今こそ教師は「働き方の本音」を語ろう――2人の現役教員は何を伝えてきたのか

教員の働き方が問題になるなか、欠けている重要な論点の一つが「当事者である教員の声」である。2017年より行われた中教審の働き方改革部会の委員に、現役の教員はいない。また、報道等で問題を提起するのは教育学研究者や有識者が中心で、教員本人の声はごく限られている。そして数少ない教員の声も、匿名のものばかり。

 

今回、公立学校教員の待遇を定める給特法や部活の問題について訴えを続け『迷走する教員の働き方改革』を刊行した西村祐二(筆名 斉藤ひでみ)氏、学校の業務効率化の提案とともにリアルな学校の現状を発信し『先生も大変なんです』を刊行した江澤隆輔氏、二人の現役かつ実名で活動を続ける教員が、その体験や「本音を語ること」の実際と可能性を語る。(構成 / 岩波書店 大竹裕章)

 

※本対談は2020年2月に実施されました。

 

・『先生も大変なんです』https://www.amazon.co.jp/dp/4000613979/

・『迷走する教員の働き方改革』https://www.amazon.co.jp/dp/4002710203

 

 

 

 

思い切って語っても、周囲からは何も言われなかった

 

西村 お互い、研究会やイベントで顔を合わせたことはありますが、きちんとお話しするのは初めてですね。

 

改めて簡単に自己紹介すると、私はこれまでTwitterを中心に「斉藤ひでみ」という筆名で、教師の部活負担や、教師に残業代を支給しない「給特法」という法律の問題などを訴えてきました。実名を公開したきっかけは、2019年秋の臨時国会での給特法改正です。改正内容が到底賛同できるものではなく、その問題提起を広くマスコミに取り上げてもらうため、2019年10月に実名を公開し、署名や集会を通じて社会に訴えることにしたのです。

 

江澤 勤務先は高校でしたよね?

 

西村 はい。定時制高校と全日制高校の2校に勤務し、現在8年目です。

 

江澤 私は中学校勤務を経て、現在は小学校に勤めて13年目です。もともと、專門の英語科の指導に力をいれ、本も執筆していたのですが、数年前から教師の業務効率化や学校の多忙化に関しても情報発信を行っています。教師は長時間労働が常態化しているのですが、それを表立って言えない。だから覚悟を決めて、教師が本当はどんなことを考え、悩んでいるのか世の中に伝えようとしています。

 

西村 今回刊行なさる『先生も大変なんです』もそういった内容ですね。本を出したりテレビなどで発言したりしたことで、周囲になにか言われますか?

 

江澤 それが、ほとんどないんですね。学校の外で発信していることについては、見て見ぬ振りをされるというか……。

 

西村 同じです!!(笑)今日、これだけは聞きたいと思って来たんですよ。

 

江澤 (笑) 例えば、飲み会で「この間テレビ出てたよね、有名人と会ってどうだった?」なんて話題を振られることはありますが、職員室で働き方に関して話すことはほぼないですね。でも、不利な扱いを受けたり、浮いたりすることはありません。強いて言うと、昨年『教師の働き方を変える時短』という業務効率化の本を刊行したので、7時・8時まで学校に残っていると、他の先生から「あれ、時短は?」とからかわれたりしますが(笑)。

 

西村先生の場合、はじめ仮名で発信を行い、その後実名を公表しましたが、そのことでなにか周囲に言われましたか?

 

西村 江澤先生同様、特に何も。署名提出や国会参考人などの発言は、公務員に禁止されている政治的活動にあたるのではないか、と心配する人もいて、私と仲良くしてそういう話をすると、一緒に処分されると思われているのかも(笑)でもそうではないですし、管理職からも、「やるべき仕事を行っていれば問題ない」と言われています。

 

唯一気がかりだったのが、生徒からどう思われるかでした。でも、むしろ生徒たちが誰よりも応援してくれています。自分のクラスだけでなくて、他の学年の普段接しない生徒から廊下で「先生頑張って」と声をかけられたりもします。

 

江澤 実名の公開前後で、Twitter等での情報の発信の仕方に違いはありますか?

 

西村 基本的には変わりません。もともと、知られてまずい発言はして来なかったので。一つ気になっているのが、色々意見をいただく中で、同じ教員アカウントから中傷になりかねない反応があることですね。これは実名公開後に限りませんが。

 

江澤 意見の違いや議論はあって然るべきですが、子どもたちにインターネットリテラシーを教える教師として、ウェブ空間でも節度を持った発信をすべきですね。

 

江澤隆輔氏

 

 

「聖職者」は働き方を語れない?

 

江澤 教員は働き方について語るべきでない、という風潮は確実にあります。私自身、できるだけそういうことをタブー視せず、伝えたいことを発信しようと思っていますが、気にする面はやっぱりあります。

 

西村 間違いなく存在しますよね。なんなのでしょうね。

 

江澤 それが「聖職者像」なのでしょうが、無制限に子どものために尽くしてこそ教師、というイメージに、他ならぬ教員自身が囚われている。

 

西村 一つ思っているのが、授業にしても普段の接し方にしても、生徒と向き合うときにはどの先生も「教師の面」をかぶっているということですね。その「面」は、私が主張してきた「部活の顧問強制はおかしい」「時間外労働が『自発的な活動』とされてタダ働きになっている制度はおかしい」という本音とズレる。ですから、もしそれを出したら、同僚や生徒に見せてきた「教師の面」が崩れてしまうのではないか、という不安があったのです。

 

江澤 誰に対する不安が大きかったですか? 同僚? 保護者? 生徒?

 

西村 一番は生徒です。

 

江澤 それは「西村先生って、部活やりたくないらしいよ」と生徒に見られたくなかった、ということ?

 

西村 いや、ちょっと違いますね……。うまく言えないのですが、授業で教壇に立ったときに、生徒にどう見られるのかが不安だったのだと思います。部活や残業の問題を提起して「教師の面」が外れることで、一番大事にしている授業に影響するんじゃないか、教師として認めてもらえなくなってしまうのではないか、と。実際には、むしろ生徒は応援してくれましたけどね。

 

それに同僚についても、先日懇親会で酒の力を借りて(笑)、これまでの活動や、部活の問題について話してみました。すると、特に国に対して訴えたことについて好意的に受け取ってくれる人が多かったですね。表立っては言わないけれど、同じように思ってる同僚も多いかもしれません。

 

西村祐二氏

 

 

長時間労働は教師の美徳?

 

江澤 文科省は「学校の働き方改革」と言い、マスメディアもこの問題をたくさん取り上げてくれるようになりました。ですが現実的に、学校内部では業務の精選や働き方改革がなかなか進んでいませんし、そういう話もしにくい状況にある。

 

西村 大前提として、「働きすぎは良くない」という価値観が、職員室で浸透していないですよね。

 

江澤 それは間違いない。教師はみんな真面目だから、「長い時間働くことが大事」「手間をかけることが大事」という職業倫理が色濃く残っていて、むしろ時間をかけること自体が美徳となっているように思います。授業にしても生活指導にしても、教師が手をかけて行動をコントロールする側面が強すぎるのです。そうでなく、逆に子どもたちにまかせたほうが、経験や達成感という意味でも教育的ですし、結果として教師の側も楽になる。時間をかけてこそ、ではなくて、任せて見守るという教育モデルをもっと取り入れていくべきです。

 

同時に、職員室での業務もなかなか減りません。行事を一つ精選するだけでも、大変な労力がいります。

 

西村 一つ例を挙げると、現在の勤務校では毎年体育大会(体育祭)をやっていたんですが、授業の忙しい時期に事前準備が入ってきてしまうので、大きな負担でした。ですから、同じ行事でも、準備なしで一日でパッと終わる球技大会に切り替えられたらなあと思っていたのです。

 

しかし、大変だとみんなわかっていても、取りやめるのは躊躇します。ですから数年をかけて議論しながら、行事を担当する特別活動部・管理職・職員会議と同意を得ていきました。結果、学校としては切り替えるという判断に至ったのですが、PTA役員からは「子どもがやりたがっているから、続けてほしい」と言われてしまいました。

 

江澤 うーん、そう言われてしまうと、切り替える判断は難しくなりますね。

 

西村 諦めかけたのですが、最後に本当に体育大会をやりたいのか、生徒にアンケートをとってみました。すると、なんとどうしてもやりたいのは三割未満。ほかはやりたくないか、授業に差し支えるから止めてもいい、と。

 

江澤 (笑)

 

西村 私たち教師も保護者も、本当は生徒がどう思っているのか、アンケートをとってみるまではわからなかったわけです。この結果を受けて、体育大会を止めることになりました。

 

教師として、生徒のやりたいことは確かにやってあげたいし、それを無視して行事を止めるのは抵抗があります。でも実際に話してみたら、止めることで大半が幸せになる、ということもある。

 

校則もそうです。地域の方から批判を受けるから、と厳しい校則を設ける学校もあります。ですが、地域の方や保護者は別に気にしておらず、学校だけが慎重になっているということも。学校の中だけで完結して厳しく縛るのではなく、もっと学校外とも話す機会を増やすべきです。それによって、教師が細かな取り締まりに時間を取られなくなるだけでなく、子どもたちも理不尽から解放されるわけですから。

 

 

学校の業務効率化は至上命題

 

江澤 もう少し、学校内部の話を進めます。学校は未だに紙文化が主流で、一般の企業に比べて、全般に事務作業など業務効率化が大きく遅れています。ですので、個人レベルでも学校レベルでも、ICTをきちんと業務で活用することは必須です。

 

実は、学校はiPadなどのタブレットと相性がいいんです。プロジェクタで投影して授業で活用したりするだけでなく、データで保存しておいて各教員が教材研究に使ったりできるのは大きい。2023年度までに全児童生徒にタブレットが支給されることになっていますが、その時までに、私達教員が効率的・効果的にICTを活用できるようになることが、業務効率上も、教育効果上も重要だと思います。

 

斉藤 私は大学院時代に「授業におけるICT機器の効果的な活用」を研究していて、初任の頃から携帯端末に資料写真を入れて授業で投影して使っています。他の先生に「準備が大変でしょ?」とよく言われましたが、はじめに整理さえすれば、とっても楽で効果的です。印刷して写真を貼ったり、板書して埋める必要がないですし、その分生徒の方を向いて授業できるわけですから。

 

江澤 そういう積み上げは大事です。現在、割り振られる仕事は毎年増えていくばかりで、現場レベルで減らせる仕事は限られていますから、どんどん効率化していかないと。

 

 

変形労働時間制は学校のブラック化を悪化させる

 

西村 昨年末、過労死家族の会の工藤祥子さんと共同で署名を募り、給特法の改「悪」とさえ言える一年単位の変形労働時間制の導入の反対を訴えました。残念ながら訴えは通らず、2021年度から全国の自治体ごとの判断で、4月などの繁忙期には定時を伸ばし、その分夏休みなどの時期に休みをまとめ取りしやすくする、という趣旨の一年単位の変形労働時間制が公立学校に導入可能になります

 

私は、この制度には大きな問題があると思っており、教育学者の内田良さんや広田照幸さん達との共著『迷走する教員の働き方改革』でも、私なりに現場からの訴えを行っています。江澤先生は、給特法や変形労働時間制についてどうお考えですか?

 

江澤 私は細かな経緯や法律上の問題を詳しく理解しているわけではないのですが、給特法が教師の働き方の現状を規定してきたことは間違いないでしょう。そして、変形労働時間制については明確に反対です。

 

理由はいくつもあります。私は忙しい中でも定時帰宅を目標に、子どもと向き合うときは向き合い、効率化できる業務は効率化して働きたいと思っています。それを「忙しいから」と勤務時間が伸ばされたら、忙しさを改善しようとした自分の努力を無下にされたようで、本当にがっかりします。同様に考える教員は一定数おり、労働時間を伸ばした結果、学校全体の生産性が下がりかねません。

 

また、法改正の附帯決議では、子育て世代や介護世代などへの配慮を行うとされますが、実際の学校現場にそんな配慮を行う余裕があるとはとても思えません。私も小さな子どもをもつ子育て世代ですが、繁忙期に他の先生にしわ寄せが行くことを知りつつ「延長せず早く帰らせてほしい」と依頼するのは抵抗があります。もし早く帰ったとしても、私以外の教員で学年や学校の仕事を回すように、人繰りを変えてしまうことになるでしょう。

 

西村 仰る点は非常に重要だと思います。変形労働時間制の導入で、その時期は定時が伸びるわけですから、見かけ上はたしかに残業が減ります。しかし、それで実際に教員が楽になるとは考えにくい。メリットとされる夏休みのまとめ取りだって、こんな制度を導入しなくたって可能なのです。

 

私が他に大きく懸念していることが、定時の延長によって業務量自体が増えてしまう可能性です。江澤先生が効率的に働いて、各教員が分担する「校務分掌」を定時の5時に終わらせるとします。変形労働時間制によって、定時は1時間伸びるわけですが、その分授業準備や教材研究を1時間できるようになる、とはならないのではないか。つまり、新たな校務分掌を割り振られる恐れがあると思っているのです。

 

江澤 ありえますね。教材研究や授業準備をしている教員がいたら、「余裕があるようだから、別の仕事をお願いできないか」と仕事を振られかねない。

 

西村 ともすれば学校では、授業はできて当たり前、その準備は自分の時間でやってくれ、という意識があると思います。実際、定時内の授業準備はよっぽど余裕があればやるくらいで、いつも学校全体に関わる仕事が優先されてしまう。

 

江澤 部活や校務分掌に忙殺されて、授業準備は定時内ではほとんどできないことが多いのですが、やったらやっただけ子どもに還元される、とても大事な仕事です。

 

 

授業準備が業務時間内にできないのはおかしい

 

西村 私は、授業準備を明確に業務と位置付けて、定時内に優先的にその時間を設けることが改革上不可欠だと思います。今は、勤務時間内には全くと言っていいほど授業準備ができないのが実態です。それで良い授業ができるとは、とても思えません。

 

例えば、1時間あたりの授業に○○分なり○時間かかると計算して、その準備時間を日々の仕事の割り振りの計算に入れる。そうやって、授業準備を定時内業務に組み込むようにしていくことが必要です。

 

江澤 基本的には賛成ですが、私の場合、ある授業1時間あたり○分準備をする、という考え方はあまりしません。むしろ単元や学期、一年間を通してどういう力を育てるか、という視点で授業づくりを考えるので、準備時間も幅広いスパンで捉えています。その意味で、準備時間をどう位置づけるか、議論が必要だと思います。これは、教科によって違いがあるかもしれませんが。

 

西村 教科の違いはありそうです。私も歴史の教員として、単元のプリントを夏休みにまとめて作って利用しますし、単元単位や年単位で授業を構想することはとても重要です。他方、この1時間で何を教えるか、考えさせるかということも常に考えますね。いずれにせよ、逆算して1時間あたりの平均授業準備時間を導くことは可能です。

 

江澤 さらに付け加えると、その教科だけを授業する専科の中学・高校と、一人で大半の教科をカバーする小学校の教師との間にも、授業準備に関する考え方の違いがあると思います。授業準備を定時内業務に位置づけることを考えたとき、できるだけ多くの教員の授業の考え方に即したものであることが望ましいですね。

 

西村 私が授業時間のことを提起したい大きな理由は、教師という仕事の根幹は授業にあって、日々「なんのためにこの授業をするのか」「眼の前の生徒にワクワクする時間を提供できるか」を考え、工夫を凝らしていくことが大事だと思っているからです。

 

私は世界史Bや日本史Bの授業用に、初任から更新し使い続けているA4サイズで400〜500枚のプリントがあります。プリントという「物」を作ることが重要なのではありません。それを作る過程が大事で、プリントを作るために自分自身が勉強をしたり、生徒を思い浮かべながら授業の流れをデザインしたりすることで、「私の授業」をしようとしているわけです。教員がそれぞれのパーソナリティを活かしながら、多様な授業があった方が良いと思いますし、創意工夫や創造性が活きる余地があった方がいい。いずれにせよ、授業準備が0分で良いはずがない。

 

江澤 全く同感です。そして、そのための時間が圧倒的に足りないことも確かです。同時に、西村先生が指摘しているように、業務時間ではなく時間外の「教員が自発的にやっていること」の中に、大事なはずの授業準備が入ってしまうことは問題です。

 

西村 授業のあり方はおそらく今後変わっていき、一問一答的な知識のあり方を問う学習については、ICTやAIを活用した学びが主流になろうかと思います。しかし、人が人を教える、もしくは学び合う場を人が支援するということが続く限り、やはり授業のデザインや準備に相応の時間が必要と思います。教師がファシリテーターとしての役目を果たすためには、講義以上の準備が必要なのです。

 

 

部活顧問に「対価」を支払うべきか

 

西村 教師の長時間勤務の大きな理由となっているのが、部活です。原理的に言って、ほぼ勤務時間外に無償でやらざるを得ない部活の顧問は、教師の本来業務ではありません。ただ、現実的にほとんどの学校で行われ、強制的に顧問を受けざるを得ない教師が大半です。

 

江澤 最近は、「部活顧問は教師の業務でない」と多くの教師もわかっていると思います。ただ、「法律上はそうでも、教師だったら部活はやるよね」という空気がありますし、若手の先生たちも受け入れてしまっているのではないかと思います。また、部活を希望して行う先生ももちろんいて、授業以外に生徒たちと接する場を作りたい、という思いがあるのでしょう。

 

西村 私は、教師の部活負担を早急になくしていくべきだと思っていますが、同時に、現実に部活で残業が発生している以上、残業代とするか何らかの手当とするかは別として、一定の対価を支払うべきだと思います。現状は給特法の制度上タダ働きだからです。この点、どうお考えですか?

 

江澤 対価があって然るべきというのは、賛同します。ただ私は、部活は基本的に学校外に移行すべきだと考えており、対価が発生する「仕事」と位置づけられることで、学校内で部活を抱えこんでしまうのではないか、と懸念しています。

 

西村 部活を学校外に、というゴールは私も全く同じですし、おっしゃる点はたしかにジレンマだと思います。ただ、それでも対価を設定すべきだというのは、二つ理由があります。

 

まず、政策云々を抜きにして考えた時に、労働問題に関わっている弁護士が「部活が労働ではないなんてありえない」と言っている。明確に労働なのに「好きで勝手にやっている」とされる現状を認めるべきではないのです。

 

もう一つ、部活を外部に移すには、予算が必要です。現在は教員のタダ働きで成り立っている部活の担い手を新しく作るわけですから、まず現時点での主な担い手である教員に対価を発生させて、部活を実施するための予算枠を国や自治体に作っていかないといけないと思うのです。それなしに、いきなり外部化というのは難しいのではないかと。

 

江澤 なるほど、予算づくりの第一歩として、まずは教員を含む指導者への対価として確保し、それを外部化に充てる予算に移行していくということですね。その戦略を含めた是非について、今すぐに判断はできませんが、こうした対価のあり方はもっと議論を深めたいところです。

 

いずれにせよ私が強調したいのは、部活を学校内で完結させるべきではないということです。子どもたちは様々な人達と触れ合っていくことで成長します。学校の中で教師とだけ長時間接し続けるのは、子どもたちにとってもったいない。学校の敷地で部活を行うこと自体はいいと思いますが、その活動の運営や指導で教師以外の人達と接する機会を作るためにも、部活の外部化は必須です。これは教員の負担の問題に限らず、子どもたちにスポーツや文化の機会を提供すること、開かれた学校や多様性のための教育、いずれの意味でも重要なのです。

 

 

今こそ教師は本音を語ろう

 

江澤 私たちはそれぞれ実名で「部活顧問を無償で強制される現状はおかしい」「忙しい中大事な授業に時間を割けないのはおかしい」といった主張を行ってきました。数年前に比べてだいぶ世の中が変わってきたとはいえ、こういったことを言いにくい風潮はまだ残念ながら残っています。

 

実際、同調圧力もあり、「やりたくないが仕方ない」と飲み込んで部活顧問の負担や長時間労働を受け入れざるを得ない先生が大多数でしょう。難しい問題ですが、同じ教員としては、顧問をやるべきか、仕事のあり方をどうするかについて、勇気を出して踏み込んでほしいですね。西村先生はいかがですか?

 

西村 職員室で本音を言いにくい現状を変えていくことが必要だと思います。「本当は顧問をやりたくない」と言えるようになれば、どう変えうるかも言えるようになってくる。今はみんなが「教師の面」をかぶって無理を続けている状況ですが、長すぎる労働時間や教員志望者の減少が示すのは、学校が沈みゆく船になりつつあるということです。幸い今は、学校の現状について理解も広がり、話をしやすい状況になってきました。教育の持続性を考えたときに、この船が沈まないためにも、今こそ教師が本音で話すタイミングなのです。

 

それと大事なのが、学校外でも話せるようになること。最近私は実名も学校名も出したことで、地元の市民と教師が集まって交流する場に何度か呼んでいただきました。私たちが学校外にも発信するし、外からも学校に働きかけてもらう、こういったことが大事だと思います。

 

江澤 学校は地域の方からの影響を受けやすいので、それがきっかけで変わることも多い。西村先生も私も、情報発信によって職場で不利な扱いを受けたり、なにか言われたりすることはありませんでしたし、心配するほど教師は「聖職」にとらわれていない。思い切って話してみたら、案外大丈夫なものです。

 

仕事が増えて大変になっていることは事実ですが、教師が発言しやすくなってきていることも事実です。この期を逃さず、周囲の先生たちと本音で話していただきたいと思います。

 

西村 「本音で話す」、これに尽きますね。変わりつつあるこの数年の間に、どれだけ先生たちが立ち上がって本音で語ってもらえるか。教師の働き方改革は、それに掛かっていると言えるでしょう。

 

 

知のネットワーク – S Y N O D O S –

 

1
 
 
シノドス国際社会動向研究所

vol.279 

・川口俊明「全国学力テストの失敗は日本社会の縮図である――専門性軽視が生み出した学力調査の問題点」
・神代健彦「道徳、この教育し難きもの」
・大賀祐樹「懐疑的で楽観的な哲学――プラグマティズム」
・平井和也「世界の知性は新型コロナウイルスをどう見ているのか」
・川名晋史「誰が、なぜ、どこに基地を隠したか」
・石川義正「「空洞」の消滅──現代日本「動物」文学案内(4)」