誤解だらけの「日米地位協定」

在日米軍が事故や犯罪を起こすとニュースに登場する日米地位協定。名称は聞いたことがあるけれど内容はよく知らない、という人が多いのではないでしょうか。まして、協定の条文そのものを見たことがある人は、そんなに多くはないでしょう。でも、どうも問題があるようだ、そう思っている人は少なくないはずです。

 

日米地位協定の問題が日本全国で広く共有されるようになったのは、1995年以降のことです。意外と最近ですね。

 

きっかけは沖縄で起きた事件でした。米兵三人が沖縄の商店街で12歳の小学生一人を拉致し、人気のない海岸まで連れていき、レイプしたのです。三人は拘束されましたが、米軍が身柄を確保し、起訴するまでは日本の警察に引き渡さないという態度をとります。米軍は沖縄県警による三人の取り調べにも非協力的でした。

 

日本国内で起きた日本人が被害者の犯罪で、どうして被疑者の身柄確保も通常の取り調べもできないのか。日米地位協定がそれを許していたからです。こうして、その不条理さゆえに、日米地位協定が注目されることになります。

 

このとき、アメリカ駐日大使館が事態を重く見て、在日米軍に働きかけ、沖縄県警による被疑者の取り調べを実現させましたが、日米地位協定じたいは改定されませんでした。現在に至るまで、在日米軍による大きな事故や犯罪は数多く起きているのに、1960年にできた日米地位協定は一度も改定されたことがありません。なぜでしょう?

 

そこで本稿では、日米地位協定とはどういう内容のもので、どのような問題があり、なぜ問題が解決されないのかを、よく聞かれる疑問を中心に、Q&A形式にまとめて解説していきます。あわせて、巷に流布している、日米地位協定に関する様々な誤解についても指摘したいと思います。

 

 

Q1.日米地位協定ってなに?

 

日米地位協定とは、日本に駐留する米軍の地位についての取り決めです。その意味では、在日米軍地位協定といった方が本当は正確でしょう。戦争中でもないのに外国の軍隊が自国に駐留する。第二次世界大戦より前には、植民地や保護国でしかありえないことでした。

 

外国軍が自国に駐留するときに問題となるのが、自国の法律を適用するかどうかです。駐留する側からすれば、できるだけ行動を制約されたくない。駐留させる側からすれば、自国の領土内にいる以上は、自国の法律を守らせたい。そのせめぎ合いの中で、外国軍にどこまで自国の法律の例外を認めるかを定めたのが、地位協定というわけです。したがって、地位とは特権といいかえてもよいでしょう。

 

具体的にいうと、日米地位協定では、在日米軍の(1)基地の使用、(2)訓練や行動範囲、(3)経費の負担、(4)身体の保護、(5)税制・通関上の優遇措置、(6)生活、に関する特権を保証しています。

 

 

Q2.どうしてできたの?

 

日米地位協定は1960年、日米安全保障条約(以下、安保条約)の改定と合わせて、日米行政協定の全面改定という形で成立しました。日米行政協定が占領期の米軍の特権を温存した取り決めとして、当時の世論から強い批判をあびていたことが、全面改定の背景にあります。

 

原型である日米行政協定は1952年、サンフランシスコ講和条約と安保条約の発効直前に調印されました。安保条約と相互補完的な内容なのに、日米行政協定の成立が安保条約よりも半年近く遅れたのは、その内容をめぐって日米両国の交渉が難航したせいです。

 

そもそも、アメリカ政府が用意した草案の段階では、安保条約と日米行政協定は一つのものでした。アメリカの草案は、太平洋戦争後に日本を占領した連合国軍が持っていた特権を、そのまま残す内容となっていました。サンフランシスコ講和条約が発効して日本が独立した後も、占領期に米軍が使っていた基地はそのまま使用でき、自由に拡張できる。米兵や米軍属とその家族が起こす事故・犯罪について、日本側は刑事裁判権を持たない、などなど。

 

ちなみに、どうして日本の独立後も米軍が引き続き駐留したのか。米ソ冷戦の中、アジアで共産主義勢力に対抗するための拠点として、アメリカが日本を必要としたからです。

 

さて、日本政府はアメリカの草案を見て怒ります。日本が独立しても、実質的に米軍の占領が続く内容です。しかし、当時まだ占領されていた日本は交渉上、弱い立場にありました。そこで、米軍の日本駐留の権利だけを書いた条約と、駐留米軍の特権について詳しく定めた協定の二つに分けることを、アメリカに提案して受け入れられます。前者が安保条約、後者が日米行政協定となります。

 

在日米軍関係者の事件・事故で、日本側が一切の刑事裁判権を持たないという規定は、1953年に改正されます。しかし、日本は「重大犯罪」を除いて一次裁判権を行使しない、という日米合意が密かに結ばれ、米軍関係者の事件・事故のうち、日本が裁判権を行使したのは全体のわずか2%にとどまりました。

 

では、1960年に成立した日米地位協定で、日米行政協定の不平等な内容はどの程度改善されたのでしょうか。それを解説するには、まず日米地位協定合意議事録について説明しなければいけません。

 

 

Q3.日米地位協定合意議事録、なにそれ?

 

一言でいうと、日米地位協定の本文に反して、それ以前の日米行政協定で規定されていた、在日米軍の特権を温存する日米合意です。

 

日米地位協定議事録の存在はほとんど知られていません。それもそのはず、新安保条約と日米地位協定は調印後に国会で審議されますが、日米地位協定合意議事録は国会に提出されていません。大多数の国民の目に触れることなく、成立しているのです。

 

岸信介首相のもと、動員された警察官500人が社会党議員を排除、自民党による強行採決で新安保条約と日米地位協定は可決されます。岸内閣への批判と退陣要求が全国で沸き上がり、安保闘争に発展します。結局、1960年6月19日に条約と協定が自然承認されると、岸内閣は総辞職しました。その4日後、日米地位協定合意議事録はひっそりと、官報号外に掲載されたのみでした。

 

この知られざる日米地位協定合意議事録は、日米地位協定の本文より重要です。協定本文ではなく合意議事録にしたがって、日米地位協定が運用されているからです。

 

2004年、普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)に隣接した沖縄国際大学に、訓練中の米軍ヘリが墜落。学長などが仕事をする本館に激突して、建物ごと炎上しました。事件発生後、約100名の米兵が普天間飛行場と大学を隔てるフェンスを乗り越え、大学構内に無断進入。一週間もの間、大学を占拠・封鎖します。

 

日米地位協定第17条第10項bは、米軍基地外での米軍事故・犯罪の捜査について、米軍は「必ず日本の当局との取極に従う」と規定しています。ところが、沖縄国際大学を占拠した米軍は、日本側の事故現場立ち入りを一方的に禁じました。

 

米軍のこの行動を可能にしたのが、日米地位協定合意議事録です。合意議事録では、日米地位協定の規定とは逆に、日本当局が「所在のいかんを問わず合衆国軍隊の財産について、捜索、差押え又は検証を行なう権利を行使しない」と、取り決めています。

 

なぜ、不平等な日米行政協定の改定という趣旨に反して、在日米軍の特権を温存する日米地位協定合意議事録がつくられたのか。

 

日米行政協定の全面改定に、米軍部が強硬に反対したからです。もともと米軍部は、日米行政協定の維持を条件に、安保条約の改定に同意していました。岸内閣も最初、米側の条件に同意します。ところが、岸首相のライバルの自民党政治家である河野一郎、池田勇人、三木武夫らが、「国民の日常生活に直接関係する行政協定の改定こそ最も大事」と主張、岸首相も無視できなくなります。

 

安保条約の改定交渉が始まってから、日米行政協定の改定、という話が浮上し、米軍部は反発しました。しかし、アメリカ駐日大使館のダグラス・マッカーサー大使(同姓同名の連合国軍最高司令官の甥)は、自民党内から圧力を受ける岸の政治的立場に配慮して、在日米軍の既得権益を守るという条件で、日米行政協定の改定を受け入れます。

 

そして、マッカーサー大使の意思をくみとった外務省が提案したのが、国民に知られないよう、日米行政協定の運用を引き継ぐことを日米両政府の合意メモとして残す、日米地位協定合意議事録の作成だったのです。

 

 

Q4.日米合同委員会が諸悪の根源?

 

日米地位協定とセットで批判される存在として、日米合同委員会があります。日米地位協定の「密約製造マシーン」、(協議内容が原則として公開されないことから)「ブラックボックス」、などと呼ぶ識者もいます。

 

この理解は誤りです。

 

日米合同委員会というのは、日本政府の代表として外務省北米局長、アメリカ政府の代表として在日米軍司令部副司令官が出席し、在日米軍の運用や基地の提供・返還について話し合う場です。旧安保条約の成立時に世論の批判を恐れた日本政府が、日米行政協定に明記したくない在日米軍の特権については、非公開で協議することを米側に求めた結果、設立されました。

 

日米合同委員会には、日米政府間の新たな合意を決定する権限はありません。合意には別途、正式な閣議決定や、通常の政府代表者同士の合意が行われる必要があります。よって、日米合同委員会で「密約」が結ばれることはありません。

 

では、なぜ日米合同委員会が日米地位協定の諸悪の根源のようにいわれるのか。それは、日米地位協定合意議事録の存在が、沖縄国際大学ヘリ墜落事故が起きるまでは知られておらず、外務省のホームページにも掲載されていなかったからです。日米地位協定ではなく、その合意議事録にもとづいた協定本文の規定に反する運用。それが、日米地位協定合意議事録を知らない人の目には、日米合同委員会で「密約」が結ばれているように見えるのでしょう。

 

 

Q5.ドイツやイタリアと比べて不利?

 

日本政府は、1960年の安保条約改定以来、日米地位協定が「NATO(北大西洋条約機構)並み」、つまり、アメリカのほかの同盟国と比べても不平等な内容ではない、と主張してきました。ただし、安倍晋三内閣は2018年以降、「NATO加盟国間の相互防衛の義務を負っている国と、それと異なる義務を負っている日本の間で地位協定が異なるということは当然あり得る」と、主張を変えています。

 

これに対して、日米地位協定が、NATO加盟国であるドイツやイタリアの地位協定と比べて、どれだけ不平等な内容なのか強調する議論もあります。どちらが正しいのでしょうか。

 

最初に言っておきたいのは、日米地位協定の条文じたいは確かに「NATO並み」です。とりわけ、刑事裁判権に関する規定(日米地位協定では第17条)では、日本もNATO加盟国も不平等を強いられています。基地内外に関係なく、事故や犯罪の加害者が米軍関係者で、公務中に起きた事件・犯罪の場合には、米側が一次裁判権を持ちます。米軍が「加害者は公務中だった」と主張した場合には、日本もドイツもイタリアも大抵、米軍の主張を受け入れざるをえません。

 

また、同盟国の「好意的配慮」があれば、同盟国側が米軍事故・犯罪の一次裁判権を持つ場合でも、アメリカに裁判権を譲ることができます。するとどうなるか。事件・事故を起こした米軍は、同盟国の政府に「好意的配慮」を示すよう圧力をかけてきました。

 

日米地位協定の問題は、Q3で解説した通り、条文というよりもむしろ、日米地位協定合意議事録にもとづいた条文に反する運用です。

 

ドイツやイタリアの地位協定と、日米地位協定との最大の違いは、米軍に対して国内法を適用できるかどうか、だという議論があります。しかし、もしも日米地位協定の条文通りの運用がされていれば、2004年の沖縄国際大学ヘリ墜落事件の際、米軍が大学を一方的に占拠することはなかったでしょう。

 

私は、日米地位協定とドイツ、イタリアの地位協定との大きな違いは、平時と有事の区別の有無にあると思います。

 

ドイツとイタリアでは、平時には米軍の訓練に両国の国内法が適用され、両国政府の事前の許可が必要です。ただし有事には、米軍に国内法は適用されません。ドイツ、イタリアと比べて日本の地位協定が不利だという既存の議論は、どんなときでも米軍の訓練に国内法が適用できるかのように、論じている点が誤りです。

 

他方、日米地位協定の場合には、在日米軍はどんなときでも、非常事態、緊急事態を前提とした基地の使用が認められています。したがって、在日米軍は日常的に、有事を想定した訓練を行っています。深夜や早朝の離発着訓練、低空飛行、パラシュート降下訓練。いずれも米軍基地周辺の住民に、深刻な騒音被害や精神的苦痛を与えるものです。この点は、ドイツやイタリアと比べて、明らかに不利といえるでしょう。

 

 

Q6.「沖縄基地問題」は沖縄の問題じゃないの?

 

沖縄にある在日米軍専用施設の面積は現在、全国の7割を占めています。米軍基地が集中するということは、米軍の訓練も集中するということです。

 

日米地位協定のもとで、在日米軍は昼夜を問わず、有事を想定した訓練を行っています。しかも、在日米軍の訓練は、米軍基地の中だけではなく、その外の日本領空・領海、つまり住民の生活空間でも行われるので、沖縄の住民の日常に戦時状態が持ち込まれることになります。

 

実は、日米地位協定には、在日米軍の基地外の飛行訓練に関する規定がありません。米軍の訓練は、基地の中で行うことが前提だからです。しかし、1960年代に入るとベトナム戦争の影響もあり、在日米軍はジェット機の飛行訓練を増大させます。米軍は、日米地位協定第5条第2項の、米軍機は「施設及び区域に出入し、これらのものの間を移動」できる、という規定を利用します。米軍基地の飛行訓練を、基地から基地への「移動」として正当化したのです。こうして、米軍機が基地の外を飛び回るようになります。

 

沖縄県は大田昌秀県政、稲嶺恵一県政、翁長雄志県政の三代にわたって、在日米軍の飛行訓練を規制するように、日米地位協定の改定を日米両政府に要請していますが、実現していません。なぜか?

 

外務省が1983年に作成した、「日米地位協定の考え方〔増補版〕」にその理由が書かれています。一言でいうと、在日米軍の飛行訓練は周辺諸国への抑止力になっており、日本の安全保障にとって重要だから制限するべきではない。日本政府がそう考えているからです。住民の生活の安全や安心よりも、国防を優先する考え方です。

 

「厚木、横田、普天間、嘉手納の各米軍飛行場については、日米合同委員会で騒音規制措置を取り決めて、深夜・早朝の離発着や低空飛行などを制限しているじゃないか?」、という反論もあるでしょう。実際には、これら4飛行場の騒音規制措置は、米軍の努力目標にすぎません。いずれの規制措置の合意文書にも、在日米軍が必要、もしくは緊急だと判断した場合には、規制が除外されると明記されています。だからこそ、沖縄では日々、米軍機の深夜飛行が問題になっているのです。

 

日本政府が、政治問題化した個別の米軍基地については対処療法を講じながら、国民の安全な生活よりも在日米軍の自由な活動を守ってきたこと。これが基地問題の本質です。日本全国どこでも起こる問題であり、沖縄だけの問題ではありません。

 

ところが、1995年の少女暴行事件が、翌年の普天間飛行場返還合意に結びつくことで、本来は日本全国の問題であるはずの日米地位協定に由来する基地問題は、「沖縄基地問題」へと変質してしまいました。沖縄県と県民は少女暴行事件のようなことが二度と起きないよう、日米地位協定の改定を求めましたが、日本政府は沖縄の要求を鎮めるために、普天間返還というカードを持ち出したのです。

 

そして、事件はくり返されます。2016年、沖縄県うるま市を散歩中の20歳の女性が、強姦目的で路上の女性を物色しながら車を走らせていた米軍属に、後ろから殴りつけられて車内に引きずり込まれ、殺害されました。日本全国どこで、事件が起きてもおかしくありませんでした。在日米軍専用施設が集中している沖縄で起こる確率が高かっただけです。事件を受けて、沖縄県は再び日米地位協定の改定を求めましたが、日本政府はこれを黙殺しました。

 

 

Q7.なぜ変わらない?

 

どうして、米軍の事故や犯罪がくり返されても、日本政府は日米地位協定を改定しようとしないのか。それはQ2で説明したように、安保条約が米軍の日本駐留の権利を書いた「駐軍協定」だからです。

 

NATO加盟国にとっては、NATOの一員であることと、自国に米軍基地を受け入れることは同じではありません。フランスは1966年に、NATOの軍事機構からの脱退を表明し、米軍が駐留する国内の基地をすべて閉鎖しましたが、当時も現在も変わらずNATO加盟国です。フィリピンも1992年、すべての米軍を自国から撤退させましたが、その後も変わらずアメリカの同盟国です。これらの国々は、同盟関係を規定する条約と、米軍駐留に関する協定を別々に結んでいるからです。

 

しかし、安保条約の場合には、同盟関係と米軍駐留が切り離せない構造になっているため、米軍の日本撤退は同盟関係の解消につながりかねません。加えて、日本は戦後ずっと戦争を放棄する憲法9条のもとで、米軍の日本駐留によって安全保障を確保する方針をとってきました。

 

在日米軍にとって不利益でしかない日米地位協定の改定が、米軍の日本撤退につながるリスクをおかしたくない。これが、日本政府の偽らざる思いではないでしょうか。

 

米国務省が2015年に発表した「地位協定に関する報告書」には、米軍を受け入れている国がその存在を必要としていれば、地位協定についての交渉でアメリカは常に優位に立てるとあります。日本はまさにこの典型です。

 

同報告書は、もし受け入れ国の国民が、駐留米軍は自国の主権を侵害しており、不要な存在だと考えれば、アメリカは交渉で不利になるとも指摘しています。日本政府の2015年の世論調査結果によれば、国民の8割超は安保条約を「役立っている」と評価しています。こうした現状では、日米地位協定の改定は簡単ではないといわざるをえません。

 

問われるのは、国の政策以上に、それを支える世論なのです。

 

 

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