テドロスWHO事務局長は何に失敗したのか――新型コロナ・パンデミック対応から浮かび上がる対立の時代の国連機関

新型コロナ・パンデミックが拡大する中、対応に当たる世界保健機関(WHO)のテドロス事務局長の責任を問う声が日増しに強まっている。テドロス氏に辞任を求めるキャンペーンが全世界で100万人以上の署名を集めたことは、日本でも話題になった(注)。

 

(注)Call for the resignation of Tedros Adhanom Ghebreyesus, WHO Director General

https://www.change.org/p/united-nations-call-for-the-resignation-of-tedros-adhanom-ghebreyesus-who-director-general

 

テドロス氏は今や、世界で最も不人気な人間の一人になった感さえある。しかし、当のテドロス氏自身は、「WHOの警告に世界は従うべきだった」などと述べ、一貫して自らの対応の正しさを強調している。

 

WHOをはじめとする国連機関は、我々一人ひとりの平和への意思を基盤に、世界規模で国際協調を謳う、歴史上初めての組織だ。それは人類共通の課題の解決に向けて、私たち自身が生み出した枠組みであり、人類の理想を体現する存在といってもよい。他方で各国の自主的協調に依拠するそのシステムは、私たち自身の敵意や利害対立といった現実を映し出す存在でもある。

 

収まるところを知らない新型コロナウイルス感染拡大に伴う昨今の被害状況に鑑みれば、テドロス氏に対する批判は無理もないものだ。だが、テドロス氏は、本当にその職責を果たしてこなかったのだろうか。

 

 

国連機関の二つの顔、事務局長の責務と宿命

 

WHOは、世界中の人々の健康を守るために活動するために1948年に発足した国際連合の専門機関だが、そもそも国連には、二つの顔があるといわれる。

一つは、世界各国(国際機関の加盟国)の代表の集合体(多国間協議の場)という顔。

二つは、委ねられた分野で国際公益の実現に奉仕する国際公務員である専門家集団という顔。

 

専門家を主体に構成されるWHOなどの専門機関は、基本的に第二の顔の側面が強い。しかし各機関の予算は各加盟国の拠出金等から賄われ、機関のトップは内部から昇進するのではなく政治任用、つまり加盟国の支持を得て就任する。事実、テドロス氏は、エチオピアの保健担当大臣や外務大臣を歴任した公衆衛生の専門家および政治家として二つの顔を持つ人物だ。

 

こうした中、各機関のトップには、専門家集団のリーダーとしての活躍(第二の顔)にとどまらず、第一の顔に目を向けた外交的な振る舞いや政治交渉能力が求められる。テドロス氏が就任した際には中国の強い支持が基盤にあったことからも分かるように、まず政治家としての力量がないと、そもそも選出されないのが現実である。

 

国連の各専門機関は専門家集団として、事務局長のリーダーシップの下、自らに委ねられた課題の対処や問題解決に情熱を注ぐ。加盟国は彼らの活動を支援しつつ、自国の国益に合致する施策を行うよう事務局長以下に働きかける。

 

この中で事務局長は、各加盟国からの要望をくみ取り、時に圧力をいなしつつ各国の体面を保ち、自らのスタッフを鼓舞しながら国際公益の実現に向けて組織全体のかじ取りをする、といった強いリーダーシップが求められる。

 

つまり事務局長は、専門的見地から効率的・効果的な対策を示し続ければよいというものではない。各国の要求や事情を鑑みながら、各国の自発的協力、さらに国際協調を促す政治家・外交官としての役割が必要になる。

 

テドロス氏の新型コロナ対応についても、WHO事務局長としての二つの側面―国際保健衛生に責任をもつ専門家集団のリーダーとしての顔、国際保健衛生分野の国際協調におけるトップ外交官としての顔―から見る必要があるのだ。

 

 

専門家集団のリーダーとして

 

以下、WHOとテドロス氏の対応を時系列で振り返る。

 

1月2日、WHOは対策チームを発足し、中国武漢で発生している正体不明の感染症について中国国内の専門家と協力しつつ、状況調査と対策支援を開始した。

 

1月10日には、武漢を中心にコロナウイルスの新型の発生を確認したが詳細は不明とした上で、国際的な蔓延を防ぐために、武漢市からの渡航者との接触を避けることを提唱。日本政府が当初示していたPCR検査の受診基準「武漢市(のちに湖北省)への滞在歴や同渡航歴のある発熱症状のある人との接触者」は、これに準拠するものだ。あわせて感染症に対する一般的な対策(手洗いの徹底、野生動物に近寄らないなど)と、自覚症状のある旅行者には咳エチケットの実施等の必要性も指摘した。

 

また、武漢域外への蔓延は確認されていないとしつつ、入国時のスクリーニング(いわゆる水際対策)は、一般的にあまり効果的ではないことも述べた。情報が不足する中、一般的な感染症対処を呼びかけるものだった。

 

1月22、23日、第一回IHR(注)緊急委員会が開催された。ここでは、感染者がみられる中国や韓国、日本からの報告を受けたうえで、人から人への感染の範囲は明確ではないとし、各国に対してはさらなる情報提供を求めた。また、PHEIC(国際的に懸念される公衆衛生上の緊急事態)宣言の発出については、時期尚早との判断を下し、テドロス氏もこの時点では同様の判断を行った。なお、この前日の22日に中国政府は武漢市のロックダウンを決定している。

 

(注)IHR(International Health Regulations、国際保健規則)は、WHO憲章に基づく規則で、SARSなどの対応の遅れを踏まえて2005年に改正され、PHEICを対象とすると定められた。WHO加盟各国はPHEIC検知から24時間以内にWHOに通告することが義務づけられている。

 

1月30日、第二回IHR緊急委員会が開催され、新型コロナ感染拡大状況についてPHEICの要件は満たされたとの結論が下された。また国際的なヒトやモノの移動制限は推奨しない旨が発表された。

 

同日、テドロス事務局長はPHEIC宣言を発出。中国に対してはWHOによる支援の継続を約束するとともに、更なる感染拡大防止策および情報提供を求めた。世界各国に対しては今後の感染拡大に備え、検査体制など防疫対策の準備を求めた。

 

その後、テドロス事務局長は、3月11日のパンデミック宣言に至るまで繰り返し各国・各地域に向けて注意喚起を続け、同時に中国からの入国制限は不要であることも再三にわたって主張した。

 

たとえばパンデミック宣言の2日前、3月9日の記者会見でテドロス氏は、「epidemics」、「epidemic at the global level」といった表現、つまり複数の場所で感染が拡大している、という言葉を用いて状況を報告した。要するにいくつかの地域の内部で蔓延(エピデミック)が起きているが、世界全体で同時に発生する「パンデミック」ではない。パンデミック宣言への懸念を示唆しつつも、まだその段階にはないと強調したのだ。

 

同時期、中国の感染者数は2月にピークを迎えたのち減少傾向にあり、欧米では、感染者が増加し始めた段階(ヨーロッパでは500-1000人、米国では数十人程度)にあった。ちなみに日本は2020年東京オリンピックの開催可否を検討しており、4月7日の安倍総理による緊急事態宣言の概ね1カ月前という状況だった。

 

現在、テドロス氏に向けられる強い批判の一つが、中国からの入国制限を不要と主張し続けたことだ。発言の趣旨は、上述のように、各国は効果の不明な入国制限よりも検査体制の強化などをすべきという趣旨だったのだろう。実際に、4月27日に国立感染症研究所が発表した分析結果によれば、日本は1月から2月にかけての中国(武漢)からの感染第一波については、クラスター対策によって封じ込めに成功していたという(注)。

 

(注)国立感染症研究所「新型コロナウイルス SARS-CoV-2 のゲノム分⼦疫学調査(2020/4/16 現在)」2020年4⽉27⽇。

https://www.niid.go.jp/niid/images/research_info/genome-2020_SARS-CoV-MolecularEpidemiology.pdf

 

このようにみていくと、テドロス氏は専門家として淡々と仕事をしてきたと評価するのが妥当だ。もちろん判断の前提となる情報収集と分析が適切だったか否か、という疑問はある。また、紆余曲折を経ながら結局パンデミックになっているではないかという批判も当然あるだろう。だがテドロス氏に言わせれば(実際にそう言っているわけだが)、「各国に対応を強制することはできない」のであり、「各国が適切な対処をするように求め続けてきた」ということになる。

 

 

国際保健衛生分野のトップ外交官として

 

それではWHO事務局長のもう一方の側面、国際保健衛生分野のトップ外交官・政治家として、現在までのパンデミックの防止に向けた国際協調と必要な危機意識の共有を促す対応はどうだったか。

 

テドロス氏は数次にわたり、中国政府の新型コロナ対応、なかでも武漢市の封鎖と、徹底的な検査及び行動追跡による封じ込め措置を手放しで称賛してきた。

 

WHOが状況を把握して対策を考えるためには、検査をして感染者の数や拡がりを把握したデータやウイルスそのものの情報が必須になる。それらは、まずは各国が提供するデータや対策状況の報告に頼ることになる。

 

中国は、1月当初に対応の後れを見せたものの、他国より先にエピデミックが発生したことから、検査情報やウイルスの遺伝子情報をWHOに提供し、さらに武漢市封鎖以後はスマートフォン等を用いた徹底した個人の追跡を行って感染者や濃厚接触者の管理を実現した。これら権威主義国ならでは取り得た施策がもたらすデータは、WHOにすれば得難いものだ。さらに中国は巨大都市を丸ごと封鎖するという措置までとって感染防止に努めた。

 

状況の把握と封じ込めを求めるWHOのトップの目には、そもそも中国寄りという姿勢を差し引いても、中国の取り組みは頼もしく映っただろう。中国と距離の近い事務局長だからこそ、中国からの情報を広範に入手できた可能性もある。逆に言えば、中国を批判すればそうした情報が取れなくなるし、自らの支持母体を失うという計算も働いたのかもしれない。いずれにしても、検査数自体が少なく、また封じ込めも自粛という形の日本のような国と比べたとき、中国はテドロス事務局長にとって優れたものに見えたことだろうことは指摘できる。

 

こうしてテドロス氏は中国を称賛する一方で、各国の取り組みが不十分だと訴え続けた。また、2月から米国など各国が進めた中国からの入国制限については不必要と強調した。たとえば日本政府がダイヤモンド・プリンセス号の乗客の上陸をとどめたことも、「根拠に基づかないリスク評価」だとも述べている。

 

しかし、2月4日に横浜港に入港した同船の対応で世界中の批判に晒される中で、武漢にチャーター機を飛ばして邦人等の退避、さらに帰国後の隔離施設の確保に苦心していた日本政府や日本人からすれば、反発を招く言動だったことは疑いない。

 

いずれにしてもこうした言動が、各国でテドロス氏に対する怒りを買う結果となったことは確かだ。感染が次第に各国に拡大する中で、WHOに加盟していない台湾からの警告を無視していたことなど、次第にテドロス氏とWHOに対する批判が強まっていった。

 

こうした中、テドロス氏は4月に、「人種差別的中傷を受けている」と、台湾を名指しで批判した。さらにWHOへの拠出金停止を発表したトランプ米国大統領に対しては、国内の政治的分断をもとに(要するに自らの大統領選を見据えて)、新型コロナを政治問題化しているとの批判めいた発言を行った。

 

WHOの事務局長としてテドロス氏は、新型コロナ・パンデミック対応に協力することを各国に要請し、国際協調を促す立場だ。また、対峙することになったトランプ大統領は、これまでも国際機関に対する拠出を打ち切るなどの「実績」ないし「前科」のある人物でもある。

 

もともと中国の後押しで事務局長に就任したテドロス氏は、自らを支える中国の協力を取り付けつつ、自身が中国寄りとみられていることを承知した上で各国に向き合い、中国に批判的な他の国々からの支持も取り付けるという難しい政治的立場に置かれている。テドロス氏の言動は、こうした自らの政治的立場を踏まえた対応となっていたとは思えない。

 

 

国連機関トップに求められる役割

 

国連の専門機関は、国際協調に基づく専門分野の取り組みが本来の任務だが、その決定には各国の思惑や圧力が反映されざるをえない。最初に記載したとおり、国連機関のトップに、政治的リーダーシップが求められる所以だ。また、政治的駆け引きの結果として生じた失策のツケを各国から押し付けられ、引き受けざるを得ない役回りでもある。政治的にはそうした批判を一身に引き受けつつ、委ねられた専門分野で必要な対応を進めることは「宿命」といってよい。

 

パンデミック下でWHOの活動は、情報収集、緊急支援、またワクチン開発など多岐に亘る範囲において各国からの協力が不可欠であり、そのために事務局長には、各国首脳と必要なら個人的な信頼関係を築き、協力体制の基盤を構築することが求められる。

 

現在のテドロス氏に対する批判には、とくに米国でコロナ対応が遅れた責任を押し付けられている生贄の側面があることは否めない。しかし、政治家・外交官としての稚拙な言動の結果が、今のテドロス氏の悲惨な評判をもたらし、何よりも国際協調に基づく一致団結したパンデミック対応を難しくしてしまっている。専門家として(科学的に)正しいだけでは、政治的に妥当な選択とはならないばかりか、結果として科学的に正しい対策を進めることも難しくしてしまうことを端的に示す結果となってしまった。

 

テドロス氏に対する批判の高まりは、専門分野に全力で取り組むことを任務とする国連の専門機関、とりわけそのトップに、むしろ高度な政治的手腕こそが問われるようになっている現実をみせつけている。

 

 

世界の理想と現実を映し出す国連機関

 

近年は世界の分断が深まってきた時代だ。最も国際協調が追及されるべきパンデミックの最中に、各国、とくに米中対立の様相が強く表れていることを、テドロス氏個人の責に帰すことは妥当ではない。

 

それでもWHOの手腕が最も強く期待される時に、批判に耐えて対応を進めるのではなく、自らに対する批判に真正面から反論して国際協調を損ねるWHOのトップの姿は、やはりこの時代の国連機関のトップとしてセンスを欠いていると言わざるを得ない。

 

だが、政治家・外交官としてのテドロス氏の問題と、専門機関のリーダーとして担っている役割の意味とは別だ。いま、テドロス氏のもとでWHOが取り組んでいるのは、移り変わる各国の感染状況と対策の情報を集めて検討し、各国に結果を共有して対策の基準を示し、必要なら支援を提供していく努力だ。各国がWHOに協力して、対策を世界全体で進めることが、パンデミックを乗り切るために重要なのだ。冒頭のテドロス氏に辞任を求めるキャンペーンの呼びかけも、単なる個人に対する批判行動ではなく、世界が国連とWHOへの信頼を取り戻すことを目指して開始されたものだった。これはほとんど報道されないが、重要な点だ。

 

現在は、テドロス氏の政治家・外交官としての失敗や、米中対立等の状況にどうしても目が向きやすい。しかし、パンデミックが今後数年にわたって繰り返されると目されている中では、人類共通の脅威である感染症に打ち勝つために私たち自身が作っている組織として、WHOを捉えることが重要になる。

 

5月4日、テドロス氏はワクチンや治療薬の開発に向けて、40カ国超から74億ユーロ(8,600億円)もの拠出金を得られたことを発表した。米ドルではなくユーロ建てとなっていることが国際協調の現実を示唆してはいる。しかしそれでも、解決に向けて一歩前進なのだ。

 

 

【参考】

詫摩佳代『人類と病:国際政治から見る感染症と健康格差』中央公論新社(中公新書)、2020年。

田仁揆『国連を読む:私の政務官ノートから』ジャパンタイムズ、2015年。 

田仁揆『国連事務総長:世界で最も不可能な仕事』中央公論新社、2019年。

長嶺義宣、外山聖子編; 国際機関で働く若手実務家17人著『世界の現場で僕たちが学んだ「仕事の基本」』阪急コミュニケーションズ、2014年。

 

知のネットワーク – S Y N O D O S –

 

1
 
 
シノドス国際社会動向研究所

vol.277 

・坂口緑「生涯学習論にたどり着くまで──人はいかにして市民になるのか」
・平井和也「ジョージ・フロイド殺害事件から考える米国の人種差別問題」
・野村浩子「日本の女性リーダーたち」
・安達智史「「特殊」を通じて「普遍」を実現する現代イギリスの若者ムスリム」
・太田紘史「道徳脳の科学と哲学」
・石川義正「「少女たちは存在しない」のか?──現代日本「動物」文学案内(2)」