2024.05.28
経営学の理論を掘り下げ、人生の哲学を体系的に語りなおす
経営理論を通じて人生を考える、という新しいアプローチを提案する橋本努氏。その意図や狙い、そして現代社会における自己探求の必要性についてお聞きしました。『「人生の地図」のつくり方 悔いなく賢く生きるための38の方法』(筑摩書房)がどのようにして生まれ、経営理論が人生設計にどのように役立つのか、さらにAIが進化するなかでの人生論についてお話しいただきました。(聞き手・構成 / 芹沢一也)
芹沢 はじめに、本書の狙いを教えてください。なぜ、人生について、それも経営理論を通して、人生について考えようと思ったのでしょうか?
橋本 自分の人生って何なんだろうと、ふっと思いますね。あるいは、他人の人生をみて、その人の人生って何なんだろうと。人生について、ときどき思いをめぐらせるのですが、そこから真剣に考えようとするときに、意外と参考になる本がないなと思っていました。人生について考えるとき、映画やTVドラマなども参考になりますが、体系的に書かれた本が少ない。
たとえば、「人生」と「哲学」というキーワードでアマゾンで本を検索すると、ショーペンハウアーとか、昔の哲学者の名前が少し出てきます。あとはほとんど経営者の成功物語といった感じです。これでは何を読めばいいのか見当がつきません。いったいどうして人生に関する哲学というのは、これほど見るべきものがないのでしょうか。これが初発の問題関心でした。
一方で、経営学の理論というのは現在、とくにMBA(大学院の修士課程)コースで教えられていますけれども、心理学や哲学などの近隣の学問の成果を摂取して、体系化されています。ビジネスをする上で、どう生きるべきかといった実践的な心得をたくさん蓄積しているんですね。これは面白いですね。MBAのために、いろいろな学問の成果が体系的に集結している。
MBAは、ビジネスする人たちの常識となる知を体系的に学ぶコースです。ビジネスをするわけですから、勤勉に働かなければならないし、効率的に物事を処理していかないといけない。自律的に判断する必要もあるし、他人の信頼を得なければならない。だからやっぱり人間を鍛えなければならないし、いろいろな教養も必要になってくる。そういったビジネスの領域での人生論議は底が浅いと言われるかもしれませんが、それでも人生論的な問いを立てて答えを与えています。
それは決して「人生の目的はビジネスで成功することだ」というのではなく、「人生を考えるときに、日々の生活でこういったことが重要だよ」というノウハウになっている。そのようなノウハウに関する理論を掘り下げていくと、人生の哲学を体系的に語りなおすことができるのではないかと直感的に思ったのです。
私がこれまで研究してきた政治思想や社会哲学の領域では、「人生」とか「善き生(good life)」について考えてきたのは、主としてコミュニタリアン(共同体主義者)の思想家たちです。たとえばチャールズ・テイラーの『自我の源泉』や、アラスデア・マッキンタイアの『美徳なき時代』などは、人生の哲学という観点からみても名著だと思います。
ただ、コミュニタリアンの思想家たちは、基本的にはキリスト教を土台にしているんですね。これに対して、保守主義者たちは、たとえば戦争で命を落とした英霊たちを崇めることで、栄誉ある精神を自分のなかに呼び覚まそうとします。戦争をもちだして、よい人生について考えようというわけですね。では、リベラルやリベラリズムの場合はどうでしょう。うんちくのある人生哲学を語った思想家はあまりいないですね。これがリベラリズムの魅力を押し下げているのではないかとも思います。
それで私はこう考えるんです。リベラルやリベラリズムというのは、近代の啓蒙主義を基礎として発達してきた思想であり、それは主として社会理論をベースにした思想です。そこでそうした社会理論を用いて、よい社会を考えるだけでなく、よい人生についても考えることができるのではないかと。これは私の二冊目の本、『社会科学の人間学』のテーマでもありました。
私たちは、実際には無知に囲まれていて、どんな人生がよいのかよく分からないのが現実です。でも、無知だからという理由で、そこからすぐに宗教や英霊の世界に行くのではなく、「無知とは何か」「知とは何か」についての社会哲学を通じて、人生について考えていくことができます。人生の哲学というのは、社会理論によってもたらされた知を哲学することによって、さまざまに得られるのです。
それは宗教における原理的な考察に似ている面もあります。「なぜ知ることができるのか、できないのか」という根本的な問題です。そのような方向に探究を進めていくとき、ビジネスの理論というのは私たちにとって、ひとつのよい入り口になるのではないかと思います。
芹沢 なるほど、たしかに「リベラルな人生論」というのは、あまり聞かないですね。むしろ、人の人生に介入するのをいやがるのがリベラルですから、「いかに生きるべきか」という問いと相性が悪いのでしょうね。対して、MBAで教えられる経営学の理論には、さまざまな学問的成果が体系的に蓄積されて、そこから人生の哲学を汲み取ることができる、という発想はとても興味深いです。
本書では多くの経営理論やビジネスの理論が紹介されていますが、たしかにそこでは、自分がどういう人間かを知ること、そして、自分が社会や組織のなかでどのようなポジションが向いているのかを知ることが、とても重視されていますね。
しかし、本書でも少し触れられていますが、こうしたことは将来、AIがとてもうまく行うことができるようになりそうです。それこそ、心理学や生物学、哲学などの学問的成果をすべて吸収し、ビッグデータを駆使して、究極の回答を与えてくれるかもしれない。そうなると、AIによって自分がどのような人間かを知らされ、そしてAIによってどう生きるべきかを伝えられる、そうした未来が来るかもしれません。
橋本 たとえば、「私はどんな仕事に向いているでしょう?」とChatGPTに質問するとして、近い将来、本当に的確な答えが返ってくるかもしれませんね。そうなると、自分の「人生の地図」はChatGPTのようなAIが描いてくれるかもしれませんね。
たとえば、ChatGPT:「あなたのこれまでのネット閲覧記録からすると、あなたが人生で成功する確率はxパーセントです。失敗する確率はyパーセントです。いまのネット生活を見直しましょう」とか。こんな感じになるかもしれませんね。
しかしいまのところ、AIは「あなたにとって本当に意味のある人生はこれです」という具合に教えてくれるわけではありません。もしかするとこれに近いアドバイスをAIがしてくれるかもしれませんが、それを信じるとなると、AIはほとんど宗教ですね。将来的には、「AIを信じる者は救われる」という時代が来るのかもしれません。
ですが、いまのところ、私たちが「自分にとって本当に意味のある人生」を考えるためには、たとえば「ホランドの職業理論」とか「キャリア・アンカー理論」といった理論的なツールが役に立ちます。こういった理論を知ることで、私たちは自分の人生について、もっと深く考えることができる。私たちの思考を助けてくれるでしょう。
しかし問題は、こうした有名なビジネス理論であれば、必ず「批判」や「対案」や「改良版」が提起されているはずです。ところが不思議なことに、ビジネス理論についての解説書や入門書は、有名な理論をたんに紹介するだけで、そのテーマをめぐる最先端の議論を紹介していないんですね。海外でもそういった本が出ていない。これはつまり、世界的にみて、経営学の理論を体系的に研究する人が少ないということだと思います。
『「人生の地図」のつくり方』では、MBAで教えられているビジネス理論のなかから、人生に関係するものをできるかぎり網羅的に取り上げて、それらの理論に対する「批判」「対案」「改良版」を紹介しています。あるいは、私自身が新たな「改良版」を提起しています。人生を考えるうえで役に立ちそうな理論を、いわばアップデートしています。
私たちは、有名なビジネス理論を鵜呑みにするだけでは、深いところには到達できません。有名な理論をめぐって、いまどんな議論がなされているのか。そうした「知の最前線」を一通り見てから考えようというのが本書のひとつの特徴です。
ビジネスの理論にかぎらず、理論というものは、つねに改良に開かれています。同様に、自分で描く「人生の地図」というのも、つねに改良に開かれています。改良できることを前提にしないと、人生論議もまた平板なものになってしまうでしょう。「本当に意味ある人生」を求めるとすれば、ドグマ(独断)に陥らずに、人生の地図をつねに改良していくべきであり、そのためには理論のアップデートが必要です。
芹沢 やはり、自分にとっての「善き人生」を見出し、それを歩んでいくためには、試行錯誤のプロセスが不可欠であって、AIから教えてもらうというのは本末転倒なんでしょうね。人の生き方は、未来や可能性につねに開かれているというところが、ひとつポイントなのでしょう。
ただ、自分はどういう人間なのか、そしてどういう人生を歩むべきなのか、こうした問いは、多くの人にとって無縁であり、あるいは贅沢品だと思います。毎日の生活に追われている人は、経済的にも、あるいは精神的にも、そうした問いを抱える余裕はないでしょう。しかしながら、少なくとも国や社会を引っ張っていくリーダーたちには、こうした問いを自らに問うてほしいと思います。
橋本 自分はどういう人間なのかとか、どういう人生を歩むべきなのかとか、そういった問いは若いときには切実になるのですが、齢を重ねると、しだいに問いそのものがどうでもよくなるというか、「何を言っているんだ」という感じになってきますね。そんなストレートなことは問わないでくれ、大人なんだから、という感じになってくる。それで私たちの年齢になると、人生について語るのはお互いに「痛い話」になるからやめよう、ということかもしれません。
でも最近、ダニエル・ピンクなどのコンサル系のビジネス・リーダーたちは、経営のトップこそ、よい人生とは何かについて深く語れなければダメだ、といったことを書いていますね。「もしあなたに20億円の貯蓄があるとして、あと10年しか生きることができないとしたら、そのときあなたはいまの仕事を続けますか」と。
この問いに、芹沢さんだったらどう答えますか。あるいは読者のみなさんは、どう答えますか。もし答えが「いいえ」だったら、それはあなたの人生について、何事かを教えてくれるでしょう。仕事は生きがいになっていない、ということですね。あるいは、もっと大切な生きがいがあるはずだ、ということですね。
しかし、経営者を含めて各界のリーダーたちは、この答えに「はい」と答えるのだと思います。お金の問題はそれほど重要ではない。自分の仕事はやる価値があるのだと。別の言い方をすれば、そのような仕事をしているリーダーでなければ、組織や業界をうまく統率できないでしょう。組織のリーダーがたんにお金儲けのためにビジネスをしているのだとすれば、従業員のやる気を引き出すことができないのだと。
最近、「ウォーク資本主義(woke capitalism)」という言葉が用いられています。「意識高い系資本主義」と訳されたりしますが、これは環境問題や人権問題に積極的に取り組むような、いわば社会問題に「目覚めた」人が経営のトップに立って世界を変えていく、という現象を表しています。たとえば、マイクロソフト社のビル・ゲイツ氏が、脱炭素化に取り組んでいるといった活動ですね。もちろん限界もありますが、意識の高いリーダーたちを、私たちが社会的に賞賛する、あるいはこれから育てていくことは、いま求められているのだと思います。
芹沢 「20億円あって、あと10年の命」だったら、いまの仕事を完成させることに、残りの人生を費やすと思います。一度、存分な予算を使って、シノドスをやってみたいですね。
橋本さんがおっしゃるように、社会的な使命感をもった倫理的な経営者やリーダーが、もっと増えてくれるといいですよね。とくに最近は、お金よりも社会貢献を重視する若者が増えていますから、そうした若者の思いに応えてくれるリーダーが求められていると思います。
最後の質問です。橋本さんが小学生を前に、人生について語るとします。未来の日本、そして世界を担う子どもたちに、本書を踏まえてどのようなことを伝えたいですか?
橋本 小学生のみなさん、こんにちは。
みなさんは、自分のお父さんや、お母さんのような人になりたいですか。あるいは学校の先生のような人になりたいですか。もし、お父さんもお母さんも、先生たちも参考にならないとすれば、自分の人生、なかなか先が見えませんよね。でも心配ありません。自分が何になりたいか、あせって決める必要はありません。
それでも、プロ野球の選手になりたいとか、ユーチューバーになりたいとか、あこがれの人がたくさんいるといいですね。いろんな人にあこがれると、自分の人生の「モデル(模範〔もはん〕)」が増えます。人生について考えるための情報が増えます。
やがてみなさんは、大人になっていきます。しかし大人になっても、じつは大人たちは子どもの心をもち続けるんですね。心理学者のS・シュタールによれば、「私」という存在は「ひなた子」と「影子〔かげこ〕」と「大人」という、三つの部分から成り立っているといいます。
ひなた子とは「陽気な内なる子ども」です。わーい、わーい、とよろこぶ子です。影子とは「傷ついている内なる子ども」です。ダメだ、もっと完ぺきにやらないと・・・と反省します。人は大人になると、この二人の内なる子どもと、そして一人の大人が合体した存在になります。
大人になっても、わーい、わーい、という喜びの感覚や、これじゃダメだ、という反省の感覚は残るんです。どうかみなさん、この二つの感覚を大切にしてください。というのも、大人たちはしだいにこうした感覚を失っていくのですが、すると魅力のない大人になってしまいます。
ただ、わーい、わーい、ばかり言っていると成長しません。ダメだ、ダメだ、と言ってばかりでも成長しません。この二つはどちらも必要です。「ひなた子」の感覚は、冒険心や探求心を与えてくれます。影子の感覚は、完璧にやろうとか、ハーモニーが大切だ、という感覚を与えてくれます。どちらも人生を歩むうえで、重要な感覚を発達させてくれます。
中学生になると、小学生は子どもっぽいなあ、とか、もっと大人になりたいなあ、と思うようになるかもしれません。でも、急いで大人になる必要はありません。むしろ、いまみなさんがもっている「ひなた子」と「影子」の感覚を忘れないでくださいね。もし忘れたら、自分よりも低学年の人たちの姿を見て思い出しましょう。
私は、子どもの感覚って大切だなあと思います。そして大人たちが、「子どもって、いいなあ」と思う社会は、じつは大人にとってもいい社会だと思います。大人たちは、じつは隠れて子どもたちから学んでいます。子どもの感覚を忘れたら、つまらない大人になってしまうことを知っているからです。それでも大人は子どもの感覚を忘れてしまいます。ですので私は、子どもたちから学ぶことができる社会をつくれたらいいなあ、と思います。
まとめます。本日の一言です。「自分よりも年下の子どもから学んでみよう」。
忘れかけた子どもの感覚を取り戻してみよう、ということです。
ありがとうございます。
プロフィール
芹沢一也
1968年東京生。株式会社シノドス代表取締役。シノドス国際社会動向研究所代表理事。SYNODOS 編集長。慶應義塾大学大学院社会学研究科博士課程単位取得退学。著書に『〈法〉から解放される権力』(新曜社)など。
橋本努
1967年生まれ。横浜国立大学経済学部卒、東京大学総合文化研究科博士課程修了(学術博士)。現在、北海道大学経済学研究科教授。この間、ニューヨーク大学客員研究員。専攻は経済思想、社会哲学。著作に『自由の論法』(創文社)、『社会科学の人間学』(勁草書房)、『帝国の条件』(弘文堂)、『自由に生きるとはどういうことか』(ちくま新書)、『経済倫理=あなたは、なに主義?』(講談社メチエ)、『自由の社会学』(NTT出版)、『ロスト近代』(弘文堂)、『学問の技法』(ちくま新書)、編著に『現代の経済思想』(勁草書房)、『日本マックス・ウェーバー論争』、『オーストリア学派の経済学』(日本評論社)、共著に『ナショナリズムとグローバリズム』(新曜社)、など。