%を占有する世界最悪の格差国家とされた。2年前の調査では58%では3位。軍政下で格差は拡大し続けた。国民和解への道筋は政治だけでなく経済や生活面でも見通せないままだ。

 

クーデターのあった14年の0・9%を底に経済成長率は持ち直しつつあり、昨年は4・1%を記録した。軍政の経済政策を主導してきたソムキット副首相は、長期計画の「タイランド4・0」や東部経済回廊開発の推進、環太平洋経済連携(TPP)への参加検討などでさらなる成長をめざすという。軍政は昨年後半から総選挙を意識して最低賃金を引上げ、国民の2割にあたる1450万人に「新年の贈り物」として一律500バーツ(1750円)を配り、高齢者には通院費補助千バーツを支給した。批判してきたタクシン派政権のばらまきを上回る規模の大盤振る舞いである。

 

軍政は自ら定めた非常大権・暫定憲法44条を使って政権運営をフリーハンドで進めてきたが、今後この手は使えない。命令することで軍や軍政も仕切ってきたプラユット首相は議会での野党の追及に耐えられるだろうか。

 

チュラロンコン大学のティティナン准教授はバンコクポスト紙で「民主制への回帰というより、軍主導の権威主義政権の長期化をもたらす」と総選挙を総括した。しかし私は新政権の寿命が長いとは必ずしも予想しない。軍内部がいつまでも一枚岩であるかも分からない。経済成長を国民、なかでも地方の農民や都市労働者に実感させることができなければ政権運営は早晩行き詰まるだろう。選挙で民意が反映されないと思いつめれば、赤シャツなどの街頭活動が復活することもあり得る。予測困難な国王の出方によっては政治・社会情勢が大きな影響を受けるかもしれない。

 

「微笑みの国」の行く末は見通せない。

 

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