安全保障政策の「コンセンサス」――総合安全保障と安全保障論議

総合安全保障の推進

 

日本の安全保障政策をめぐっては、政党を越えた「コンセンサス」がある。こう言えば信じられるだろうか。

 

それは、「総合安全保障」の推進についてのコンセンサスである。実際に、様々な政治家がこのキーワードを異口同音に用いているのである。

 

たとえば、安倍晋三首相は、2012年の自由民主党(自民党)総裁選挙にあたって、総合安全保障を掲げた。「日本再起。強い日本で、新しい『日本の朝』へ」という主要政策の柱の1つが、「外交・総合安全保障の確立に全力」である(注1)。

 

対する野党の国民民主党も、基本政策として総合安全保障を打ち出している。同党のウェブサイトには「私たちの理念と政策の方向性」に、「総合安全保障政策を取りまとめます」とある(注2)。

 

国民民主党の源流たる民主党も、総合安全保障をマニフェストに載せていた。菅直人首相のもとでは「総合安全保障、経済、文化などの分野における関係を強化することで、日米同盟を深化させます」(注3)、野田佳彦首相のときは「エネルギー、食糧安全保障などを含めた総合安全保障体制を確立する」(注4)とそれぞれ謳われている。

 

さらに、社会民主党(社民党)も選挙公約として、「北東アジア地域の総合安全保障機構の創設をめざします」としている(注5)。

 

 

安全保障とは何か

 

では、総合安全保障とは一体何なのだろうか。

 

この問いに答える前に、まず安全保障について考えてみたい。たとえば、三省堂『大辞林[第3版]』では、安全保障が「外部からの侵略に対して国家の安全を保障すること」と定義されている。大修館書店『明鏡国語辞典[第2版]』には「国外からの侵略などに対して、国家の安全をうけあうこと」、有斐閣『法律用語辞典[第4版]』には「外部からの侵害に対して国家の安全を維持すること」とある。

 

つまり、安全保障とは、国家の防衛とほぼ同義とされている。そのため、世間一般においては、安全保障という用語がもっぱら戦争を想起させることもあるだろう(安全保障の研究者と聞けば、戦争の専門家だと思う人もいるかもしれない)。たしかに、軍事的側面は安全保障の中核的な要素であり、これを抜きにして安全保障を語ることはできない。

 

しかしながら、国際政治学における安全保障の対象は、軍事面を中心とした狭義の安全保障だけにとどまらない。藤重博美「なぜ、『安全保障をみるプリズム』が必要なのか――『安保の呪縛』からの脱却をめざして」(https://synodos.jp/politics/23284)でも指摘されている通り、元来、安全保障(Security)は、より幅広いものなのである。

 

安全保障の領域が広いことは、日本の安全保障政策の要たる、国家安全保障会議(National Security Council: NSC)の構成が端的に象徴している。

 

NSCには、3つの形態の会合がある。第1に、中核となる4大臣会合であり、外交・防衛政策に関する諸問題について、実質的な審議を行う。メンバーは内閣総理大臣、内閣官房長官、外務大臣、防衛大臣と規定されており、現在は副総理も参加している。

 

第2の形態である9大臣会合は、以上の参加者に加えて、総務大臣、財務大臣、経済産業大臣、国土交通大臣、国家公安委員会委員長などから構成され、国防に関する重要事項を多角的な観点から審議する。定例的に開催される4大臣会合を、必要に応じて9大臣会合につなげることとなっている。

 

第3に、武力攻撃事態等以外の緊急事態を想定した、緊急事態大臣会合という形態がある。昨今、新型コロナウイルス(SARS-CoV-2)に関わる対応について、法務大臣や厚生労働大臣も参加して、緊急事態大臣会合が開催されている。新型コロナウイルスの感染拡大から国民生活を守ることも、紛れもない安全保障問題だからである。

 

NSCの構成を見るだけでも、安全保障が防衛を司る防衛省だけの問題ではないことがわかる。安全保障とは、複数の政策領域にまたがる概念なのである。

 

 

総合安全保障の系譜

 

以上のような安全保障の総合性を強調した試みが、1970年代の終わりから80年代のはじめに人口に膾炙した、総合安全保障である。総合安全保障と言えば大平正芳政権の取り組みが有名だが、その概念は、それ以前から提唱されていた。

 

総合安全保障が注目された背景には、1973年の第四次中東戦争から生じた第一次石油危機がある。軍事的な脅威のみならず、経済的な出来事も国の安全保障に直結することが認識されるようになり、経済安全保障や、より広く、総合安全保障という考えが普及していった。

 

たとえば、政界では、1976年に新自由クラブが基本理念として「総合的な安全保障」を表明し、自民党も同年の公約で「食糧・資源を含めた総合安全保障の確保」を謳った。1978年の自民党の総裁選挙では、立候補した福田赳夫、大平正芳、中曽根康弘、河本敏夫の全員が、「総合安全保障」ないし「総合的安全保障」を掲げた。

 

財界においても、同年に関西経済同友会が「総合的安全保障の確立をめざして」という報告書を作成し、その2年後、経済同友会も「総合的安全保障体制の強化」を提言している。当時は、国連においても1980年のブラント(Willy Brandt)委員会報告や1982年のパルメ(Olof Palme)委員会報告が相次いで提出され、伝統的な国家・軍事的安全保障への批判が盛り上がっていた。海外における安全保障概念の再考と日本の総合安全保障概念は同時代的なものであったと言える(注6)。

 

このような流れの中で、総合安全保障を体系的に世に知らしめたのが、大平首相の総合安全保障研究グループ(議長:猪木正道平和・安全保障研究所理事長)である。大平は、学者や官僚などから成る研究会を設置し、田園都市構想や環太平洋連帯構想などについて検討を依頼した。そのうちの1つが同研究グループである。

 

その報告書では、「安全保障政策は、その性質上、総合的なものである」と位置づけられた。総合的とは、第1に、安全保障政策は3つのレベルの努力から構成されるべきだという意味においてである。具体的には、表1の通り、国際環境を全体的に好ましいものにする努力、国際環境を部分的に好ましいものにする努力、自助の努力という3つのレベルに言及された。第2には、安全保障問題は関心を持つべき対象領域や、とりうる手段が多様だという意味においてである(注7)。

 

すなわち、総合安全保障とは、3つのレベルの努力、および多様な対象領域と手段を包含した安全保障と捉えることができる。総合安全保障と言えば、安全保障の多様性を強調するイメージが強いかもしれない。だが、この報告書がよりスペースを割いているのは、3つのレベルの努力に関してであり、「3つのレベルでの努力の間にバランスを保つことが、安全保障政策の要諦となる」としている。

 

この報告書の基本的な考え方は、政府の懇談会などを中心に、その後の日本の安全保障政策において引き継がれていくことになった。たとえば、1994年の「防衛問題懇談会」(座長:樋口廣太郎アサヒビール会長)、2004年の「安全保障と防衛力に関する懇談会」(座長:荒木浩東京電力顧問)、2010年の「新たな時代の安全保障と防衛力に関する懇談会」(座長:佐藤茂雄京阪電気鉄道代表取締役CEO取締役会議長)は、それぞれの報告書にて、上記の3つのレベルを用いるアプローチを踏襲している(注8)。

 

さらに、今日、総合安全保障(Comprehensive Security)の概念は、東南アジア諸国連合(Association of South-East Asian Nations: ASEAN)においても採用されるなど、日本のみならず海外にも広がりを見せている(注9)。

 

 

1 総合安全保障の具体例

出典:総合安全保障研究グループ『総合安全保障戦略』より筆者作成

 

 

総合安全保障の多義性

 

以上を踏まえた上で、冒頭の「コンセンサス」について考えてみたい。

 

たしかに、総合安全保障という用語は政党を越えて使われている。しかしながら、これをもって、日本に超党派的な安全保障政策が確立していると判断することは、到底できない。なぜならば、総合安全保障の具体的な内容について、意見の一致がないからである。

 

最初の例に戻ると、安倍首相は「外交・総合安全保障の確立に全力」として、「日米同盟をより強固に。自らが自らの国を守る体制づくり」「集団的自衛権の行使を可能に」などを掲げた。2015年の平和安全法制の整備は、この延長線上に位置づけられよう。

 

その平和安全法制に強く反対したのが、民主党や社民党であった。2019年の参議院選挙でも、国民民主党は「現行の安保法制は廃止する」と主張し(注10)、社民党は「従来の憲法解釈を変更し、集団的自衛権の行使を容認した2014年の『7・1閣議決定』を撤回させ、『戦争法』を廃止します」と訴えた(注11)。

 

同じ総合安全保障という用語を使ってはいるが、平和安全法制を例に取るだけでも、立場に大きな隔たりを看取できる。総合安全保障は多義的であり、多様な意見を包含しうる。それゆえに、総合安全保障を標榜することによって、総論として賛成という態度を引き出し、具体策の決定を先延ばしできるという効用も、政治の世界ではあるのかもしれない。

 

 

総合安全保障への批判

 

このような概念の多義性ゆえに、総合安全保障はその黎明期から批判にさらされた。ここでは、主なものを2つ紹介する。

 

第1に、総合安全保障の射程をめぐる問題である。総合安全保障は、軍事のみならず様々な要素を安全保障と関連づけるため、往々にしてその射程が際限なく拡散してしまう。

 

この問題は、総合安全保障に関する会議体を設けようとすると、端的に表出する。1980年代はじめ、総合安全保障研究グループの報告書を受けて、「総合安全保障関係閣僚会議」が設置された。このときに議論となったのが、総合安全保障がどこまでをカバーする概念であり、どの省庁が同会議に参加すべきかということである。

 

狭義の安全保障に限定するのであれば、外務省や防衛庁などに絞れるかもしれない。だが、通商の問題を含むのならば通商産業省、食料の問題ならば農林水産省、海上の安定輸送の問題に関しては運輸省など、総合安全保障の射程を広く取れば取るほど、多くの省庁が密接に関わることになる。各省庁は、総合安全保障に携われば予算や権限が獲得できるという思惑もあり、自らの専門分野が総合安全保障の一分野であると主張するようになったのである(注12)。

 

今日も、総合安全保障は、経済安全保障や食料安全保障、エネルギー安全保障、環境安全保障、サイバー安全保障などを包含すると考えることができよう。したがって、内閣のレベルで総合安全保障を包括的に議論しようとすると、ほぼすべての省庁が関係をしてくるために、閣議のメンバーと同一化してしまう恐れがある。NSCが3つの形態から成っているのは、このような問題を克服するための工夫と言える。

 

第2に、力点をめぐる問題である。一方では、総合安全保障は「総合」に重点があり「安全保障」が軽視されている、すなわち狭義の安全保障が軽視されていると憂えた意見があった。他方では、「総合」はカムフラージュであり、実は「安全保障」の名の下に軍拡が企図されている、つまり、狭義の安全保障が偏重されていると警戒された。前者はいわゆる「保守」、後者は「革新」の論者にしばしば見られた議論である。

 

このような総合安全保障をめぐる対立の構図は、当時の安全保障論議の縮図であったと言える。そもそも、総合安全保障論は、新たな概念を提起することで、体制問題に関する保革のイデオロギー的分裂を克服しようという意図も含んでいた(注13)。だが、結局、保革双方から批判を浴びることとなってしまい、両者の断絶を解消することはなかった。

 

ただし、「保守」と「革新」という二項対立は、今や崩れていると言える。一般的に、「保守」と言えば自民党を中心とした勢力であり、「革新」とは日本社会党や日本共産党などを指すと考えられてきた。だが、今日の若い有権者は、共産党を「保守」側に位置づけ、日本維新の会を「革新」や「リベラル」とみなしているとの研究もある(注14)。字面だけを素直に見ると、これは当然であろう。共産党は日本国憲法をあくまでも護持しようとする「保守」であり、憲法改正を主張する日本維新の会は「革新」勢力だ。これを若者による言葉の誤用だと断じるわけにはいくまい。そもそも、言葉の概念は時代や文脈によって変化するものだからである(たとえば、戦後に「保守」政党たる自民党の総裁・首相となる岸信介は、戦前の「革新」官僚と言われる)。

 

 

総合安全保障と安全保障論議

 

それでもなお、昨今の安全保障政策をめぐる議論は、総合安全保障をめぐる過去の対立の構図を引き継いでいる。

 

今日、一方では、防衛費の増減のみに焦点を合わせた安全保障論議がある。これは、防衛費を減額した、かつての民主党政権を批判する文脈でしばしばなされる議論である。他方では、2015年の平和安全法制を「戦争法案」や「戦争法」と呼ぶ向きがある。これは、狭義の安全保障の一側面だけをクローズアップしたものである。以上は、総合安全保障に対して、狭義の安全保障を軽視しているとの主張、および狭義の安全保障の偏重を警戒する言説と、それぞれパラレルである。

 

このような昨今の安全保障論議と、総合安全保障に対する批判は、上記の第2(国際環境を部分的に好ましいものにする努力)あるいは第3(自助の努力)のレベルに、えてして留まっている。すなわち、安全保障を日本のみのものとしてではなくグローバルな観点から捉え直し、好ましい国際環境の創出に繋げようとした第1のレベルは、忘れられがちなのである。

 

既述のように、総合安全保障の要所は、安全保障の多様性と並んで、3つのレベルのバランスを保つことにある。いわゆる「一国平和主義」がこのポイントを外していることは言うまでもない。さりとて、「一国平和主義」を批判する側が「国際環境を全体的に好ましいものにする努力」を顧慮しているかというと、甚だ心許ない。

 

かつて総合安全保障研究グループの報告書は、「1970年代の国際情勢の変化の中で最も基本的な事実は、なんと言っても、アメリカの明白な優越が、軍事面においても、経済面においても、終了したことである」と喝破した(注15)。その後、冷戦が終焉し、米国の「一極」体制が現出したと論じられたこともあったが、米国の相対的衰退による「多極」や「無極」が次第にささやかれるようになった。国際安全保障への関与を弱め、内向きになる米国は、トランプ(Donald Trump)米政権によって突如として始まったものではない。前任のオバマ(Barack Obama)大統領も米国は世界の警察官ではないと明言しており、1つの潮流と捉えることができる。当時と問題意識を共有していると言える今日、安全保障論議において好ましい国際環境の創出にまで意識を傾ける重要性を、総合安全保障は示している。

 

 

 

(注1)安倍晋三「日本再起。強い日本で、新しい『日本の朝』へ」https://www.s-abe.or.jp/wp-content/themes/politicianA/img/seisaku2012.pdf、2020年4月8日アクセス。

(注2)国民民主党「私たちの理念と政策の方向性」2018年07月09日、https://www.dpfp.or.jp/about-dpfp/start-up、2020年4月8日アクセス。

(注3)民主党「民主党の政権政策Manifesto2010」https://www.dpj.or.jp/download/334.pdf、2020年4月8日アクセス。

(注4)民主党「民主党の政権政策Manifesto2012」https://www.dpj.or.jp/global/downloads/manifesto2012.pdf、2020年4月8日アクセス。

(注1)社民党「2019年 参議院選挙 選挙公約」http://www5.sdp.or.jp/election_sangiin_2019、2020年4月8日アクセス。

(注6)山口航「総合安全保障の受容――安全保障概念の拡散と『総合安全保障会議』設置構想」『国際政治』188号(2017年3月)、47-48頁。

(注7)総合安全保障研究グループ『総合安全保障戦略 大平総理の政策研究会報告書5』大蔵省印刷局、1980年、21-27頁。

(注8)田中明彦「安全保障――人間・国家・国際社会」大芝亮編『日本の外交――対外政策課題編』岩波書店、2013年、47-70頁。

(注9)たとえば、Ralf Emmers, “Comprehensive Security and Resilience in Southeast Asia: ASEAN’s Approach to Terrorism,” The Pacific Review 22, no. 2 (2009): 159-77.

(注10)国民民主党「新しい答え2019」https://www.dpfp.or.jp/election2019/answer/12、2020年4月8日アクセス。

(注11)社民党「2019年 参議院選挙 選挙公約」。

(注12)山口「総合安全保障の受容」。

(注13)中西寛「総合安全保障論の文脈――権力政治と相互依存の交錯」『年報政治学』1997年、106-108頁。

(注14)遠藤晶久、ウィリー・ジョウ『イデオロギーと日本政治――世代で異なる「保守」と「革新」』新泉社、2019年、68-70頁。

(注15)総合安全保障研究グループ『総合安全保障戦略』、29頁。

 

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