2020.05.01
「人間の心」をめぐる新たな安全保障――進化政治学の視点から
はじめに
国際政治学ではこれまで、人間観をめぐり三つの立場が論争を繰り広げてきた。リアリズム、リベラリズム、コンストラクティヴィズムだ。リアリズムによれば、人間は利己的で権力政治に従事する。リベラリズムによれば、人間は社会的でアナーキーの下でも協調ができる。コンストラクティヴィズムによれば、人間の心は空白の石板(blank slate)なので、社会的相互作用を通じてアクターのアイデンティティは変えられる。
こうした国際政治学のパラダイム論争に対して、近年、自然科学の進展を受けて、戦争とは人間の本性(human nature)に根差したものであるという、トマス・ホッブズ(Thomas Hobbes)、ハンス・モーゲンソー(Hans Joachim Morgenthau)をはじめとした政治的現実主義の洞察がふたたび脚光を浴びている(注1)。こうした研究潮流は進化政治学(evolutionary political science)――進化論的視点から政治現象を分析するアプローチ――を科学的基盤とするものであり、たとえば、ローズ・マクデーモット(Rose McDermott)、ブラッドレイ・セイヤー(Bradley A. Thayer)、ドミニク・ジョンソン(D. D. P. Johnson)等の有力な理論家が進化政治学の安全保障研究への応用を試みている(注2)。
だがこうした重要性にもかかわらず、欧米でも進化政治学の全体像や問題点を明らかにしたかたちで国際政治研究に導入した研究は依然として少なく、日本ではほぼ皆無ともいえる状況である。それゆえ戦争と平和の問題に関心を寄せる政治学者にとっては、個々の進化政治学的知見を安全保障研究に組み入れるだけでなく、進化政治学という政治学における革新的なアプローチ自体がいかなる意義や論争をはらんでいるのか、といった点を、哲学的な議論を踏まえつつ方法論に自覚的なかたちで再考することが必要とされている。
本稿では、今年2月に出版された拙著『進化政治学と国際政治理論――人間の心と戦争をめぐる新たな分析アプローチ』をもとに、進化政治学が政治学、とくに安全保障研究にもたらすパラダイムシフトを簡単に紹介したい(注3)。以下では、まず進化政治学の概要を説明した後、その和戦の問題へのインプリケーションを考察する。そして進化政治学への批判を検討して、その政策的インプリケーションを示す。
進化政治学とは何か
進化政治学とは究極的にはアリストテレスを起源としつつも、チャールズ・ダーウィン(Charles Darwin)の『種の起源』において理論的基盤が明らかにされた学問である。日本における進化政治学の第一人者森川友義は、その系譜を以下のようにまとめている。
「ネオダーウィニズムといった形で先駆的に数多くの仮説を提出してきた進化生物学、『進化的に安定的な戦略(Evolutionary Stable Strategy)』を模索したM. スミスを先駆とする進化ゲーム理論、また1980年代からJ. トゥービー、T. コスミディス、D. バス、J. バーコウらを中心とし、 個人あるいは集団内の意思決定を分析してきた進化心理学を通じて、学際的な迂回を行いながら発展してきた。」(注4)
進化政治学には三つの前提がある。第一に、人間の遺伝子は突然変異を通じた進化の所産であり、政策決定者の意思決定に影響を与えている。第二に、生存と繁殖が人間の究極的目的であり、これらの目的にかかわる問題を解決するために、自然淘汰(natural selection)と性淘汰(sexual selection)を通じて脳が進化した。第三に、現代の人間の遺伝子は最後の氷河期を経験した遺伝子から事実上変わらないため、今日の政治現象は進化的適応環境(environment of evolutionary adaptedness)――人間の心理メカニズムが形成された時代・場所、実質的には狩猟採集時代を意味する――の行動様式から説明される必要がある(注5)。
戦争の進化論的起源――合理的理論と既存の諸パラダイムの限界
政治学、そしてその下位分野である安全保障研究では、利益極大化に反する利他行動や自己破壊的な暴力(引き合わない戦争・自爆テロ等)など、合理的アプローチ(政治学の標準的なアプローチ)で説明困難な非合理的行動がしばしば研究対象とされる。これに対して、進化政治学の一つの学術的意義はこうした逸脱事象を説明できることにある。
たとえば、なぜ人々は排外的ナショナリズムに熱狂し、費用便益の観点からは理解できない引き合わない戦争を支持するのか。こうしたパズルに対して、進化政治学は以下のような科学的根拠を備えた答えを与えている。
内集団(in-group)に対する利他主義と外集団(out-group)に対する敵意は、グローバリゼーションやリベラル啓蒙主義が流布した現代世界ではしばしば非合理的だが、それらは集団間紛争が絶えなかった狩猟採集時代には、人間が生存・繁殖をしていく上で合理的な装置だった。狩猟採集時代から現代にかけて環境は大きく変わったが、心理メカニズムの進化は環境の変化に大きく遅れてなされるので、現代の人間は今でも狩猟採集時代の心の仕組みに従って行動してしまう(注6)。それゆえ、依然としてわれわれはしばしば排外的ナショナリズムに熱狂して、非合理的な戦争を支持してしまうのだ。
あるいは、なぜ人間は自己の命を犠牲にしてまで、愚かな自爆テロを試みるのか。進化政治学は合理的アプローチでは説明できないこうした逸脱事象の原因をめぐり、既存の安全保障研究で見逃されていた興味深い知見を提供してくれる。セイヤーとヴァレリー・ハドソン(Valerie M. Hudson)は、繁殖資源が希少な生態学的環境と、人間に備わっている生物学的動因(この際、自己の遺伝子コピーの極大化)が、自爆テロの主な原因だと主張している。
人間に限らず生物全般にいえるが、一夫多妻制は繁殖資源の希少性を生みだし男性の暴力を増長する。こうした社会的状況のもと、自爆テロはそれを行った親族の地位を上げて彼らの生存・繁殖可能性を増大させるため、包括適応度(inclusive fitness)――血縁者の生存・繁殖可能性――を上昇させる上では合理性なのだ。このような進化論的論理を踏まえて、セイヤーとハドソンはデータに裏付けられたかたちで、宗教的理由から一夫多妻制が普及しているイスラム世界で自爆テロが頻発する論理を説明している(注7)。
ジョン・オーベル(John Orbell)と森川友義は、太平洋戦争における日本の神風特別攻撃隊を事例として、セイヤーとハドソンと同様、包括適応度の視点から自爆テロの論理を説明している。オーベルと森川によれば、自爆テロリストは血縁者の生存・繁殖可能性を上昇させるため、自らの命を犠牲にしているのであり、こうした行為は個体の視点からは非合理的だが、遺伝子の視点からは一定の合理性がある(注8)。また、有力な学術雑誌サイエンス(Science)においてスコット・アトラン(Scott Atran)は進化論的発想にもとづき、自爆テロは所属集団が消滅する危機におかれている構成員がとりうる合理的行動だと主張している(注9)。
さらに、アクターの非合理的行動を解明するのみならず、進化政治学は既存の安全保障研究に、自然科学の視点から科学的裏付けを与えられる。国際システムのアナーキーを例に挙げよう。リアリズムは国際システムがホッブズのいう悲惨な自然状態(state of nature)――司法・警察が機能する余地のない無慈悲な自助の体系――と主張する。それに対し、リベラリストは民主主義やグローバリゼーションの拡大・深化で、アナーキーの下でも平和は実現できると反論する。またコンストラクティヴィストはリアリズムの悲惨なアナーキー観が自己充足の予言(self-fulfilling prophecy)だと論じる。
しかし、ここで見逃されている問題は、上記のパラダイム論争が多くの場合、科学的根拠を欠いているということである。こうした国際政治学の知的な停滞に対して、進化政治学はリアリズムのアナーキー観が科学的に妥当だという一つの答えを示唆している。
進化政治学によれば、リアリズムが依拠するホッブズの自然状態論は、集団淘汰論(group selection)や部族主義(tribalism)の心理メカニズムといった科学的知見により裏付けられる。人間はアナーキーな狩猟採集時代に小規模集団を形成し、敵集団との恒常的な紛争状態の中で過ごしてきた(注10)。そこでは、上手く団結して協力体制を作った集団は、それに失敗した集団に打ち勝ってきた(注11)。こうした状況が、集団内協調と集団間競争を同時に志向する心の仕組みを生みだしたのだ。
つまるところ、世界的に圧倒的な影響力を誇る、心理学者であり進化政治学者でもあるスティーブン・ピンカー(Steven Pinker)が論じているように、現代の自然科学の進展はロック(John Locke)やルソー(Jean-Jacques Rousseau)でなく、ホッブズが想定する悲惨なアナーキー観が正しかったことを明らかにしている(注12)。そして、その安全保障研究へのインプリケーションは、リベラリズムやコンストラクティヴィズムでなく、リアリズムのアナーキー観が科学的に妥当だったということだ。
しばしば安全保障研究のパラダイム論争では中庸が善とされる――リアリズムにもリベラリズムにも各々良さがある等。だが、信頼に値する科学的証拠を前にしたとき、われわれはときとして任意のパラダイムの優位性を強く主張したり、脈々と引き継がれてきた政治思想の伝統が科学的に誤っていたと、潔く認めたりすることが必要なのである。
進化政治学は平和を説明できるか――「暴力の衰退」説と合理的楽観主義
逆もまた然りである。リアリストの残忍な予測に反して、世界は日に日に平和になっている。安全保障研究は世界で紛争が起これば起こるほど儲かる職業なので、米中戦争や第三次世界大戦は不可避だといった宿命論は、多くの論客を魅了する。だが残念ながら、出たがりの軍事アナリストの私的な期待を裏切るかのように、実際、歴史の長期的趨勢は多様な次元で暴力――戦争、殺人、ジェノサイド、内戦、テロリズム、動物虐待など――が衰退する方向に進んでいる。こうした進展は統計的データによりしっかりと裏付けられている(注13)。
たとえば、われわれはもはや奴隷制や魔女狩りを肯定することはなくなったし、ナショナリズムの衝突に起因する大国間戦争は滅多に起こり得なくなった。こうした平和的変化は、中央集権政府が成立して国内のアナーキーが克服されたり、教育により人間がリベラル啓蒙主義を内面化したりすることで可能になってきた(注14)。これが提出されてから今に至るまで全世界を席捲している、合理的楽観主義者(rational optimist)が支持するピンカーの「暴力の衰退」説である(注15)。
しかし、ここで一つの疑問が生じる。なぜこれまで一般大衆や研究者は、こうした統計学的真理を見過ごして、「冷戦の再来」といった悲観的な言説を信じてきたのだろうか。進化政治学者によれば、実はこの誤認識は認知バイアスとメディアの構造的偏向に起因しているのだ。
第一に、利用可能性ヒューリスティクス(availability heuristics)――素早くリスクを評価して、想起が容易な事象にもとづいて状況を判断するバイアス――により、人間は一日では成し遂げられない平和的な動向よりも、突然起こる悲劇に注目してしまう。第二に、ネガティヴィティ・バイアス(negativity bias)――環境を評価する際、肯定的現象よりも否定的現象を優先的に認知する傾向――は、人間を平和より暴力に目を向けるように仕向ける(注16)。
第三に流血優先――血が流れているニュースを優先的に報道する――というメディアの記事選別基準は、世界が破滅に向かっているような印象を強化する。ピンカーの言葉を借りてまとめれば、「『血が流れればトップニュースになる』という報道番組のモットーが『記憶に残るものほど頻繁に感じる』という認知の短絡を助長し、『誤った不信感』と呼ばれるもの」をもたらしているのだ(注17)。
ところで、「暴力の衰退」説をめぐるリベラル啓蒙主義的主張は、進化政治学にもとづいた安全保障研究に一見、重大な挑戦を突き付けているように思われる。それは仮に進化政治学が前提とする心の仕組みが不変ならば、なぜ国際政治が平和的なものへと変化しうるのかというパズルである。だがどうやら幸運にも――仮に進化政治学を擁護したいなら――、こうしたパズルの存在は、安全保障研究における進化政治学のレレバンスを削ぐものにはならなさそうだ。
というのも「暴力の衰退」説の提唱者のピンカー自身が明らかにしているように、このような人類史上の平和的変化は、生得的要因――心理メカニズム、遺伝子、人間本性等の生物学的要因――の変化でなく(注18)、環境的要因――産業化・学力の向上等のリベラル啓蒙主義的要因――のそれに起因するからだ(注19)。
「暴力の衰退」が人間本性の変化でなく、環境的要因のそれに起因するなら、進化政治学的変数の影響力自体は低減していないことになる。指導者はときとして怒りや過信に駆られて攻撃的政策をとり、ナショナリズムはしばしば国家間紛争を熾烈化させるが、こうした戦争に向けた人間本性の因果効果は、民主主義の進展や学力・識字率の向上といった、平和に向けた環境的・後天的要因によって相殺されるというわけだ。
進化政治学者は古典的リアリストのように、科学的根拠を欠いた悲観主義的な政治思想を提示しているわけではない(注20)。彼らは社会政治現象にかかる遺伝的要因と環境的要因の相互作用を理解しており、科学的裏付けを備えた議論を提示している。現実的にいって、世界は平和に向かって進展しており、そこにはわれわれが楽観的になれる十分すぎるほどの科学的根拠があるのだ。
進化政治学への批判――科学主義と還元主義
ところで、進化政治学にもとづいた安全保障研究は、広義には自然科学の知見を社会科学に導入するものだが、残念ながらこうした点にはしばしば、「人文学や芸術や社会科学の豊かな内容が、ニューロンや遺伝子や進化の推進力がどうしたとかいう一般的な話に書き換えられてしまう」という懸念の声が寄せられる(注21)。
たとえば国際政治学では、理論家の事例研究は、複雑な歴史を矮小化しているという批判がしばしば外交史家から加えられる。ここにおいて、外交史家は自らの豊かな歴史的叙述が、独立変数や従属変数といった無味な科学的概念に置き換えられてしまうことに、嫌悪感を示しているのだろう。彼らが自覚的か否かは別としても、こうした嫌悪感は哲学的には科学主義(scientism)――自然科学的概念・方法が、他の研究分野でも唯一の適切な要素だという信念、あるいは還元主義(reductionism)といった概念とかかわるものだ。
だが、上記の自然科学を社会科学に導入することに対するネガティブな見解は、重大な誤解に起因している。第一に科学主義をめぐる批判は、方法論的自然主義(methodological naturalism)によれば(注22)、自然科学が人文学・社会科学の豊かな洞察を失わせるのでなく、それを科学的に強化するかたちで補完する役割を果たせることを見逃している点で妥当でない(注23)。
第二に還元主義をめぐる批判は、あらゆる還元主義を一様に悪者に見なしている点で的を射ていない。還元主義には、悪性のもの〔貪欲な還元主義(greedy reductionism)・破壊的な還元主義(destructive reductionism):ある現象を最小の要素やもっとも単純な要素で説明しようとする試み〕と、良性のもの〔階層的還元主義(hierarchical reductionism):ある知識分野をほかの知識分野で置き換えるのではなく、それらを結びつけて一つにまとめるもの〕があり、自然科学的手法への批判者は往々にして、前者のことばかりを論じている。
良性の還元主義、すなわち階層的還元主義によれば、異分野の知識を融合することで、一つの学問分野に固執していたら発見できなかった創造的知見を生みだせるようになる(注24)。哲学者であり脳科学者でもあるパトリシア・チャーチランド(Patricia Smith Churchland)が鋭く指摘しているように、「科学はけっして芸術や人文学に取って代わろうとして」いないので、われわれは自然科学の知見を自らの研究に取りいれることを恐れる必要はない(注25)。実際、先見の明のある安全保障研究者はすでに、こうした学際的研究に着手し始めている(注26)。
おわりに
以上が進化政治学をめぐる学術的議論だが、その政策的インプリケーションはいかなるものだろうか。第一に政策決定者は、進化過程で備わった様々な認知バイアスの陥穽に留意する必要がある。たとえば、ネガティヴィティ・バイアスや楽観性バイアス(optimism bias)は、アメリカの政策決定者に中国の脅威を過大評価させて、さらにそれを自国の圧倒的な軍事力で抑え込めると過信させるかもしれない(注27)。こうしたバイアスの陥穽を防ぐためには、悪魔の代弁者(devil’s advocate)(注28)(要説明)を任用するなどして、新たな政策決定構造を構築する必要がある。
第二に、政策決定者は他国の政策決定者が合理的アクターでない可能性を考慮にいれ、安全保障政策を策定する必要がある。進化過程で人間はサンクコストを回収するためにコミットメントをエスカレーションさせたり、勝ち目がないと分かっていてもリスクを冒してイチかバチかの開戦に踏み切ったりする心理メカニズムを備えるに至った。
たとえば、われわれは北朝鮮の指導者がなぜ瀬戸際外交を続けるのか、あるいはアメリカがなぜヴェトナム戦争の泥沼にはまったのかと疑問に思うが、それはあくまで人間の心を「空白の石板」とみなす、ミクロ経済学的合理性仮定に立つ際に浮上するパズルである(注29)。これに対して、心の仕組みを考慮したかたちで政治現象の解明を目指す進化政治学は、アクターが損失のドメインでリスク追求行動をとったり、サンクコストを回収するためにコミットメントをエスカレーションさせたりすることを予測する(注30)。
現実世界における国家の指導者は、シェリング(Thomas Schelling)のゲーム理論が想定するような、冷徹な合理的アクターではなく、感情をもつ生身の人間である。それゆえ、つまるところ、政策決定者は進化政治学的予測に由来するアクターの非合理的行動を考慮しつつ、安全保障政策を策定する必要があるのだ。
第三に政策決定者は国民の心理バイアスを利用して、グランド・ストラテジーの転換をもたらすことができる。集団淘汰論、内集団バイアス等が示唆するように、外集団(out-group)の脅威は内集団(in-group)の一体感を高めて、集団構成員間で外的脅威に対処するための攻撃的行動への同意を生む(注31)。
したがって、たとえば日本は憲法9条や非核三原則により軍事的に大きく拘束されているが、仮に同国の政策決定者がそれらの撤廃を望むなら、それは外的脅威――中国の台頭、北朝鮮のミサイル、アメリカから見捨てられる恐怖など――を煽るかたちで行うのが賢いだろう。
最後に進化政治学というプリズムを通した安全保障への視座をまとめたい。それは端的にいえば、二つのメッセージに集約される。一つ目はリアリズムが論じるように、戦争は人間の本性に根差した自然な現象だということ。ロックやルソーがいう楽観的な自然状態論は科学的には誤っており、ホッブズ的なそれが正しいのである。二つ目は戦争をなくすためには、教育や国際制度といった環境の整備が不可欠だということ。この点はリベラリズムが正しい。戦争はしばしば人間本性に起因するから、その負の因果効果を環境的要因で相殺する必要があるのだ(注32)。
科学とリベラル啓蒙主義の力を信じて、戦争の正しい原因とその処方箋を知れば、世界はもっと平和にできる(注33)。つまるところ、進化政治学が示す一つの希望は、われわれがマッド・リドレー(Matt Ridley)のいうところの合理的楽観主義者になれるということなのだ(注34)。
注
(注1)Azar Gat, “So Why Do People Fight? Evolutionary Theory and the Causes of War,” European Journal of International Relations, Vol.15, No. 4 (November 2009), pp. 571-599; A. C. Lopez, “The Evolution of War: Theory and Controversy,” International Theory, Vol. 8, No. 1 (October 2016), pp. 97-139; and Stephen Peter Rosen, War and Human Nature (Princeton: Princeton University Press, 2007).
(注2)Bradley A. Thayer, “Bringing in Darwin: Evolutionary Theory, Realism, and International Politics,” International Security, Vol. 25, No. 2 (Fall 2000), pp. 124-151; Bradley A. Thayer, Darwin and International Relations: On the Evolutionary Origins of War and Ethnic Conflict (Lexington: University Press of Kentucky, 2004); Anthony C. Lopez, Rose McDermott, and Michael Bang Petersen, “States in Mind: Evolution, Coalitional Psychology, and International Politics,” International Security, Vol. 36, No. 2 (Fall 2011), pp. 48–83; and D. D. P. Johnson and D. Tierney, “The Rubicon Theory of War: How the Path to Conflict Reaches the Point of No Return,” International Security, Vol. 36, No. 1 (Summer 2011), pp. 7-40.
(注3)伊藤隆太『進化政治学と国際政治理論――人間の心と戦争をめぐる新たな分析アプローチ』(芙蓉書房出版、2020年)。
(注4)森川友義「進化政治学とは何か」『年報政治学』第59号第2巻(2008年)218頁。
(注5)同上、219頁;Ryuta Ito “The Application of Evolutionary Political Science to International Relations: The Case of Realist Theory,” paper presented at the 2019 annual convention of the International Studies Association, Denver, Colorado.
(注6)このことを齟齬(mismatch)あるいは適応齟齬(evolutionary mismatch)という。Lopez, McDermott, and Petersen, “States in Mind,” p. 55.
(注7)Bradley A. Thayer and Valerie M. Hudson, “Sex and the Shaheed: Insights from the Life Sciences on Islamic Suicide Terrorism,” International Security, Vol. 34, No. 4 (March 2010), pp. 37-62. 同論文に対する批判とそれに対するセイヤーらからの応答は、Mia Bloom, Bradley A. Thayer, Valerie M. Hudson, “Life Sciences and Islamic Suicide Terrorism,” International Security, Vol. 35, No. 3 (December 2010), pp. 185-192を参照。
(注8)John Orbell and Tomonori Morikawa, “An Evolutionary Account of Suicide Attacks: The Kamikaze Case,” Political Psychology, Vol. 32, No. 2 (April 2011), pp. 297-322.
(注9)Scott Atran, “Genesis of Suicide Terrorism,” Science, Vol. 299, No. 5612 (March 2003), pp. 1534-1539.
(注10)Lopez, McDermott, and Petersen, “States in Mind.”
(注11)ジョナサン・ハイト(高橋洋訳)『社会はなぜ左と右にわかれるのか』(紀伊国屋書店、2014年);David Sloan Wilson and E. O. Wilson, “Rethinking the theoretical foundation of sociobiology,” The Quarterly Review of Biology, Vol. 82, No. 4 (December 2007), pp. 327-348; and David Sloan Wilson and E. O. Wilson, “Evolution ‘for the Good of the Group’,” American Scientist, Vol. 96, No. 5 (September 2008), pp. 380-389.
(注12)スティーブン・ピンカー(山下篤子訳)『人間の本性を考える――心は「空」白の石版」か』全三巻(NHK出版、2004年)。
(注13)スティーブン・ピンカー(幾島幸子・塩原通緒訳)『暴力の人類史』全2巻(青土社、2015年)。International Studies Reviewは2013年に、「暴力の衰退」説をめぐる特集号を組んでいる。Nils Petter Gleditsch et al., “The Forum: The Decline of War,” International Studies Review, Vol. 15, No. 3 (September 2013), pp. 396-419. 安全保障研究者の直感に反して、内戦、ジェノサイド、テロリズムといった冷戦後の新たな形の暴力ですら衰退傾向にあり、ピンカーはこのことを「新たな平和(new peace)」と呼んでいる。
(注14)Steven Pinker, Enlightenment Now: The Case for Reason, Science, Humanism, and Progress (New York: Viking Press, 2018).
(注15)Michael Shermer, The Moral Arc: How Science Makes Us Better People (New York: St. Martin’s Griffin, 2016); ピンカー『暴力の人類史』全2巻;マッド・リドレー(大田直子・鍛原多惠子・柴田裕之訳)『繁栄――明日を切り拓くための人類10万年史』(早川書房、2013年)。
(注16)Dominic D.P. Johnson and Dominic Tierney, “Bad World: The Negativity Bias in International Politics,” International Security, Vol. 43, No. 3 (Winter 2018/19), pp. 96–140.
(注17)ピンカー『暴力の人類史』上巻、521頁。
(注18)進化心理学者のピンカーが元来、人間本性の悲惨さの強力な提唱者であることは指摘に値する。ピンカー『人間の本性を考える』全3巻。この意味において、ピンカーの啓蒙主義的主張は、決してナイーブなリベラル楽観論でなく、統計的データにもとづく頑強な合理的楽観主義なのだ。
(注19)ピンカー『暴力の人類史』下巻、430-447頁; and Pinker, Enlightenment Now.
(注20)こうした点については、Thayer, “Bringing in Darwin”を参照。
(注21)ピンカー『人間の本性を考える』上巻、142頁。国際政治学者の間におけるこうした懸念に関しては、Duncan S. A. Bell, Paul K. MacDonald, and Bradley A. Thayer, “Start the Evolution without Us,” International Security, Vol. 26, No. 1 (Summer 2001), pp. 187-194; Patrick Thaddeus Jackson, “Must International Studies Be a Science?” Millennium, Vol. 43, No. 3 (June 2015), pp. 942-965; and Charlotte Epstein, “Minding the Brain: IR as a Science?” Millennium, Vol. 43, No. 2 (January 2015), pp. 743-748を参照。
(注22)方法論的自然主義とは、自然科学と社会科学を連続的に捉えて、形而上学的・超自然的なもの(理想・規範・超越者)に訴えず、自然的なもの(物質・感覚・衝動など)にもとづいて、世界の真理に接近することを目指す立場のことを指す。方法論的自然主義については、戸田山和久「哲学的自然主義の可能性」『思想』948巻4号、63-92頁;戸田山和久『科学的実在論を擁護する』(名古屋大学出版会、2015年)61、86、314頁を参照。
(注23)社会科学(たとえば国際政治学)と自然科学(たとえば生物学、進化論、脳科学など)との統合を主張する代表的な研究は、Thayer, “Bringing in Darwin”; D. D. P. Johnson, “Survival of the Disciplines: Is International Relations Fit for the New Millennium?” Millennium, Vol. 43, No. 2 (January 2015), pp. 749-763; Lopez, McDermott, and Petersen, “States in Mind”; and Rosen, War and Human Nature; and Lopez, “The Evolution of War”を参照。
(注24)Daniel C. Dennett, Darwin’s Dangerous Idea: Evolution and the Meaning of Life (New York: Simon & Schuster, 1995), pp. 80-84, especially pp. 82-83; ピンカー『人間の本性を考える(上)』142-143頁。
(注25)パトリシア・S・チャーチランド(信原幸弘・樫則章・植原亮訳)『脳がつくる倫理――科学と哲学から道徳の起源にせまる』(化学同人、2013年)5頁。実際、チャーチランド、サム・ハリス(Sam Harris)、ジョシュア・グリーン(Joshua D. Greene)等の先駆的な学者は、脳科学をめぐる自然科学的知見にもとづき、道徳や倫理といった人文学的テーマを研究している。Sam Harris, The Moral Landscape: How Science Can Determine Human Values (New York: Simon and Schuster, 2011); ジョシュア・グリーン『モラル・トライブズ――共存の道徳哲学へ』(岩波書店、2015年)。政治学、そしてその下位分野の安全保障研究にもこうした学際的な研究が必要とされている。
(注26)たとえば、Aaron Rapport, “The Long and Short of It: Cognitive Constraints on Leaders’ Assessments of “Postwar” Iraq,” International Security, Vol. 37, No. 3 (Winter 2012/13), pp. 133-171; Emma Hutchison and Roland Bleiker, “Emotions in the war on terror,” in Alex J. Bellamy, Roland Bleiker, Sara E. Davies and Richard Devetak, eds., Security and the War on Terror (London: Routledge, 2007), pp. 57-70; and Brent E. Sasley, “Theorizing States’ Emotions,” International Studies Review, Vol. 13, No. 3 (September 2011), pp. 452–476.
(注27)Johnson and Tierney, “Bad World”; Johnson and Tierney, “The Rubicon Theory of War”; Ryuta Ito “The Causes and Consequences of Overconfidence in International Politics: A New Realist Theory Based on Optimism Bias in Neuroscience,” paper presented at the 2019 annual convention of the International Studies Association, Denver, Colorado; 伊藤隆太「過信のリアリズム試論――日ソ中立条約を事例として」『国際安全保障』第44巻第4号(2017年3月)58-73頁。
(注28)同調圧力等で批判・反論しずらい雰囲気があると、議論がうまくいかなくなることがある。それを防ぐ手段として意図的に、自由に批判・反論する人物を設定することがあるが、こうした人物のことを悪魔の代弁者と呼ぶ。
(注29)こうした点は、伊藤『進化政治学と国際政治理論』第2章を参照。
(注30)たとえば、Bradley A. Thayer, “Thinking About Nuclear Deterrence Theory: Why Evolutionary Psychology Undermines Its Rational Actor Assumptions,” Comparative Strategy, Vol. 26, No. 4 (October 2007), pp. 311-323; Jeffrey W. Taliaferro, Balancing Risks: Great Power Intervention in the Periphery (Ithaca, N.Y.: Cornell University Press, 2004).
を参照。
(注31)こうした点は、伊藤『進化政治学と国際政治理論』第5章を参照。
(注32)攻撃的リアリストはこれまで戦争原因を国際システムのアナーキーに帰していたが、近年の自然科学の進展は、人間本性に焦点を当てた攻撃的リアリズムの可能性を示唆している。D. D. P. Johnson, and Bradley A. Thayer, “The Evolution of Offensive Realism,” Politics and the life sciences, Vol. 35, No. 1 (Spring 2016), pp. 1-26.
(注33)Harris, The Moral Landscape; and Pinker, Enlightenment Now.
(注34)リドレー『繁栄』。
プロフィール
伊藤隆太
慶應義塾大学法学部講師(非常勤)、博士(法学)。2009年、慶應義塾大学法学部政治学科卒業。同大学大学院法学研究科前期および後期博士課程修了。同大学大学院研究員および助教、日本国際問題研究所研究員を経て今に至る。海上自衛隊幹部学校で非常勤講師も務める。
専門は、国際政治学、国際関係理論、政治心理学、安全保障論、インド太平洋の国際関係、外交史と多岐にわたる。その他、思想・哲学(科学哲学、道徳哲学等)や自然科学(進化論、心理学、脳科学、生物学等)にも精通し、学際的な研究に従事。主な著作に、『進化政治学と国際政治理論――人間の心と戦争をめぐる新たな分析アプローチ』(芙蓉書房出版、2020年)がある。