2025.02.10

『平成金融史 バブル崩壊からアベノミクスまで』(西野智彦)

中里透マクロ経済学・財政運営

平成金融史 バブル崩壊からアベノミクスまで

著者:西野智彦
出版社:中公新書

「大手20行は潰さない」。今から28年前(1997年2月10日)、三塚大蔵大臣(当時)は衆議院予算委員会でこのように表明しました。

しかしながら、その思いはかなわず、97年11月には三洋証券に続いて拓銀(北海道拓殖銀行)が破綻。金融危機が現実のものとなりました(11月24日には山一證券が自主廃業、翌年、98年10月には長銀、12月には日債銀が一時国有化)。思えば平成は、金融危機と金融再編の時代でもあったのです。

今回ここでとりあげるのは西野智彦著『平成金融史』(中公新書)。本書は、「地平らかに天成る」とはいかなかった平成の時代を、金融の視点から振り返る一冊です。

平成金融史の起点はバブルが最高潮に達した1989年。年末には日経平均株価が3万8,915円87銭の史上最高値(当時)に達するも、90年の年初から株価は下落。これがバブル崩壊の起点となり、景気の悪化と相まって不良債権が増加。先の見えない、出口のわからない不安な時代が訪れました。

公的資金の投入はなぜ遅れたのか。住専(住宅金融専門会社)の問題はどのようにして生じ、その処理はなぜ先送りされたのか。三洋証券の倒産(会社更生法適用申請)はどのような経過をたどって拓銀の破綻と山一證券の自主廃業をもたらしたのか。本書にはこれらのことが圧倒的な臨場感をもって鮮明に描かれています。

面白いエピソードをひとつ拾うと、それは1989年5月の公定歩合引き上げに至る過程での福井俊彦日銀総務局長(当時)と黒田東彦蔵相秘書官(当時)の話。

黒田氏の口述記録によれば「福井局長はインフレの恐れがあるから金利を上げたいという理屈をやめたのですよ。(中略)その時の言い方はノーマライゼーション(正常化)。要するにこれ以上低金利で景気を刺激する必要はもうないと。だから、要するに締めるのではなくて、ノーマライズするだけだ」というお話だったとのこと。

「円高不況」から「平成景気」へ至る1980年代後半の経過と(当時は「バブル」とは認識されていませんでした)、「コロナ禍」から「物価高」へと至るこの5年ほどの経過。歴史が韻を踏むのかはわかりませんが、このところ、「金融緩和の度合いの調整」が進む中、ちょっと気になるエピソードでもあります。

プロフィール

中里透マクロ経済学・財政運営

1965年生まれ。1988年東京大学経済学部卒業。日本開発銀行(現日本政策投資銀行)設備投資研究所、東京大学経済学部助手を経て、現在、上智大学経済学部准教授、一橋大学国際・公共政策大学院客員准教授。専門はマクロ経済学・財政運営。最近は消費増税後の消費動向などについて分析を行っている。最近の論文に「デフレ脱却と財政健全化」(原田泰・齊藤誠編『徹底分析 アベノミクス』所収)、「出生率の決定要因 都道府県別データによる分析」(『日本経済研究』第75号、日本経済研究センター)など。

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