2018.05.28

「もう一つの近代」という希望――長い帝国崩壊の過程のなかで

『イスラーム主義』著者、末近浩太氏インタビュー

情報 #イスラーム主義#新刊インタビュー

現代の中東は「長い帝国崩壊の過程」にある。そして、「アラブの春」は一時的にフリーズされていたこの過程を再始動させた。だが、「あるべき秩序」をめぐる問いは、独裁者の復活や内戦の勃発、テロリズムの猛威によって抑え込まれてしまった。はたしてイスラーム主義は「もう一つの近代」という希望を灯すことができるのか? 『イスラーム主義』の著者、末近浩太氏に話を伺った。(聞き手・構成 / 芹沢一也)

「あいだ」を意識する

――最初に本書のコンセプトを教えてください。

本書は、いくつかの「あいだ」というものを意識して書かれました。「あいだ」というのは、何かと何かの「あいだ」ということですが、ここでは、「どちらにも属さない」という意味ではなく、両者を「橋渡しする」という意味で用いています。

――具体的には何と何の「あいだ」なのでしょうか?

まず、中東とイスラームの「あいだ」です。

本書は、あとがきでも述べたように、「中東政治」と「イスラーム」のそれぞれの研究の「あいだ」にあります。中東という地域で起こっている政治現象を探究することと、イスラームという宗教の内実を紐解いていくことは、本来的には異なる作業です。

中東情勢を理解したければ、当然、取り組むべきは前者ということになりますが、「場合によっては」後者も重要である、というのが本書のスタンスです。

――「場合によっては」ですか?

この「場合によっては」というのがポイントです。

言うまでもなく、中東の政治現象すべてにイスラームが関わっているわけではありません。独裁も紛争も民主化も、また経済停滞・発展も、それらの原因や背景をイスラームというマジックワードで説明することはできません。

重要なのは、中東にはイスラームが関わる政治現象が、観察可能な事実として単純に存在する、ということです。そして、そのもっとも顕著なものが、本書が取り上げるイスラーム主義です。政治的イデオロギーであるイスラーム主義は、中東とイスラーム、広くは政治と宗教の「あいだ」にあるものと言えます。

――イスラーム主義とは何でしょうか?

イスラーム主義は、イスラームの教えに根ざした社会変革や国家建設を目標とする政治的イデオロギーです。

――なるほど、たしかに宗教と政治にまたがるものですね。

はい。イスラーム主義は、中東政治のあり方を大きく左右する存在であり続けてきました。具体的には、社会運動や政党、あるいはテロ組織などのかたちを取りながら、権威主義体制の持続や民主化の成否、紛争の発生と長期化などに大きく影響しています。

この事実を真正面から捉えようとするならば、中東とイスラームの両方に目配りする必要がある、あるいは、それぞれの研究を架橋していくのが有効ではないか、というのが本書で伝えたかったことです。

結局のところ、政治と宗教の絡み合いが観察できる以上、それを理解するためには政治と宗教の両方の研究の「良いとこ取り」をすればいいじゃないか、という身も蓋もない議論なのかもしれません。が、アカデミックな出自や訓練経路の違いにかかわらず、いろいろな手法や方法論を試したり、知見を増やしていった方が有益だし、楽しいのではないでしょうか。

「反」でもなく「親」でもなく

――イスラーム主義に着目すること自体が、政治と宗教の「あいだ」というスタンスを要請するわけですね。

もう少し真面目に言えば、このような「あいだ」を目指すスタンスには、異文化としてのイスラーム理解を変えるという意義もあるのではないか、と考えています。それは、つまるところ、「反イスラーム」と「親イスラーム」の「あいだ」を行くということです。

しばしば指摘されることですが、イスラームをめぐる言説は、かなり明確なかたちで「反」と「親」に二極化してきました。「イスラームは危険な宗教だ」、「いや、イスラームは平和な宗教だ」とシーソーゲームが続いてきたわけです。

異文化へのまなざしは、本質主義的になりがちです。つまり、「結論先にありき」で、見たいものしか見ない、見たくないものは見ない、というスタンスになりがちです。こうした状況は、右派と左派、保守とリベラルが互いに没交渉になっている今、いっそう顕著になっているように思います。その結果、シーソーゲームは際限なく続きます。

――そこは一読者として混乱するところです。本来はイスラームは平和な宗教なんだとか、いやイスラーム自体に暴力的なロジックがあるのだとか。

そうですよね。それに対して、本書のアプローチは、「反」でもなく「親」でもなく、政治と宗教の関係に着目することで、イスラームという宗教が持つ様々な側面のそれぞれが、どのようなときに、どのような条件下において表出するのか、探究していくものになっています。

もちろん、イスラームという宗教の内的論理を掘り下げていくことは重要な仕事です。しかし、それだけでは、中東政治を説明することにはなりません。重要なのは、それを踏まえた上で、その内的論理がどのようなときに暴力を生んだり助長したりするのか、また反対に、どのようなときに平和の確立や持続に寄与するのか、政治の現実と接続しながら論じていくことでしょう。

――言われてみれば当然なのですが、こと中東に関しては政治と宗教を短絡する論調が目立ちます。

こうした考え方は、社会科学の発想、とくに従属変数と独立変数による因果関係の解明を目指すアプローチに近いと言えるかもしれません。そうすることで、イスラームを「そもそも…」と本質主義的に考えるのではなく、現実世界のなかで動きのあるものと捉えることが可能になります。

具体的には、本書では、イスラームの教えに関する記述は簡潔にとどめ――それについては、他に良書がたくさんありますので――、あくまでも、人間(ムスリム)による解釈の営みに注目するかたちで議論が組み立てられています。

現実の政治の変化にしたがってイスラーム解釈は変わる。そして、その新たなイスラーム解釈が現実の政治に作用する。本書は、この2つの因果関係をそれぞれ記述していくスタイルをとっています。「政治が宗教に与える影響」と「宗教が政治に与える影響」を往還しながら記述していくスタイルです。

イスラーム主義とは何か?

――イスラーム主義について、もう少し詳しく教えてください。

先ほど、イスラームの教えに根ざした社会変革や国家建設を目標とする政治的イデオロギーと言いましたが、人びとが自らの拠り所としてきた文化や歴史に基づく秩序を打ち立てようとする試みは、「西洋の衝撃」を受けた非西洋世界、アジア・アフリカ諸国に広く見られた現象でした。

私たちは、うっかりすると想像力を欠いてしまうのですが、19世紀末や20世紀初頭に生きていた人たちは五里霧中にありました。自分たちの社会や国家が大きく動揺し、この先どうなるかわからない状況です。西洋的近代化が世界を覆い尽くした今日のような状態はあくまでも結果論であり、当時の人たちにはそれを知るよしもなかったわけです。

そうしたなかで、自らの未来を自らの手で拓いていくために、人びとはナショナリズムや反植民地運動などを生み出していったのですが、イスラーム主義もそうした営みの1つのバリエーションであったと見ることができます。

――西洋近代への適応、あるいは応答の過程のなかで出てきた、新しい秩序を模索し構築するためのイデオロギーということですね。

はい。とはいえ、本書のなかでも繰り返し指摘していますが、本流のイスラーム主義は、近代西洋を拒絶するのではなく、「採り入れられるものは採り入れる」ことの重要性を説いてきました。

むしろ、新たな事物を採り入れた姿こそが真のイスラームである、という主張すらしてきました。そこには、神に真摯に向き合わなくなった人間の姿勢、言い換えれば、神の意思としてのイスラームを解釈するための営みが停滞していたことに対する批判が込められていました。

イスラーム主義は、その黎明期において、近代西洋との関わり合いを通した思想的なイノベーションの可能性を持っていたわけです。

――たんなる保守反動ではなかったわけですね。

はい。ところが、イスラーム主義者の一部は、やがて近代西洋を拒絶したり、憎悪するようになりました。過激派の台頭です。

しかし、その原因は、イスラーム主義の思想的な内実よりも、それを取り巻いていた環境に求める方が適切でしょう。先に述べたように、人間によるイスラーム解釈の変化を従属変数とすれば、独立変数は政治のあり方、例えば、弾圧や不公正の度合いということになります。

歴史的なパースペクティブの重要性

――イスラーム主義に着目する本書は、現代の中東は「長い帝国崩壊の過程」にある、としています。

本書では、19世紀から現在までという、長めの時間軸を設定しています。そこには、実態と分析の両面における狙いがあります。

まず、実態の面としては、本書のなかで詳述したように、イスラーム主義は現代の中東が形成されていくなかで生まれた政治的イデオロギーです。20世紀初頭にオスマン帝国が崩壊し、現在の国民国家としての中東諸国が誕生した結果、政治と宗教の関係をめぐる問題、そして、その解決のための1つのイデオロギーとしてのイスラーム主義が生まれました。

なので、イスラーム主義とは何か、一般にあまり知られていない現状において、まずはそれを中東の現代史のコンテクストにしっかりと位置づけることが必要だと考えました。いわば基礎知識としての現代史だけでなく、イスラーム主義の誕生・発展・変容の大まかな流れを記しておいた方がよいかと。

――近代ヨーロッパにオスマン帝国が浸食されていくなかで、新しい秩序を模索するイスラーム主義が誕生し、成長してきた経緯を描いている。

はい。そして、分析の面では、確かに、先ほど述べた因果関係という意味では、必ずしも19世紀末からの150年間のタイムスパンを取らなくてもよいのかもしれません。

しかし、因果関係を考える上でも、歴史的なパースペクティブは重要です。というのも、それを等閑視してしまうと、有意義な問いや仮説を立てることを阻害する可能性があるからです。

――どういうことでしょうか?

ひとつ例をあげると、2011年からのシリア紛争でイスラーム主義勢力がなぜ台頭したのか、という問いがあります。これについては、せいぜい6〜7年遡れば、一定の説明を与えることができます。例えば、内戦や紛争による「破綻国家」が武装勢力やテロリストの温床となるという一般的な理解=答えがあり、実際にそうした分析が数多くなされました。

しかし、歴史的に見ると、そもそもシリアにおいて長年にわたって反体制諸派を率いていたのはイスラーム主義者たちでした。これを踏まえると、先ほどの問いの意義自体が揺らいできます。もちろん、当たり前だと思われてきたことの検証は大事ですが、それでもシリアの歴史から遊離した一般的な議論ばかりしていても、肝心なところを見落とし続けてしまいます。

読者の方からいただいた感想でも、「イスラーム主義が歴史的な出来事の連鎖のなかで論じられていることで、これまで断片的だった知識や情報がつながった」というものがいくつかありました。日本において、イスラーム主義の話題は一過性のものになりがちです。大きな事件があったときには注目されるが、すぐに忘れ去られる。その繰り返しです。その意味でも、歴史的なパースペクティブは重要だと思います。

イスラームと西洋的近代化

――イスラームにおける西洋的近代化、あるいは近代西洋のローカライズはとりわけ困難に満ちているように見えます。

近代西洋起源の事物のローカライズをめぐる困難は、20世紀の中頃には世界中で目立つようになりました。とりわけ、1970年代に顕在化した宗教復興の動きは、世俗化や世俗主義へのアンチテーゼとして、西洋的近代化を既定路線とする考え方への異議申し立ての側面を持っていました。

しかし、だからといって、ローカライズのプロセスが完全に暗礁に乗り上げてしまったかといえば、おそらくそうではありません。というのも、西洋近代起源の事物も現実には取捨選択されており、完全に拒絶されているわけではないからです。

問題は、その取捨選択の基準ということになります。イスラームの場合でいえば、その基準は、教義のレベルから演繹されることもありますが、実際にはその時々の人間(ムスリム)の解釈に大きく依ります。

――具体的にはどういうことでしょうか?

例えば、イスラームの教えでは経済活動における利子が明確に禁止されていますが、現実にはイスラーム銀行やイスラーム金融といった新しい仕組みが次々に開発されています。

今日の世界において、資本主義に背を向けながら経済活動を行うことは不可能です。つねに移ろいゆく現実のなかで、人間は神の意思の解釈を繰り返しながら、その時々にふさわしいイスラームのあり方を追い求めるのです。

重要なのは、その解釈の内実が近代西洋との関係、とくに欧米諸国との政治的な関係に左右されるということです。関係が悪くなれば、近代西洋の事物を拒絶しようとする声も出てきます。先に述べた過激派の台頭と同じ仕組みですね。

――なるほど、宗教に原因があるように見えても、背後には政治的な問題があるというのがよく理解できます。

「イスラームの戦い」と「テロとの戦い」の悪循環

――なぜ、イスラーム主義運動は欧米諸国に敵意を抱くに至ったのでしょうか? 

イスラーム主義の過激派――本書ではジハード主義者と呼んでいますが――、彼ら彼女らの登場は、あくまでも中東の政治的混乱の1つの結果と見る必要があります。

ジハード主義の元祖「第一世代」は、あくまでも中東諸国の内部で起こった独裁や弾圧の産物です。彼ら彼女らが敵視していたのは、欧米諸国ではなく、あくまでも「近い敵」である中東の独裁者でした。しかし、「第二世代」は、欧米諸国という「遠い敵」をターゲットにするようになりました。その背景には、欧米諸国の外交政策の杜撰さがありました。

とりわけ、アメリカは、良くも悪くも中東に繰り返し介入してきましたが、そこで暮らす人びとの信頼を勝ち取れていません。その原因の1つには、パレスチナ問題への対応、とりわけ、イスラエルへの一方的な肩入れがあります。最近でもトランプ大統領がエルサレムをイスラエルの首都と認定する宣言を出し、中東諸国からの顰蹙(ひんしゅく)を買ったばかりですね。

ここから先は悪循環です。ジハード主義者が反米感情をたぎらせ、「イスラームの戦い」の名の下でテロリズムや武装闘争に手を染める。これに対して、アメリカは「テロとの戦い」を掲げて軍事介入を実施する。そして、軍事介入や付帯被害(コラテラルダメージ)が中東の人びとの反米感情を惹起し、新たなジハード主義者やその支持者を増やす。

――現在、まさに世界を悩ませている悪循環です。

こうした悪循環は、「第二世代」のアル=カーイダによる2001年9月11日の米国同時多発テロ事件をきっかけに始まったと思われがちですが、事件の首謀者ウサーマ・ビン・ラーディンが激しい反米感情を抱くに至った背景については、1980年代のアフガニスタン戦争まで遡って考える必要があります。詳しくは、本書の第6章に譲りますが、当時は米国とビン・ラーディンは対ソ連戦において共闘関係にありました。

さらにいえば、ジハード主義者の「第二世代」を涵養したアフガニスタン戦争の原因は、1979年2月のイランにおけるイスラーム主義者による革命の成功、すなわち、イラン・イスラーム革命まで遡って考えなくてはなりません(本書の第5章)。

本書は、先に述べたように、中東の現代史のタイムスパンを長めにとることで、こうした出来事や因果の連鎖のようなものを掴めるようにしてあります。

「アラブの春」と「あるべき秩序」の模索

――本書のパースペクティブにおいて、「アラブの春」はどのような意味をもつ出来事だったのでしょうか。

もはや死語になりつつある「アラブの春」ではありますが、その発生原因の解明をめぐる研究はまだまだ途上にあります。ただ、確実に言えるのは、多くのウォッチャーがこの政治現象を予見できなかったことです。

理由はいろいろあったと思いますが、その1つとして、体制転換のシナリオを想定する際に、イスラーム主義者の存在に捕らわれすぎていたことを指摘できます。

中東の独裁者たちにとっての最大のライバルが、他ならぬイスラーム主義者でした。エジプトのムバーラクもシリアのアサド(親子)も、世俗主義のナショナリストであり、イスラーム主義を掲げる人びとや運動を警戒していました。

そのため、多くのウォッチャーは――私自身も含みますが――、いつか独裁者が倒れるのだとすれば、それはイスラーム主義者によって成し遂げられると見ていました。

ところが、実際に「アラブの春」の抗議デモを主導したのは、イスラーム主義者ではなく、(彼ら彼女らを含む)一般の人びとでした。つまり、「春」は、世俗主義に対するイスラーム主義の攻勢によってではなく、むしろ、こうしたイデオロギー闘争から距離を置いた一般の人びとによる、もっと生活に根ざした心からの怒りや不満によって起こったのです。

――いわば「ピープルズ・パワー」による革命だった。

はい。しかし、だからといって、イスラーム主義の役割が終わったわけではありませんでした。革命による体制転換後に必ず浮上するのが、どのような国家や社会を築くのか、という問いです。

「アラブの春」では、この段階において、イスラーム主義者が強い大衆動員力を見せました。それは、彼ら彼女らが比較的明確なビジョンを持っていたからです。他方、イスラーム主義者でない人びとも、自らの信念にしたがって、社会や国家のあるべき姿を訴えました。

本書では、こうした中東の人びとによる「あるべき秩序」の模索をデフォルトの状態と捉えています。そして、その状態の起源は現在の中東が誕生した20世紀初頭、オスマン帝国の崩壊にあると論じています。

長年の独裁政治は、中東の人びとから自由を奪う代わりに、「帝国後」の「あるべき秩序」の定まらない不安定な状況を力によって「封印」してきました。「アラブの春」はその「封印」を解いた事件であり、また、「あるべき秩序」をめぐる「古くて新しい問い」に対する答えを導き出していくプロセスを再始動させた事件でした。

――なるほど、帝国の崩壊過程が独裁政治によって、一時的にフリーズされていたと見ているわけですね。

そうです。ところが、そのプロセスは、まもなく座礁する――独裁者の復活や内戦の勃発、テロリズムの猛威など、今の中東は、ひとときの「春」を経て、厳しい「冬」のような季節を迎えています。ここにおいても、欧米諸国の責任は重いと言わざるを得ません。介入合戦や代理戦争によって内戦が泥沼化したシリアがその典型でしょう。

――ISのような集団も出てきました。

そうした政治的混乱のなかから生まれた「イスラーム国(IS)」は、ジハード主義者の「第三世代」として、欧米諸国やそこで涵養されてきたあらゆる「普遍的価値」――例えば、人権、民主主義、言論の自由、女性の権利など――を否定し、力による一方的な領域国家の建設を試みました。

それは、誰が見ても過激派やテロリストの所業に他なりませんでしたが、その一方で、中東の現代史という長いタイムスパンで見れば、「帝国後」の「あるべき秩序」を打ち立てようとする営みの1つであったと見ることもできます。

ISは、現行の秩序を徹底的に否定・破壊し、中東の地図をその根本から書き換えようとしたのです。

過激主義のイスラーム化

――ISの出現によって、「過激主義のイスラーム化」が生じています。

ISの言動の特徴は、インターネット上でのセンセーショナルな「炎上商法」にありました。常軌を逸した残酷でグロテスクな映像を次々に流布させることで、世界中の人びとの注目を集めようとしました。

その上で、ISは、近代西洋起源の国民国家の考え方や仕組みを拒絶し、ムスリムであれば誰もが「国民」となれるという普遍主義的な共同体構想を喧伝しました。それによって中東の地図を書き換えようとしたわけですが、その普遍主義の副産物として、中東以外の世界の各地にも「自称IS」が出現することになりました。「自称IS」とは、自発的にISへの忠誠や帰属意識を抱く人たちのことです。

世界各地で起こっているテロリズムに関する報道や開示された捜査情報を追ってみると、「自称IS」は、ムスリムだけでなく、非ムスリムからも数多く出てきていることがわかります。

――「自称IS」の出現は止められるでしょうか?

ある人がISを自称するとき、イスラームへの信仰よりも、近代西洋への憎悪がそれを駆動している可能性があります。自分を取り巻く環境や世界を全否定したい気持ちと言い換えてもよいでしょう。

欧米諸国で暮らす人が、自らの不遇や不幸をめぐる不満や怒りを破壊や殺戮のかたちで吐き出したいときに、ISの過激な思想やテロリズムの様式がその受け皿となったのです。このことを、本書では「ぐれ」の一形態と呼んでいます。

なので、今やグローバル化の様相を見せるようになったISの問題は、中東だけでなく欧米諸国における病理として、同時並行的に解決していかなければならないものだと考えています。中東のISを軍事力で殲滅させても、欧米諸国で経済格差や差別・偏見などが続く限り、「自称IS」の出現はなかなか止められないでしょう。

「もう一つの近代」という希望

――現在が帝国が崩壊する流動的な過程だとしたら、その行く末において、イスラーム主義は世俗主義や自由主義と折り合いをつけることはできるのでしょうか?

本書の終章でも述べましたが、世俗主義や自由主義がイスラーム主義と完全な調和を見せることはないでしょう。

しかし、それはあくまでも、現行の世俗主義や自由主義を理想化して固定的に捉えた場合です。世俗主義も自由主義も実際には様々なバリエーションがあり、また、今後その内実を少しずつ変えていくかもしれません。

他方、イスラーム主義の側も、今でこそ過激派の台頭ばかりが目立つようになっていますが、かつての思想的な柔軟さをいつか取り戻すかもしれません。

――本書の副題にある、「もう一つの近代」を構想できるかどうかですね。

はい。ただ残念なことに、現在の中東を見渡してみると、「もう一つの近代」に繋がるような未来志向の建設的な思想的イノベーションは停滞し続けています。

21世紀に入ってから、9.11事件からイラク戦争、「アラブの春」を経て、世俗主義者とイスラーム主義者の関係は悪化の一途を辿っており、お互いに不寛容さが目立つようになっています。不寛容は思考停止を生み、思考停止はイノベーションを阻害します。

現実の政治の動きによっては、例えば、人びとが自らの意思を表明し合うための公正な機会と場が整備されれば、これらの「主義」が接近する余地が生まれる可能性は十分にあります。楽観的すぎる見方かもしれませんが、互いが対話の糸口を探り、折り合いをつけていくための意思と希望を持たなければ、果てしない対立が続いていくだけです。

最後に、再び冒頭の「あいだ」の話に戻しましょう。

本書は、「ソフトな概説書」と「ハードな専門書」の「あいだ」を意識して書かれました。私自身、所属先の授業や一般の講演会などを行う上で、混迷する中東政治を理解するための手頃な本、そして、中東とイスラーム、政治と宗教の関係にフォーカスした本が必要だと考えていました。本書が、読者の皆さんの中東・イスラーム理解に一助になれば嬉しく思います。

プロフィール

末近浩太中東地域研究 / イスラーム政治思想・運動研究

中東地域研究、イスラーム政治思想・運動研究。1973年名古屋市生まれ。横浜市立大学文理学部、英国ダーラム大学中東・イスラーム研究センター修士課程修了、京都大学アジア・アフリカ地域研究研究科5年一貫制博士課程修了。博士(地域研究)。日本学術振興会特別研究員(PD)を経て、現在立命館大学国際関係学部教授。この間に、英国オックスフォード大学セントアントニーズ・カレッジ研究員、京都大学地域研究統合情報センター客員准教授、、英国ロンドン大学アジア・アフリカ研究学院(SOAS)ロンドン中東研究所研究員を歴任。著作に、『現代シリアの国家変容とイスラーム』(ナカニシヤ出版、2005年)、『現代シリア・レバノンの政治構造』(岩波書店、2009年、青山弘之との共著)、『イスラーム主義と中東政治:レバノン・ヒズブッラーの抵抗と革命』(名古屋大学出版会、2013年)、『比較政治学の考え方』(有斐閣、2016年、久保慶一・高橋百合子との共著)、『イスラーム主義:もう一つの近代を構想する』(岩波新書、2018年)がある。

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