2014.03.18
タイ民主化と政治家の汚職――コメ担保融資制度に対する訴えをヒントに
タイ政治は、昨年10月末から大規模な反政府デモ隊による抗議活動によって混乱状態が続いている。インラック政権は、事態を打開するために下院を解散し2月2日に総選挙を実施したが、反政府デモ隊により約2割弱の選挙区で投票が妨害された。
その後、前民主党議員が、憲法裁判所に対して同総選挙の無効、与党の解党および同党幹部の5年間の政治職就任禁止を申し立てていた[*1]。しかし 2月12日、憲法裁判所はこの訴えを退けた。
選挙管理委員会は、1月26日の期日前投票において投票が妨害された投票所については4月20日に、2月2日の総選挙の際に妨害された投票所については4月27日に、それぞれ再度選挙を実施する旨を発表した。
しかし、依然として事態は先行き不透明である。選挙管理委員会は、反政府デモ隊の妨害によって立候補者の登録が出来なかった南部28選挙区での選挙実施について、新たな総選挙実施の勅令が必要か否か、憲法裁判所に判断を求めている。改めて総選挙実施の勅令が必要となる場合、当該28選挙区のみを対象とするものでいいのか、それとも全選挙区を対象としたものであるべきなのかという問題が浮上する。何故なら憲法が、選挙は国全体で同一の日に実施されるべしと定めているためである。
3月6日、今度は、タムマサート大学法学部講師からの訴えを受けた国家オンブズマンが、2月2日の総選挙が非合法であったか否か憲法裁判所に判断を求めた。今週水曜日に憲法裁判所が、選挙委員会委員、インラック首相、国家オンブズマンの代表者に対して事情聴取を行う予定になっている[*2]。
コメ担保融資制度に関する訴え
このように総選挙が延長戦となっている状況下で、連日マスコミを賑わせているのが、国家汚職防止取締委員会(NACC)である。
国家汚職防止取締委員会が担当する案件の中でも、とくに注目されているのが、インラック首相のコメ担保融資制度(the rice-pledging scheme)に関する職務怠慢の訴えである。これは先に民主党党首のアピシット前首相が訴えており、同委員会が訴追根拠ありと判断して手続きを開始した案件である。
国家汚職防止取締委員会委員は、インラック首相に対して3月14日までに出頭するように要請したが、インラック首相側は、多くの書類を検討しなくてはならないため期限を延長するよう申し入れ、最終的に期限については、15日間の延長が認められた。国家汚職防止取締委員会は、インラック首相側からの資料提出を受けて審議を行った後、上院もしくは検察に報告書を送付すると思われる。
また同委員会は、これを刑事事件として扱うとしており、検察に送付された場合は、1997年憲法により最高裁判所の中に新たに設置された、政治職者刑事訴訟部という特別な部門で裁判が行われることになる。有罪となれば、インラック首相は失職し、5年間の政治職就任禁止とされる。
この訴えについて、インラック首相は、(1)政策レベルでの汚職は無い。国家汚職防止取締委員会は、実施段階での汚職について厳格な調査を行うべき、(2)国家汚職防止取締委員会には、如何なる偏見や内密の協議事項など無しに調査を実施してもらいたい、(3)農民らは反政府デモ隊による政治ゲームの中に置かれており、彼らに対して申し訳なく感じる、と述べた[*3]。
また、一般的に政府派と見なされる「赤シャツ」は、2月27日、国家汚職防止取締委員会本部の玄関を取り囲み、同委員会の汚職取締は「二重基準」(double standard)だとして抗議を行った。
いずれの国においても、汚職の取り締まりが重要であるのは疑いようもない事実である。では何故、インラック首相や赤シャツは、国家汚職防止取締委員会による汚職取り締まりに対して、このように不信感や不満をあらわにするのだろうか。
まず、経過を簡単に確認してみよう。インラック政権は、2011年7月の総選挙で勝利した後、農村部の支持を固めるために、コメ担保融資制度を導入した。これは、政府が希望する農家からコメを担保として引き取り、代わりに農家に資金を融資するというものであり、融資金額はコメの市場価格の約1.8倍という事実上のコメの高値買い取り制度であった。これによって、政府は大量の在庫と損失を抱えることとなった。
また、さまざま実施段階での汚職疑惑が噴出した。例えば2012年11月には、不信任討議において野党の民主党議員から、同政策に関係する国家機関の口座の金銭の出入りが不審であり、コメを中国政府に販売したと見せかけて、実はタイ政府と強い繋がりを持つタイのブローカーに売却されているではないか等と追求された[*4]。しかしインラック首相は、不正があれば調査チームを派遣すると答えたにとどまり、当該政策を中止しなかった。故に、インラック首相は職務怠慢の罪に該当する、というものである。
この件に関して注目すべきポイントは、以下の3点である。
(1)実施段階での具体的な汚職に対してではなく、インラック首相が政策を中止しなかったことに対する刑事訴訟である。
(2)アピシット政権(民主党)も同様の政策を実施しており、2011年には、現在の与党であるタイ貢献党が汚職の疑いがあるとして国家汚職防止取締委員会に対し調査を求めた。しかし同委員会は、2011年の洪水のため必要な書類を受け取っていないとして、調査の進捗が大幅に遅れている。
(3)民主党側は、インラック政権の同政策を批判して国家汚職防止取締委員会に対し訴えを提起したが、元民主党で反政府デモ隊のリーダーであるステープ元副首相らは、支払いが滞り怒る農民らに対して政府を法的に訴えるように促し、訴訟費用の調達等の援助を申し出た[*5]。なお、この時点で政府から農民に対する支払いが停滞していた最大の原因は、反政府デモ隊の圧力によりインラック首相が下院を解散して選挙管理内閣となり、補正予算を組めなくなったことであった[*6]。
実は、この訴えには、タイ民主化と政治家の汚職取り締まりとの関係を考察する上で、非常に重要な問題が含まれている。浮かび上がるキーワードは、(1)政策汚職、(2)二重基準、(3)政争の道具としての汚職批判、以上3点である。今回の記事では、政策汚職と汚職批判に焦点を当てたうえで、タイ民主化が抱える問題点について、政治家の汚職に対する取り締まりという観点から解説を試みたい。
[*1] 同訴えは、2007年憲法第68条と、全国同一日での選挙実施を定める第108条を根拠条文として使用していた。第68条については、外山文子著「タイ総選挙と憲法裁判所―タイでは、いま何が起きているのか?」シノドス記事(2014年1月30日掲載)参照。https://synodos.jp/international/6865
[*2] The Nation (March17,2014)
[*3] The Nation (February19, 2014)
[*4] The Nation (November28, 2012)
[*5] The Nation (February9, 2014)
[*6] 2007年憲法第181条により、選挙管理内閣は、次期政権に対して負債を負わせるような施策を実行することが禁じられており、選挙管理委員会の許可を求めることが必要と定められている。
タイ政治家の汚職に対する批判
タイは、政治家のみならず官僚による汚職の酷さがよく知られている。文官だけではなく、警察や軍も汚職の酷さで有名である。とくに軍については、1960年代から1970年代初めまで国を統治していた軍事独裁政権下での汚職が深刻であったと指摘されている。現在でも、依然としてタイ官僚の汚職問題は改善すべき課題であり続けている。
では、政党政治家の汚職に対する批判は、いつから激しくなったのだろうか。
1970年代半ばから徐々に民主化が進み、長年に渡って政治を支配してきた軍に代わって、選挙で選ばれた政治家の影響力が強まってきた。それに伴って、まず軍が政治家に対して激しい汚職批判を行うようになった。軍は、実業家を中心とする議会制政治は、真に多数者のための政治ではないと非難した[*7]。
軍がクーデタの大義名分として政治家の汚職を理由として挙げるのは、珍しいことではない。第三世界の汚職に関する研究で有名なジェームズ・スコットは、1950年代に政権を握ってきた多くのアフリカおよびアジア諸国の軍事政権が、例外なく権力奪取の中心的理由として汚職を挙げていると指摘している。
1980年代から1990年代にかけて、軍やマスコミなどが政治家の汚職を批判する際に最も頻繁に使われた言葉は、「票買い」(vote-buying)であろう。政治家は、とくに農村部の選挙区において、貧しい農民らの票を金銭で買って当選しており、彼らには選挙によって選ばれたという民主主義的正当性が無い、という批判が頻繁になされた。現在でも、このような批判が散見される。
しかし、タックシン政権(2001年~2006年)の頃から、政治家の汚職批判に使用される言葉が変化した。政治家を批判する際に、「政策汚職」(policy corruption)、「ポピュリズム」(populism)、「利益相反」(conflict of interest)という用語が、マスコミを賑わせるようになった。「政策汚職」「利益相反」とは政策を使って汚職を行うこと、「ポピュリズム」とは人気取り政策によって実質的に農村部の票を買うことを意味する。
これら3つの用語は相互に関連しており、いずれも主として、タックシン政権の政策に対して向けられたものであった。「政策汚職」という用語は、他国ではあまり使われておらず、タイに特徴的な言葉だと思われる。「ポピュリズム」「利益相反」は、他国でも使用される普遍的な用語であるが、実際の汚職取り締まりにおいて使用されうるのは「利益相反」のみである。
法改正と汚職の定義の変化
過去約10年間の状況を振り返ると、政治家が汚職のかどで裁判所による有罪判決を受け、失職するケースが急増している。2008年と2010年には、タックシン元首相が最高裁判所により、2008年にはサマック首相(当時)が憲法裁判所により有罪判決を下されている。
では、タイでは、政治家の汚職が増加しているのだろうか。汚職は水面下で行われるため、実態を正確に把握することは困難である。タイの知識人の間では、政治家の汚職は年々悪化の一途を辿っているとの認識を持つ者が多い。一般国民もとくに政治家の間で汚職が悪化していると感じていると報告されている[*8]。
汚職に関する多くの先行研究により、汚職の定義が世論においても、法律においても変化することが明らかにされている。また汚職の基準は、国家や社会によって異なり、時代または時期によっても変化する。タイでは、1990年代以降、汚職取り締まりを目的のひとつとして憲法が改正され、多くの法律が施行されてきた。それによって、従来は汚職とは見なされていなかった行為が、汚職として断罪されるようになった。
とくに1997年憲法以降に「新しい汚職」が拡大している。これは、一体どのようなものであるのだろうか。法律が政治家のどのような行為を汚職として定めたのかについて確認する必要がある。
汚職定義の拡大:「利益相反」の追加
現在、さまざま法律が汚職取り締まりに関する規定を定めているが、ここでは中心的役割を果たしている憲法と汚職防止取締法について取り上げたい。汚職防止取締法は、1975年(1987年改正)から存在するが、1997年憲法を受けて施行された1999年法において、大幅な改正が施された。
1997年憲法および1999年汚職防止取締法における最大の変化は、利益相反に関する取締規定が増加した点である。利益相反に関する取締規定は、1991年憲法以前からも存在しており、タイにおいて新しい概念という訳ではない。しかし従前は、憲法によって (1)政治家が国、公的機関、国家機関および国有企業との間で、特権の受理および独占的契約の当事者となることの禁止、(2)公的機関、国家機関または国有企業から、通常業務を超えて特別な金銭または如何なる形の利益も受けてはならない、と定められているのみであった。
それが1997年憲法では、「国、公的機関、国家機関、国有企業から特権を受理する又は独占的契約を締結している合名会社の出資者又は株式会社の株主となることを禁止する」(第110条(2))、「国務大臣は、法律に定める範囲(5%)を超えて、合名会社又は株式会社の出資者又は株主であってはならない」(第209条)と定められた。後者の規定については、2007年憲法から、配偶者および未成年の子にも適用されるようになった。
次に、1999年汚職防止取締法について確認してみよう。第9章「利益相反」が追加されており、第100条では利益相反の定義について、次のように定めている。
「国の職員は、以下の行為を行ってはならない。(1)国の職員が監督、管理、検査または法的手続きの権限を持つ政府機関との契約において、当事者となること又は利害関係者となること、(2)国の職員が監督、管理、検査又は法的手続きの権限を持つ立場で職務を行っている政府機関と契約を締結している合名会社又は会社の出資者又は株主となること、(3)国家、政府機関、国家機関、国有企業若しくは地方行政府との間で、直接的又は間接的に独占的性質を持つ契約の当事者となること、(4)民間事業の利益の性質が、公益若しくは公的な利益と矛盾する若しくは不一致である場合、国の職員の職務遂行の自律性に影響する場合、国の職員が所属する又は職務を行っている国家機関の監督、管理又は会計検査の下にある民間事業の役員、顧問、代表、職員又は被雇用者として利害関係を持つこと(以下省略)」
利益相反に該当すると見なされる範囲は、自身の職務に伴う管理監督権限を中心に、契約関係、出資又は株式保有及び雇用関係を幅広く包摂するものとされた。また、国家汚職防止取締委員会の発表により、第100条が適用される対象は、首相及び大臣であると定められた。
以上から、図1に示したように、汚職の法的定義は、賄賂の受理といった典型的な汚職から、特権の享受、そして株式保有の規制を含む利益相反の禁止への拡大していったことが分かる。しかし、利益相反とは、非常に境界線が曖昧な概念であり、定義の中ではクレーゾーンに属することが指摘されているものである。つまり、法的定義は、利益相反の取締対象行為を拡大したことで、「クロ」から「濃いグレー」そして「薄いグレー」へと、より曖昧な概念に向かって範囲を拡大させてきた。
[*7] 玉田芳史. 1988. 「タイの実業家政党と軍」『東南アジア研究』26(3): 293-307.
[*8] Thiraphat Serirangsan. 2010. Nakkanmueang Thai: Chariyatham, Phonprayot thapson, Kankhorapchan―Sapappanha, Sahet, Phonkrathop, Naeo thang Kaekhai. Bangkok: Saithran Publish. (タイ語)
「利益相反」の罪による政権打倒
タックシン裁判とサマック裁判という2名の(元)首相が被告となった裁判は、まさに利益相反の罪状を巡って争われた。利益相反の対象に政策を含むのか否か、首相の権限の範囲はどこまで認定されるのかといった、重要であるが憲法や法律の条文上では明確ではない部分について、裁判所による判断が下された。
(1)タックシン裁判(i)(最高裁判所政治職者刑事訴訟部判決 2008年10月21日)
2003年末に、タイ中央銀行の傘下の金融機関発展基金が競売に出していた土地を、タックシンの妻が落札した件に関し、夫であるタックシン首相(当時)が利益相反を犯したとして訴えられた裁判である。
判決では、汚職防止取締法第100条の利益相反に該当するとして、懲役2年の有罪判決が下された。裁判所が利益相反を認定した理由は、競売の対象となった土地を管理していた同基金は国が監督権限を持つ機関であり、首相としてのタックシンは、憲法、法律及び施政方針を通じて、国全体に対し監督権限を持つためであるとされた。
(2)タックシン裁判(ii)(最高裁判所政治職者刑事訴訟部判決 2010年2月26日)
タックシン元首相が在任当時に実施された5件の政策は、自らが実質的に株式を所有していた企業に有利に働くものであったとして利益相反に抵触するとされた訴訟である。判決では、5件中4件の政策に対するタックシンの利益相反が認定され、資産の一部を没収する旨の有罪判決が下された。いずれの案件も、2006年のクーデタグループが設立した資産調査委員会により調査が開始され、国家汚職防止取締委員会に引き継がれたものであった。
政策において利益相反が存在したと認定するために重要なのは、首相が持つ権限の範囲である。一連の政策は、タックシンが自己の権限及び地位を利用した結果なのか否かを検討しなくてはならない。
実際に各事業を決定、実行していたのは首相自身ではない。判決では、首相は、事業を直接担当する各大臣の任命を通じて、関係各組織に対して管理監督する立場にあったとされた。そして首相としてのタックシンは、法律の規定に基づき包括的な監督権限を有するがゆえに各行政組織に対して命令する権限を持っており、各省の大臣を通じて政策実行への責任を負うとされた。前述の判決と同様に、首相は、国政全体に対し非常に広範な権限を持つと認定され、そこには政策及び行政による事業全般が含まれることとなった。
(3)サマック裁判(憲法裁判所判決 2008年9月9日)
サマック首相(当時)がテレビで料理番組の司会を行ったことが、憲法で定められた兼業を紳士する規定に抵触し、首相の資格を喪失するとして訴えられた訴訟である。判決では、2007年憲法第267条に基づき、首相としての資格に抵触しており、第182条によって資格を失うと判断された。
第267条は、「首相及び国務大臣は、株式会社、会社、収益を追求又は収益の分配を目指す事業を営む機関におけるいかなる地位にも就任してはならず、又いずれかの個人の被雇用者となることも出来ない」と定めている。
争点となったのは、「被雇用者」の定義であった。それまでのタイの判例や通説を照らし合わせるならば、番組内で司会を行うことは番組制作会社の「被雇用者」を意味しなかった。しかし、判決では、憲法第267条の「被雇用者」の意味は、他の法律よりも広く解釈するべきであると判断された。つまり、首相や大臣に関する事業では、「被雇用者」の適用範囲を拡大すべきというのであった。
これらの判決からは、利益相反が首相に対しては、相当広範囲に認定されるようになり、そのため彼らが有罪判決を受けたことが明らかとなった。以前であれば、少なくとも法的には汚職とは判断されなかったはずである。2名の(元)首相は、新しく作り出された「汚職」によって裁かれた。
「利益相反」による取り締まりの難しさ
公務における利益相反とは、経済協力開発機構(OECD)のガイドラインによると、公的利益と公務を行う者の私的利益との衝突であり、公務を行う者の私的利益が不適切に彼らの責務の実行に影響を与えうる場合を指す、と定義されている。
しかし、利益相反の取り締まりは、困難な問題も抱えている。何故なら、現代社会では利益相反が起こる環境が急速に変化しており、公的セクターと私的セクターとの境界線が曖昧となり、両者を峻別することが非常に難しくなっているためである。法的定義の難しさは、法による取り締まりの限界を示している。また同時に、取り締まりが行き過ぎてしまいかねない危険性も内包している。
「政策汚職」による汚職取り締まり
政策は広範囲に影響を及ぼす性質を持っており、恩恵を受けるのはタックシンの身内の企業のみではなかった。本来、タックシンの政策は法的には汚職ではなく、裁くことはできない。それを汚職であると批判したかったマスコミや知識人らが頻繁に使用した言葉が「政策汚職」であった。
「政策汚職」とは、利益相反以上に曖昧な言葉であり、憲法や法律の規定には存在しない用語である。この言葉を使用して政権批判を行う知識人らも、「政策汚職」に違法性が無いことは暗に認めており、「新しく巧妙な汚職」であると述べている[*9]。
タックシン政権の「政策汚職」を裁くために、利益相反という概念を使用し、首相は、国政全体に対しては非常に広範囲な権限を持つと認定することで、タックシン首相に有罪判決が下された。
そして今回、インラック政権の「政策汚職」は、前述の通り、政策を中止しなかったことをもって、職務怠慢という規定により起訴されようとしている。インラック首相は、国家コメ政策委員会の委員長でもあるが、それでもなお、彼女が政策を中止しなかったという本件は、公務員の職務怠慢を取り締まる法律の、本来の意図や想定する範囲の外にある案件であることは、間違いないだろう。
実際に起訴された場合、タックシン裁判以上に、問題を含む裁判になる可能性がある。現実に実施段階では多くの汚職があったと思われ、これらが取り組むべき重要な問題であることは疑いようもない。しかし、政策を中止しなかったことが「職務怠慢」として法的に裁かれることが適切か否かについては別問題である。当該案件は、最高裁判所へ送付されるだけではなく、上院に送付される可能性もあるが、いずれにしても裁定結果に対しては混乱が生じるかもしれない。
汚職批判と民主化
汚職取り締まりの重要性については、改めて説明する必要はないだろう。民主化の進展のためにも、解決すべき問題のひとつである。しかし、政治家の汚職を理由に、民選政権をクーデタにより打倒する、選挙をボイコットして民主主義に基づくプロセスを停止させることに正当性はない。
一例を挙げてみよう。アジア諸国で最も汚職が少ない国は、シンガポールである。2012年のフリーダムハウスの統計によると、北欧諸国についで世界5位にランキングされている[*10]。しかしシンガポールは、政治的自由や市民的自由について7段階中4番目という低い評価を受けており、民主体制と専制の間のハイブリッドであるとされている[*11]。汚職を撲滅すれば民主化への準備が整うという訳ではない。あくまでも、民主主義的プロセスを維持しながら、時間をかけて汚職問題を解決していくしかない。
21世紀に入ってから、タイでは政治家の汚職が法廷の場で争われることが常態化した。社会的な信用度が高い法廷において、政治家が有罪判決を受けることは、政治家及び議会制民主主義に対する国民の不信感を醸成する効果があることは否定できない。しかし、前述したように、世界的にもクーデタの大義名分として政治家の汚職が利用されることは珍しくない。汚職批判が、政治的道具としても使用されうる点にも注意を払うべきであろう。今回のコメ担保融資制度を巡る訴えにも、タイにおける政治家の汚職取り締まりや、汚職批判に関する問題点が受け継がれているといえよう。
[*9] The Nation (October1, 2007)
[*10] http://www.transparency.org/cpi2012/results
[*11] http://graphics.eiu.com/PDF/Democracy_Index_2010_web.pdf
サムネイル「Prime Minister of Thailand」Foreign and Commonwealth Office
https://flic.kr/p/dt5X3C
プロフィール
外山文子
筑波大学人文社会系准教授、京都大学東南アジア地域研究研究所連携准教授。京都大学博士(地域研究)専門はタイ政治、比較政治学。早稲田大学政治経済学部卒政治学科卒、公務員を経て、京都大学大学院アジア・アフリカ地域研究研究科博士課程修了(2013年)。主な論文に、「タイ立憲君主制とは何か―副署からの一考察」『年報 タイ研究』第16号、PP.61-80、日本タイ学会、2016年、「タイにおける体制変動―憲法、司法、クーデタに焦点をあてて」『体制転換/非転換の比較政治(日本比較政治学会年報第16号)』ミネルヴァ書房、PP. 155-178、2014年、「タイにおける汚職の創造:法規定を政治家批判」『東南アジア研究』51巻1号、PP. 109-138、京都大学東南アジア研究所、2013年など。