2016.01.08
演出家は王様ではない――『わが星』から『あたらしい憲法のはなし』へ
ラップなどのポップな音楽性を取り入れた手法が特徴的な、劇団「ままごと」。今年再々演の『わが星』(岸田國士戯曲賞)も、再々演にしてなお大きな反響を呼びました。その「ままごと」が9月に取り組む公演のタイトルは『あたらしい憲法のはなし』。一見大きくテーマを変えてきたように見えますが、果たしてどうなのでしょうか。早稲田大学文化構想学部の水谷八也先生が、「ままごと」主宰の柴幸男さんと制作の宮永琢生さんに聞きました。(構成/住本麻子)
「あたらしい憲法のはなし」とは
水谷 今回は『わが星』の再々演が終わったばかりの、「ままごと」の主宰・柴幸男さんと制作・宮永琢生さんに来ていただきました。よろしくお願いいたします。
それにしても9月の新しい公演は、『あたらしい憲法のはなし』なんですよね。それを聞いたとき、「お、来た!」と思うと同時に、単純に「どうして?」と、これまでの作品とどうつながるのか、知りたいと思いました。『わが星』などの今までのテーマとは、全然ちがいますよね。『あたらしい憲法のはなし』をやろうと思ったきっかけは、なんですか?
柴 もともと『あたらしい憲法のはなし』という文章を青空文庫で読んでいて、興味を持っていました。
水谷 『あたらしい憲法のはなし』というのは、今の日本国憲法が施行されるにあたって、1947年から1952年の5年間に中学校で使われていた教科書ですよね。
天皇をすべての中心として、国民(当時は臣民ですが)は天皇に仕えることを明記した大日本帝国憲法から、それとはほとんど正反対の、主権が国民にあり、その国民に個人としての基本的人権を認めている新しい日本国憲法にスムーズに移行できるように書かれた一種のガイド・ブックですね。
柴 そうです。それを読んでいたのは数年前で、以前からこれは演劇になるんじゃないかと思っていました。その頃は劇場新作を立て続けにつくっていたころです。でも、やりたかったことは『わが星』でだいたい全部やれてしまったんですよ。だから、もう自分から出てくるものでつくりたいと思うものはなくなってきてて、単純にネタ切れでした(笑)
そこでなにか原作になるものはないかと探していて、特に青空文庫はよく見ていました。なぜ青空文庫かというと、著作権が切れているからなんですけど(笑)。でもぼく自身は、憲法とかまったく興味がなくて。
水谷 えっ、そうなんですか?
柴 政治的な活動には正直、興味がないんです。『あたらしい憲法のはなし』は一見して、なんかうさん臭いなと思って(笑)、タイトルだけ見て選んで読みました。
最初はプロパガンダの本なのかな、と思って読んだんですが、おもしろかった。これは一人称の語り口調で、長ぜりふで、読者に語りかけてくるかたちなんですよね。憲法とはなんぞや、法律とはなんぞやということを噛みくだいて説明しながら、理念にふれるところもあって、すごくおもしろかった。
それで前々からやりたいなと思っていたのですが、今回パルテノン多摩の方からなにかやらないか、という打診がありました。
パルテノン多摩は野外だから、劇場でやるよりも堅苦しくなく、市民劇のようなかたちで気持ちよくやれるんじゃないかと思ったんです。ワイルダーが持っているような抜けるような空気感を、憲法で語れるかもしれない、と。
ぼく個人は社会的なことを作中に取り入れることがあんまりできないタイプなんですけど、題材だけでも取り入れておけば、少しは考えているふりはできるかなって(笑)。
物語がなくても演劇はできる
水谷 柴さんは方法に特化してやってきた方でしょう。物語よりも、「演劇」という方法の試行錯誤をやってきて、演劇にまつわる固定観念を崩してきたと思うんですが……。
柴 ぼく自身は、崩そうと思ってやってきたわけではないですけどね。演劇以外の方法論をパクってきただけです(笑)。演劇からすれば新しいように見えるかもしれないけど。映像の編集や、音楽のサンプリングの方法論など、前々からあるものを使っているだけです。
水谷 たしかに、映像の編集などそれ自体は20世紀からあるものですよね。しかしそれを演劇の方法論に援用しようという考え方は少なかったように思います。それに、音楽や絵画が進んでいった速度と演劇の進む速度には差があった。それは演劇が、生身の身体が関わるものだからだと思うんですけど……。
柴 演劇の可能性という意味で、ぼくが本当に揺さぶられたのは、チェルフィッチュの岡田利規さんの『三月の5日間』の戯曲を読んだときです。
「男優1」「男優2」っていう役名の書き方や、演じるなかで役が入れ替わっていくやり方、要領を得ない冗漫な会話や、同じことをくり返しながら展開していくことなど、ぼくの固定概念をくつがえしてくれるものはあそこにすべてありました。それをぼくは、利用させてもらって発展させてもらった、ということだと思います。
岡田さんの戯曲に出会うまでは、三谷幸喜さんやケラさんの演劇のような、オーソドックスで物語性のある演劇が好きでした。でも岡田さんのおかげで、演出方法に特化して、物語をいっさい無価値なものにしたらどうなるか、ということに挑むようになったんです。
水谷 『ハイパーリンくん』というラップの劇がありますけど、そこに物語はまったくないですよね。人間が発見したり発明したりしたもの、つまり人間の科学史がラップのリズムに乗って順番に叫ばれるだけ。一人ひとりの役名もなければ、個人の物語もない。でも物語を持ち込まず音楽の方法を持ちこむことで、大きな視野を持って歴史的な流れを追うことができる。
『ハイパーリンくん』で、バラバラだった役者が縄跳びのようにジャンプしながら一列に並んで、「わたしたちはどこから来て、どうつながったんですか?」とか、「いつまでいますか? なぜいますか? どこまで行けますか?」という質問を口にしています。
自分たちはいま現在、歴史のどこにいて、どこに向かおうとしているのか。こういう質問が出てくるのは、この劇が人間という存在を俯瞰できている証拠だろうと思います。つまり物語では、人間を俯瞰した視点を持って人類史は語ることはできないだろうと思うんです。
柴 これは逆転した発想だと思うのですが、ぼくはひとりの人間にはあまり興味がないんですよ。ほかの作品を見てもらうとわかると思うんですけど、役名がついている戯曲は、ぼくの作品にはほとんどないんです。苦手なんですよね。
たとえば田中一郎という役名をつけると、田中一郎がどういう人間か――どういう生活をしてて、どういう仕事をしてて、どういう生い立ちで――ということに、いっさい興味を持てないんです。それが劇作をするうえで、だんだんわかってきたんです。
そうではなく男なら男、子どもなら子ども、先生なら先生という機能だけを取り出して語ることによって出てくる、抽象的な概念のようなものを演劇にしたい。そういうことの方が、ぼくはやっていて楽しいし、インスピレーションやイマジネーションが湧くんだと思います。
でもそれはジレンマもあって、個別の名前がある戯曲に憧れは抱きます。そういうものが書きたくてこういうところに来たはずなのにって(笑)
水谷 個別性には興味はないけれど、人間自体には興味はあるということですよね。
柴 そうですね。「人間がどう生きるか」には興味はあるけれど、「『水谷先生』がどう生きるか」には興味がない、みたいな(笑)。
ぼくは高野文子さんという漫画家が好きで、高野さんが同じようなことをおっしゃっていました。高野さんは「人間を描く物語じゃない漫画を描けないか」と言うんですね。
「おりがみでツルを折ろう」という、ツルを折るだけの漫画があるんですが、あとがきで高野さんはただただ折り紙を折る美しさや、それを漫画にするという行為を完遂したいのに、女の子が語りかけてくる――女の子はなんでツルを折ってるのかとか、その女の子は誰なのかということを、女の子が訴えかけてくるんでしょうね。
わたしはそれに抵抗するのに苦労したということをおっしゃるんです。それはすごく、腑に落ちる感じがしました。
水谷 よくわかるような気がします。『わが星』も、究極的には存在しているということだけを語っている芝居だと思いますよ。
最近よく思うんですが、人間はどうしても「おのれの姿を見たい」という強い欲求を抱えている動物だと。でも、絶対に人はおのれを見ることはできない。だから鏡と演劇を発明したのではないかと。
つまり演劇の第一の意義って、人間存在を見せることじゃないかと思うんです。だとすれば、物語って二義的なものになるし、捨てることも可能だと。物語を捨てても、見ている方はさまざまな物語をつくってしまうけれど。
柴 そうですね。これが小説だったら、ぼくも「人間描かなきゃいけないかな」と思ったかもしれないですけど、演劇は人間が演じてくれているんですよね。むしろそこに、どうしても役者の固有性が生まれてくるということを最近は意識するようになりました。
水谷先生がおっしゃったように、演劇は「人間がただそこにいる」ということを確認するような表現なんだと思います。もし演劇が物語を消費するものだとしたら、ぼくらは数百年も昔の劇を、人間を変えて演じつづける理由がないと思います。物語が新しくなければ観る必要がないとは、誰も思っていない。
むしろ物語を知っているものを観ることは、王道になっている。ただ、人間そのものを一時間半観ていても飽きてしまうし、かえって人間というものがわからなくなるので、物語の力を借りているんだと思うんですよね。
今まで物語の因果関係によってしか時間をもたせられなかったところを、音楽や漫画が持っていた時間表現を持ちこんできたんです。その意味では、テン年代というのはダンスに接近しているような気がします。
ぼくはダンスでいつも人間を観ています。自分も含め、ある意味では言語が幼稚化してきているのかもしれない(笑)。現代口語が演劇に出てきて、文学的、詩的な言葉によって表現しようとしていた部分がなくなったいま、起点にする部分をとらえなおしているんだと思います。それが映像や音楽やダンスといった、いろんなかたちで見えるようになっているのかもしれない。
水谷 『わが星』もそうですよね。『わが星』は誰もが感情を動かされるような舞台だったと思います。その理由を無理に説明しようとすると、「ちーちゃんがどうだったから」と物語として説明しようとしがち。
でもぼくはもっと深い、観ている人が意識していないところに触れているような気がします。人間が存在していることへの不安だとか。そしてこれは、『あたらしい憲法のはなし』にどこかでつながっていくんじゃないかと期待もしてるんです。
日常にまぎれる、演劇の「作者」たち
水谷 今回の講演「演劇をめぐる大雑談会」のタイトルをどうしようかと考えているなかで、「『わが星』から『あたらしい憲法のはなし』へ」のほかにも候補があって、そのなかには「すれ違う演劇」というのもあったのですが、それに関連してお話を聞きたいのは横浜港の象の鼻テラスでやった催しです。
「ままごと」は、ほかの劇団がやらなかったようなことをやってきた劇団だと思うのですが、象の鼻テラスでやった『Theater ZOU-NO-HANA』は「これは演劇なのか?」という驚きのあるものでした。なんと言ったらいいのか、ちょっと説明が難しいですよね……宮永さん説明していただけますか?
宮永 あれ難しいですよね(笑)。チラシをつくるときも迷ったんですよ、説明が難しくて……。当初はあの空間を劇場空間にして演劇作品をつくってください、という象の鼻テラスからの依頼だったんです。
でもあの場所はいつもは無料の休憩所で、お昼時にはサラリーマンの方やOLの方たちがお弁当を食べてるような場所なんですよ。カフェも併設されているので、みんなそこでお茶したり。海のすぐ近くでロケーションも良いので、週末にはカップルがデートしてたり、家族連れがたくさんいて、子どもは外の芝生で遊んでたり、お父さんはテラスの中でビールを飲んでたりする(笑)。
そういった象の鼻テラスの環境や特性を踏まえて劇団でミーティングをしたときに、普段ひらかれた場として自由にこの空間を使える人がたくさんいて、それぞれ自分にとって居心地の良い場所として利用しているのに、いきなり来た我々がその人たちを閉め出して、入れる人を限定してしまうのはナンセンスなんじゃないかという話になったんです。
そこで柴がコンセプトとして打ち出したのが、《演劇とすれ違う》という言葉でした。普段その場にいる人たちに演劇に触れてもらおう、演劇的な体験をしてもらおう、ということでいろいろ試行錯誤してみたのが『Theater ZOU-NO-HANA』のスタートですね。
具体的にやったことを簡単に説明すると、たとえば靴と「靴紐をほどいてください」という指示が書かれたプレートをテラス内に置いておいて、誰かがその靴紐をほどくとその背後で、一般人にまぎれていたパフォーマーが「あっ!靴紐ほどけてる」と言って靴紐を結びなおす、といったようなものです。
わたしたちはこの演劇装置のことを、「スイッチ」と呼んでいます。(詳しくはこちら→https://synodos.jp/culture/12101)
柴 これは誰かが言っていて、ぼくもそうだなと思ったことですが、芸術がなにかの問題提起をするものだとすれば、デザインが問題解決をするものにあたるんです。
象の鼻テラスを見ていて思ったのは、ここで二日続けてうるさいことをやれば、毎日来ていた人が来なくなるだろうということでした。すると大きな声は出せない。そういうことを突きつめれば、やってるかやってないかわからない、無に近づいていくんですね(笑)。でもそれもどうなんだ、ということになる。
だからある人にはこれが作品に見えて、ある人にとっては作品かどうかわからないような身体表現ができないかと考えました。象の鼻テラスにある象のオブジェみたいに、ある人にとっては強烈な作品性を持つかもしれないけれど、ある人にとっては無視してもいい、背景にさえなりうるものがつくりたかったんです。
そういうことを念頭において、俳優たちといっしょに場所を観察しながらひとつずつ作品をつくっていきました。というかこれはぼくが発案のものはほとんどなくて、俳優たちそのものが作品の作者になっていった――そういう意味で、民主主義なんですよ。絶対王政じゃないんです(笑)。いかにして個々が、ほかに迷惑をかけない範囲で自由を謳歌できるかということを、追求しました。
ほかの作品の台本に関してはぼくが絶対権力者だし、民主主義ではないんだけど、象の鼻テラスでのスイッチ演劇に関しては、最終決定権は作者に委ねたし、誰が作者かといえば、「わたしが作者だ」と言った者が、つまり俳優が作者です。もちろんアドバイスやディレクションは、しますけどね。
民主主義の劇団「ままごと」
水谷 「ままごと」では、作品をつくる前の段階での話しあいがとても大きな意味を持つことがわかったんですが、宮永さんが制作として柴さんと関わるようになったのはいつからですか?
宮永 柴と作品をつくるようになったのは2006年からですね。最初はわたしが柴に、新作朗読劇の戯曲を書いてほしいと依頼したんですよ。そこで彼が書いてきたのは、20冊くらいの小説をブツ切りにして再構成したものでした。
たとえば「誰かが死ぬ」というシーンがあったら、次のシーンでは「誰かが死んだ」別の物語につながっていく、というものです。そのときはわたしが演出的な立場だったので、稽古場で役者といっしょに「なんか思ってた朗読劇と違う!」ということになりまして(笑)。そこで「コレちょっとよくわからないから、柴くん稽古場に来てくれない?」と言っていっしょにつくりはじめたのが、はじまりですね。
この戯曲をどうやって作品にしたら良いのか全然わからなかったけど、そのわからないものがかたちになっていく感じがすごくおもしろくて、これは新しい演劇が生まれるかもしれないという感触はありました。その公演が終わった翌年(2007年)に柴といっしょに平田オリザが主宰する「青年団」に入って、2009年に「ままごと」を立ち上げることになります。
水谷 戯曲に対して、宮永さんはどういう関わり方をしているんでしょうか。
宮永 なんっにも言ったことないですね!戯曲に関しては(笑)。まあそれは劇作家としての彼を信頼しているからという部分が大きいからだと思うんですけど。あとは、「ままごと」が戯曲を立ち上げる前段階からチーム全体で作品創作していくというスタイルを持っているからだと思いますね。
このチーム全体での創作スタイルは――これは2009年に『わが星』をつくったときにドラマトゥルクの野村政之さんからのアドバイスではじめたことなんですけど――だいたい稽古がはじまる半年くらい前に、柴がまだ戯曲を一文字も書いていない段階から、柴を含めたスタッフ全員でミーティングをするんですね。
そこで柴が、「今回はこんな作品になると思う」という作品の軸になる部分の妄想をまず話して、そこからスタッフ全体がその妄想をふくらましていくといった感じで、戯曲だけではなく、演出プランから各セクションの具体的なプランニングまで、本番に入るまで定期的に全体でミーティングを行います。
ミーティングでは、舞台監督、舞台美術、音響、照明、衣装、演出助手、制作、etc……それぞれが立場に関係なくいろんなアイディアを出しあいます。
たとえば、照明さんが舞台美術さんにこんな床の素材だと綺麗な夕日が映えると思うというアイディアを出してみたり、互いの仕事の範疇を越えて意見を交換しあって、誰の意見でもそれが面白ければ採用していくんですね。そんな具体的なアイディアのひとつ一つが、柴が書いていく戯曲の内容に影響することは多分にあるんじゃないかと思いますね。
演出家は憲法のように
水谷 では『あたらしい憲法のはなし』も、そのような「ままごと」のつくり方、制作のスタイル、象の鼻テラスでやったことや『四色の色鉛筆があれば』との連続性のなかで語れる作品になるんですか?
柴 もちろんそうです。象の鼻テラスを経たこの作品は、自分の稽古場でのふるまいを反省した結果、ということになると思います。演出家っていうのは、憲法以前の王様のようになってしまっていないか、と自分自身感じ入るところがありました。
水谷 でも演劇の現場というのは、指示を出すべき人が必要ですよね?
柴 それはもちろんそうです。でもそれは、役割の問題であって、演出家が役者よりえらいということはない。なのに多くの演劇の現場では演出家の方が役者よりも役割が上、ということになりがちなんです。演出家の側も役者の側もそう思いこんでしまうし、なんならその方が楽だという発想が、全員にあるんですね。
考え方は人それぞれだからそれはいい。でもぼくの経験からすると、演出家に言えと言われたから言うせりふと、自分自身をコントロールして言ったせりふでは、音の鳴り響き方が違うんですね。おもしろさが全然違う。もちろん、好き勝手にしていいということではないんですけど。
水谷 ぼくも、決められたせりふを言っているなという演技と、いままさに出てきたようなせりふを言える演技には、かなり差があるように思います。これは象の鼻テラスにも通じるところだけど、虚構と現実がまじりあうような瞬間が、演劇のおもしろいところだと思う。決められたせりふしか言えない役者は、やっぱりだめだよね?(笑)
柴 いや、そんなことはないとはないですよ! 演出家の絶対的な支配は問題だと思うけど、じゃあ「自由にしなさい」と言ってみんなが本当に自由になれるかどうかは別問題ですよ。つまり、自分自身に支配されてしまうこともあるわけです。「さっきこう言ってウケたから、次もまたそうしよう」とか、自分自身の成功体験を、無自覚にくり返そうとしてしまうことはよくある。
演出家の仕事というのは王様のように権力を持つことではない、そうではなく、いかに役者が役者自身にとらわれているということを言ってあげることであると思うんです。それはむしろ、憲法に近いんだと思う。
社長の方がえらい、女より男がえらい、経験がある意見の方が正しい、そして役者より演出家の方がえらい――こういうことをみんなは思いたがるけど、憲法はそうは言っていない。ものごとを俯瞰したうえに成り立ったルールづくりをしている、というところに憲法の魅力を感じました。
戯曲の段階で、役者を解き放つようなことをうながせないかな、ということをよく考えます。戯曲自体も「こう言え」ということが書いてある、いわば権力的な命令になりうるもの。でも戯曲のなかのせりふを、自分のパートナーのように発声できる俳優さんもいるんですよ。
「いろんな言葉が言えるなかで、わたしはこれを言う」、あるいは「このせりふを言いさえすれば、あとはなんでもできる」という、自由を保障してくれるものとしてせりふをとらえる人もいるんです。そういう自由をうながせる戯曲の書き方も、ぼくはあると思っているんです。
演劇がその場にひとつの「国」を立ち上げるものだとして、俳優という「国民」に対して演出家が権力になるのではなく、自由を引き出すための役割を負う。「憲法」を戯曲として考えるならば、そういうことが言えるんじゃないかと思いました。
俳優一人ひとりがより自由であった方が演劇もおもしろいように、国民一人ひとりが自由であった方が、国も発展するというのが、憲法の考え方だと思ったんですよね。
水谷 民主主義と演劇の関係を考えていくと、当然、演劇教育に目が行きますよね。特に高校での演劇教育って、やり方によっては、何よりも「自分」「個人」「自由」「個と社会」などということを考えるための実践の場になりますよね。
柴 そうかもしれないですね。つまり、先生のアイディアよりも勉強がぜんぜんできないような子が言ったアイディアの方が実際やってみたらおもしろかった、ということは全然ありうるということでしょう。
その過程で生徒は、自分たちはどんな状況においても先生の意見を信用するようになっていたんだなあ、と気づいたりする。……そう考えると別に、わざわざ演劇でやらなくてもできることかもしれませんね(笑)。
水谷 でもやはり、俳優がいる演劇だからこそだと思いますよ。演劇教育というと、ぼくはすぐに福島のいわき総合高校にいらした石井路子先生(現在は追手門高校の先生)のことを思い浮かべるんですが、彼女が高校生たちとやっている演劇をはじめて観たとき、あまりに自然にその生徒本人として振舞っているので、「これは芝居なんだろうか?」と度肝を抜かれました。
まず、芝居なのに高校生たちがせりふをしゃべっているように見えないんですね。どうしてこんなことができるんだろうと思って、何度か授業を見学に行くと、石井さんは一人ひとりをものすごく大事にしてるんですよ。体のくせや声の出し方、たたずまいといった、個々人の差異を大事にしてるんです。
石井さんはそんなふうに、個々人が個々人として「在る」ことができるような演劇を生徒といっしょに作ろうとしている人だと思いました。『わが星』のちーちゃん(端田新菜)だって、歩き方とかとてもくせがありますよね。
柴 くせそのものです、そして、それが自由から生まれる個性だと思います(笑)。
プロフィール
水谷八也
1953年生まれ。早稲田大学文化構想学部(文芸・ジャーナリズム論系)教授。専門は20世紀英米演劇。編共著に『アメリカ文学案内』(朝日出版)、訳書にアリエル・ドルフマン『谷間の女たち』(新樹社)、『世界で最も乾いた土地』(早川書房)、また上演台本翻訳にソーントン・ワイルダーの『わが町』(新国立劇場)、アーサー・ミラーの『るつぼ』など。
柴幸男
2010年に『わが星』で第54回岸田國士戯曲賞を受賞。何気ない日常の機微を丁寧にすくいとる戯曲と、ループやサンプリングなど演劇外の発想を持ち込んだ演出が特徴。劇作、演出に加えて、様々な形態のワークショップを企画し、複数の大学でも演劇を教えている。近年は、レパートリー作品の全国ツアーや地方公共ホールとの共同創作、新作児童劇の創作や国際芸術祭への参加など、東京以外の場所での活動も多い。2013年には「瀬戸内国際芸術祭」に参加し、小豆島(香川県)で滞在制作を敢行。島民や観光客を巻き込み、《その時、その場所で、その人たちとしかできない演劇》を生み出した。また、アートスペースを併設したレストハウス(休憩所)である「象の鼻テラス」(横浜)では、パブリックスペースという特徴を生かし、流れる人と時間をそのまま劇中に取り込んだ作品創作『Theater ZOU-NO-HANA』を継続的に行っている。2014年より劇団「ままごと」HPにて『戯曲公開プロジェクト』を開始。過去の戯曲を無料公開している。
宮永琢生
企画制作ユニット「ZuQnZ(ズキュンズ)」主宰。2007年~2011年まで劇団「青年団」の制作に携わり、2009年に劇作家・演出家の柴幸男と共に劇団「ままごと」を起ち上げる。近年は、劇団の活動以外に《観客との関係性》に主軸を置いた作品創作を積極的に行っている。